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中編

読んでいただいてありがとうございます。

 『この恋』は、学生のうちだけ。

 だからこそ、『美しくて儚い恋』なのだ。


 ザカリーは婚約者がいながら、キャシーと恋に落ちた。

 ザカリーはいずれ伯爵を継ぐ者として、彼の家の一人娘と結婚しなくてはいけない。

 それは、男爵令嬢であるキャシーと結婚しても手に入らないもの。

 けれど、この心はキャシーのものだ。

 自分自身の心の自由だけは誰にも奪わせない。


「キャシー、すまない」

「いいえ、ザカリー様。私では、これ以上あなたのお役にたてません」

「あぁ、身分がこれほど疎ましいと思ったことはない。俺は、伯爵にならなくてはいけないんだ」

「分かっています。この恋は、今だけ」

「そうだ」

「皆様もそれを理解してくださっているから、私たちを助けてくださるのですもの」

「……悲しいことに、な。うちのクラスは、家の都合で決められた婚約者がいる者も多い。自分たちの心だけは守る。それが我がクラスの意思だ」

「はい。私も、あなたへの心だけは捨てません」


 もし婚約者が来たら、いつも通り誤魔化してほしいとお願いをして、ザカリーはキャシーと一緒に人目のない裏庭に来ていた。

 そこで、そっと寄り添って彼女を抱きしめながら、ザカリーは幸福を感じていた。

 今だけの、本当の幸せ。

 オリビアと結婚したら、決して味わえない幸せ。

 オリビアのことが嫌いかと言われれば決してそうではないのだが、心の底から愛する女性を抱くことは学園を卒業してからは出来ないのだ。


「……このまま、時が止まればいいのに」


 囁かれたその言葉に、ザカリーは意を決したような顔をした。


「キャシー、オリビアが許してくれたら、君を迎え入れたい」

「……え?それは、どういう……」

「恋人として、伯爵家に……」

「そ、それは……」

「分かっている。世間から見れば、愛人と呼ばれても仕方のないことだ。けれど、君を手放すことは出来ない」

「……ザカリー様」

「この恋は、『美しくて儚い恋』だ。けれど、学園を卒業しても、俺の心は……」


 ザカリーの言葉をキャシーがそっと遮った。


「それ以上は、言わないでくださいませ」

「キャシー」

「……私は、男爵令嬢です。家もそれほど裕福ではありません。ザカリー様、それでも私を……?」

「あぁ、君に苦労はかけない。伯爵家は裕福だ。君一人くらい、十分養える。それに」

「それに?」

「もし、オリビアに子供が出来なかったら、君の子供に伯爵家を継がせることが出来る」

「ザカリー様、そんな恐ろしいことを」

「正直に言うと、今のままでオリビアを抱けるとは思えない。俺は、君しかいらないんだ」

「ザカリー様……嬉しいです。私も、ザカリー様だけです」

「俺もだ、キャシー」


 ザカリーとキャシーはしばらくその場で抱き合おうとしたが、昼休みが終わりそうだったのでしぶしぶ教室へと戻って行った。

 教室に戻ると、友人やクラスメイトたちが優しい目で二人を見ていた。


「お帰り。今日も裏庭か?」

「あぁ、いつもすまないな」

「いいや、いいよ。俺たちだって人間だ。誰かを好きになる心だってある。せめて学園にいる間だけでも、こうして二人の秘密の恋を見守りたいのさ」

「本当に、いつも皆の協力に感謝しているんだ」


 クラスメイトたちは、男性も女性も関係なく二人を助けてくれた。

 オリビアが何かの用事で教室に来た時は誤魔化してくれていたし、時には、オリビアには悪いが、彼女に見せつけるように皆で仲良くしてくれていた。オリビアの目には、大変仲の良いクラスに見えただろう。

 オリビアは可哀想だ。

 彼女のクラスには、公爵家の人間が二人もいる。ただの伯爵家の人間であるオリビアでは、公爵家の人間の相手をするのは気が重かったことだろう。

 違うクラスだったから、ザカリーたちにはあまり関係なかったが、高位の令息や令嬢が集まっているオリビアのクラスで、きっと彼女は一人ぼっちだったに違いない。

 だから、折に触れ、ザカリーに会いにきたのだろう。

 だが、ザカリーはキャシーに出会ってしまった。

 これから先、ずっと一緒にいるオリビアよりも、今だけのキャシーを優先したい。

 その願いを、優しいクラスメイトたちは叶えてくれたのだ。

 

