30話 魔獣減少の理由
顎を引くようにして、上目遣いにレオハルトを見る。
彼の表情はいつも通りだ。
出会ったときは無表情に見えたのに、いまではおだやかにさえ見える顔でアルテイシアの視線を見返している。
「言えないのか?」
わずかに首を右に傾けて尋ねられる。
アルテイシアは彼の視線をさけるようにうつむいた。
逃亡した、聖女。
再度、よみがえるのはモンテーニュ侯爵の声。
「おれは最初、お前は隣国から来た魔境の調査員かなにかかと思っていた」
「……はえ?」
ついそんな気の抜けた声が漏れた。
ぽかんとレオハルトを見上げると、彼はからかうような色を瞳にきらめかせる。
「その前は、鶏ガラみたいな娼婦だと思っていた」
「もう!」
シーツにくるまれたまま、ぽかりと叩いたのに、レオハルトは愉快そうに声をたてて笑った。
「あの朝は胆が冷えた。本当にお前の純潔を奪ったのかと思ったのだからな」
「そ……それは、だから」
誤解だと続けようとしたのだが、くすり、とレオハルトは甘やかな笑みを漏らす。
「酔っていて理性が飛んだのか、と。それぐらい可愛かったから」
「な……!」
一気に頬に熱が集まる。火を噴きそうな顔を両手で挟んで押さえていたら、レオハルトは少しだけ腕に力をこめ、さらに笑いを深めた。
「そこから先はもう、意味不明だ。おれの女になれというのに断られる。安全なところにいろというのに、魔境についてくる。あげくの果てには、持ち前の知識と負けん気で閣下の前で堂々と泉が復活したことを説明してみせた」
「そ……それは。……あ、というか、その知識のせいで?」
「ん?」
「魔境の調査員!」
「あ? ああ、そうだ。なにしろここ2年ほどで魔境はかなり変化していた」
レオハルトは笑みを消し、真面目な顔でアルテイシアを見つめる。
「魔獣は減り、土地は清浄さを取り戻していた。これは我が国だけの変化なのか。それとも隣国もそうなのか、とおれたちでさえ気になっていたのだ。だからその調査のためにお前は国からやって来たのか、と」
「違います」
アルテイシアはきっぱりと首を横に振る。レオハルトはその顔をみつめ「では」と続けた。
「お前はどうしてこの国に?」
そしてやっぱりアルテイシアは口を閉じる。
だがそれは、最前のように秘密を語れないからではなかった。
疑問のためだ。
なぜ、魔境に変化が起きたのか。
そしてそれは、聖モンテーニュ侯国だけなのか。
その問いが、頭をぐるぐるめぐる。
(きっと……違う)
そしてアルテイシアは確信する。
それは、《《ミリオシア王国でも起こっている》》のだ。
だからこそ、いまだにアルテイシアは探されている。
この変化についての説明をさせるために、アルテイシアはいまだに追われている。
(だけど、なぜ)
魔境の変化理由について、アルテイシアが知るはずがない。
聖モンテーニュ侯国の魔境を見る限り、推測できるのは魔獣の減少だ。
もともと魔境というのは魔獣の生息数で変化する。魔獣が多ければ、やつらの糞尿で土地が汚染され、魔境が増殖する。逆に、魔獣が少なければ土壌汚染が防がれ、土地は徐々に活力を戻していく。
(……聖モンテーニュにいた魔獣が、ミリオシアに移動している?)
それしか考えられない。
聖モンテーニュ侯国では、3か月に一度、討伐隊を組んで魔獣退治に出かけると聞いた。
そうして魔獣の数を一定に保ち、魔境の増殖を抑えてきたのだ、と。
だが。
数を保つ、のではなく。
減らした、のだ。
均衡が壊れ、魔獣は減少の一途をたどったのだ。
(魔獣の性質が変わった?)
弱体化したのだろうか?
いや、おかしい。ならばどうしてミリオシア王国では、アルテイシアに救いを求めるような事態が起こっているのだ?
それすなわち。
魔獣が増えているのではないのか?
「アリ?」
そっと名前を呼ばれ、アルテイシアは身体を震わせた。
「すまん。また驚かせたか?」
柔らかく抱きしめられ、アルテイシアは頭を振った。
「いえ……。ちょっと……考え事を」
「もう今日は十分考えただろう」
くすりと笑われる。
アルテイシアもぎこちなく笑みを浮かべ、レオハルトに身体を預けた。彼から伝わる熱は心地よく、自分を囲う腕は魔法陣のように頼もしい。
「もう寝ろ」
「……はい」
「なあ」
「はい?」
「いつか」
「……はい」
「いつかお前から、お前の過去を話してくれないか」
アルテイシアは顔を上げる。
すぐそばには、心配げに自分を見つめるレオハルトの瞳があった。
「それまで」
アルテイシアは震える唇で尋ねる。
「それまで、待ってくれますか?」
「もちろんだ」
ぎゅっと抱きしめられる。
アルテイシアは彼に身を任せ、うなずいた。
「いつか、聞いてください」
自分がどうしてこの国に来たのか。
そして。
どうしてまた、戻ることになるのか、を。
「わかった」
ぎゅ、と。
また少しだけ力と熱をこめてレオハルトが抱きしめる。
アルテイシアは目を閉じ、彼の胸に耳を当てる。
服越しに感じるのは、硬く、筋肉質な身体なのに。
聴こえてくるのは、おだやかでまろやかな心音。
「おやすみ」
レオハルトの声。
アルテイシアは、おやすみなさいと返したつもりだったが。
わずかにうなずいただけで。
すぐにまた眠気に思考をからめとられた。




