3 デート
その日は、うっとおしいほどに晴れていた。
こんな日は家にこもって本でも読むかゲームでもしていたいもんだと、心の中で愚痴をこぼしながら、周囲を見渡す。映画館の前は、初夏の休日ということもあり人でごった返していて、ますます私をうんざりさせた。
そのくせ私は、似合わぬフリフリの白いワンピースなんぞで着飾って、苦手な笑顔をふりまいている。理由は蓮が一緒だからだ。
「今日は暑いねー。麻利亜は大丈夫?」
「う、うん。私は平気。蓮こそのどが渇いたんじゃない。私の持ってきたお茶、飲む?」
「おお。サンキュ」
私から受け取ったボトルのお茶を、喉を鳴らして飲む蓮を眺めていると、心が和んでいく。一瞬、今日が蓮と私のデートの日のような錯覚に襲われる。
もしそうなら、どんなにいいだろう。
でも、現実はそうじゃない。今日の主役は蓮と陽奈。私はただの取次役だ。
もちろんちょっとだけ下心はある。だからこんな似合わない格好をしてきたんだ。ひょっとして蓮は陽奈ではなく、私に振り向いてくれるかもしれないじゃない。もし……。
ふと、悪い考えが頭に浮かぶ。今日は陽奈は来ない。そして私は蓮と一緒に休日を満喫するんだ。そうだ、今からでもふたりでこの待ち合わせ場所から姿をくらませば……。
「ねえ、れん……」
「おまたせー!」
私が自分の不埒な妄想を実行にうつそうとした瞬間、あの優しい声が飛んできた。
振り返った私は思わず手を目の前にかざした。
日差しが強くなった気がした。まぶしいほどのヒロインのオーラをまき散らしながら、陽奈がこちらに手を振っていた。
◯
「いやー、面白い映画だったね」
「ほんと。最後どうなるかとドキドキしちゃった」
はしゃぎながら映画館を出ていくふたりの背中を見つめながら、私は失望感に打ちひしがれていた。
なぜだ。
上演中からの疑問が頭の中をぐるぐる回っていく。
今日観る映画は私がチョイスした。観るものを凍りつかせると噂の、クソ映画だ。出てくるヒロインが主人公と一緒に最後派手に爆死する。各感想サイトでレビュー最悪の、折り紙付きの駄作だよ。これを観たカップルは破局すること請け合いと、書かれていたのに。
「ヒロイン、ひどい子だったねー」
「最後スカッとしたよ」
息を弾ませる蓮と陽奈の声を聞きながら、私は思わず頭を抱えて空を見上げる。
なんでふたりは意気投合しちゃってんの? あれ、クソつまらんかったでしょ。レビュー通りだったよ。それを面白がれるとか、ふたりともいったいどんな感性してるんだ。
ドキリと私の胸が、ひとつ鼓を打った。
それって、ふたりとも、似たような感性を持っているってこと。気が合う。お似合いのふたりなんじゃないの?
「まりちゃん」
呼ばれて陽奈の方を向く。
「いいものみせてくれて、ありがとね」
にっこり微笑む陽奈の表情の眩しさに、私は思わず目をすがめる。そして、改めて彼女を見ながら思う。顔だけじゃない。今日の彼女の、衣装も素敵だと。私のと似たような白いワンピース系の服だけど、もっと洗練された大人っぽいデザイン。手にしたバッグもリボンのついた帽子も私のそれよりずっとかわいい。
彼女の横に立つ蓮も、いつもより気合の入った格好をしている。髪にワックスつけてるのも、私服のジャケットなんか着てるのも、初めて見たよ。
ちょっと離れて見ると、ふたりはとても似合いのカップルに見えた。完全無欠の、美男美女のカップル。
「ど……どういたしまして」
ぎこちなく答えて、何とか彼らについてゆこうとする。しかしもう、二人の横に並ぶ気持ちにはなれなかった。
◯
映画を観たあとは、カフェでおしゃべりしたり、公園を散策したりして過ごした。
そのどんなシーンでも、陽奈はいつもの通りお日様だった。柔らかな笑顔も、朗らかなしゃべり方も、初夏の日差しはそこから発してるのではと思うくらいだ。
それだけじゃない。
公園に置かれた銅像のポーズを真似する陽奈。
溶けたソフトクリームを大慌てでなめる陽奈。
噴水に近づきすぎて水がかかり、大笑いする陽奈。
学校では見せないお茶目な表情をつくったり、はしゃいでみせたり。
