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「また会うかもね」

湿地帯を抜けると、肌にまとわりつくような湿気が消えた。

代わりに乾いた風が馬車の窓から流れ込み、顔を出していたアルの前髪をさらっていく。


「次の町、どんなところかな」


「さあな」


ルカンは向かいの座席に深く体を沈め、腕を組んで目を閉じたままだ。微動だにしない。


「地図には小さい町って書いてあったけど。

活気、あるかな」


「ないな」


「なんで言い切れるの」


「さあな、適当」


アルが振り返ると、相変わらず目を閉じたままで、口の端だけがわずかに上がっていた。


「……からかってるでしょ」


「どうだろうな」


「絶対からかってる」


ルカンはすぐには答えなかった。

車内に揺れる静寂がしばらく続いたあと、億劫そうに片目だけを薄く開ける。


「で、次どこへ行く?」


「え、まだ決めてなかったの?」


不意の提案にアルが聞き返すと、ルカンは視線を窓の外へ投げたまま続けた。


「お前が決めるんだよ」


「なんで?」


「図鑑。持ってるやつが決めるもんだろ、普通」


言われて、アルはしばらく窓の外を眺めた。

無意識に鞄の留め金に指をかけ、祖母の走り書きを思い出す。


「……南」


ポツリと、呟いた。


「うん、南に行く。決めた」


視線を上げてはっきり告げると、ルカンは短く「そうか」とだけ応じ、それ以上何も言わず、再び目を閉じた。





セルノは、静かな町だった。


一本の石畳を挟んで店と家が慎ましく並び、広場では数人の住人がのどかに立ち話をしている。

王都の喧騒とは比べるべくもない、穏やかな場所だ。


「いいじゃん、こういうところ」


馬車を降りるなり、アルは大きく息を吸った。湿地帯の匂いとも王都の匂いとも違う。

草と土と、どこかでパンを焼く香ばしい匂いがした。


「宿、先な」


「うん——あ、待って」


「行くぞ」


「ちょっとだけ、あの路地の隅の……」


「いいから」


ルカンがアルの襟首をひょいと掴んで、引き戻した。

一瞬だけ路地の奥へ視線をやったが、何も言わず、そのまま歩き出す。

アルは低木をもう一度振り返り、それから目を離した。


「明日には枯れてるかもしれないのに…」


「宿が埋まったら、探すの面倒になる」


「この町の人口に対して宿の数が余りすぎてるでしょ」


「うるさい。行くぞ」


宿に荷物を置いたあとも、二人の攻防は続いた。


アルが薬草店を覗き込んでは首根っこを掴まれ、路地裏へ消えようとしてはルカンが即座に呼び止める。

石畳の隙間に顔を近づけ指をさしても、ルカンは「行くぞ」の一言で切り捨てた。

そんなやり取りを繰り返しているうちに、気づけば半刻が過ぎていた。


「お前な……」


「なに?」


「目が足りてないんじゃないかと思ってな」


「失礼な。ちゃんと二つあるよ」


「いや、多すぎるのか。

あちこち余計なものを見過ぎなんだよ」


そんな皮肉を、アルは慣れた手つきで受け流した。


「ねえ、次どこ行く?」


「南だろ」


「その前に、ここで何か手がかりが探せるかな。おばあちゃんの足取りとか、南の遺跡のこととか」


「さあな。……まあ、聞いて回ってみるか」


「じゃあ決まり。行こう」


「お前が聞けよ。俺はついてくだけだ」


「え、なんで。

二人で聞いたほうが効率いいでしょ」


「面倒なんだよ」


「…理由、それだけ?」


「それだけ」


アルはあからさまなため息をついた。

当のルカンはといえば、緊張感のない欠伸を一つ。

他人事のような顔をして、通りの先を眺めていた。





聞き込みは不発だった。

住人たちは皆、二人に親切に接してくれたけれど、祖母や幻の薬草のこと、南の遺跡について、詳しい者は一人もいなかったのだ。

遺跡については「行ったことはないが遠い」「昔、旅人が通ったのを見た」

——得られたのは、その程度の話だけ。

核心に触れるような情報は、何一つとして集まらなかった。


「まあ、こんなもんだろ」


「……そうだね」


アルは少し肩を落として、広場の方へ向かった。

ルカンはその隣を、急かすことも慰めることもせず、ただ同じ歩幅で歩いていく。


広場の入り口に差し掛かったとき、アルが不意に足を止めた。

中央に、一人の青年がいる。


落ち着いた色合いの外套を纏ったその青年は、アルより少し年上に見えた。

彼は石畳の上に複雑な魔法陣を展開し、その中心に小型の金属製の道具を置いていた。


片手に持った羊皮紙と照らし合わせ、静かに、けれど明らかに苦戦しつつ、封印の工程を一つずつ丁寧に組み立てていく。


「……何をしてるんだろう」


「魔法道具の処理だな」


ルカンが眠そうな目で、青年の手元を眺めた。


「封印の術式が、うまく噛み合ってない」


「止められないのかな?」


「見てりゃわかるだろ」


青年は術式を一段組み上げるたびに、道具がわずかに反発し、術式の一部が脆く崩れる……という状況を繰り返していた。

けれど、彼に焦った様子はない。

表情一つ変えず、淡々と崩れた箇所を修復しては、また次の段へと進もうとする。

その徒労に近い繰り返しを三度、見守った。


「……なんだか、大変そう」


「だろうな」


「ルカン、手伝えないの?」


「俺が受けてる依頼じゃないし」


アルはしばらくその光景を見つめていた。

