第百六十五話 うっすら物騒な香りを漂わせなくはないものの……
さて、白いフワフワの司教茸を取りつつ、クラリッサは戸惑っていた。
そのキノコの奇妙な見た目に……ではない。ミーアとは違い、正直、キノコにはそこまでの関心はない。どんな料理に合うかな? などと軽く考えはするが、料理熟練者たるクラリッサは、食材を前に戸惑うようなことはないのだ。どこかの料理未熟者令嬢たちとは格が違うのである。
そうではなく、彼女が戸惑っていた主な原因は……。
――途中でウサギの狩りの話で盛り上がりましたけど……ここからどうやって話をすればいいのかしら……。
これである。
せっかくミーアが用意してくれた場だけど、さて、どうやってオリエンス家のご令嬢たちと親睦を深めていこうか、と悩んでいるのだ。
そもそも、基本的にクラリッサは内気だ。
神聖図書館の件以降、なにかいろいろと吹っ切れた感じはあるけれど、それでも出会って間もない人たちと気兼ねなく話すのは難しい。まして、ロタリアの心を動かして勧誘することなど、現状ではほぼ不可能に近い。
とても気合でなんとかできる問題ではない。まだ、殴り倒して連れて行くほうが可能性があるのではないだろうか……?
――いざとなれば……。いえ、でも……。
いざとなれば、なんなのか……? ということには、怖いのであえて触れないが……ともあれ、クラリッサがうんうん唸っていると……。
「クラリッサ姫殿下は、レムノ王国で婦女子向けの教育機関を建てようとなさっているとか」
なんと、イスカーシャのほうから話を振ってくれた。どうやら、気を遣ってくれたらしい。
ナホルシアから外交の才もきちんと引き継いでいるイスカーシャである。他国の姫君のお相手も慣れたものなのだ。
「ええ。レムノ王国では、セントノエルのような高度な学び舎は殿方のためのものしかありませんので……。令嬢たちのためのものも必要ではないか、と思いまして」
「なるほど、そうなのですね……。ですが……なぜ、学び舎なのですか?」
イスカーシャの鋭い視線が突き刺さる。
「なぜ……ですか?」
「はい。レムノ王国において女性の扱いは不当。そうお聞きしています。その是正が必要というのも理解はできます。ですが、なぜ、教育からなのですか?」
――なぜ……なぜ……、ね。
改めて問われると、なかなかに答えづらい。
イスカーシャの口にした、女性が不当に低い扱いを受けているから是正したい、というのは、そもそもの出発点であった。クラリッサの目的もそこにあるので、それ自体には同意を得られそうだが、ではなぜ教育なのか? と問われると因果関係を説明するのがなかなかに難しい。
それに、そもそも変化を望まぬ者、現状で満足している者たちだっているかもしれない。別に、今のままでも幸せな者がいてもおかしくはないわけで、その者たちにとって、クラリッサの行動は、いらぬ波風を立てる余計なことなのだ。
では、なぜ……なんのために、レムノ王国に女学校を建てようとしているのか……。そもそもそれは、善き行いと言えるのか……?
「……知識は、わたくしたちを自由にする……真理ですわ」
答えに詰まった時に、ふと聞こえてきた言葉……。視線を転じれば、そこには、真っ直ぐにキノコに目を向けるミーアの姿があった。
――知識は私たちを、自由にする……。自由……。自由。
何者にも縛られることなく、自由に、自分で物事を決めることができること……。それは、なんて……魅力的な言葉なのだろう……。
――そうだ……。私は……。
国を出て、いろいろな物を見て、世界の広さを知った。
神聖図書館への旅で得た様々な知識は、クラリッサの目に映る景色を文字通り一変させたのだ。
――そうだ……確かに、知識は……私を自由にしたんだ。
見れば、同じようにロタリアが、ぽかんと口を開けていた。
「知識は自由……」
つぶやく言葉……同じ言葉に感銘を受けたらしいことが、ちょっぴり嬉しくて、自然と笑みを浮かべてしまう。
それから、クラリッサはそっと自らの胸に手を当てて、イスカーシャとロタリアに語りかける。
「先ほどの質問の答え……。自分の言葉ではなく、ミーア姫殿下のお言葉を借りるのは、少しだけ情けないことではありますが……。それでも、こうとしか言いようがないので……」
一度、言葉を切って、大きく息を吸ってから、クラリッサは言った。
「知識は私たちを自由にする。自分たちの現状を知り、改善していくためには、より大きな世界を知る必要があると、私は考えます。立ち上がれることを知らなければ座り込んだまま動けない。歩けることを知らなければ、その場に立ち尽くすのみです」
それから、そっと自らの手のひらに目を落として……。
「剣を振ることができる、と知らなければ……戦うことはできません」
……その手のひらに、どうやら剣の柄を見出したらしいクラリッサである。
ともあれ……だ。最後のほうは、すこぅし物騒な顔がチラリしたものの、全体的には非常に力強い言葉を口にするクラリッサである。
「だから……私はレムノ王国の女性たちに学びの場を作りたいのです。誰かから与えられるのではない。自分たちで立ち上がり、進み、選び取っていくために、レムノの女性たちは学ばなければなりません。学ばなければ、前に進むことも、留まることも、何が良いことなのか、自分では選べないのですから」
キュッと拳を握り、視線を向けるのはイスカーシャのほうではなく、その後ろ、ロタリアのほうで……。
「私自身、まだ、どのような道に進むのが最善かは見えません。王族としてどのように振る舞い、民を導くのか……ミーア姫殿下のように示すことはできません。けれど……、一人一人が自分で考え、判断し、最善を目指して歩いて行けるようにしたいと思うのです」
「自由に、自分自身で……」
その言葉を聞いて、ロタリアは小さくつぶやくのだった。
おかしい。
クラリッサお義姉さまは、こんなに物騒な人じゃなかったはずなのに、変な方向に吹っ切れてしまった感じがする。




