第百六十七話 あくまでも○ファーストな人
「知識はわたくしたちを自由にする。真理ですわ」
ミーアの言葉を、イスカーシャは聞いていた。
クラリッサの想いも聞いていた。
ロタリアが感銘を受けた様子も目にしていたし、なるほど、その言葉には説得力があるな、とも思った……。
だが……同時に、こうも思ってしまうのだ。
――自由とは、そんなに良いものだろうか……?
イスカーシャは考える。
神聖典にも『自由』は貴重なものであると書かれているものの、イスカーシャはいま一つ、それに共感できなかった。
本音を言えば、女大公ナホルシアの指示の下、行動するほうが楽でいい。
決して間違えることのない優秀な母の下、その権限と責任の庇護の下で行動しているほうが絶対に気楽なはずだ。
無論、いつまでも、その中にいるわけにはいかない。イスカーシャは、いずれはオリエンス女大公を継ぐ者。民の安寧を守るために、その重責を負って、自ら判断していかなければならないのだ。
領民の頂点にあるゆえに自由に裁量を振るうことができる。だが、それは、それほど良いものなのだろうか?
責任を……負わずとも良いのであれば、それに越したことはないのではないか……?
「自由とは、それほど良いものなのでしょうか? 自由にしてくれるから、知識は良いものだ、という理屈は、自由が良いものであるという前提の理屈です。なぜ、自由でなければいけないのでしょうか?」
わからなかった。
自分の判断でなんでも自由にできてしまうというのは、恐ろしいことだ。
なにかに縛られていれば、縛られているせいで失敗したと責任を転嫁することもできるのだ。できることが増えれば増えるほど、責任は増していく。
だが、ミーアは事も無げに、あっさりと言った。
「あら……だって、そのほうが楽しいでしょう?」
その言葉に、イスカーシャは大きな衝撃を受けた。
――た、楽しい……? そんなこと……。
ミーアは、手元のキノコに愛おしげな視線を送っていた。けれど、ふとこちらを見て、ハッとした顔をして……それから、しばしなにか考えこむように黙ってから……。
「その……、みなさんの笑顔も見られますし……」
イスカーシャの顔に補足説明の必要を見て取ったのか、付け足すように言った。
それを聞いて再び、イスカーシャは衝撃を受けた。
――民の笑顔を見られる……それが、楽しいから……と。
ミーアは……帝国の叡智は、そう言うのだ。
――自分の自由な判断のせいで、人々を不幸にすることがある。その責任を負わなければならない時がある。だから、それが重荷だと思っていた。だけど、ミーア姫殿下は逆に、自由意志を使って民を幸せにできることを、喜びだと言っておられるのか……。
イスカーシャが継ぐオリエンス女大公という地位は、誇りであると同時に、負い難き重荷だった。
できれば避けたいものだった。
されどミーアは……、自分よりも遥かに重い荷を負った目の前の人は……言うのだ。
「楽しい。民を笑顔にするのは楽しい」と。
「少なくともわたくしは、この喜びを、自分から手放したいなどとは思いませんわね。そんなこと、夢にも思わないことですわ」
とどめのように、ミーアの言葉が続いた。
ミーアは言うのだ。
自分の判断で力を振るえば、人々を笑顔にできるのに……自分が重責を負えば、民を幸せにできるのに……それを手放すなど到底考えられないことである、と。
――そう、か……。その責任を放棄すれば、別の誰かがその重責を担うことになるのだろうが……その者が民のために自由を活用するかどうかは未知数だ。けれど、その自由を自分が行使すれば民を幸せにできる、と……。ミーア姫殿下はそう確信し、また、そうあるようにと努力されているんだ。
皇女として生まれた自覚……統治者として生きていく覚悟……。
ミーアの中に、黄金に輝く信念のようなものを見てしまったイスカーシャである。
「自由がなければ、何も考えず、ただ従うだけ。しかし、自由を与えられれば、生き方を選ぶことができる……。人々の幸せのために、善く生きることを選ぶことだってできる。そのように己が自由意志と努力で、善く生きていくことが貴重である、と……。ミーアさまはそのように生きている、と……そういうことでしょうか?」
その言葉に、ミーアは、きょとん、っとした顔をしたが……。
「え、ええ……まぁ……そんな感じ、ですわね。おほほ」
なにか、誤魔化すように笑った。
恐らく、気恥ずかしかったのだろう。自身の生き方を言語化されたことが……。
なるほど、確かに『あなたの生き方は善良で素晴らしい』なんて言葉にされたら気恥ずかしくもなるだろう。
少しばかり反省しつつ、イスカーシャは思う。
――そして、そのように生きている人が……ロタリアに力を貸してほしいと願われたのか……。それなら私は……次期、オリエンス女大公として……その権限をいずれ与えられる者としてどのように振る舞うべきか……。
それは、考えるまでもないことで……。
――いや、違う……。私がどうこうじゃないんだ。ロタリアが……自分の意志で、どう判断するかだ。自分の自由を、どのように使うのか……。私がすべきことは、やっぱり、ロタリアの背中を押すことなんだ。
イスカーシャは一つ頷いて……。
――だって、まだ、私はオリエンス女大公じゃないし!
女大公の地位を継ぐまでは、妹の一番の味方でい続けようと思うイスカーシャなのであった。




