夢を見ていた
読んでいただいてありがとうございます。
電子書籍については、またお知らせいたします。
おまけを何も考えずに書いたので、時系列に並べてなかった……。並べ直して追加部分も書きます。
ザカリーは、教室で一人ぼーっと座っていた。
すでに授業は終わり、夕暮れ時のオレンジ色の光が窓から入ってきて眩しかった。
今までなら、友人たちと話をしたり恋人と一緒に過ごしていた時間だ。
学生という短い時間の中でしか付き合えない恋人。
卒業したら、嫌でも離れなくてはいけない。
たとえそれが彼女を迎えるための準備をする期間だったとしても、今までのようにはいられない。
そう思っていたから、少しでも長く彼女と一緒にいたくて、授業が終わった後も教室に皆で残っていた。
手助けしてくれるクラスメイトたちが、二人っきりでないことを証明するために一緒に残ってくれていた。
彼女もクラスメイトたちも楽しそうにしていた。
それはほんの少し前のことなのに、今ではザカリーの周囲には誰もいない。
友人だと思っていたクラスメイトたちからは遠巻きにされ、女性たちからは睨まれ、彼女はいなくなってしまった。
遠い親戚に嫁いだのだと、顔色がどんどん悪くなっていっている担任が小さな声で告げた。
「幼馴染の方と結婚したそうなので、皆さん、どこかで会った時には祝福してあげましょう」
小さいのに教室中に届いたその言葉を聞いた瞬間に女性たちが、次は自分だ、と言って泣いていた。
中には、自分だけ幼馴染と結婚して!と憤っているクラスメイトもいた。
……何も知らなかった。
誰も教えてくれなかった。
彼女は恋人だったのに、一言もなく自分の傍から消えて行った。
「……どうして、こんなことになったんだ……?」
ザカリーの頬はまだ腫れている。
ザカリーを殴ったのは、父ではなく兄だった。
温厚でこんなことをするような人には見えなかったのに、真っ先に兄がザカリーを殴った。
学園でオリビアに、自分たちの婚約はすでに破棄されていると教えられた日、家に帰ると父と兄が待っていた。
オリビアに婚約を破棄されたのはザカリーがキャシーと思い出作りと称して出かけていた日だった。その日の夜、帰って来たザカリーに二人が何も言わなかったのは、自分たちでも調べていたからだった。
本当にザカリーが恋人を作っていたのか、そしてそれをクラスメイトたちが助けていたのか。
オリビアの言ったことが真実なのかどうか。
それを知ってからザカリーをどうするか決めるために、ザカリーには何も言わなかった。
二人は、自分たちが持っている伝手を総動員して、ザカリーたちのことを調べたそうだ。
「ザカリー、お前の言い訳を聞こう」
たった今、弟を殴ったとは思えないほど冷静な声で、ドリーが聞いてきた。
「兄上、俺は……」
「婚約者がいる身で、恋人を作ったそうだな」
「……キャシーは、オリビアと違うんだ。彼女は俺の……!」
「俺の、何だ?オリビア嬢と全然違う?当たり前だろうが!オリビア嬢は次期伯爵だぞ!ただの男爵家の娘と思考そのものから違うに決まっている!」
兄の声が、脳に直に響いた。
「お前は、誰に何を見せつけているつもりだったんだ?」
「え?見せつける?」
兄にはそんな風に見えていたのだろうか?
「ザカリー、お前が俺に不満を抱いていたのは知っていた。自分の方が当主に相応しいと思っていたこともな。確かに学園での成績は、お前の方が上なのだろう。テストでお前が上位に名を連ねていることは、俺たちの誇りでもあった。お前が伯爵家に婿入りすることも、納得して喜んでいた。だからこそ、残念でならないよ」
兄に知られていた。
自分の嫉妬心も、兄に対する不満も。
「調子に乗ったのか?」
「そ、そんなことは……」
「お前、自分が次期伯爵だと言っていたそうだな」
「それ、は……」
そんなことまで知られている。
キャシーやクラスメイトにしか言っていないことなのに。
「兄上、その話は誰から?」
「気にするところはそこなのか?言っておくが、お前の友人たちはそれを本当に信じていたみたいだぞ。お前の言葉だったから、疑っていなかったようだな。各家でお前が婿入りするのだと聞かされて、ずいぶんと驚いていたそうだ。あちらからしてみれば、お前に嘘を吐かれていたということだな。お前の信用は、もうボロボロになっていると思った方がいい」
嘘を吐いたつもりはなかった。
ただ、ちょっと伯爵を継ぐわけでもないただの婿入りだと言えなかっただけだ。
成績優秀な自分が何の爵位も持つことが出来なくて、自分より成績が下の人間が爵位を継ぐことを認めたくなかった。
しかもザカリーは婿入りすることになっていたので、自分の優秀な頭脳を活かし切れるかどうかと言われたら、微妙なところだった。
