ep 君に見せたいものがある
ep“君に見せたいものがある”
屋敷から出立した馬車内で、シェイラはぼんやり、故郷を離れる淋しさを感じている。向かいの席では、居眠りするメイドにもたれかかるようにして、パブロが深く寝入る。
自身も眠気とたたかうシェイラが思い出すのは昨夜のことだ。オクタビオたちはバジェ家に二晩泊った。忙しいオクタビオはすぐにも帰らなければならなかったのだが、一日だけ延ばしてくれた。
ロカローマの星空を、家族三人で観るために。
***
昨日の晩、シメオン一家とバジェ家の子どもたちは、屋敷を離れ、丘の上に建つ山小屋で過ごした。星空を観るために、小屋の大きな窓の鎧戸は夜更けまで開け放った。ベッドはないが広い板敷の段があり、そこに広げた藁と藁の間にみんなで潜れば寒くない。こんな夜は子どもの頃以来で、シェイラはとても懐かしく感じた。
そして何よりも、夫とパブロに自慢の故郷を見せることができたのが嬉しかった。大切な彼らに見せたいと、ずっと願っていたのだから。自分が心から美しいと、素晴らしいと感じるものを。
幻想的な夜空の光景と、山小屋の藁のベッド。子どもをわくわくさせるには充分で、はしゃいではしゃいで仕方なかったパブロも、深夜になってようやく眠った。シェイラもそのそばで寝そべり、うとうととしかけていた。
するとごそごそと、藁をかき分けて近づく者がいる。
『シェイラ姉様』
『セーダ。まだ起きていたの』
小さな囁き声がして、それが妹だとわかった。他の者に聞かれるのがいやなのか、セーダはぴたりとシェイラに身を寄せてくる。
実はセーダも嫁ぐことが決まったばかりだ。相手は遠縁で、顔見知りでもある。そこは貴族なので父親が決めた縁談ではあるが、セーダも異存はないらしい。どちらかというと喜んでいると、シェイラは姉として察し、安心していた。
シェイラとよく似た妹の声が話し始める。
『気づいたから。今夜を逃したらもう言えないって』
『セーダ?』
『聞いて。姉さまに謝りたいって、ずっと思ってた』
今回の悪戯の件ではないと、さすがにわかる。シェイラは無言で続きを待った。
謝ると言うよりも、セーダの話は独白に近かった。自分の気持ちを吐露していく。
『お父様を酷いと思っていたわ。娘を道具にして宮廷に、なんて。こんな人もう父親じゃないって、心の中で憎んでた』
『……』
『でも本当は、それ以上に自分が悔しかった。姉様を犠牲にして、わたしたちはのうのうと暮らしてるんだって。ずっと申し訳なかったの、シェイラ姉様に』
双子の弟たちも兄も同じ気持ちを持っているはずだと、セーダは言う。
『だから王宮を追い出されたって聞いた時、少しほっとしたの。これで姉様は返してもらえるし、わたしたちも、もう申し訳なく思う必要なんかないんだって。……最低よね』
しかし追放されたシェイラが実家に帰ってくることはなかった。
国王の寵姫だったはずが秘書官に押し付けられ、その妻にされた。
『頭にきたわ。だって王様の寵姫ならまだしも、秘書官に押し付けられたなんて。「王宮で贅沢させてもらえるんだから幸せだろう」って笑ってたお父様も、さすがに怒ったのよ』
父の言い様にシェイラは内心で呆れた。そんな風に考えていたのか、と。
『おばあ様が怪我した時、姉様を呼ぼうって最初に言い出したのはお父様よ。でもって相変わらず自分勝手で酷いのよ、あの人は。だって帰った姉様がこっちからアランサに送った手紙、ぜんぶ自分のところで止めてたんだもの。引き留めたいのはわかるけど、やり方がねえ』
あなたたちのやり方もどうなのかしら――と思ったがシェイラは言わなかった。
そこでしばしセーダも黙る。話は終わりかとシェイラが思った頃、再び語りだした。ためらいがちに。
『――泣いて、暮らしてるんだと思ってた。捨てられて、変な男に押し付けられて。しかも知らない子どもの世話までさせられて』
『姉様を不幸にしたまま、この家を出られないって。自分だけ幸せになれないって思ったから。でもぜんぜん違ったわね』
『ごめんなさい』
その言葉を最後に、セーダは今度こそ黙った。シェイラがいる側とは反対を向き、寝息をたて始める。幾分わざとらしかったが。
***
翌朝、帰路につくシメオン一家が乗った馬車にて。
寝不足のシェイラのまぶたは油断すると勝手に落ちてくる。その欲求に従い目を閉じると、昨夜わかれを告げた故郷の星空が広がる。目に焼き付けてきた。
ふと、膝に置いた手が温かくなった。薄目を開けて見ると、隣に座る人の手が重なっている。骨ばって大きく、いつもペンを握る指にはペンだこがある。バジェ家の男性たちと違い、彼の手は働く人の手である。
だけどシェイラには愛おしい手だ。
同時に誇らしい。オクタビオの手が守るのは自分たち一家だけではなく、もっと大きなものも支えていると知っている。
つぶやくような小さな声がシェイラの耳に届く。
「……さっきは」
「え?」
「なんて言っていたんだ、妹さんに。――いや、いい。何もかも話せと要求する権利は」
横を見ると、オクタビオの両目は閉じられていた。彼も寝不足のようだ。
疲れているはずだとシェイラは思う。子どもの世話をしながらの旅だった。しかも彼は慣れていない。さらにオクタビオも昨夜は山小屋で過ごし、あまり眠っていない。
すぐに寝入ってしまいそうだが、尋ねずにはいられなかったらしい。それほどまでに気になるのかと考えるとおかしくて、シェイラも隠しておけなかった。
「こう言ったのよ。“許してあげる。お陰でどれだけ幸せ者なのか、わかったから”って」
だからセーダはもう苦しまなくていいと、そう伝えたつもりだ。妹も理解したはずである。
オクタビオは何も言わなかった。しかし重なっていた手が、シェイラの手を一瞬ぎゅっと握る。だからシェイラも、少し身体を傾けて、彼の肩にもたれかかった。ふたり寄り添ったまま、再びうとうとしかける。
さっきまでシェイラの胸にあった別れの淋しさは、いつの間にか消えていた。ごとごと揺れる車内で、眠りに落ちる直前の、心地よさを感じている。
半分ねむったシェイラは、夢うつつの中で途切れ途切れに、こんな話を聞いた気がした。
『シェイラ。……おばあ様が言った意味が、私にも少しだけわかった気が、する』
『起きてるか? 聞いていないか……まあいいか。もし今度……まとまった休みが取れる……私も連れて行きたい場所がある、あなたとパブロを』
『ミヌエーラ……私の生まれた街に三人で……。もし……』
『空は……て汚いし、鉱山は……ばかりだ……それほど楽しい街じゃない。だが』
『……ある種の鳥が昔の……採掘穴に住み着いていて、……になると毎日その鳥の群れが……を飛ぶ。それこそ数えきれない……鳥が、群れを……穴に帰っていく光景が……。……どう……伝わるかな、大量の鳥の群れが……うねりながら飛んでいくんだ』
『……もちろんパブロが見たがっているのとは、かなり違う。だが……まるで竜が飛んで……見えなくもなかったと、思って……うんざりするような……しかしあれだけ……子供心に面白かった』
『……見せたいんだ、ふたりに……』
『もうすぐ新婚四か月、妻が実家に帰りました。』おわり