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第1章:もう一つの命編 第1話「俺は、天野ハヤテじゃない」

初めまして。


『君の中で、僕は生きていた。』を見つけていただき、ありがとうございます。


もし、人生の最後に後悔した「たった一言」を伝えるために、もう一度だけ人生を与えられたとしたら――。


これは、愛する人を残して死んだ1人の男と、6年後の世界で生きる1人の少年を巡る物語です。


恋愛、青春、友情、そして少し不思議な「二度目の人生」。


彼がもう一度目を覚ましたことには、ある大きな秘密があります。


ぜひ最後まで、彼の人生を見届けていただけたら嬉しいです。

9月16日。


午後4時を少し回った岐阜市の空は、まだ夏の名残を引きずっていた。


窓から差し込む西日が、人気の少なくなった廊下を橙色に染めている。


俺――天野ハヤテは、一人でその廊下を歩いていた。


いや、正確には俺の名前は


『天野ハヤテ』


ではない。


少なくとも...6年前までは。


俺は32歳だった。


愛知県名古屋市で働く、ごく普通の会社員。


そして――妻がいた。


6年前。


2020年9月16日。


残業で帰宅が遅くなった夜だった。


信号が青に変わり、俺は歩道を歩いていた。


そこへ突然、車が突っ込んできた。


ブレーキ音。


誰かの悲鳴。


身体が宙に浮いた感覚だけは、今でも覚えている。


アスファルトに叩きつけられ、身体の感覚が消えていく中で、俺が考えていたのは妻のことだった。


あの頃、俺たち夫婦の関係は冷え切っていた。


そしてその日の朝。


キッチンに立つ妻の背中を見ながら、俺は何も言わずに家を出た。


たった一言。


「行ってきます」


それすら言わなかった。


――言えばよかった。


――ちゃんと、話せばよかった。


――ごめんって言えばよかった。


視界が暗くなる。


妻の顔が浮かぶ。


最後にもう一度だけ会いたい。


そう思ったところで――


俺の人生は終わった。


……はずだった。


次に目を開けたとき。


俺は高校の教室で、数学の授業を受けていた。


訳も分からずトイレへ駆け込み、鏡を見た。


そこに映っていたのは、見たこともない少年だった。


細い身体。


整ってはいるが、どこか頼りない顔。


そしてスマートフォンに表示されていた日付。


2026年9月16日。


俺が死んだ日から、ちょうど6年が経っていた。


それから分かったことがある。


この身体の名前は『天野ハヤテ』。


高校2年生。


成績優秀。


運動音痴。


人付き合いが苦手。


友達はほとんどいない。


そして――


どういうわけか、俺はそいつとして生きている。


理由は分からない。


本物の天野ハヤテがどうなったのかも分からない。


ただ1つだけ、俺には目的があった。


妻を探す。


6年前、俺が残してきた妻を。


俺が死んだあと、どうなったのか。


元気なのか。


再婚したのか。


それとも――。


考えるだけで胸が痛む。


だが、手掛かりはほとんどない。


今の俺は高校生だ。


金もない。


車もない。


そして何より、


「6年前に死んだ男の妻を探しています」


なんて誰かに言ったところで、まともに相手をされるはずがない。


だから少しずつ探すしかない。


そう思っていた。


その日の放課後までは。


「……ん?」


2階の廊下を歩いていた俺は、ふと窓の外を見た。


校舎の裏手。


5人ほどの男子生徒が歩いている。


いや、違う。


1人が、引きずられている。


見覚えがあった。


俺の隣の席の男子だ。


いつも1人でいる、おとなしい奴。


そいつの制服の襟を、1人の男が掴んでいた。


他の4人が笑っている。


「……おいおい」


嫌な予感しかしない。


俺は窓を開けた。


遠くて会話までは聞こえない。


だが、向かっている場所は分かる。


裏庭だ。


人目につきにくい場所。


俺は窓を閉めると、走り出した。


頭の片隅で、別の声がする。


やめておけ。


この身体は天野ハヤテだ。


喧嘩なんてしたことがない。


しかも相手は5人。


関わる必要なんてない。


先生を呼べばいい。


それが正解だ。


「……知るかよ」


俺は走った。


昔からそうだった。


喧嘩は弱い。


怖くないわけでもない。


殴られれば痛い。


だけど――


弱い奴を大勢で囲んで笑ってる連中だけは、


死ぬほど嫌いだった。


階段へ飛び込む。


「ハヤテ?」


踊り場で声がした。


1人の女子生徒とすれ違う。


藤田ミナミ。


この身体――天野ハヤテの幼馴染らしい。


明るく、活発で、男女問わず人気がある。


俺とは正反対の人間だ。


「ハヤテ! どこ行くの!?」


俺は振り返らなかった。


「ちょっと、ハヤテ!?」


階段を駆け下りる。


今は説明している暇がない。


裏口を蹴るように開け、校舎の外へ飛び出した。


そして裏庭へ着いた瞬間――


俺は足を止めた。


「……マジかよ」


5人。


全員、見るからに柄が悪い。


制服は着崩し、髪も派手だ。


そして1人は...金属バットを持っていた。


中央では、俺の隣の席の男子が土下座させられている。


「だからよぉ。金持ってこいっつったよな?」


「す、すみません……」


「謝って済むなら警察いらねえんだよ」


