56:第一皇子の野望
56:第一皇子の野望
瀟洒な街の上空に似合わない、武骨な飛空船が係留されている。
その風景に、やっとルミナス市民が慣れ出した頃、帝国主導による第二次聖戦が宣言され、傭兵団が出立した。
前の聖戦で、魔王軍の死霊術師に散々な目に遭わされた噂は拡がっており、傭兵を雇い集めるのに相当な苦労があったと聞いている。
黄金の勇者カイは、馬上から傭兵団の面々を眺め、溜め息をついた。
父が帝国との政争に敗れ、ルミナス中央銀行総裁の任を解かれたのは、つい最近の事だ。
この頃になって、やっと勇者としての実力が認められ、”王子”とは呼ばれなくなってきたと思ったら、実家が没落した。
これで名実ともに”王子”ではなくなったということだ。
黄金の勇者カイは、馬上からルミナス中央銀行の巨大な建物を見上げた。
白い大理石の柱、金の装飾が施された巨大な扉。
その奥に――本物の皇子――帝国第一皇子アレクサンドル・アストリアが座している。
かつては、そこにカイの父がいた。
(……父上。あなたが守ろうとした“ルミナスの独立”は、もう跡形もないのか)
カイは唇を噛んだ。
帝国の第二次聖戦宣言により、ルミナス傭兵団は急遽編成され、彼はその“勇者枠”として前線に送られることになった。
* * *
ルミナス商業連邦は、実力のある商会が評議員となる合議制の国だ。王族は居るにはいるが、実権は持っていない。
これまでは宰相、評議長、財務総監、中央銀行総裁、外務総監の五つの役職を、大商会の会頭が担っており、残り八つの評議員の席を中規模の商会が交代で務めていた。
帝国は手始めに、自らの息のかかった商会を国家の財力で支え、議会に送り込んだ。やがて七つの議席を握ったとき、中央銀行総裁の解任と、その後任にアレクサンドル皇子を据える事を発議した。
こうして帝国は、ルミナス商業連邦の中枢に食い込み、少しずつルミナスを切り崩しに掛かったのである。
* * *
「ミハイルの宗教狂いにも困ったもんだな」
分厚い絨毯の敷かれた執務室でアレクサンドルが零す。彼の弟、第二皇子ミハイルは聖堂騎士団員として、聖戦軍に参加中である。
「ウラジミール殿下が不慮の事故でお亡くなりになられて、ミハイル殿下までが戦死でもなされたら、事ですからな」
向かいに座ったバーダッド侯爵が、顎髭を触りながら答えた。
第三皇子ウラジミールは、先日の飛空船墜落事故で死亡したとされていた。墜落現場は凄惨なもので、死体は見つかっていないと聞く。
その時、執務室の重厚な扉がノックされる。
「入り給え」
アレクサンドルが鷹揚に返事をした。
「お呼びでしょうか」
入室してきたのは外務総監 エルネスト・ヴァルディス であった。
細身の体に黒い外套、銀縁の眼鏡をかけた、冷静沈着な男だ。
本来、中央銀行総裁と外務総監の役職に優劣はなく、エルネストが呼びつけられる謂れはないのだが、相手は帝国の皇子である。
重厚な扉が静かに閉じられると、外務総監エルネスト・ヴァルディスは、深く一礼してからアレクサンドル皇子の前に進み出た。
「殿下。お呼びと伺い、参上いたしました」
アレクサンドルは椅子に深く腰掛け、指先で机を軽く叩きながら言った。
「エルネスト殿。ルミナス評議会の連中は、まだ我々の改革に抵抗していると聞くが?」
エルネストは表情を変えずに答えた。
「抵抗というより……“理解が追いついていない”のでしょう。帝国式の金融制度は、彼らにとって未知の領域です」
バーダッド侯爵が鼻で笑った。
「未知だと?ただの田舎商人どもだ。帝国のやり方に従えば良いだけの話だろう」
エルネストは微笑を浮かべたまま、その言葉を受け流した。
「ですが、殿下。あまり急ぎすぎれば、反発を招きます。ルミナスは商業国家。評議会の反発は、経済の停滞に直結します」
アレクサンドルは目を細めた。
「……つまり、慎重に進めろと?」
「はい。殿下の改革を“ルミナス自身の選択”として見せることが肝要です」
バーダッド侯爵が口を挟む。
「外務総監殿。まるで帝国の支配が間違っていると言いたげだな?」
エルネストは、銀縁の眼鏡を指で押し上げながら静かに答えた。
「とんでもない。ただ――“正しいこと”も、やり方を誤れば反乱を招く、というだけです」
アレクサンドルはしばらく沈黙し、やがて満足げに頷いた。
「……なるほど。やはり君は使える男だ、エルネスト」
エルネストは深く頭を下げた。
「身に余る光栄にございます」
だが――その瞳の奥には、冷たい光が一瞬だけ走った。
(……帝国の支配が正しい?そんなもの、誰が信じるか)
* * *
おもむろにアレクサンドルは椅子から立ち上がり、窓の外――ルミナスの街並みを見下ろした。
「ところで、エルネスト殿。我が派閥の件だが……」
エルネストの指がわずかに止まった。
「……光栄ですが、私には役が勝ちすぎるかと」
エルネストは静かに答えた。
「謙遜は美徳だが、過ぎれば傲慢にもなりますぞ」
バーダッド侯爵がエルネストを咎める。
(もはや、これまでか……)
「微力ながら、力を尽くします」
エルネストは覚悟を決めて、頭を下げた。
アレクサンドルは窓に映る自分の姿を見つめながら言った。
「此度の聖戦は、帝国の威信をかけた遠征になる。我らは必ずや、勝利するだろう。そして、その後には……」
バーダッド侯爵が低く笑い、後を継いだ。
「我が祖国が大陸を統一することになる。アレクサンドル殿下は、その統一帝国を引き継ぐお方だ。」
アレクサンドルは微笑んだ。
「そうだといいがな」
「今のうちに、殿下の覚えがめでたければ――貴君の将来は約束されたようなものだ」
エルネストは、その会話を聞きながら胸中で呟いた。
(……やはり、帝国は大陸統一を目指している。帝国の支配欲――どちらが魔王か分からんな)
「では、私はこれにて失礼いたします」
エルネストが一礼して部屋を出ると、廊下の静寂が彼を包んだ。
彼は歩きながら、小さく息を吐いた。
(……危険な綱渡りだ。だが、ルミナスを帝国の属領にするわけにはいかない)
エルネストは、外務総監としての冷静な顔を保ったまま、静かに歩みを進めた。
* * *
「これで議席の三分の二は押さえましたな」
エルネストを見送ったバーダッドが、にやりと笑う。
「次の議会で『評議長解任動議』を採決し、貴君を後任に推せるようになった。残るは財務総監と宰相のみだ……」
アレクサンドル皇子の野望が実を結ぼうとしていた。




