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俺と彼女のミステリな日常  作者: こよる
第三章 名探偵の憂鬱
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第三章―09

「遅かったじゃないですか、せんぱい」

 ミステリ研の部室では、志ヶ灘が三枚のコピー用紙と向き合っていた。俺を認めると、軽く睨むような視線を寄越してくる。その態度がいつもと変わらないことに何故だか安心した。

「悪い。天下の名探偵さんは何かお分かりになりましたか?」

「それはまだですけど、何をどう考えるべきなのかっていう筋道くらいなら漠然と見えてきました」

「へぇ。それはすごい」

 俺は志ヶ灘の隣のパイプ椅子に腰を降ろした。志ヶ灘が黙ってコピー用紙をすっと移動させ、俺にも見せてくれる。  

 確か、問題は三つだったな。

 二つの掌編小説は、内容が限りなく同じだ。違っているのは、タイトルと内容における『太陽の尻尾』と『息子の物語』の置き換えだけ。この置き換えには何の意味があるのか。

 さらに、タイトル『息子の物語』の方では、いくつかの文章にカギ括弧が付けられていた。このカギ括弧の付けられた文章には一体何の意味があるのか。

 そして、三枚目の紙はペンネーム『さらら』からのメッセージだった。部室のパソコンにあるファイル『後輩の皆さんへ』を開くパスワードは、『さらら』さんの本名である、と。では『さらら』さんの本名は何か。容疑者については、四年前に文芸部の三年生だった四人に絞られていたはずだ。

「というわけで、この三つの問題をどう解決するかってことだよな。志ヶ灘は何か、アイデアが思い浮かんだの?」

「まだ具体的には分からないですけど……。でも、糸口なら掴みました。いいですか、せんぱい。そもそも、この掌編小説はどこに入れられていましたか?」

「封筒だな。『このこと、誰にも口外するべからず』っていう封筒……。すなわち、コウライさんのおまじないだ」

「そうです」志ヶ灘は大きく頷き、「ということは、ですよ。私たちは既に、コウライさんのおまじないについて大きな特徴を知っているじゃないですか」

 さて、特徴なんてあっただろうか。俺はここ最近の記憶を辿った。

 コウライさんのおまじないに『このこと、誰にも口外するべからず』という文句が使われる、と教えてくれたのは古川だ。しかし、それ以外の特徴となると……。

 思い出す。この間の日曜日。このおまじないの創始者である高麗さんのマンションを訪れて、そこで聞いたことといえば。

「暗号、か……。コウライさんのおまじないでは、自分の名前が暗号になってどこかに入っている。高麗響子さんは、確かにそう言ったな」

「そうです。つまり、この限りなく似ている二つの小説には、これを作った犯人の名前がどこかに刻まれているということなんですよ」

 そうだ。『太陽の尻尾』と『息子の物語』の二つの掌編には、どこかに犯人の――『さらら』さんの本名が暗号となって刻まれている。

 容疑者の名前なら、さっき文芸部室で教えてもらったはずだ。

 氷室夏樹。夜島海帆。晴山梨花。朝霧雨音。

 すなわち、この四つの名前のうちどれかが、この掌編小説の中に隠されているということになる……。

「問題の捉え方はこうです。二つの掌編小説の謎を解き明かすことで、『さらら』さんの本名も明らかになる。すなわち、私たちはこの掌編小説の謎から考えていけばいいんです」

「ふぅん。さすがだな」

 志ヶ灘藍。降霊会事件やら真結の誘拐事件やらを解き明かしてきただけあって、さすがに頭の切れる奴だ。

 彼女は、俺に得意げに推理を語った後は、人が変わったように集中して二つの小説と睨めっこを始める。その横顔に浮かぶものは、やっぱり「絶対に解き明かします」と言わんばかりの、謎に向かって燃える意志。どこか謎解きを楽しんでいるようなその表情に、しかし俺は思う。

