2 陽奈と私
奥宮陽奈は私のクラスメイトである。眉目秀麗。成績優秀。明るく朗らかで優しくて気遣いもできる。しかも本人はそれを鼻にかけることなど微塵もしない。顔良し、頭良し、性格良し。学園のアイドルとか、マドンナとかとはこういう人のことを言うのだろう。
そんな陽奈を囲んで数人の女子生徒が和やかに会話をしている。放課後、黒板の前で。それを私は、教室の隅の席で頬杖をつきながら、ぼんやりと眺める。
陽奈が笑う。そのたび、周囲の明度があがるような錯覚を覚えた。
まるで後光が差してるようだな。
そんなふうに思う。誇張ではなく、彼女がそこにいるだけで、その場の空気が和らぐというか、光が差したようになる。まるでお日様みたい。
その明るさから逃れるように、私は顔を彼女からそむけ、窓の外に目を向けた。
外は曇り空。今にも雨が降ってきそうだ。
ざわつき出した胸の中が凪いでゆく。
私はこっちのほうが落ち着く。どんよりとした空模様のほうが。あんまり晴れていてピカピカお日様が照っていると、なんだか落ち着かないんだ。きっと陽奈が春のお日様なら、私は薄ら暗い街をうろつくコウモリだね。
……例えが変かな。とにかく、私と彼女は相容れない存在だということ。
親しいわけがない。話すことさえあまりない。それどころか、できるだけ彼女を避けている。別に彼女個人を嫌いなわけでは無いけれど。ただ、ある理由から、私としてはできるだけ絡みたくないのだ。
「まりちゃん」
その声に、私はビクリと肩を震わせて振り返った。
あの人が、私を呼んだ気がしたから。そんなはずがない。あの人が、私を呼ぶことなんてもうないと、分かっているのに。
向けた視線の先にいたのは陽奈だった。周りの女子生徒たちが表情を強張らせるなか、彼女だけはいつものにこやかな表情で私を見つめていた。
「まりちゃんは、大友君と仲がいいの?」
「なんで……」
自分の表情もまたこわばっているのがわかる。その頬に一生懸命笑みを張り付けようとすると、怯えの色が陽奈以外の女子生徒たちの顔に広がった。
「あなたには、関係ない」
「ごめんね。ただ、大友君って、いいよねって……」
陽奈の言葉を遮るように机に手をつき、音を立てて立ち上がる。女子生徒たちの漏らした小さな悲鳴を背に、私は教室から逃げ出した。
〇
校庭の隅で足を止めた私は、グラウンドへと降りていく石の階段に腰を下ろしてひとつ息を吐いた。
「私には、無理だよ」
そうぼやいて空を仰ぐ。
あんな約束をしてしまったけれど、やっぱりやめよう。と、思う。ごめんね蓮。でも巻き込まれるのはごめんだよ。脈はあるみたいだからさ。当人同士で勝手にやっててくれ。私には、できないから。
できるわけがない。こんな私に陽奈と蓮の間を取り持つことなんて。
それでも蓮が私を頼った理由はわかっている。
彼には私以外に女友達がいない。それから、陽奈はおそらく唯一、この学校で私を恐れない女子生徒だからだ。もっとも陽奈は誰にでも優しいし、誰とでも分け隔てなくコミュニケーションがとれる。
つまり相手が陽奈だからこそ、私でもなんとかなるだろうと、蓮は思ったのだろう。
しかしそれには大きな見落としがあったと、言わざるを得ない。
それは私が陽奈のことが苦手だということだ。
なぜか。
コウモリは太陽が苦手なものだ。しかしそれ以外にも理由がある。
また、あの人の影が脳裏をよぎる。「まりちゃん」と私を呼ぶ、あの甘い声とともに。
それは彼女があの人に似ているから。あの人……私の義姉、鏡子に。
私の父は一色財閥を統べる実業家だ。母は彼の二番目の妻。最初の奥さんは亡くなっていて、その忘れ形見が鏡子だった。
私より三つ年上の鏡子は、とても優しく、朗らかで、春のお日様のように明るかった。私とは大違いだった。私は子供の頃から神経質で陰気で、怒りっぽくて、使用人たちからも嫌われていた。そんな私にさえ、彼女は優しく接してくれた。
彼女のようになりたいと、何度思ったことだろう。私は彼女のことが羨ましかった。私の持たないものをみんな持っている彼女が。神様から祝福されているような彼女が。
事件がおきたのは十五の時の夏だった。
私とつきあっていた先輩が、鏡子のことを好きになってしまったのだ。
奪われる。
直感的にそれを察知し、私は戦慄した。私には分かっていた。彼女と争っても勝ち目なんかないと。
だから私は、卑怯な手を使って鏡子を貶めた。
鏡子についての悪い噂を捏造して言いふらし、先輩が彼女と会うのを妨害しまくった。父にも、でっち上げた彼女の素行の悪さを吹聴し、策を弄してついには留学という体で彼女を海外に追い払ったのだ。
その結末はご覧のとおりだ。
悪事の数々は程なく明るみに出て、もともと低かった私の評判は地に落ちた。先輩とは別れ、皆から後ろ指をさされるようになった。私が悪役令嬢と呼ばれるゆえんである。
後悔していないと言えばうそになる。海外に旅立つ日、鏡子が私に言った言葉が忘れられない。
あなたは人から奪ったもので、幸せになれるの?
あの寂しそうな声と表情は思い出しただけでも私の胸を締め付ける。記憶の中のあの時の鏡子の姿は、私の心に刻まれた罪の刻印そのものだ。
でも……それでも、あの時の私にはそれ以外にどうしようもなかったと、今でも思う。
私には奪うしかないのだ。何もない私が何かを得るには、奪うしか。
◯
「まりちゃん」
呼ばれて振り返ると、背後に陽奈が立っていた。
「その呼び方やめてよ。馴れ馴れしい」
私が睨みつけても意に会する様子もない。
「だって、これが呼びやすいんだもの」
そう言ってコロコロと笑うと、彼女は私の隣に腰掛けた。
また逃げ出そうか。そう思ったが、面倒だしまた追いかけてきそうなんでやめた。
「なんで……」
彼女からたっぷり三人分は間を空けて座り直し、問いかける。
「私につきまとうのさ。みんなは避けてるのに。あんたは私が怖くないの?」
「どんな魔法を使うのか、見てみたい」
何言ってるんだ、こいつ。
びっくりして思わず彼女の顔を凝視してしまった。
目が合った瞬間、陽奈はふわりと微笑んで、またコロコロと笑い出した。
「ウソウソ。まりちゃんて、大友くんと仲いいでしょ」
「そうだけど」
「私ね、彼のこと好きなんだ」
私はそれを危うく聞き流してしまうところだった。それくらいに自然だった。陽奈の発したその言葉は、私が十数年言えずにいたことだ。それを、こんなに簡単に言ってしまうなんて。食べ物の好みを告げるみたいに、こうもあっさりと。
ワンテンポ遅れて心臓が大きく跳ねる。何も言い返すことができない。すると、私が何か言葉を発する前に、陽奈の目の表情が突然、試験の時みたいに真剣になった。そしてまだ動揺の収まらない私に、彼女は言い放った。
「彼との間を、取り持ってほしいの」