男がバットを肩に乗せる。


その瞬間、俺の中で何かが切れた。


「おい」


5人が一斉にこちらを見る。


「……あ?」


俺はゆっくり歩いていった。


怖い。


当たり前だ。


相手は5人。


しかもバットまである。


こっちは高校生の身体。


勝てる保証なんてどこにもない。


それでも。


「そいつから離れろ」


一瞬の沈黙。


そして――


5人が爆笑した。


「お前、誰?」


「天野じゃん」


「え? あの陰キャ?」


「なんだよ、急に正義のヒーローか?」


笑い声が響く。


俺は土下座している男子を見る。


唇が切れていた。


頬も腫れている。


……ダメだ。


こういうのを見ると、昔から我慢できない。


「5人で1人囲んで、バットまで持って」


俺はため息をついた。


「ずいぶんカッコいいことしてんな、お前ら」


笑い声が止まった。


「あ?」


「今なんつった?」


「聞こえなかったなら耳鼻科行け」


自分でも思う。


なんで煽るんだ、俺。


喧嘩弱いくせに。


昔からこれで何度痛い目を見たことか。


1人が俺の胸ぐらを掴んだ。


「調子乗んなよ、陰キャ」


次の瞬間、拳が飛んできた。


避けられない。


頬にまともに入った。


「っ……!」


視界が揺れる。


痛い。


めちゃくちゃ痛い。


やっぱり俺、喧嘩弱いわ。


それでも。


「……それで終わりか?」


俺は笑った。


「てめぇ!」


そこからは、ほとんど無我夢中だった。


殴られた。


蹴られた。


制服を掴まれた。


何度も地面に倒れた。


強いから勝てたわけじゃない。


俺には格闘技の経験なんてない。


ただ――


倒れても立った。


殴られたら殴り返した。


蹴られたらしがみついた。


1人ずつ。


1人ずつ。


泥臭く。


みっともなく。


それでも絶対に引かなかった。


「こ、この野郎……!」


最後に残った男が、金属バットを振り上げる。


まずい。


さすがにこれは――


俺は反射的に一歩踏み込み、男の懐へ飛び込んだ。


バットが肩をかすめる。


激痛。


それでも男の腹へ体当たりした。


2人まとめて地面へ転がる。


「ぐっ……!」


馬乗りになる。


拳を振り上げる。


男が目を閉じた。


だが――


俺は拳を止めた。


「……もうやめとけ」


肩で息をしながら立ち上がる。


周囲には5人の不良が倒れていた。


俺もボロボロだった。


鼻血。


切れた唇。


制服は泥だらけ。


身体中が痛い。


全然カッコよくない。


「大丈夫か?」


俺は土下座させられていた男子へ手を伸ばした。


男子は呆然と俺を見ていた。


「……天野?」


「立てるか?」


「お、お前……」


そのとき、校舎の方が騒がしいことに気付いた。


見ると、窓という窓から生徒たちがこちらを見ていた。


いつの間にか、とんでもない数の野次馬が集まっている。


その中に――


藤田ミナミがいた。


彼女は信じられないものを見るような顔で俺を見ていた。


その少し離れた窓には、佐藤ミキ。


さらに別の場所には鬼頭ユキナ。


そして3階。


ポニーテールの女子生徒が、腕を組みながらこちらを見下ろしていた。


瀬尾カレン。


確か3年の先輩だったはずだ。


「……なんだよ」


俺は視線を逸らした。


見世物じゃねえぞ。


しかし俺は知らなかった。


この日を境に、


天野ハヤテという人間を見る周囲の目が、大きく変わってしまったことを。


そして、俺が倒した5人が所属していたグループが、


岐阜一帯でも名を知られた巨大な暴走族と繋がっていることを。


さらに――


「ハヤテ……?」


窓辺に立つミナミが、小さく呟いた。


その目には安堵と、それ以上に強い戸惑いが浮かんでいた。


「……誰なの?」


その疑問は、ミナミだけが抱いたものではなかった。


佐藤ミキも。


鬼頭ユキナも。


そして瀬尾カレンも。


今日初めて「天野ハヤテ」という少年を見た。


そんな気がしていた。


一方の俺は、そんなことなど知る由もなく、


6年前に残してきた1人の女性のことだけを考えていた。


妻は今、どこで何をしているのだろう。


俺のことを、まだ覚えているのだろうか。


そして...もう一度会えたなら。


俺は今度こそ――


あの日言えなかった言葉を、彼女に伝えることができるのだろうか。


6年越しの俺の物語は、


この日...静かに動き始めた。

第1話を最後まで読んでいただき、ありがとうございました!


死んだはずの32歳の男が目を覚ますと、そこは6年後の世界。


そして鏡に映っていたのは、自分ではない高校生――天野ハヤテでした。


なぜ彼はハヤテとして目を覚ましたのか。


6年前に残してきた妻は、今どこで何をしているのか。


そして、昨日までとはまるで別人になったハヤテを見つめる、ミナミたち。


第1話で起きた不良たちとの事件をきっかけに、彼の「二度目の人生」は大きく動き始めます。


次回、第2話。


学校中に広まった「天野ハヤテが不良5人を倒した」という噂。


そして幼馴染のミナミが、ハヤテに問いかけます。


「ねえ……あんた、本当にハヤテ?」


次話も読んでいただけたら嬉しいです。

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