 さっき、文芸部の部室で伊吹さんから聞いたこと。

 「志ヶ灘さんって、クラスではちょっと浮いた存在なんですよ」とか。「教室でもずーっと不機嫌そうに黙ってるし、だから何となく近寄りがたいというか……」とか。

 でも、謎解きをしている志ヶ灘からは、そういう負のオーラは一切感じられないわけで。

 伊吹さんを前にして戸惑っていた志ヶ灘と、目の前にいる志ヶ灘が、何だか上手く重ならない気がした。

「どうかしたんですか?」

 じっと見つめすぎていたのかも知れない。志ヶ灘がシャーペンを置いて、俺の方を見てきた。

 俺は不自然でない程度に目を逸らしながら、

「いや、別に……」

 その後を続けるかどうか、ちょっと迷った。

「志ヶ灘ってさ、謎解きしてるときはすごい楽しそうだなぁって思ったから」

「……どういう意味ですか、それ」

 俺を見つめる志ヶ灘の視線が、少し温度を下げた。

「いやほら。降霊会事件の時も、真結の誘拐事件の時も、志ヶ灘って謎が出てくると、すごいやる気出してただろ。絶対に解いてやる、みたいな感じでさ。だから、」

「伊吹さんに、何か聞いたんですね」

 冷たい口調だった。まぁ、と俺は曖昧に頷く。

「さっき、伊吹さんが来たときに、志ヶ灘が何だか借りてきた猫みたいになってたからさ。どうしたのかなぁと思って」

「別に……。ただ、クラスの雰囲気と部活の雰囲気が混ざって、どう振る舞えばいいのか咄嗟に分からなくなっちゃっただけです」

「あ、それは分かる」

 たとえば、高校の友達と一緒に街を歩いているとき、偶然中学の友達と再会したときとか。高校と中学では何となく人間関係の空気が違うから、そういうときにどう振る舞えばいいのか、分からなくなる。だから、曖昧に笑ってやり過ごしてしまったり、立ち止まっても上手く話せなかったりする。

 その感覚は分かるけど。そういうことが志ヶ灘藍にもあるってことに、少し戸惑っている俺がいた。

「変、でしたか?」

 志ヶ灘が紙に目を落とし、躊躇いがちに尋ねてくる。その横顔には、どこか不安めいたものが見え隠れしていた。

「別に、変ってんじゃないけどさ……。ただ、ちょっと意外だったかもな。志ヶ灘はどこにいても誰の前に立っても、凛然として冷静な奴って思ってたから」

「そうですか」

「うん」

 そして、沈黙。志ヶ灘はとりあえずシャーペンを握って紙に向かったが、さっきの燃え盛るような意志はどこかへ隠れてしまったようだった。下唇を軽く噛んでいる。俺は俺で、沈黙の居心地の悪さから逃れようと、あっちを見たり、こっちを見たり。

 とりあえず、空気を変えるために別の話題を振ってみることにした。

「あの、さ。その謎解き、俺も手伝おうか? 元はと言えば俺が抱えてる謎なわけだし」

「別に、いいです」

 志ヶ灘は紙に目を落としたまま、ちょっと怒っているようだった。

「私が一人でやりますから。せんぱいは、数学の宿題でもやってて下さい」

「あ、でも……」

「いいですから」 

 志ヶ灘の口調がさらに尖る。その気配に、こういうときは退けと脳からの指令が通達される。仕方がないので、俺は「分かったよ」と志ヶ灘に従うことにした。

 とりあえず、鞄から数学の問題集とノートを取り出してみる。頭の痛くなるような数式がズラリ。シャーペンを握ってみたが、集中できる気がしなかった。

 それはどうやら、俺の隣で謎解きに向かっている志ヶ灘も同じのようで。

 互いに黙っているのに、だからこそ互いの存在を意識してしまう、気詰まりな沈黙。

 どうしたものかと思っていたところ、天から救いがもたらされたみたいに、俺のスマートフォンがバイブを始めた。電話の着信だ。

 天の使者は真結だった。

『あ、もしもし。きょうくん聞こえてますか?』

「はい。聞こえてますよ」

『はいはい。では早速ですがクイズです。わたしはどこにいるでしょう?』

「なに、また誘拐ごっこ?」

『違います。これはただのクイズです』

 同じじゃねぇか。

『ヒントは、きーんってなるやつです』

「駅前のかき氷屋」

『……………………』

「真結?」

『そんな簡単に当てられると、こっちの立場がないじゃん……』

「ごめん。で、何の用なの?」

『うん。だから、かき氷を食べたいなって思って。でも、一人で食べに行くのは恥ずかしいなって思って。だから、誰か一緒に食べてくれる人がいないかなって思って』

「俺を誘っているわけですか」

『わけです』

「……分かったよ。今から行く」

『ありがと、きょうくん。じゃあ、お店の前で待ち合わせってことで。しいゆうれいたー』

 電話が切れる。俺は一つため息をついて、志ヶ灘に向き直った。

「そういうわけだから、ちょっと駅前まで行く用事が出来ちゃった。志ヶ灘も一緒に行く?」

「行くわけないでしょ」

 冷たい声で、わりと真剣に否定された。形式的とはいえ、差し向けた善意をはね除けられると相応に心にくる。

 しかし、日和見教の敬虔な信者である俺は、なるべく互いに傷の少ない手段を選んだ。

「じゃあ、俺一人で行くことにするよ。悪いな」

 志ヶ灘に謝りを入れ、鞄を持ってミステリ研の部室を出る。最後にちらっと見えた志ヶ灘は、唇を噛んで俯いているようだった。

 部室を出て、やっと息苦しさから解放されたと思ってしまう俺は。

 やっぱり、嫌な奴なんだろうな。

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