「いつも仲が良くて羨ましいですわ。私もあなた方のように『美しくて儚い恋』をしてみたいですわね」

「お二人に憧れますわ。最近では、婚約者と一緒にいても『美しくて儚い恋』について考えてしまいますの。私だったら、どうなるのかしら、とか」

「分かりますわ。ついつい考えてしまいますよね」


 キャシーを囲んで女性陣がうふふあははと笑っている。

 友人たちが苦笑しながらザカリーに近寄ってきた。


「おいおい、最近うちのクラスの女子たちは、ああいうことばっかり考えているみたいだぞ」

「俺たちが良い手本になってしまったな」

「ま、憧れるよな。そんなに心を通わせられる恋人を持つってことは。……だが、もうすぐ終わってしまうな」


 あと半年もすれば卒業だ。

 そうなれば、この恋も終わる。……そう、終わるはずだった。


「……キャシーに、言ったんだ」

「何を?」

「伯爵家に迎えたい、と」

「それは!」


 友人たちがざわついた。


「分かっている。オリビアが許したら、だ。だが、なんとしても説得してみせる。キャシーは少しの間、愛人と呼ばれる存在になってしまうけれど、いつか彼女を正式に迎えたいんだ」

「……大変な道のりだぞ」

「それも重々承知の上だ。頼む、力を貸してくれ」


 ザカリーの真剣な目に、この恋を見守ってきたクラスメイトたちはふっと笑った。


「あぁ、もちろんだ。俺たちで出来ることは手伝ってやる。だから、キャシーをあんまり泣かせるなよ」

「ありがとう!皆、本当にありがとう」


 ザカリーはこのクラスで本当によかったと思っていたのだった。




 週末の二日間の休みは、出来るだけキャシーと出かけた。

 父から日曜日に客人が来るから家に必ずいるように言われたのだが、キャシーと今だけの劇を観に行きたかったこともあり、母にお願いして家から出してもらった。

 卒業したらしばらくはこうして出かけることもままならないだろうから、今の内に出来るだけ一緒に出かけたかったのだ。幸いオリビアからの誘いもなかったので、丸二日間、キャシーとの時間に充てられた。

 充実した二日間を過ごした翌日、いつも通り学園に行くと、友人の一人が暗い顔をしていた。


「おはよう。どうかしたのか?」

「……ザカリーか。お前、オリビア嬢とは」

「オリビア?彼女がどうかしたのか?」

「……知らないのか?……そうか、そうなのか……」

「お、おい。本当にどうしたんだ?オリビアがお前に何かしたのか?」


 慌てて友人に聞こうとしたら、パチンッという音と共にキャシーの悲鳴が響いた。


「きゃあ!何を!」

「うるさい!うるさい!あんたたちのせいで!!」

「落ち着いて!どうしたのよ!」


 つい先日まで、ザカリーとキャシーのことを憧れているから精一杯応援すると頬を染めて言っていたクラスメイトが、ものすごい形相でキャシーを叩いていた。

 それを周りのクラスメイトたちが一生懸命止めようとしているが、暴れる彼女を押さえきれずにいた。


「……あぁ、彼女もか……そうだよな。彼女の婚約者は、オリビア嬢と一緒のクラスだもんな……」

「は?どういうことだ?」

「……キャシー嬢を助けなくていいのか?」


 力ない友人の言葉にはっとして急いでキャシーを助けに入った。


「どうしたんだ?一体何が?」


 キャシーを庇うように立つと、クラスメイトがザカリーを睨み付けた。


「許さない!」

「な、何を」

「アンタがオリビア嬢を大切にしなかったから私まで!」

「は?オリビア?」


 そこまで言うと、クラスメイトは泣き出して、それを他のクラスメイトが慰めていた。

 その間、ザカリーとキャシーは放置された。


「一体何が?」

「分かりません。急に叩かれて」

「あ、ああ。それについては、彼女に謝罪してもらおう。もちろん、彼女の家に慰謝料を請求したってかまわないと思う。キャシーは何も悪いことはしていないのだし」

「怖いですわ。ザカリー様、傍にいてくださいませ」

「そうしたいところだが、どうも今回の騒動にオリビアが関わっていそうなんだ」

「オリビア様が?」

「よく分からんが、彼女も、それにあいつもオリビアの名前を出したからな。ひょっとしたら、オリビアが何か嫌がらせのようなことをしたのかもしれん。そうだ!そうに決まっている。キャシー、これからの俺たちのためにも、今からオリビアのところに行こう!場合によっては、婚約破棄をしてすぐに俺が伯爵家を継がなければならないかもしれない。そうしたら、キャシーを迎え入れる準備が出来る」

