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第1章

 巨人のように背の高い建物がいくつも並んでいた。


 鉄骨の巨人たちの足元には、大きく幅の広い通りが真っ直ぐに伸びていて、そこを人の波が途切れることなく流れていき、その横を何台もの馬車が隊列を組み、その通りを走っていく。


 近代化が叫ばれて幾年月。このグランツの街も、鉄と石炭による革命によって、近代都市に作り替えられていた。


 今もグランツの駅には、何台かの蒸気機関車が入り込み、そこから多くの客が駅に降り立ち、そのまま街へと繰り出していく姿が見られた。


 そんな人々を出迎えるグランツの街は、お祭りの真っ只中にあった。建物は派手に飾り立てられていて、子供たちははしゃぎながら走り出し、大人たちもはしゃぎながら街を歩いていく。


 通りにある店では、道行く人々に向けて呼び込みの声を上げているし、テラス席ではワイン片手に乾杯を叫んでいた。


 まるで熱に浮かされたような街の光景。人も街も同じように熱病にかかったようなにぎやかさ。


「てめえ! ふざけんな!」


 その時、通りに野太い声が響き渡る。何かが割れる音と、怒りに満ちた声が聞こえてくる。


「人が気持ちよく飲んでるのを邪魔しやがって!」


「んだと!? そっちがぶつかって来たんだろうが!」


 無骨な男二人が、掴み合って罵声をぶつけ合っていた。二人とも酒を飲んでいるようで、その足元には砕け散った酒瓶と、赤ワインの水溜まりができていた。


 すでに殴り合ったのか、赤ら顔には殴り跡ができていて、口の中も切れているようだった。


「また酔っ払いの喧嘩か?」


「あいつら観光客だろ? おい、誰か警察呼んで来い」


 遠巻きに眺める人々からひそひそ声が流れてくる。彼らが呆れた様子で眺める間も、男たちの喧嘩は続いた。


 そんな風に殴り合いを続けている男たちの横に一人の青年が近寄ったかと思うと。



 思いっきり彼らの頭にげんこつを喰らわせた。



「あだッ!!」「がッ!!」


 脳天の一発に悶絶する男たち。そんな二人を青年は突き刺すような目で見下ろした。


 しばらくして、男たちは頭の痛みが引くと、今度は自分たちを殴った青年に掴みかかろうとした。


「てめえ! なにしやが」


「何をやっとるんだ!! この馬鹿どもが!!!」


 そんな男たちの罵声を、青年の怒声が吹き飛ばす。蒸気機関のような激しい怒号に男たちは圧倒され、呆然と青年を見て立ち尽くす。


 すると今度は、青年が一方の男の胸倉を掴み上げ、射殺すような視線で男を睨みつけた。


「ひ、ひいい!!」


「酒を飲んで酔っぱらって喧嘩して、それで怪我なんかしおって! 私はな、お前らみたいに馬鹿みたいな理由で怪我する奴が許せんのだ!」


 青年の迫力に、男たちは子供のように縮こまる。その光景に周りから笑い声が聞こえてきた。


「また先生がやってるぜ。あいつらも気の毒だな」


「おい。早く警察呼んで来い。あの二人がかわいそうだ」


 笑い声がさざ波のように広がる間も、怒れる青年の説教は続いた。


 その時、誰かが呼んだのか、警官たちが駆けつけてきた。隊長と思しき男がその光景を見て、納得したように頷く。


「なんだ。騒ぎが起きていると聞いていたが、やはり先生でしたか」


 警官が青年の肩を叩くと、彼も説教を止めて警官に向き直った。


「その辺でやめておきなさい。相手も怯えてますよ」


「……失礼、恥ずかしいところをお見せしました」


 青年が矛を収めると、掴んでいた胸倉を放して男に語り掛けた。


「おい。怪我を診てやるからそこに座れ。そっちのあんたも」


「あ、ああ……悪かった」


 すっかり毒気を抜かれた男たちは、青年に従ってその場に腰を下ろす。


「全く、くだらない理由で怪我しおって。ほら、もっとちゃんと見せろ」


 青年が丁寧に男の傷を診察する。赤く腫れあがっている殴り跡に触られて、男の顔も歪む。


 青年は手際よく治療を施した。包帯を巻く力も優しく、しかし決して弱くはない。顔に付いた血を吹き上げてから、丁寧に包帯を巻いてみせた。


「これに懲りたら、喧嘩なんてくだらんことはやめるんだな」


「あ、ああ。ありがとよ……」


「警部。二人を連れて行ってください。もう治療も済んだので、後は頭を冷やしてあげてください」


「わかりました。おい、そいつらを署に連れて行くんだ」


 警官たちに腕を掴まれ、男たちは大人しく連れて行かれる。騒ぎが収まったことを見て、周りの人々も飽きたようにその場から離れて行った。


 騒ぎが終わったところで、広場に再び熱病と騒乱が舞い戻って来た。


 青年は立ち上がり、懐中時計とを取り出して時間を確認すると、何事もなかったように警官に声をかけた。


「それでは私はこれで。後はお願いします」


 青年はそれだけ伝えると、何事もなかったようにその場を後にした。


 その後ろ姿を見ながら、暴れていた男たちが警官に問いかけた。


「な、なあ……あの人は何者なんだ?」


「ああ。あの人はミコト先生。この街のお医者様だ。この街で知らない人はいないよ」


