第二十一話 紫月花(しげつか)の会
ティアムーン帝国には、いくつかの勢力が存在している。
四大公爵家それぞれに連なる四つの派閥、そこに属さない辺土貴族を中心とした勢力、各領地に出入りする商人たち……。そのほとんどが、今や帝国の叡智ミーアに膝を屈していた……などと言うことは、もちろんない。
未だ、ミーアに友好でない者たちの数は少なくはなかった。
そして、その中でも特に強硬に、ミーアのやり方に反発する勢力があった。
「紫月花の会」と呼ばれるそれは、帝国中央貴族の夫人たちによって組織された会だった。
紫月花の会の長は、ブルームーン公爵夫人、ヨハンナ・エトワ・ブルームーンであった。
サフィアスの母でもある彼女は、若かりし日には剣術を嗜んでいたほどの、大変、気の強い女性であった。どちらかと言えば、レッドムーン家のほうが似合いそうな人であった。
ちなみに、サフィアスが痛いのが嫌いというのは、幼い頃、彼女から剣の手ほどきを受けたからだったりもするのだが……それはさておき。
「まったく、ミーア姫殿下には、困ったものじゃ。そう思うであろ?」
お茶会の席上、ヨハンナは不機嫌そうに鼻を鳴らした。その言葉に、取り巻きの夫人たちが次々と頷いた。
「まさに、ヨハンナさまの仰るとおりです」
「そうであろ? 我が帝国では、貴族の妻たるは、夫を支え、子を育てるもの。政に口を出し、あまつさえ帝位を継ごうなどと……皇女のすべきことではない」
「まったく、もっともなお話です。ヨハンナさま」
「次期皇帝陛下には、やはりサフィアスさまが相応しいと、私、常々思っておりましたのよ?」
あからさまなおべっかに、ヨハンナは軽く眉を上げる。
「うちの愚息が帝位を継げばそれに越したことはない。けれど、別にサフィアスでなくても構わぬ。グリーンムーン家の小童か、レッドムーンの小童か……帝位継承権を持つ男児が継ぐことが一番じゃ。愚息がミーア姫殿下に忠誠を誓うというのならば、あれにこだわる必要はない」
ぴしゃりとそう言われて、慌てるのは、取り巻きたちである。
皇帝サフィアスに気に入られるように、必死にヨハンナに取り入っているのだ。帝位を継がないなどということになっては、目も当てられない。
そんな有象無象の取り巻きなど一切気にせず、ヨハンナはグリーンムーン公夫人の姿を探す。
「時に、グリーンムーン公夫人は今日は来ておらんのかえ? 例の聖ミーア学園のことについて、相談しようと思うておったのに」
不機嫌そうにため息を吐くヨハンナに、取り巻きたちは震え上がる。
「そっ、それより、せっかくのお茶会なのですから、お茶の香りを楽しむのはいかがかでしょうか? 本日のお茶は、ランジェス男爵夫人が用意してくれたものですのよ? ね?」
話を振られたのは、ふくよかな女性、ランジェス男爵夫人だった。ちなみに、彼女の息子、ウロス・ランジェスは、ティオーナ監禁事件で危うく追放されそうになったところ、ミーアに救われた少年である。
ブルームーン公の派閥に属するランジェス家は、下っ端ながらも、良質な茶葉や菓子、さらに細やかな贈り物により、派閥内での地位を確立していた。
話を振られたランジェス男爵夫人は、ふっくらした頬に笑みを浮かべて、ちょっぴり胸を張り……。
「本日は、ペルージャン産の良い茶葉が手に入りましたので、お持ちしました。みずみずしい香りが、とても素敵な……」
「まっ! ペルージャンですって!?」
声を上げたのは、つい最近、紫月花の会に入った、年若い子爵夫人だった。
「下賤な農奴の末裔の作った下賤な茶葉をこの紫月花の会で出すなんて。あまつさえヨハンナさまに出すなんて、まったく呆れてしまいますわ」
ヨハンナに取り入るためだろうか、ランジェス男爵夫人をこき下ろす子爵夫人であったが、当のランジェス夫人は、気にした様子はなかった。というか、むしろ、ビクッと、なにかに恐れるような顔をした。
得意げな子爵令嬢とランジェス男爵夫人の視線の向かう先、ヨハンナは、静かに紅茶をすすってから、
「土いじりなど、下賤な農奴の末裔のすること……だが、ペルージャンの茶葉は先の皇妃パトリシアさまが好まれた茶葉。それを、子爵家の小娘が……馬鹿にすると?」
ギロリ、と鋭い視線を受け、その取り巻きは跳びあがった。
「いいい、いえ、そのようなことは、けけ、決して……」
「美味い、不味いを己が舌で判別できぬとは情けない。この紫月花の会に相応しからぬ者じゃな」
「ひ、ひぃ……」
涙目になる子爵夫人……であったが……。
「ヨハンナさま、彼女も悪気があったわけでは……」
っと間に入ったのは、サフィアスの婚約者、レティーツィアの母であるシューベルト侯爵夫人だった。
彼女はとりなすように笑みを浮かべてから、
「せっかくのお茶が不味くなってしまいますし、ここは、どうぞお納めください」
「まぁ、それもそうか。未来の息子の嫁のご母堂にそう言われては、引き下がらぬわけにもいかぬ」
ヨハンナは不機嫌そうに、ふん、と鼻を鳴らしてから、子爵夫人に片手をひらひら、とした。それを見て、子爵夫人は思い切り頭を下げてから、その場を逃げ去って行った。
さて、こうして、紫月花の会のお茶会を終えたヨハンナは、自室に戻って来た。
頭を下げてメイドが退出するのを待ってから、彼女は小さくため息を吐き……。
「帝国の伝統を守らなければならぬ。アデラ……わらわに力を……。そして、パトリシアさま、ご照覧あれ……。あなたさまが愛した帝国と、ミーア姫殿下は、必ずや、わらわが守ってみせましょうぞ」
静かにつぶやくのだった。




