31話 偽聖女にされた理由とは
◇◇◇◇
レオハルトは、腕のなかで寝息を立てているアリを眺めていた。
彼女に渡したサングリア。
執事長に命じてわずかに眠り薬をいれたのだが、それが効いたらしい。これで朝まで目が覚めないだろう。
(……ずっと、うなされていたからな)
モンテーニュ侯爵の前で倒れ、馬車で移動している間。
彼女はずっとうなされていた。
なにを言っているのかはわからない。ただ、時折「やめて」と「違う」という言葉だけは発していた。
あまりにつらそうなので、幾度か揺さぶって起こそうとしてみたのだが、覚醒にまではいたらない。その都度、深い息を漏らしてうわごとは止まるものの、また脂汗を流してうわごとを言い始める。
侍女として雇ったララはオロオロとするばかり。レオハルトはアルテイシアをずっと抱きしめて屋敷まで連れ帰った。
(結局、過去は語らずじまい、か)
ララに着替えを頼み、自分も着替えをしていたら、彼女から『またお嬢様がうなされている』と報告が入った。
そこでララとレオハルトが交代したのだ。
(逃亡した、聖女……)
レオハルトはアリの寝顔を見つめる。
彼女が動揺した原因。
それはどう考えてもモンテーニュ侯爵の一言。
『逃亡した聖女』だ。
レオハルトは小さく息を漏らす。
辺境を守るものとして、隣国の動静は押さえているつもりだ。
斥候は飛ばしているし、新聞も定期的に取り寄せている。
かの国の聖女は2年前に交代した。
前聖女はなんらかの罪を犯し、レルーン修道院に幽閉され、現在は別の聖女が立っている。その聖女は確か王太子ユーウッドとの婚約も成立していたのではなかったか。
(前聖女は、逃亡……)
したのだろうか。レルーン修道院から。
それが。
彼女なのだろうか。
そんな風に考えを巡らせていたら、小さな足音に気づいた。
廊下だ。
気配を消し、できるだけ足音に注意しながら近づいてくるところを見ると、使用人ではない。そもそも、この女主人の館には、現在ララしか使用人がいない。彼女であれば、もっと普通に歩いてくるだろう。
レオハルトは、アルテイシアを片手で抱き、もう片方の手で自分のベルトを探る。革製のポーチの釦を外し、刃だけのナイフを取り出した。
足音が止まる。扉の前だ。
レオハルトはナイフを指の間に挟み、息を殺す。
す、と。
薄く扉が開く。
同時にレオハルトはナイフを投げた。
「ちょ……男爵! 殺す気ですか⁉」
「なんだ、ウルバスか」
腰が引けた姿勢で動きを止めたのは、ウルバスだ。
ナイフは彼の右頬すれすれをかすめ、扉枠に刺さっている。随分と驚いたらしく、片眼鏡が落ちるほど目を見開いていた。
「ノックしないからだ」
「だからってこんな仕打ち!」
「大声を出すな。アリが目を覚ますだろ」
「誰のせいだと思っているんですっ」
言い返しながらも、声を落としたのだからそれなりに気を遣ってくれているらしい。
「いつ戻った?」
片眼鏡を押し込み、「まったくもう」とぶつくさ言うウルバスは、外套姿のまま。ブーツも土埃で汚れ、旅装を解かずに来たことが知れた。
「ついさっきですよ。報告に行こうと思ったら、執事長さんが」
「ヨルマンがどうした」
「恋人同士とはいえ、未婚の男女なのだから、宿泊は困る、と。お嬢ちゃんが落ち着いているのなら、侍女に任せてすぐにお戻りになるようにって。伝言を頼まれちゃってさ」
頭の固い男だ、とレオハルトは口をへの字に曲げる。
曲げてから、眉根も寄せた。
「ヨルマンの伝言と、お前の忍び足はどう関係するのだ」
「もし男爵が本当にお嬢ちゃんとそんなことしてるのなら、お邪魔しちゃ悪いな、と」
ちろりとウルバスは舌を出して見せる。
「ちょっとのぞいて様子を見てから、と」
「のぞきか、この野郎」
「お嬢ちゃん、倒れたんでしょ? そんな弱っている女性にさぁ、なにか無理強いさせてるのなら、こりゃもう現行犯逮捕で止めようと思ったんだよ、ぼく」
「口の減らん奴だな」
「ってかさ」
ウルバスは腕を組み、顎でアリを示して見せた。
「眠ってるんなら、そのまま寝かせてさ。出てきて、ぼくの話を聞いて」
まったく、とレオハルトは息を吐いた。
早く身を固めろとか、嫁を取れと周囲は言うくせに。
