第5話:生存戦略としての「もやし」
「……あ。そうだ、あるじゃん。私にも使える合法の錬金術が」
市場の喧騒のど真ん中、私はポンと右手のひらに拳を打ち付けた。
前世の記憶という名のデータベースが、この絶望的な資金難を切り抜けるための、ある「超地味なアイデア」を弾き出したのだ。
ラノベの定番なら、ここでギルドに行って薬草を納品したり、魔物を討伐したりして日銭を稼ぐのだろう。だが、戦闘力ゼロの私がそんなことをすれば、街の外に出た瞬間に野犬に噛み殺されて終わる。安全な街の中で、かつ初期投資が極限まで低く、短期間で利益を出せるスモールビジネス。
――それ即ち、「もやし栽培」である。
「よし、まずは種(豆)の確保ね」
私はフードを深く被り直したまま、市場の穀物商の露店へと足早に向かった。
並んでいるのは、大麦、小麦、そして乾燥した何種類かの豆。その中から、前世の「緑豆」に一番見た目が近い、緑色をした小さな乾燥豆の麻袋を指差す。
「おじさん、この緑の豆、銅貨5枚分だけ分けてもらえる?」
「ん? 5枚分か? えらい少しだな。スープの具にでもするのかい?」
恰幅のいい店主が怪訝そうな顔をしながらも、手際よく小さな紙袋に豆を詰めてくれた。
手に入れたのは、両手に一杯分ほどの乾燥豆。これをそのまま食べれば、せいぜい1食か2食分のスープの具で終わりだ。だが、これを「発芽」させて増やせば、体積は何倍にも膨れ上がる。
そう、もやしは日光を必要としない。
必要なのは、暗い場所と、綺麗な水、そして適切な温度管理だけ。
「あとは、これを育てるための『部屋』だけど……」
私は市場を離れ、平民街のさらに奥、治安がギリギリ保たれているエリアの路地へと向かった。
狙うのは、先ほど見かけた高級な安宿ではない。文字通り、さらに安くて「プライバシーが守れる」場所。
しばらく歩き回り、見つけたのは『物置・荷物預かり・一泊銅貨15枚』と書かれた、薄暗い木造の貸し倉庫だった。
管理人の老人に硬貨を支払うと、案内されたのは、畳一畳分ほどの広さしかない、窓のない文字通りの木箱のような物置小屋だ。
「鍵は内側からかけられるね? よし」
ガチャン、と鍵を閉めると、小屋の中は完全な暗闇になった。
外の喧騒が遠くから聞こえるだけの、静かで、誰の目にも触れない空間。
フードを脱ぐと、暗闇の中で私の青髪が微かにしっとりとした輝きを放つ。ここなら、私のビジュアルがリスクになることはない。安全な拠点の完成だ。
私は持ってきた紙袋を開け、乾燥豆を数粒、手の平に取り出した。
「さて……ここからが本番」
私のポンコツ治癒能力――「かすり傷を数ミリ癒やすだけ」の力。
だが、この能力の本質は、おそらく『対象の生命力を活性化させ、時間を進める』ことにある。人間に対して使えば、細胞の再生を無理やり早める代わりに、こちらの体力をゴリゴリ削る最悪のデバフ能力だ。
じゃあ、これを「植物の種」に使ったらどうなるか?
私は右手の指先を、手の平の乾燥豆にそっと触れさせた。
脳の奥がズキリと熱くなり、微かな光が走る。
いつもなら激しい倦怠感に襲われるはずの感覚が、今回はほんの少し、軽い立ちくらみ程度で収まった。
パキパキ、と小さな音が暗闇の中に響く。
手元を凝視すると、乾燥していた緑の豆から、白く瑞々しい「芽」が、ニョキニョキと数センチほど一瞬で伸びていた。
「――いける! 読んだ通りだ、植物相手なら消費するエネルギー(MP)が圧倒的に少なくて済む!」
人間の複雑な肉体を修復するのに比べれば、植物の細胞をほんの少し活性化させて発芽を促すなど、おままごとみたいなものだったのだ。徹夜明けの修羅場どころか、ちょっと夜更かしした程度の疲労感しかない。
これなら、一晩で大量の「もやし」を栽培し、明日の朝には市場で売ることができる。
前世の知識と、この世界のポンコツ能力が、初めて噛み合った瞬間だった。
「待ってなさいよ、この世界の物価。まずはこのもやしで、まともな服の代金を稼ぎ出してやるんだから……!」
暗闇の物置小屋の中で、元聖女は泥臭く、しかし確かな手応えを感じながら、緑の豆を水に浸し始めるのだった。




