0. プロローグ (1)
0.
壊れたネオンサインが霧雨の中でちらちらと揺れる夜。灯りの消えた質屋の中は、幽霊のように慌ただしかった。
厚い強化ガラスと防犯鉄網を無遠慮にこじ開けたカウンターの向こう側では、義体を埋め込んだ指先が貴金属と大企業債券の束を、機械的な速度で掻き攫っていた。
「戦闘準備。」
男の網膜の上に、DNI(Direct Neural Interface)の起動を意味する赤いレーザーが細かく点滅した。機械が視神経を掌握する冷たい感覚——。男は苛立たしげなため息を吐いた。
「あーあ、くそ。なんだ?」
「警備会社が接近中。それでも路地単位の零細企業だ。適当に片付けて、警察が来る前に逃げよう。」
「スパイク!」
「くそ、何?」
自分の偽名を呼ばれた男は苛立たしげに振り返った。呼んだのは赤い髪の女で、すでに大型拳銃を抜き出していた。
「今回は照準をちゃんと合わせろよ。前回は弾丸を虚空に寄付するレベルだったじゃないか。」
「それが私の指のせいか?裏路地の業者が投げてきた火器管制ソフトウェアがゴミなのをどうしろって言うんだ。」
「言い訳ばかり。私は正規品レベルで問題なく当たるけど?」
「俺の機関短銃は誘導弾を受け付けないんだよ、アンジェリカ、このくそ野郎。」
「アイアンが何だって?」
「誘導弾のくせに命中率でごちゃごちゃ言うとは……」
スパイクは顔をしかめながら自分の機関短銃を取り出した。物を集めるのは残りの二人がやっている。自分とアンジェリカは敵をちゃんと食い止めればいい。
「誘導弾は高いし……」
そして誘導弾は自動火器には使えない。スパイクもああいう銃を考えなかったわけではなかった。だが誘導弾が最もよく機能するのは、敵を遮蔽物の後ろに隠れさせた状況だ。
それを考慮して弾丸を散布する役割の自動火器を担ったのだが……
「お前、今回一発も当たらなかったらこの仕事畳めよ?」
皮肉を言うこいつはいつも殴り飛ばしたかった。
役割分担については何度か話し合ったことがあった。しかしアンジェリカというチームメンバーは、いつも命中率を巡ってスパイクをいびっていた。そもそもこの二人が銃を持つこと自体、仕事がこじれたことを意味する。同じチームの人間が緊迫した状況で神経を逆撫でするのは気に入らなかった。
それでも以前から仕事を一緒にしてきた仲だから、今更追い出すこともできないし。
「俺がそう簡単に辞めると思うか。お前の頭に火でも点けてから辞めてやる。」
どうせ犯罪のために集まったチームだ。ここには義理も忠誠心もあまりなかった。仕事の時以外は一緒に集まって飯を食ったり酒を飲んだりすることもなく、個人の連絡先やフィルターを外した素顔も知らなかった。その方がずっと安全だから。
「ふん。お前はもう燃やせる髪の毛もないくせに。」
「ヘルメットのせいだよ、ちゃんとあるっての!」
「いいから、このドジ。照準でも合わせろ。」
スパイクはため息をついた。他の二人のチームメンバーは漫才に笑いながらも仕事をきちんとこなしていた。荷物はほぼ集め終わり、重要な目標も全て確保したというハンドサインを受け取った。
〔カチャ〕
スパイクとアンジェリカが質屋に入ってくる路地を狙い定めた。仲間たちもそれぞれ位置につき、射撃後の逃走準備を整えた。
「それでも今回は火器管制システムを変えたから……」
裏路地の安物業者ではあったが、腕と目の補正を依頼しながら不平を言ったら「サービス」と言って勝手に進めてくれた。以前使っていた火器管制システムの命中率が悲惨だったのは確かだ。それでも一応、企業製品だった。
個人が作ったシステムと企業の正規品とでは、比べるまでもない。スパイクはさほど期待せず、弾丸をきちんと散布することに集中した。
〔バン!〕
「え?」
狭い廊下に入ってきた敵が防弾チョッキの上に弾丸を食らって後ろへ倒れた。撃ったスパイクが驚くほど、まったく期待していなかった出来事だった。弾倉の初弾で命中とは。
「おっ!そうだ!そうしろって言ってんだよ!」
隣にいたアンジェリカが興奮して叫んだ。アンジェリカの拳銃が柔らかな曲線を描いて火を噴いた瞬間、倒れた仲間を引きずろうとしていた警備員の首筋に精巧な穴が開いた。噴き出したのは赤い血と生臭い内臓ではなかった。
真っ黒な潤滑油と銅の電線の束が、噴水のように四方に飛び散った。人間の皮を被った鉄の塊だった。
「アンドロイドだ。とどめをきちんと刺せ。」
倒れたアンドロイドの頭部を吹き飛ばしながらスパイクが言った。人間より複雑性が低い分、ずっと対処しやすい。人間が動けない方法で動いてくることさえ気をつければ難しくはなかった。
「行くよ!」
アンジェリカが拳銃を持って前に飛び出した。狙撃を担当するべき人間が前に出る状況だから止めるのが正しいだろう。だがスパイクはそのままにした。止めたところで止められる状況でもないし、止めてもいい言葉は聞けないだろうから。
量産型警備アンドロイド六体を順調に叩き壊して大通り(おおどおり)へ向かったが……
〔ドン!〕
ガソリンをたっぷり入れたセダンが巨大な火の塊となってアスファルトの上を転がった。スパイクとメンバーたちが車線を越えるために頼りにしていた逃走用車両が、鉄くずに成り果てた瞬間だった。
「うわっ、くそ!なんだあれ!」
罵声を浴びせるアンジェリカを両手で掴んで持ち上げ、路地の中へ引きずり込んだ。
〔シュッ!〕
それを待っていたかのように、アンジェリカが顔を出していた場所に白い煙の軌跡がかすめていった。
「擲弾発射器だ、このくそ野郎!罵る時間があるなら逃げろ!反対側の路地へ行く!」
スパイクはアンジェリカを下ろしながら叫んだ。
「くそ、まずい……」
状況が悪い。一般的な実弾や不法改造弾なら警備会社も使う。だが、あんな大量殺傷が可能な擲弾発射器や大型火器を運用するのは、特殊部隊以上の警察兵力だ。あるいは軍隊?
