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12、帰国

 実家に帰らせていただきます。

 という事で帰国の時間がせまっていた。

 帰りの空港も、行きと同じでヴェネツィアのマルコポーロ空港、昼過ぎくらいの出発時刻だった。

 前日の宿はパドヴァにとってあるし、ヴェネツィアまではパドヴァから近い。ちょっと、出国まで時間あるからまたヴェネツィアまで寄れるんじゃない? と考えた私は最後の最後のヴェネツィア本島を楽しむためにパドヴァを出た。

 そういえばパドヴァのホテルから駅までの間に、怪しげなSUSHIの店があった。看板からしてもう怪しかった(失礼)。寄る時間も気概もなかった。


 帰国間際なので大きな荷物を持ってゴロゴロと移動。

 サンタルチア駅、三度(みたび)

 駅に荷物預かり所があるのは知っていた。ぼくらの地球の歩き方先輩にも教わった。大きくて邪魔なスーツケースを預けない手があるかい? あった。私は預けないでスーツケースを持ち歩いた。

 大きなスーツケースを持って荷物預かり所に行ったら言葉が通じなくても預けられるだろ、と過去の私に言いたい。もう言語の問題などではない。心の問題だ。かわいそうに弱い心を持った人間は、愚かな行為ばかり繰り返す。

 いや本当、フィレンツェやミラノならともかく、ヴェネツィアさんでスーツケース持ち歩くとか愚行の極みでしかない。何故ならヴェネツィアは橋の町でもあるからだ。小さな運河があるたびに小さな橋をかける。その橋は段差がない事が、ほとんどない。せめて大きな荷物がバックパックだったらよかった。

 がったんごっとん、スーツケースを持ち上げたり引きずったり、蹴飛ばしたり。もう周りの観光客、引いてるよ。「やだちょっとなんであの子、あんな頭の悪いことしちゃってるわけ?」って顔でみんな見てた。

 最後まで残念な私であった。


 ともあれ最後のヴェネツィアは、晴れていた。最初と前日のヴェネツィアはあまり天気がよくなかったから、最終日が一番いい天気だった。

 重たいスーツケースなんぞ抱えて、寄り道しなくとも四十分くらいはかかるサンマルコ広場まで行った。いやー、あほだわ。

 これでしばらくサンマルコ広場も寺院も見納めか、としみじみする。

 と、サンマルコ寺院の入り口の壁に目を向ければ、黒いシミ。なんだろうかとよく見れば、水であった。アクアアルタ、という言葉が私の脳裏によみがえる。

 ヴェネツィアはどれだけ美しくとも、小道や広場があろうとも、海の上の町だ。いろいろな条件が重なって、時には海の水が地上まであがってくる。テレビで見た限りでアクアアルタの時は、乾いたサンマルコ広場が水びたしになっていた。たぶんそれの、規模小さいバージョンだ。

 ちょっと水染みちゃったか、と思いなんとなくサンマルコ寺院の中も眺めると、内部はもうちょっとひどい事になっていた。水の染み具合が少し増していた。テレビで見たよりはまだマシなレベルなのか、と思いつつもなんとなくサンマルコ寺院が封鎖されかかっていた。この日観光に来ていたら、行けない場所が出はじめていたのだろうか。

 帰り道でも、水が染みていたところがあった。いくら強固な地面を作り出しても、やはりヴェネツィアは干潟の上の都なのだと、実感した。

 たぶん、水害と言えて大変なのだろうが、不謹慎にも「水に沈みかけた都市」にも少し魅力を感じてしまった。


 ヴェネツィア本島からバスで、空港へ向かった。来た時は一度本土のメストレ地区に寄ったが、本島から空港へ行くのは初めてだ。時間ギリギリというほどではなかったが、あまり余裕もなかったので、バスの歩みがゆっくりに思えてしまい、飛行機に間に合うかそわそわした。