いざ恋人を連れ帰れば「部屋から出ろ」だの「無理強いさせるな」だのうるさい。自分が縁遠いのは、この環境のせいではないだろうか。
レオハルトはそっとアリを寝かせ、シーツをしっかりと引き上げる。
枕を整えてやっていると、「ん」と小さな声をもらした。一瞬動きを止める。
ぎゅ、と。
不意にアリに手を握られて驚く。
ふにゃふにゃとアリの唇から声が漏れたが、何を言っているのか明瞭ではない。
だが、倒れた直後のように不穏な様子はなかった。声音は柔らかく、表情も愛らしかった。
「おやすみ」
レオハルトはアリの耳元でそう告げ、名残り惜しく思うものの、そっと手をほどいた。
そして足音を忍ばせて部屋を出る。
「それで?」
後ろ手にドアを閉め、先に廊下に出ていたウルバスを見る。
彼はレオハルトと向かいの位置に立ち、壁に背を預けて待っていた。
「いろいろとわかりましたよ」
静かな声音が、照明を極力落とした廊下に染みこむ。
「あのお嬢ちゃんが手紙を出したのは、タートルという子爵家でした」
「タートル子爵」
レオハルトはつぶやくが、あまりピンとこない。武勇に秀でているわけでもなく、領地は魔境に近いわけでもないのかも。
「そこまで名門ということもないのですが、このタートル子爵家には失踪したお母様がいらっしゃいましてね」
ウルバスは相変わらず壁に背を預け、時折、ブーツの踵で床を打つ。本人のくせなのか、それとも拍車とブーツの間に挟まる異物が気になるのか。
「その失踪したお母様というのが、レルーン修道院に幽閉されている前聖女とつながって来るんです」
「前聖女? なんらかの罪で幽閉されている聖女だな」
ミリオシア王国に聖女がいることは誰もが知っている。
聖女は騎士にことほぎを行って聖騎士とし、魔獣を退治させるのだ。モンテーニュ侯国にはない習慣。いない存在。それが聖女だ。
「そう。なんらかの罪を犯した、ということで、詳細は不明です」
コツコツ、と。ウルバスは相変わらず踵を床に打ち付ける。
聖女が「普通の女性」であることは、ウルバスもレオハルトも知っている。
一定の基準で選ばれた女子が、聖女として神殿で養育され、それらしい儀式を行って騎士たちを励ます。そして魔獣を退治させるのだ。
結婚適齢期になれば聖女は引退となり、次にまた女子が選ばれて聖女となる。
それを繰り返している。ただの宗教的儀式。
それが、レオハルトだけではなく、ミリオシア王国での認識でもあるはずだ。
(罪を犯す?)
レオハルトは顎をつまんで思案する。
一番に思いつくのは宗教的タブーにふれることだった。
異性との接触、戒律違反、危険思想の吹聴……。
だが、珍しいとは思う。
聖女のいずれもが、結婚までの腰かけだ。
そこまで宗教的な専門教育を受けるとは思えないし、彼女たちの役目というのは、あくまで民衆や外国の来賓に対してのアピールでしかないとレオハルトは思っていた。
「その前聖女の養育係になっていたのが、タートル子爵のご母堂様。マーガレットと言うそうです」
「マーガレット? 愛称はメグか」
アリが娼婦として身を売ろうとしたきっかけの女性。その名がメグだった気がする。
彼女が病に臥せったため、治療薬を購入するためにアリはレオハルトに身を売ろうとしたのだ。
レオハルトと目を合わせ、ウルバスはうなずく。
「で、前聖女の名前はアルテイシア」
「アリ、か。なんのひねりもない」
思わずレオハルトは失笑を漏らす。
いや、箱入りの上に、長年神殿で暮らしてきた聖女様ならその程度なのかもしれない。
いずれにせよ、幽閉先から逃れ出て隣国までやって来たそのバイタリティに驚きだ。世間知らずのくせによく頑張った。
「……ん? ちょっと待て」
「なんです?」
そこまで考えて、レオハルトは首を傾げた。
「修道院に幽閉、って言ってなかったか、ウルバス」
「ええ、公式には修道院に幽閉中です。アルテイシアなる人物は。現在もね」
「……出てきてるじゃないか」
「そうなんですよ。なので躍起になって探しているんですよ」
「神職が?」
「いえ。王太子が」
「……どういう状況だ、それは」
レオハルトは片手でくしゃりと前髪を掻き上げた。