「本当ですか?私もオリビア様のせいで叩かれたのでしたら、言いたいことはあります」

「そうだな。すぐに行こう!」


 二人だけの世界に入った言葉を聞いたザカリーの友人は、力なく笑った。


「……これが、『美しくて儚い恋』の正体、か……」


 ザカリーたちは叩いた女性のことしか見ていなかったが、クラスメイトの中には暗い顔をしている者が他にも何人かいた。

 婚約者がすでに学園を卒業している者もいたが、きっとどこかから情報が回ったのだろう。

 皆、一緒か……。

 『美しくて儚い恋』

 それに憧れて、友人を応援した。

 いや、その言葉に酔った。

 その代償は、自分たちで支払うしかなかった。




「オリビア、出て来い!」


 ザカリーの怒鳴り声に、オリビアのクラスメイトたちは一斉に耳を塞いだ。


「あの方、本当にうるさいですわね」

「えぇ、とても耳障りですわ」

「オリビアを呼び捨てにする権利なんて、もうないはずなんですけどねぇ」


 クラスメイトたちがうんざりしたようにぼそぼそと言った声は、オリビアには聞こえても夢見る二人には届かない。


「オリビア!」

「うるさい。人のクラスで何を騒いでいるんだ」


 真っ先に対応したのは、セドリックだった。

 さすがに公爵家の令息の顔は覚えていたのか、ザカリーは慌ててセドリックからキャシーを隠した。


「あ、あなたには関係ない。俺は婚約者のオリビアに話があるだけだ」

「へぇ、婚約者に会いにくるのに、そんな女連れでか?」


 本人は隠したつもりなのだろうが、セドリックには丸見えだった。

 というか、ザカリーの背中からこそっとセドリックの方を見ていた。


「か、彼女のことでオリビアが何か言ったんだ」

「誰に?」

「うちのクラスの女性にだ。そのせいで、彼女は叩かれたんだぞ!」


 確かにキャシーの頬は赤く腫れている。叩かれたというのが、はっきりと分かる。


「それがどうしてオリビア嬢のせいになるのか理解不能だな。そもそも、お前とその女性の関係は何だ?オリビア嬢が、どうして彼女のことをお前のクラスの女性にわざわざ言わなくてはいけないんだ?」

「そ、それは……」


 恋人だから、と言いかけてザカリーは黙った。

 さすがに婚約者のいる身でありながら恋人をつくり、あまつさえ婚約者のいる教室に連れてくるのが非常識だというのは分かる。それが許されないからこそ、秘密の『美しくて儚い恋』なのだから。

 クラスメイトたちは理解を示してくれているが、ここはオリビアのいるクラスだ。まして、目の前にいるのは公爵令息。ザカリーよりも身分でいえばだいぶ上の人間だ。


「と、とにかくオリビアは」

「私に何の用事でしょうか?ザカリー様」

「オリビア!」


 学生服を身に纏ったオリビアをザカリーは久しぶりに見た。ここのところ彼女を避けていたから、こうして声を聞くのも久しぶりかもしれない。


「オリビア、お前、何を言った!」

「何を、と言われましても、そちらの方とはお話ししたことなどありませんわ」

「違う!うちのクラスメイトにだ!」

「ザカリー様のクラスメイト?それこそ、私が何か言うことがありますでしょうか?もう、()()()()()()()()()()()()()()()()

「関係ないだと!お前は俺の婚約者でありながら、俺の友人たちに何か言ったのだろう!おかげで彼女は友人の女性に叩かれたんだぞ」

「ですから、私はあなたのクラスの女性とは関わっておりませんの」

「白々しい」


 ザカリーがかっとなってオリビアを罵ろうとした時、オリビアのクラスメイトがそっと手を挙げた。


「あー、その殴った女性、多分、俺の元婚約者だわ」

「は?」


 ザカリーの前に出てきたのは、先日落ち込んでいたオリビアのクラスメイトだった。


「昨日、両家で話し合ってさ、俺、はっきり言ったんだよ。浮気に憧れるような女性と結婚は出来ませんって」


 クラスメイトの言葉に、誰かがぷっと吹き出した。


「だってさー、『美しくて儚い恋』だっけ?それって綺麗な言葉を並べてるけど、単なる浮気じゃん。それを推奨してあまつさえ憧れる、なんて言われた日には、やってらんねーぜ。結婚しても、生まれてくる子供が誰の子かも分かんない状況って嫌だったし」