「うちにもオリビア嬢の家にも、いくつか問い合わせがあった。オリビア嬢に関しては、婚約破棄したのだから、自分たちはどうですか?という新しい婚約の打診だったそうだ。うちには、家全体で浮気推奨派なのか非推奨派なのかの問い合わせが多かったな」
「浮気?誰かが?」
「浮気をしたのはお前だ」
「俺が浮気?そんなことはしていない」
そう言ったら、兄に再び殴られた。
「婚約者がいながら恋人を作るのは浮気じゃないのか?お前の中で浮気の定義はどうなっているんだ?」
殴ったくせに兄は妙に冷静で、ザカリーに対して諭すような口調だった。
逆にそれがザカリーには怖かった。
怒鳴られた方がまだ分かりやすい。
兄が本当に怒っているのかどうか、分からないのが怖かった。
「いいか、ザカリー、国王陛下が浮気非推奨派だと宣言された。その意味が分かるか?」
「陛下が?何故?」
「それをお前が聞くのか……。ザカリー、お前は婚約者がいながら恋人を作った。このことを何と言う?」
「……うわき、です」
「そうだ。そして陛下が浮気非推奨派宣言をされた。これを偶然だと思うのか?」
「あ……」
あまりにもタイミングが良すぎる。だけど、それがどうしたと言うのだ。
国王陛下と学生に何の関係があるというのか。
「兄上、俺は陛下と会ったことはないですし、たまたまじゃないんですか?」
「……はぁ。お前が良かったのはテストの成績だけだったか……」
兄が大きくため息を吐いた。
「オリビア嬢のクラスメイトにフローレンス嬢がいるのは知っているか?」
「公爵家のフローレンス嬢のことでしたら、知っています」
たまにオリビアと話をしている姿を見かけたことがある。
仲が良さそうだったので、いつか紹介してもらおうと思っていた。
公爵家の人間と仲良くしていれば、箔が付くと思ったから。
オリビアではなくて、自分が公爵家と伝手を持っていたかったから。
「フローレンス嬢は、王太子殿下の婚約者だということを忘れてないか?」
そういえばそうだった。
王太子殿下がすでに学園を卒業していたので、あまりフローレンス嬢と「王太子殿下の婚約者」という言葉が結びつかなかった。
「フローレンス嬢を通して、今回のお前たちのことは陛下にも伝わったそうだ」
「なッ!そんなの卑怯じゃないですか!俺たちの婚約のことで、王太子殿下の婚約者が出てくるのは卑怯だ!」
「卑怯もくそもないだろう。そもそもフローレンス嬢はオリビア嬢のクラスメイトだと言っているだろう。フローレンス嬢にしてみたら、自分の学年で不穏な事態が起こったんだ。学生同士の喧嘩ならまだしも、家同士の契約問題にまで発展する事態なんだぞ。貴族同士の揉め事は、時に国家の安定まで揺るがす。殿下の婚約者とはいえフローレンス嬢は貴族家の当主ではないから、家同士の契約に首を突っ込むわけにはいかない。ザカリー、貴族の子として不穏な事態を知ったらどうする?」
「……上に、知らせます」
「そうだ。フローレンス嬢はおそらく父君に報告した。その上で、王家にも報告したのだろう。それを卑怯だとお前は言うのか?」
「……いいえ」
フローレンス嬢は、貴族の子として当たり前の義務を果たしたのだ。
「フローレンス嬢だけではない。オリビア嬢のクラスメイトたちは、今回のことをそれぞれの親に報告した。各家で判断は違うが、婚約破棄に至った家もある」
「そんな……俺は……」
「ザカリー、覚悟することだ」
「覚悟?」
兄の言う覚悟が、何のことか分からない。
ザカリーはこうして怒られ、キャシーもいなくなってしまった今、何の覚悟がいるのだろう。
一瞬、命を取られるのかと思ってぶるりと震えたが、さすがにそこまではしないと思って何とか持ち直した。
「そうだ。今回の発端はお前たちだ。お前のクラスメイトたちは、お前たちを恨んでいるだろう」
「どうして?」
「今までの説明を聞いていなかったのか?それとも聞きたくないと思って、話を耳から耳へ聞き流していたのか?現実を見ろ。お前たちに加担したおかげで、お前のクラスメイトたちは、全員浮気推奨派だと見做されている。当分の間、その見方が変わることはないだろうな。自業自得だと思うが、お前の恋人がいなくなった今、その矛先はお前に向く。目に見える原因はお前だけしかいなくなってしまった。しかもお前の恋人は田舎の男爵とはいえ、幼馴染と結婚出来たんだ。クラスメイトの中には結婚が絶望的になった者もいるかもしれないのに、その原因を作った人間の内の一人は結婚出来たんだぞ。幸せかどうかは問題じゃない。結婚した、それだけで恨まれるんだ。残ったお前は、その怒りを全て一人で受け止めなければならない。少なくとも学園を卒業するまでは、クラスメイトから毎日恨みがましい目で見られることは覚悟しろ。さすがに人目が多すぎて身体を傷つけられることはないと思うが、精神的にはきついぞ」
そんなことはしない。するような友人たちじゃない。
