番外編 とある令嬢の変遷 後
ヴェールガ公爵夫人ルーツィエは、どこか不思議な魅力の持ち主だった。
柔らかく、どのような人でも受け入れてくれそうでありながら、けれど、芯の部分では決して折れない強さがある……そんな雰囲気の人だった。
もしかしたら、この人なら、あの日の疑問に答えてくれるかもしれない、と、なんとなく、そう思った。
なにしろ、よくよく考えれば、相手はラフィーナの母なのだ。問うのにこれ以上の人はいないだろう。
多少の勇気が必要だったが……思い切ってヘルミオネは口を開いた。
「あの、ルーツィエさま、お聞きしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「あら? なんでしょう?」
優しく笑みを浮かべるルーツィエに、ヘルミオネは事情を説明した。すべてを話し終えてから、
「私は、なにか間違えたのでしょうか?」
恐る恐る問いかける。っと、ルーツィエは小さく首を傾げて……。
「なるほど。そうですね……。まずかったこととしては……人は犬猫ではないということかしら?」
あっさりと言った。
「犬猫を鞭でしつけて良いかどうかということは置いておくとして、人を犬猫のようにしつけることは、誤りだとは思いますね」
「それは、犬猫のように、言葉が通じない人でも、ですの?」
教育係は言っていた。子どもや、使用人の中には言ってもわからない者がいる。そのような者には家畜と同じ、痛みで覚えさせたほうが効率的だ、と。
人の上に立つ者は、そのような術を学ばなければならない、と。
ヘルミオネの疑問に、ルーツィエは深々と頷いて。
「人を人として扱うのは、人のように振る舞うからではない。人が人であるからだ、と私は考えます。我が子を愛するのは、我が子が愛されるよう振る舞うからではない。我が子が我が子であるからでしょう?」
ルーツィエの言葉は、奇しくも、我らが帝国の叡智、ミーア・ルーナ・ティアムーンと一致するものであった! もっとも、その心の内が一致しているかは定かではないが……。
ともあれ、その言葉は、すとん、とヘルミオネの胸に落ちた。
全部を呑み込めたわけではないけれど、なるほど、こういう人に育てられたのであれば、ラフィーナが怒ったのも当然か、と思ったのだ。
「ルーツィエさまは……不思議な方です。そのようなお言葉は、私の父さまや母さまからは、絶対に出ない言葉ですわ」
ついつい、そんなこと言ってしまう。
ラフィーナと決別したあの日以来、ヘルミオネの両親を見る目は変わってしまった。
教育係も含めて、なにか、言いようのない嫌悪感が……彼女の中に芽生えていた。
それが『怒り』だと気付いたのは、しばらくたってからのことだ。
友だちだったラフィーナに、あんな顔をさせてしまった……。自分の行動に対する怒り、そして、自分にそうさせた者たちへの怒り……。
そうなのだ。ラフィーナのほうはどう考えているかわからないが……ヘルミオネにとって、ラフィーナは確かに大切な友だちだったのだ。その友だちを傷つけたらしい、ということが、彼女の中では、それなりに大きな傷となっていたのだ。
けれど……。
「言うまでもないことですが、人はみな罪人ですよ、ヘルミオネさん。誰しも、他人から嫌悪されるような、悪しき点を持っているもの。ただ、それだけではないし、そこで終わってしまってはなにも生み出さない」
諭すように、ルーツィエは続ける。
「嫌い、見下し、触れ合うことを拒否する。そのような態度を取っては、相手のためにならないし、この世界にも、なにも良い影響を及ぼさない。だからこそ、相手と対話することを簡単にやめてはいけないと私は思います」
そこまで言ってから、ルーツィエは頬に手を当てて、
「そう娘にも、言っているのだけど……」
困ったような顔をする。
それが、ちょっぴりおかしくて、ヘルミオネは笑った。
「でも、私は……ラフィーナさまに見限っていただかなければ気付けませんでしたけど……」
そう言ってやると、ルーツィエは、目を瞬かせて……。
「なるほど。もしそうならば、ラフィーナのやったことも間違いではなかったか……あるいは、私たちの失敗をも用いて善きことに用いてくださるという、神が働いてくださったのでしょう」
それから、ルーツィエはヘルミオネに微笑みかける。
「気遣ってくれてありがとう、ヘルミオネさん」
それ以来、ヘルミオネとルーツィエの付き合いは、なんだかんだで続いていた。そして、ヘルミオネは、少しずつ影響を受けていた。
ルーツィエと一緒でなくとも、一人で孤児院に顔を出すようになった。
父や母と、再び言葉を交わすようにもなったし、自分なりの考えをぶつけるようになった。
わかりあえないこともあるけど、ちゃんと共感できることもあって……。
それは良かったのだが……。
――ううん、ルーツィエさまを見習って行動するようになりましたけど……やはり、難しいですわね。
孤児院の建物を前に、小さくため息を吐く。
正直なところ、子どもたちに泥遊びをした手で触られると、顔をしかめたくなる。
腕白な男の子たちにはあまり近づきたくないし、不幸な身の上話を聞くと気分が暗くなるから、あまり聞きたくない。
貴族を怖がる女の子たちの心を開くのも一苦労だ。面倒くさくないわけがない。
修道女たちの愚痴に接するのも疲れるし、かといって過剰に気を使われるのも居心地が悪い。
そういう、あまり好ましくないものすべてを『天に宝を積む』の一言で呑み込んでしまえる、ルーツィエはやはりすごい人だと思った。
「さて、それでは、行きましょうか……」
気合を入れつつ、孤児院の門をくぐろうとしたところで、ふと、馬車がやってくるのが見えた。
「あれは……ヴェールガ公爵家の馬車……? ルーツィエさまがいらっしゃったのかしら?」
特にそんな連絡は受けていなかったはずだけど……っと首を傾げつつ、ヘルミオネは従者を伴い馬車へと近づいていき……直後、かっちーんっと固まった。
馬車から降りてきたのは、透き通るような水色の髪をした令嬢……。涼やかな瞳に清らかな笑みを浮かべ……。数年ぶりに会う友人、ラフィーナ・オルカ・ヴェールガはヘルミオネを見つめる。
「ご機嫌よう、お久しぶりね、ヘルミオネさん」
「なっ、ら、ラフィーナさま……?」
思わず、腰を抜かしかけるヘルミオネだった。




