第百十六話 野営準備
鬱蒼とした森で一体でも蛇の魔物を見かけたなら、数種類の彼らに気を付ける必要がある――。
「どこの冒険者じゃろうな? そんな格言を残したのは」
「さぁてな。ただ、昔の奴は良いこと言うぜ」
スウェイミルの言葉に、突如として茂みから飛び出してきた蛇型の魔物を一閃にて斬り伏せたフォルディアは、面倒臭そうに刃についた血を祓う。
「咄嗟に斬っちまったが、今度は『麻痺蛇』か。この分じゃ『毒蛇』までいそうだな」
先ほど現れた『眠蛇』とは色違いの黄色い斑点模様の巨蛇の亡骸をげんなりと見下ろすフォルディアに、メルクは小さく頷いた。
「まぁ、こういった雑木林はこいつらの絶好の住処だ。生態はほとんど変わらない以上、同じ場所に集まるのは自然だろうさ」
「あんた、常に魔力探知で周囲の状況を把握しているはずだろう? 何だっていることを教えてくれないんだ?」
「あのなぁ。この雑木林は私たちに害意のある魔物だけではなく、手を出さなければ何もしない魔物も溢れているんだぞ? どれが敵かなんて一瞬で判断できるものか」
「……え? そうなのか?」
責めるようなフォルディアの言葉に、憤然として言い返したメルク。そんな彼女に、フォルディアは今さら知ったかのように首を傾げる。
「もちろん、もう少し大きい魔力を持っている魔物が周囲にいれば警戒も促せるけどな? 毒が怖ろしいだけで『眠蛇』も『麻痺蛇』も魔力量自体は『角兎』とそう変わらないんだ」
「そうだったのか。ああ、だから昔も、アスタードが警戒しているところに不意打ちかましてくる魔物がいたわけか」
「そういうことだ――って、馬鹿っ」
「ぐふっ?」
不用意に大賢者である「アスタード」の名前を口にしたフォルディアの脇腹を咄嗟に突くと、驚いたように呻いて眉根を寄せる。
反射的な一撃だったので『魔力強化』をしたまま殴ってしまったが、瞬時に一歩下がって衝撃を殺したのだろう。さすがにフォルディアは、片膝すらつくことはない。
ただ突然のメルクの暴挙に驚いたように、スウェイミルとエディンが困惑したように二人を見てくる。
「お、おい。一体どうしたんじゃ?」
「ち、痴話喧嘩ってやつですか?」
「あ、いや。何でもないんだ」
二人に掌を向けて愛想笑いを浮かべた後、メルクは脇腹を擦るフォルディアに向き直り小言をぶつけた。
「お前、アスタードの名前なんて出したら一発で勇者だってバレるだろうが」
「ああ、そりゃあ悪かった。けど、何もいきなり殴らなくたっていいだろう……」
「そ、それは……こう、昔のノリで」
メルクの少々無理やりな自己弁護に、フォルディアは細めた眼を向けてくる。
「……あんた、そういうところは成長してないな」
「ふん、お互い様だ。お前の迂闊なところも似たようなもんだ」
小声でそんな応酬をしてから、メルクは何ごともなかったかのようにこちらを怪訝そうに見守る二入に視線を向けた。
どうやら、先ほどフォルディアが口にした「アスタード」の名を気にした様子はない。聞こえなかったのか、あるいはその後のメルクの行動に驚いてそれどころではなくなってしまったのか――ともかく、追及されずに済んだのだった。
「さて、そろそろここらで野営するかのう?」
雑木林を歩き続け、陽が随分と傾いてきた時分にスウェイミルがそう提案してきた。
「わ、私はもう少し歩けますよ? まだ明るいですし、もう少し先まで行きましょう……」
疲れたような声を出しつつも、実際にまだ余力がありそうなエディンが異を唱えた。
それに対し、スウェイミルが苦笑を送る。
「いやいや。あんさんの体力は置いておくにしても、ここらで野宿の準備をしなければ手遅れになる。森や林は暗くなるのが早いでな」
「俺もスウェイミルのおやっさんに賛成だ。夜目が利かないなかの作業は危険だからな。奥さんや子どもが心配な気持ちもわかるが、あんたが怪我しちゃ本末転倒だぜ」
「う……はい」
スウェイミルとフォルディアに諭され、エディンも納得したように頷いて座り込んだ。この辺りでの野宿が決まり、どうやら力が抜けてしまったようだ。
やはり、少し無理していたのかもしれない。
「け、けど……この辺りで眠って大丈夫なんですか? また、あの蛇の魔物が出たらと思うと……」
「ああ、『眠蛇』や『麻痺蛇』なんかの蛇の魔物は昼行性なんだ。真夏でもない限り、夜に襲ってくる可能性はまずないさ」
「ほ、本当かい?」
メルクの言葉を聞いて、不安そうにしていたエディンの顔がパァーっと明るくなった。が、
「ただ、今度は夜行性の魔物が襲ってくる可能性もあるが」
「おぅ……」
一瞬で沈んでしまった。
「なぁに、安心するんじゃ。夜間は儂とメルク嬢で交互に見張る。蛇の魔物はもちろん、他の魔物もあんさんには一切触れさせんでな」
「そうだな。まぁ、いざとなったらそこのデカブツも、静観できずに戦ってくれるだろう」
「……なに?」
「そもそも、私とスウェイミルさんはエディンさんの護衛であって、お前は単なる同行者だろうが。自分の身を守るため、お前も見張りに立ったらどうだ?」
「ぬぅ……」
本来フォルディアであれば、寝ていたとしても襲い掛かって来た相手に即座に反応できるはずなので、この程度の場所なら起きている必要はない。
もちろんメルクもそうなのだが、依頼で護衛をする以上、「気配察知に長けているから」などといって眠るわけにはいかないのだ。スウェイミルと同じように、起きて見張りをする必要がある。
それに、だ。
「……まぁ、俺も林に入る前からこちらを見ていた奴らのことは気になるしな。しゃあない、見張りを手伝ってやるよ」
そう。
この雑木林に入る前からこちらを窺っていた何者かの気配は、メルクたちが林に入るや否や奇麗に掻き消えてしまっていた。
メルクたちの侵入を拒むために送っていた圧力を、無意味になったので引っ込めた形だろう。
そして警告が受け入れられなかった相手が今後行うのは、おそらくは実力行使――力づくでメルクたちを排除するつもりだと思われる。
相手が何者かは杳として知れないが、少なくともこの雑木林に存在するいかなる魔物よりも手強い存在だろう。
それだけは確実に言える以上、油断できる余地はなかった。