そう言いたかったが、すでにそういう目で見られた後だ。
これから先、あれがずっと続くのかと思うと、どうしていいのか分からなくなった。
「学園は卒業しろ。卒業していないと後々困るからな。これから卒業までの間、一日たりとも休むことは許さない」
「兄上は俺を壊したいのか?」
「むしろお前のために言っている。一日でも休んでみろ。次の日、学園に行くのが怖くなるぞ。それにたった一日休んだことで、お前のクラスメイトの恨みは倍増するぞ」
「休むだけで恨みが増加するもんか」
「するだろう。自分たちはこうして学園に来ているのに、お前は逃げたのか、あの女と同じか、そう思われて、休んだお前に対する怒りが増える。次の日、学園に出てきたとしても、一度燃え上がった火を鎮めるのは難しい」
「俺はどうすればいいんだ……」
「大人しく卒業まで真面目に毎日学園に行くことだな。お前に怒りを向けている間は、クラスメイトたちも多少は落ち着く。他家に対して我が家が出来ることは、それくらいだ」
「それじゃあ、生贄みたいじゃないか!」
「生贄じゃなくて、原因だと言ってるだろうが。嫌なことがあった時、その原因を恨むのは当たり前だろう。良かったな、お前のクラスは一致団結出来るぞ。お前に対する恨みでな」
いらない、そんなの。
ほしいのは、一致団結して応援してくれていたほんの数日前までの友人たちと恋人だ。
自分を中心にまとまっていたクラスメイトたちだ。
「……俺とキャシーのしたことは、そんなに悪いことだったのか?」
「順番さえ守れば良かったんだ。まずオリビア嬢と婚約を解消して、その上でキャシー嬢に交際を申し込む。たったそれだけのことで良かったんだ」
「出来なかった」
「何故?」
「俺は……俺は、伯爵家に婿入り予定だったから」
「別にオリビア嬢の相手は、絶対にお前でなければいけないということはなかった。お前と婚約を解消していたとしても、すぐに別の婚約者が出来ていただろうさ。だから、別にお前が婚約の解消を申し出ても、問題はなかったんだ。あったのは、お前の気持ちの方だったようだな」
兄にそう言われたことが、一番、重い。
ただ先に生まれたというだけの人だ、とどこかで下に見ていた。
そう思っていたのに、兄は自分よりもよほど周りのことが見えている。
……俺は、自分のことしか考えてなかった……。
自分が考えた輝かしい未来のことしか考えてなかった。
現実は、兄の方が思慮深く、俺の考えた輝かしい未来はどこかへ消えた。
「ザカリー、お前の夢は、他の者にとっては悪夢だったんだ」
悪夢。
その言葉が、さらにザカリーの心に重く突き刺さった。
今更、そんなつもりはなかったなどとは言えない。
もうザカリーの逃げ場はない。
次の日から、ザカリーは大人しく学園に通い続けた。
クラスメイトたちにどれだけ睨まれても、一日、誰にも声をかけられることがなくても、学園に通い続けた。
そんなある日、フローレンスと一緒に楽しそうに話をしているオリビアを見かけた。
オリビアのあんな笑顔を見たのは、どれだけぶりだろう。
婚約期間中にオリビアと会った時は、貴族特有のあの笑みを浮かべていた。
当たり前だが、一緒に出かけた夜会などでもその笑みしか見たことがない。
誰にも本心を悟らせないようにするあの笑みがザカリーにも向けられていたのだと、あらためて思い知った。
オリビアはいつの頃からか、ザカリーを信用していなかったのだ。
反射的に声をかけようと右手を出しかけたが、ぎゅっと抑えた。
ザカリーは、もうオリビアと関係がない。
声をかけて、それを誰かがザカリーの家族に知らせれば、今度こそ家から追放されてしまうかもしれない。
ザカリーは、さすがに自分が貴族ではなくなって、平民として生きていくことなど出来ないと理解していた。
卒業してどこかで仕事をすることになっても、まだ貴族籍は残っている。
王宮……は無理だろうから、一先ずは領地で兄の補佐をすることになるだろう。
領地だから幼い頃から親しんでいる場所だし、あちらには子爵家の屋敷もあるからそこで暮らすことになるだろう。
田舎に移るだけで、使用人がいる生活は変わらない。
それがなくなるのが怖かった。
一人で何でも出来ると言えなかった。
だからザカリーは、遠くなっていくオリビアの背中をただ見ていることしか出来なかった。
「……何もかも、遠い……」
オリビアの背中も。
友人たちとの距離も。
キャシーの嫁ぎ先も。
そして、ザカリーの行く場所も。
「俺は、間違ってない……そう思いたかった……けど……俺は……」
『ただの綺麗なだけの夢を見る自分勝手な子供だった』
ザカリーはうつむいたまま、オリビアがいる方と反対の方向へと歩き出したのだった。
これでリクエストいただいていた分は、終了したかと思います。
忘れてないよね?




