単独行動
書店を後にした知子はスマホを確認した。着信履歴もメッセージも無い。未だ十四時にもなっておらず、美貴との待ち合わせには一時間余りある。
「どうしようかな……」
歩きながら考える。
『知治』は中学生以後、野球中心の生活をしていた。モールには友人に誘われて来ることはあっても、自身が具体的な目的も無く来ることはなかった。
店の看板を眺めながら歩くと、スポーツ用品店の看板が見える。
今は柔術以外に練習しているものもない。競技用具と言うよりも汎用のスポーツウェアやシューズを見て歩くしかない。
とは言え、女性用のウェアで今更照れることはなくなったものの、自分がそれを選んで着るかというと……。
家庭用のフィットネス器具のコーナーに、いくつかの器具が並んでいる。試用できるようだ。
初めて見たものに乗ってみた。足下の動きを上手く受け流して上半身を安定させることで、体幹や主に下半身のインナーマッスルを鍛えるらしい。
確かに揺れるが、五秒もすれば感覚を掴める。それほど効果があるようにも思えず、一分ほどで機械から降りた。降りた直後こそ、微妙に床が揺れているような錯覚を覚えたものの、それだけだ。地震体験の施設に似ている。
ふと気がつくと、胸の外周に鈍い痛みのような違和感がある。完全には受け流し切れなかったようだ。
絶対、揺れていた。
今つけているのは、普通よりは抑えが効いているものの、スポーツ向けにホールドされるタイプではない。
顔が熱くなる。
周囲りを見渡すが、見えていたとすればレジ係の女性店員か。男性の姿は……、野球用品コーナーに一人。見覚えのある顔だ。同じ野球部だった武田 信哉だ。
中学では捕手をしていたらしいが、高校に入って三塁手に転向している。柔道でもしていそうな体格だ――別に太っているわけではない――が、打席では見た目に反して器用で、去年の夏から二番を任されていた。
それより重要なのは、アイツがムッツリスケベだということ。
こちらに視線を向けることもなく、気づいていないようにも見えるが、それは態度だけかも知れない。男という生き物が――特に武田が――こういう『揺れ』に敏感であることは、部室兼更衣室での会話で十二分に理解しているところだ。
そして、アイツがここに独りで来るとは思えない。おそらく、他の部員もどこかにいるに違いない。
知子は早々に店を出ることにした。『知治』の知人と接点を持つのは良くないだろう。
待ち合わせまで一時間ほど。
思いつく暇つぶしと言えば、あとはゲームコーナーぐらいだ。
行ってみると、予想に反して空いている。むしろ、書店の方が人口密度は高かった。実際のところは、コンピュータゲームなら家でというのが大半なのだろう。
ここにあるのは『装置』あるいは『筐体』と言うべき大きさで、クレーンゲームなど物理的に駆動する部分があるものや、実際に太鼓とバチ、あるいは銃を模したインターフェースを持ったものばかりだ。
ブラブラと機械の間を歩き、両替機に千円札を入れる。
『じゃっ』と取り出し口に落ちた硬貨を、知子は注意深く財布に入れた。
この姿で銃を構えるのも変だろうか? かといって、一人でシールプリントというのも違うように思えた。音ゲーはやったことがないし、クレーンゲームは論外だ。
知子は、二つ並んだ大きな画面の前に立つ。ケーブルで繋がれた銃を持ち、コインを投入した。
映画的な演出とともに序章が始まる。舞台は無人の空港だ。
二人の――チャラそうな――工作員に発煙筒が投げられ、ゲームが始まる。空港なのに鉄砲を持ったままという設定に突っ込まないのはお約束だ。
知子は右足を前に、ダーツを投げるように横向きの姿勢で構えた。こう構えると、右目から肩、肘、銃が直線状に並び、狙いをつけやすいのだ。
弾を込める都度、銃口を上に向ける。さすがに画面内の青年のように屈む動作まではしないが、知子が銃を構える姿は、長い手足と日本人に見えない髪色で、かなり『決まって』見える。小学生ぐらいの少年が目を輝かせて、ゲームの進行を見ている。
ゲームは進み、甲虫を模した機械を機関銃で蹴散らしたところで、そのステージは終わる。
更に次のステージを終えたところで、ずっと見ていた少年を笑顔で一瞥すると、その少年は顔を赤くして走り去った。
「少し罪つくりだったかな」そう思いながらも、その『罪』を考えると複雑だ。『知治』だったらこんな反応ではなかっただろう。
それで集中力が途切れたからかは判らないが、最初のエピソードを終えられずにゲームオーバーとなった。それでも『知治』の頃よりムダ弾は少なくなっている。
知子は筐体のステップから降りた。
次は何をしよう?
面白そうなものがないかと歩いていたときだった。知子は嫌な視線を感じた。
視界を広げるため、あえて焦点を合わせずに見渡すと、視線の主は制服の少年だ。やや大きいサイズのポロシャツをだらしなく着崩した姿は、あまり行儀が良いとは言えない。
更に別の二方からも、似たような連中が近づいてくる。根拠は無いが、この三人が連携して知子を囲む動きをしていることだけは判る。
どうする?
知子は瞬時迷った。三人は退路を潰すように動いている。
知子はまだしも囲みの薄い方向へと足を向けたが、そちらには四人目がいた。
手の込んだナンパだろうか。囲んで有無を言わせぬようにして、強引に『誘う』のだろう。どう見ても学力偏差値は低そうなのに、こういう知恵だけは回るのだ。
今にして思えば、囲みが仕上がらないうちに、誰か一人を選んで強行突破するべきだった。一対一なら振り切りやすいだろうし、たとえ腕を捕まれても、今の姿なら悲鳴を上げることで相手が悪いという体裁にできる。
ホゾを噛んだが後の祭りだ。
少年がニヤニヤ笑いながら近づいてくる。
その視線の気持ち悪さに、知子は背筋が冷えてゆくのを感じた。