「い、医者ぁ……?」


 青年の正体を知らされた男たちは、驚きで開いた口を塞ぐことができなかった。


「あの人、医者なのか……? えらい怒鳴られたぞ」


「その様子だとかなり叱られたようだな。まあ、ちょっと怖い人だけど、腕は確かだよ」


 警官たちから軽い笑い声が上がる。みんな慣れた様子で一様に笑っていた。


「お前たち観光客だろう? また先生にどやされたくなかったら、この街では大人しくしておくんだな」


 冗談半分真実半分。それは軽口を交えた忠告。


 男たちは唖然として黙り込んでしまう。今も頭に走るその痛みに、また顔を歪ませるのだった。


 男たちと別れた後、ミコトはズンズンと街の中を歩いていく。怒っているようなその顔は、とてもお祭りに来たようには見えず、彼だけが異物のような存在に見えた。


 上から下まで、一切の乱れのないスーツを着込み、まるで怒っているように無愛想な顔で、ミコトは喧騒に満ちた街を歩いていく。


 短く整えられた黒髪に汗が伝う。ミコトはハンカチを取り出して、額の汗をぬぐった。


 その時、ミコトは街の光景を横目に見ながら、隠せない苛立ちを眉間に集めていた。



 街を藍色の天幕が包み込む。頭上には幾千の星々と、一際輝く月が地上を照らす。


 そんな時間になっても街の喧騒は続いていて、むしろこれからが本番だと言うように熱狂は大きくなっていく。


 そんな騒がしさの続く歓楽街とは別に、静かな住宅街が一日を終えようとしていた。


 喧騒が溢れる街と、静寂に満ちる住宅街。まるで目に映らない境界線が、街の中に引かれたような錯覚。


 同じ街とは思えないほど、はっきりとした隔絶が存在した。


 その静かな街に居を構えるアンブロワ診療所も、一日を終えようとしていた。


 診療所の中にある食卓で、ミコトは父・マリクと面と向かって着席していた。マリクはワインを片手に大きな笑い声を上げた。


「それでげんこつを喰らわせたわけか。その二人も災難だったな」


 マリクがその大きな体を揺らしながら、豪快に笑った。少し離れた台所では、母親のリーズと妹のセレンが夕食を作っていた


「相手も頭に血が昇っていたから、ああやって止めるしかなかったんだ。本音を言えば、あと二発くらいは殴っておきたかったよ」


 昼間の出来事を思い出したのか、ミコトの顔が苦々しさを増す。息子の顔と昼間の話が良い肴となったのか、マリクがますます笑い転げる。


「俺も見てみたかったな。そいつらにとって、忘れられない思い出になっただろうな」


 そんな父とは裏腹に、ミコトはつまらなそうにコーヒーを口に運ぶ。


「だから私は祭りが嫌いなんだ。酒を飲んで酔っ払って、それで喧嘩とかして無駄に怪我をして……馬鹿馬鹿しい」


 苛立ちを張り付けた顔で、ミコトは胸の内を吐露する。


 遠くからはかすかに祭りの音楽が聞こえてくる。きっとそこでは、今も乱痴気騒ぎが続いていることだろう。


 それを想像したのか、ミコトの苛立ちを増していく。


「いっそ祭りなんかなくなってほしいと思うよ。私は」


 そう言って、ミコトはもう一回コーヒーを口に含む。眉間にしわが寄るのは、コーヒーが苦かったのか、それとも口から出る苦言によるものなのか。


 そんなミコトの様子を、マリクは苦笑いを浮かべて見つめた。


「そう言いなさんな。収穫祭はこの街の目玉なんだ。祭りを楽しみに色んな所から人がやって来る。いいことじゃないか」


 呟きながら、マリクは手元のワインに目をやった。


「怪我人が増えるからって祭りをやめろというのは、身体に悪いから料理に塩を入れるなと言ってるようなもんだ。そんなの、味気ないじゃないか」


 諭すようなマリクの微笑み。ミコトは何か言い返そうとして押し黙る。自分が苛立ってることに気付き、コーヒーと共にその苛立ちを飲み込んだ。


 二人がそうしていると、台所からセレンたちが料理を運んできた。


「はいはい。話はそこまでにして、そろそろ食べましょう。机の上を片付けてちょうだい」


 セレンたちが料理を並べ始める。机に置かれたお皿からは湯気が立ち昇っていて、それだけでもお腹が満たされる気がした。


「今日はいい鹿肉が入ったから、たくさん食べてね」


「これはいい。ワインにぴったりだ」


 赤ら顔にニンマリとした笑みが浮かぶ。焼き立ての鹿肉からジウジウという音が爆ぜていて、肉汁が滝のように流れ出していた。


 食事を並べ、家族四人着席したところでセレンが手を合わせる。


「それじゃあ」


 いただきますと言おうとしたところで、診療所のドアが乱暴に叩かれた。騒がしい音に混じり、悲鳴のような声も聞こえてくる。


「あら……? こんな時間に誰かしら?」


「行ってくる」


 不安そうな母親にそう告げて、ミコトが診療所に向かう。その間も激しくノックされるドア。


 只事ではなさそうだ。急いでミコトがドアを開けると、泣きそうな顔の男が駆け込んできて、ミコトの肩を掴みながら叫んだ。


「先生! うちの娘が……大変なんです!!」

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