「特殊部隊の観測情報は1km先なのに?」
警察情報をリアルタイムで知らせるアプリには、特殊部隊が遠くにいると表示されていた。しかし大通り(おおどおり)には、連発擲弾発射器を発砲する兵力が配備されていた。
情報が誤っているか、どこかへ出動してから戻る途中の兵力か——。とにかく何かがひどく狂っていた。
「どうする?どうすればいい?」
スパイクはパニック状態でも本能的に路地に入っていた。大規模な兵力は路地に配置されると分散される。混乱した状況でも、良い選択をしていた。
「車もないのにどうするんだ!?」
大きなダッフルバッグを背負っているメンバーが聞いた。逃げる交通手段がなくなったのだから当然の質問だろう。走るだけではアンドロイドを撒けないし、警察の追跡を逃れる方法もない。さらにここでぐずぐずすると、小型飛行艇まで動員されるかもしれない。
「俺がなんとかしてみる!」
スパイクは走りながら頭のDNIを操作して通話をつないだ。手を使わなくても、意志だけで電話がつながった。
「何だ。火器管制が不良なのか?」
「いや。それはめちゃくちゃ最高だったよ。昨日整備を受けながら聞いたんだけど、逃走の手助けもやってるって?」
「ああ。それで?」
「2番街北側の大通り(おおどおり)まで来てくれるか!?3分以内に!」
十ブロックほど離れた場所だからそのくらいで大丈夫だろう。交通の中心地に近いから逃走経路が複数ある。十分に逃げられるはずだ。
「10万クォーズ。」
「8万出す!警察に追われてるから……」
「じゃあ12万。」
「お前なあ……俺たちはたった一軒の質屋を狙っただけだぞ!10万クォーズが出るかどうかも分からないのに!」
「9万。これ以上の交渉はない。」
「分かった!時間通りに来い!今送るから!」
スパイクは腹を立てて電話を切った。
「位置を送る。みんな死ぬ気で走れ!」
特殊部隊が出動したなら、追いつかれるのも時間の問題だ。交戦でも始まれば、大型火器が搭載された低高度飛行船がついてくるだろう。そうなれば、もはや個人が渡り合える状況ではない。国家間の戦争に近い。
「アンジェリカ!どうした!?」
最後尾を走っていたスパイクは、どんどん後れをとるアンジェリカを急かした。身長が150cmも満たないくせに走るのが得意なあいつが、急に速度をガクッと落としていた。
「そんなに急かさないで。焦る男はモテないわよ。」
力なく笑うアンジェリカの手は血で濡れていた。
「アンジェリカ、お前……」
スパイクはいつ怪我をしたのか、どのくらい怪我をしたのか聞こうとした。だがアンジェリカは一歩先に首を横に振った。
「黙って。今はとにかく走れ。」
アンジェリカは足がもつれながらも前に走ろうとした。スパイクはリーダーとして、アンジェリカと歩調を合わせながら走り始めた。置いて行きたい気持ちもあった。しかしそうすると次の仕事を受けるのに支障が出るだろうから、そうはできない。
「目標地点到着!おい、こいつ……逃走を手伝うって奴はどこ行った!?」
もちろん少し早く着いてはいた。30秒ほど余裕があるか。しかし真後ろには重武装した警察兵力が追ってくる最中だった。そんなことを気にしている余裕があるわけがない。
「くそ。警察の奴らがもう少しで撃ってくるぞ!」
荷物を背負ったメンバーが拳銃を抜きながら壁に背をつけた。ここを守り抜いてこそ逃げられる——仕方のない選択だが、本人も分かっていた。有効射程が短く防弾チョッキに防がれるような拳銃では、警察に対して何の意味もないだろう。
むしろ自殺用にしか意味がないくらいだ。
「アンジェリカ。立て。」
スパイクが銃を点検している間に別のメンバーがアンジェリカの面倒を見ていた。大通り(おおどおり)沿いに着いた途端、アンジェリカは壁の前にどさっと座って、うなだれたまま静かにしていた。
「ん?あ……退屈で少し居眠りしてた。ドライバーは?」
「まだ来てない。」
「こんなリーダーが見つけた人間なんてそんなもんよ。最初から期待もしてなかったわ。」
アンジェリカが文句を言うのを聞いて苛立ちが込み上げた。スパイクは奥歯を噛んで無視した。こんなことにいちいち苛立ち始めたらきりがないから。それに味方同士でいがみ合うには状況がひどすぎる。おまけに今のアンジェリカには治療が必要だし。
「出てくるぞ!撃て!」
こんにちは。よろしくお願いします。