 ザカリーに向かって言ったのだが、ザカリーは始め意味が理解出来なかったのか、ポカンとしていた。

 やがて意味が頭の中に入って来たのか、ザカリーの顔がみるみる赤くなった。


「ち、違う!これは!単なる友人だ」

「友人といえば、私の元・婚約者もあなたの友人ですわ」


 一番ザカリーを応援してくれて、今日は何だか元気のなかった友人に、以前、婚約者だと紹介された女性がにこやかにそう言った。


「元?もう元にしたの?」


 オリビアの問いに令嬢がころころと笑った。


「あら、こういうことは早いほうがいいじゃない。今、うちのクラスには、元・婚約者持ちが溢れていましてよ」


 二人の他にも、何だか妙ににこやかな人間が何人かいた。

 そろって笑顔でオリビアに向かって親指を立てていた。


「……解放、早くない?」

()()()()、全員が同じタイミングで同じことをしただけですわ」


 あくまでたまたまだと言い張る友人たちに、オリビアは苦笑するしかなかった。


「ところでザカリー様、昨日は家にいらっしゃいませんでしたね?」

「は?昨日?昨日は確かにいなかったが、それがどうした」

「必ず家にいるように、と言われませんでしたか?」

「……言われたが、それは別に」

「私、昨日、家の方へ行かせていただきましたの」

「何だと?」

「父も一緒でしたわ」

「え?」

「色々な資料を持って、ザカリー様と私の婚約破棄についての話し合いの場を設けてもらいましたの」

「……は?」

「ですから、昨日は、私と父、それからザカリー様と子爵様で話し合いをするはずでした。ですが行ってみればあなたはいなくて、子爵様だけがいらっしゃいましたわ。そこで子爵様に資料をお渡しして、婚約破棄をお願いしましたの」

「……俺、は、そんな話、は」

「もう昨日、決まったことですわ。今日の朝、父が書類を全て王宮に提出いたしました。ザカリー様の有責での婚約破棄が決定いたしましたの」


 オリビアの言葉にザカリーの頭は真っ白になった。

 何だ?どういうことだ?オリビアと婚約破棄?しかも、俺の有責で?

 ぐるぐるぐるぐると頭の中に色々な単語が回る。

 ザカリーの顔が、赤から青白へと変化していった。


「あら、そうよね。当然、うちも向こうの有責よ。家同士で決めた婚約者がいながら浮気した方たちを、他家の者が浮気を推奨して協力までしていたということは、明確にその婚約に反対をしたということ。他家に対する内部干渉ともとれるようなことをする人間を、我が家は認めることは出来ません、まして浮気推奨派は要りません、って言ったら、青ざめていらっしゃいましたけど」

 

 おほほほほ、と笑う女性の元・婚約者は、今朝、とても顔色が悪かった。


「残念ですわ、ザカリー様。私も浮気をする人間を許せるような心の広さは持ち合わせていませんの。こうして全く関係のない人間になりましたが、あなた方の幸せをお祈りすることくらいは出来ますわ。どうぞ、お二人でお幸せに」

「ち、ちが、そういう」

「そうそう、何故かザカリー様は我が伯爵家を継ぐ気でいらっしゃいましたけど、最初から伯爵は私。あなたはその夫という立場しか用意されていませんでしたのよ。もし万が一、あなたが私の夫になっていたとしても、あなたはあくまでも伯爵の夫、その方との間に子供が生まれようと、その子は平民にしかなりませんわ。我が家を継ぐのは、私の血を引く子供と決められていますもの」

「まぁ、怖いことを考えていたのね、ザカリー様。ひょっとして、伯爵家を乗っ取るおつもりでしたの?オリビアに子供が出来なかったら、その方との間に生まれた子を次代の伯爵に、とでも?王家として、それは許せませんわよ」


 王太子の婚約者であるフローレンスの言葉に、ザカリーの顔色はますます悪くなった。


「そうそう。王家と公爵家は浮気非推奨派ですわ。特に『美しくて儚い恋』などという綺麗な言葉でコーディングしてあるような浮気は、とうてい許せるものではありません。学生時代だから、と許されることではありませんわ。大勢の目がある学園内でこそ、秩序を保ってくださいませ。いつどこで誰が見ているか分かりませんもの」


 いつ、どこで、誰が。

 つまり、ザカリーとキャシーのことを、クラスメイト以外にも見ていた者がいる。

 秘密は、とっくの昔に秘密でなくなっていた。

 今まで自分たちは上手くやってきたと思っていたが、本当はいつも見られていた。

 心臓の音が、ドクドクと速くなった。

 見られていた?誰に?

 誰にって、それは……。

 目の前でちょっとだけ口角を上げているオリビアと目が合った。

 何の悪意もないようなオリビアの微笑とは反対に、ザカリーの顔は青ざめる一方だった。




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