 マルコポーロ空港での記憶は、やはり前の人に倣ってなんとなく荷物を預けたり身体チェックを受けたりした。

 あと、空港の制服でビシッときめた男性が、黒い革手袋をしていたのが格好よくて、手袋は反則やろ……と謎の手袋フェチを発揮してひそかに萌えていた。

 制服萌えもするけど、手袋はもう……なんにでも合うし素晴らしいと思う。特にスーツに革手袋とかあざと過ぎる。


 さよなら、革手袋の似合う男性、さよならイタリア。

 こうして私はイタリアと別れた。




 帰国の飛行機で覚えている事は少ない。それだけ空の旅に慣れはじめていたのだろう。

 途中、やはり乗り換えで寄ったドバイにも以前より優しい気持ちになれた。

 行きで見かけたデーツをまた買った。買い物をしたらドバイ空港スタッフの方に何やら英語で話しかけられたが、八割理解出来なかった。たぶん、ドバイ空港を利用してどうだったかたずねていた。利用者の簡単な調査がしたかったのだろう。

 私が言語を使いはじめたばかりの幼児みたいな英語で何か言うと、なんとなく雰囲気は伝わったような顔をされた。

 すぐに英語が出来ないのがバレたので、あなたの乗る飛行機の出発ロビーの辺りまでご案内しますよ的な事を言われた。NO英語な自分で申し訳ないくらい、優しいスタッフだった。

 行きではスタッフの素っ気なさに泣いたけど、帰りはまあ優しかったから、チャラにしてあげた。上から。

 イスラーム圏も文化とか違ってすごく魅力を感じるので、いつかちゃんと行きたい。建築萌えするのでモスク見たいモスク。


 そんな悪くないじゃんドバイ、な気持ちで日本行き飛行機に乗ったが、飛行機はなかなか出発しなかった。

 天候の関係で、飛び立てないのだ。一時間以上待ったと思う。もう映画を見ていたから、そんなに暇に感じはしなかったが、早く帰りたい気持ちもあった。


 そうそう、ドバイはさすがに気温が高かった。

 イタリアではコートを着てマフラーをしていたが、ドバイに着いて建物に入るまでの飛行機と建物をつなぐなんか長いアレ、空中廊下みたいな通路を通った時に、けっこう暑い外気温が伝わってきた。

 今調べたらドバイの平均気温は三月でも二十二度だった。コートとか暑いよっていう気温だ。

 とはいえ、そのあとは建物の中にいたのであまり暑さは感じなかったが。

 そしてドバイを出る時が来る。




 もう映画何を見たのやら。ホームシックでもないので、家族向け映画を見て泣きそうになる事もなかった。

 機内食が日本食っぽいものを出しはじめたのも、日本行きの飛行機な感じがした。でもエセ日本食だった。別にまずくはなかった。欠食児童でマトモな食事をしてこなかったイタリアでの食生活を思えば、久しぶりのマトモな食事でもあった。

 日本が近づくにつれ、なんらかの申告書を書くように求められた。ふむ、よく分からぬ。

 成田空港が近くなっても、私は何も書かなかった。空港に降りて、結局書く必要に迫られたので書いたが、さっさと書いておけバカモノという感じだ。逐一ちゃんとしない輩だ。たぶん愚か者をやめたら死ぬと思っているのだろう。




 成田空港だ。

 来た時には夕飯を食べた。到着してからも夕飯を食べようか迷った。だが、やはり疲れていた。

 いいから早く横になってエコノミークラスで疲弊した体をくつろがせ、休ませてやりたかった。

「か、かえる……」

 ヨボヨボしながらスーツケースを押した。

 成田空港は、千葉県にある。なのにどこの空港でもつけられるタグが「NRT/TOKYO」みたいな感じなのだ。TOKYOじゃねえよCHIBAだよ。東京まで遠いんだよ!

 東京でずにーらんどより遠いよ。空港から二時間くらいかけて帰宅した。

 あと、東京砂漠は電車で座れる事がほとんどありませんから。東京の電車は立って乗る乗り物ですから。足が死にそう。


 ヨボヨボよろよろしながら帰宅。そんなお姉ちゃんに当時一緒に住んでいた弟は「お菓子は?」とか「ご飯ある?」とかいったようなニュアンスの事を言ってきたので今でも恨んでいる。

 長旅から帰国! お姉ちゃん長旅から帰国したばかりなの! いたわれ!

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