第百七十話 美味しさは贅沢か?
さて、料理できないことにしょんぼーりとしたものの、そこはそれ。
せっかくアベルがいるんだし、ということで、練馬場にて軽く乗馬デートを楽しんだ後、お風呂で汗と疲労をすっかり洗い流したミーアは、晩餐会モードへと体を整えていく。
お昼も、森でということで、軽く済ませている。空腹具合は文句ない仕上がりとなっていた。
ということで、ミーアは意気揚々とオリエンス家の食堂へと向かった。
テーブルについて早々に、目の前に出されたもの……それは深皿にたぁっぷりと注がれた、具沢山のキノコスープだった。ゴロゴロと大きめに切られたフルムーンポテト、表面に浮く緑色のサンクランドネギが食欲をそそる香りを漂わせていた。
そして、その中央部、白いフワフワとしたものが顔を覗かせていた。件の司教茸だ。
どんな味なのかなぁ! っと期待に胸を膨らませつつ、ミーアは早速、スプーンで一口パクリ。
はふほふ言いつつ、司教茸を舌の上に躍らせる。
「おお、これは……」
ジュジュワッと口の中に溢れ出すキノコ汁……。その味にミーアは目を見開く。
「深い……。実に複雑なお味ですわ……。司教茸から出た出汁のお味が、実にお見事。中に入っている燻製肉ともとてもよく合いますわね」
燻製肉はともすれば、少々香りが強くなりすぎるもの。されど、その香りがキノコの出汁とネギの瑞々しい香りと合わさり、複雑玄妙かつ極めて重層的な味を作り出していた。
「司教茸も、スープを吸って……ふふふ、この不思議な食感が溜まりませんわね」
プルプルと揺れる司教茸の食感に思わず笑ってしまいながら、今度はポテトを一口。程よく火が通り、ホロホロになったポテトを、ほふほふ言いつつ口の中で転がしてから、ごっくん。うーん、美味しい! もう一口!
などとキノコスープに大満足しつつ、ミーアはキノコ栽培懐疑派の筆頭格であるルスティラに目を向けた。
「どうでしょうか? ルスティラさま、あまりキノコはお好きではないとお聞きしておりましたけど、このキノコスープは、気に入ったのではないかしら?」
話を向けられたルスティラは、穏やかな表情で頷いた。
「そうですね。確かに良いお味です。鍋料理は体が温まりますし、冬の寒い日などに食べるにはとても良さそうですね」
そんな母の言葉を引き継ぐようにナホルシアが頷いて、
「それに、肉やお野菜など鍋の具材を増やせば、これ一杯で満足感を得られるのも良いですね。民草は何品も料理を用意するのは難しいですから」
えっ? っという顔で、ミーアはナホルシアのほうに目をやった。
あれだけたくさん採ってきたのだから、今日はこの後も、何品もキノコフルコースが続くと思っていたのだ。
キノコ鍋だけで満足なんかしない、ハングリー精神の塊と化したミーアなのである。
そうして焦って視線を巡らせば、幸いなことに、料理はまだまだ用意されているらしい。ちょうど、司教茸のソテーが運ばれてくるところであった。一安心である。
「しかし、このキノコを栽培すれば、民の食卓は豊かになりますね。メニューの幅が広がることでしょう」
そう言ってから、ナホルシアはチラリとミーアのほうに目をやった。
「ミーア姫殿下は、食事の質に、とてもこだわるのですね」
「はて、それはどういう意味ですの?」
「人が生きるのに食べることは必要です。民に食を用意することは、我ら統治者の義務と言えるでしょう。しかし……そこに質は必要なのか。食事が美味であることが、果たして必要と言えるのでしょうか? 小麦の栽培にサンクランド式温室を用いることと、キノコ栽培に用いることには、大きな違いがあるのではないか、と……私は思うのですが」
根本的に、中央正教会の教えは、清貧を旨とする。飽食や過度な贅沢は諫められるべきものと考えられている。恐らく、ナホルシアの懸念は、キノコ栽培というのが、美食という贅沢に繋がるものなのではないか、ということなのだろうが……。
「いいえ、そこには違いなどございませんわ。なぜなら、食事が人の体を生かすのに必要なように、美味しい食事は人の心を生かすのに必要なものだから、ですわ」
ミーアは、はっきりと断言する。
そう。ミーアはよく知っている。
美味しくない食事は……心を弱らせる。
確かに、食べてさえいれば生きていられるけれど、心は、どんどん弱り、衰えていくのだ。
不意に、あの地下牢での日々を思い出す。
硬いトマトとカチコチのパン。
延々と続く退屈や、無為な日々と同様、味気ない、美味しくない食事というのは確実に心を削ってくるのだ。
――だから、あの時、アンヌが差し入れてくれたクッキーを食べた時には、生き返った心地がいたしましたわ。
そう、美味しい物さえ食べられれば、なんとかなる。ちょっとした怒りや不平不満も呑み込める余裕が出てくる。
美味しい物を食べさせて、民の心を肥え太らせなければならない。それこそが、ギロちんから遠ざかる術なのだ。
「我らは、民を安んじて治めなければならない。ゆえに、守るのは体だけでなく、心もですわ。そして、心を守るために、毎日の楽しい食事というのは、非常に重要なものだと思いますわ」
「食事が確保されているだけでなく、その味も重要、と……」
「人の体は食べてさえいれば生きていくことはできる。されど、心はそうではないという話ですわ。美味しい物を食べなければ徐々に心が弱っていく。心も元気でなければ、民を安んじて治めることにはならないと、わたくしはそう思いますの」
ミーアの言葉にコクリ、と頷いてから、ナホルシアは……。
「そして……そのための学びである、ということですね、ミーア姫殿下」
そう言って、鋭い視線を向けてきた。
「レムノ王国の女性たちの境遇を改善するというのは、いわば肉体を守るということ。されどそれだけではない。彼女たちの心をも救うため……その心に解放をもたらすために、女学校を建てようと……そういうことなのですね」
ミーア、思わぬ方向に話が進んだことで、ちょぴっと動揺。目の前のキノコをパクリとし、もっもっ! っとキノコを噛みしめ、その歯応えを心行くまで楽しんでから、ごっくん。
うーん、美味しい!
そうして、心を充実させてから、ミーアはキリリッと表情を引き締め、
「ええ、まぁ……、そのあたりのことはクラリッサお……うじょ殿下にお譲りしたいですわ」
シュシュっとクラリッサに放り投げるのだった!