普段見せないようなくつろいだ様子の彼女は、いつも以上に魅力的だった。そしてその隣にいる蓮も、心から今日のデートを楽しんでいる。それが私には痛いほど分かった。
ふたりと一緒の時間を過ごすほどに、思い知らされずにはおれなかった。彼らがお互いのことを好きだということを。そこに私の居場所なんか、寸分もないことを。
私はただの、邪魔者だった。
ファミレスで、食後のコーヒーをすすりながらその苦い思いをかみしめる。
私の隣に座る陽奈は、向かいの席の蓮と、ただ静かに見つめ合っていた。
陽奈が蓮にほほ笑みかける。するとそれが伝播して、蓮もまた、はにかんだように口の端を上げた。その瞳には陽奈だけが映っている。陽奈がそっとテーブルの上に手を伸ばす。その手の上に、蓮の手が重なる。
二人の指と指が絡み合う。まるで逢瀬を重ねているみたいに。
(私は何で、ここにいるんだろう)
いい雰囲気を醸し出すふたりの横で、気まずさに身を固くしながら私は思う。
この場にいる私は、周りからはさぞかし奇怪に映ることだろう。
私なんか、見向きもされない。
私なんか、空気と同じだ。
私なんか、誰からも気にも留められない。
私なんか。私なんか。私、なんか……。
苦痛をこらえて薄笑いを張り付け時間が過ぎるのを待つのは、そろそろ限界だった。
(何やってんだ、私は)
ふたりに分からぬよう唇を噛みながら、己の服に目を落とす。
似合ってないフリフリのワンピース。こんなもの着て、少しでも期待した自分がとても愚かに思えた。
惨めだった。
こんな風に未練がましい姿で、いちゃつくカップルの横に座っているのは、死ぬほど惨めだった。
ワンピースの膝の上に置いた両の手をきつく握りしめ、そして私は腰を浮かせた。
「あ、あー、いけない。もうこんな時間」
バックを肩にかけ、ふたりから顔を背けながら席をたつ。
「ここは私が払っとくから。ふたりは、ゆっくりしていってね」
「麻利亜」
蓮に呼び止められて、思わず出しかけた足を止めてしまった。振り向くと、私を見上げる彼の目が優し気に細められた。
「今日は、ありがとう」
私は衝動的に口を開く。それは最後のチャンスのような気がした。神様が哀れな私に与えた、彼の心をほんのわずかでも私につなぎとめる、クモの糸のようなかすかなチャンス。気の利いた格好いい言葉によって、それができるかもしれない。
しかし実際、そんな魔法のような言葉は頭に浮かばず、開いた口は小さなため息を吐き出しただけで閉じられてしまった。
私は最後の力を振り絞り、せめてこの日一番の笑顔を作って、彼に手を振る。そしてその顔をすぐにそらすと、伝票をわしづかみにして、大慌てでテーブルを後にした。
〇
ファミレスを後にした私は、街を駆け抜け、午後に散策した公園をめっくらめっぽうに走り回った。
昼と違って、薄暗くなった歩道を行く人はほとんどいない。水気を含んだ風に街路樹の桜の枝が揺れるたび、サラサラと葉擦れの音が降ってくる。
疲れて立ち止まったのは、噴水広場の銅像の前だった。昼に陽奈がその恰好を真似て、蓮から笑われていた像。両手を掲げて空を見上げるその像は、昼の時よりも不機嫌に、孤独に見えた。
私は像を背にして立ち、両手をあげて空を見上げる。
誰も笑ってくれないし、誰も反応してくれない。ただ、公園の木々の葉のささやきが、寂しそうに流れてくるばかりだった。私の目に映るのは、私に好意を寄せる男の子の姿ではなく、夕やみに薄黒く染まりつつある木々と、その上に広がる瑠璃色の空だった。雲一つない、まだ明るさを残すその空に、一本の白い線がはしっていた。
飛行機雲だ。
「好きだよ」
飛行機雲に向かって、私はようやく、その言葉を発した。蓮と陽奈の前では決して言えなかった言葉。言えない言葉。いまさら遅いその気持ちを、やり場に困って空に放つ。
「好きなんだよ。私が、あなたのことを。ずっと、好きだったんだ」
飛行機雲から返事は降ってこない。どこまでも高い空をただ一本、キラキラと光りながら、遠くへ遠くへと伸びていく。その軌跡を追っているうちに、鼻の奥がツンと熱くなった。だんだんと視界がぼやけていく。飛行機雲はあっという間にぼやけて、空の色に溶けてしまった。