術式を組み直す。そして、また崩れる。


四度目の修復に取り掛かろうとしたところで、そっと立ち上がり、広場へ踏み出した。


「ちょ、——おい」


制止するルカンの声が届くより早く、アルは青年の隣にひょいとしゃがみ込み、中心にある道具を覗き込んでいた。


「これ、触ってもいい?」


不意に声をかけられ、青年は顔を上げる。

間近で見ると、整った顔立ちにはうっすらと疲労の色が滲んでいた。


「……触るな。危険だ」


「そうなの?」


「そうだ。暴走しかけている」


アルは言われた通りに手を止め、道具をじっと見る。

金属製の小さな筒のような形で、表面には細かい紋様が刻まれている。

よく見ると、その紋様の一部が歪んでいた。


「この歪んでいるところ。

ここから反発してる気がするんだけど」


「……素人に、そこまで正確に見えるとは思えないが」


「なんとなくだけど」


青年は一瞬だけアルを凝視し、それから、すぐに道具へと視線を戻す。


「いいから、触るな」


「うん。わかった」


アルはひとまず素直に引き、青年の作業を眺めることにした。

青年は再び術式の組み立てに戻ったが、やはり一節を終える前に、パリンと乾いた音を立てて術式が崩壊した。


「……やっぱり、一回だけ触っていい?」


「だめだ」


「ちょっとだけ」


「だめだと言っている」


「一秒だけだから」


「だめ——」


青年の制止を待たず、アルの指先がその金属の表面に触れた。

青年が短く息を呑む。


その瞬間、魔道具が嘘のように静まり返った。


反発していた術式が吸い込まれるように噛み合い、歪んでいた紋様がゆっくりと元の形へ収まっていく。

青年の展開していた魔法陣が、初めて完全な円となって静かに閉じた。


しん、と広場が静まり返る。


「…………」


青年は魔法陣が消えたあとも、しばらく動かなかった。


「……できた?」


アルが顔を覗き込むと「……できた」と短く応じる。


「よかった。なんか大変そうだったから」


青年はゆっくりと顔を上げて、アルを見た。


何かを言いかけて言葉を飲み込み、手元の道具へ目を落としてから、もう一度アルへ向き直る。


「……何をした」


「触っただけだよ」


「それだけか」


「うん、そうだけど」


青年の眉が、僅かに寄せられる。


少し遅れて、ルカンが気だるげな足取りで広場に入ってきた。

魔道具を手にした青年と、その隣で何事もなかったかのようにけろりとしているアル。

その対照的な二人を見て、ルカンはわずかに目を細める。


「終わったのか」


「うん。なんか、触ったら止まったよ」


「ふーん…」


ルカンの目が、一瞬だけ青年の手元の道具に落ちた。

けれど深追いすることなく、すぐに興味なさそうに視線を外す。


「名前、なんていうの?」


アルの問いに、青年は道具を外套の内側へ慎重にしまいながら、短く答えた。


「……エルリック。

依頼を受けて、この町に来ていた」


「私はアルナラ。アルでいいよ。

薬草師をやってるんだ」


「薬草師が、なぜ魔道具に触れた」


「大変そうだったから。それだけだよ」


「……そうか」


エルリックの視線が、通りの入り口に立っているルカンに移った。


「こっちはルカン。魔法使いなんだ」


アルがルカンを見たが、特に興味なさそうに、通りを眺めている。


「さっきの干渉は、お前がやったのか」


「俺じゃない。そいつが勝手に触ったんだ」


エルリックは再びアルを見て「そうか」とだけ呟いた。

当のアルは、石畳の隙間に生えた見慣れない草が気になって、すでにその場にしゃがみ込みかけている。

ルカンはそれを一瞥した。


「アル、今はお前の話をしてるんだぞ」


「あ、ごめん。この草、さっきの路地のやつと同じかなって思って」


「後にしろって」


「わかったよ」


アルは名残惜しそうに立ち上がると、視線をエルリックに戻した。


「エルリックは、一人で旅してるの?」


「ああ」


「どこから来たの?」


「北だ」


「北! あの雪山がある方?

行ったことないな。どんなところ?」


「寒いだけだ」


アルが次の質問を畳みかけようとした瞬間、それまで黙っていたルカンが低い声で口を挟んだ。


「お前、依頼でここに来たって言ったな。

次はどこへ行くんだ」


「南だ。さらに奥の集落へ行く」


「ふーん」


ルカンとエルリックの視線が、静かに交錯した。


沈黙が落ちる。


先に視線を外したのはエルリックだった。


「助かった。礼を言う」


「俺に言うなよ」


「アルナラに言っている」


「あ、全然いいよ。

なんとなくやっただけだから、気にしないで」


「……そうか」


エルリックはもう一度だけアルを見てから、迷いのない動作で踵を返した。

遠ざかっていくその背中に向かって、アルが声をかける。


「また会うかもね、エルリック!」


エルリックは振り返らなかった。

けれどその歩みがほんのわずかだけ、遅くなった気がした。

そのまま彼の背中は、通りの向こうに消えていった。


エルリックが去ったあとの広場で、アルはしばらくその場に立ち、彼がいた空間を眺めていた。


「真面目な人だったね」


「まあな」


「一人で旅をしてるって、寂しくないのかな」


「1人が楽なやつもいるだろ」


ルカンは特に興味なさそうに、通りの先へ目を向けた。


「飯にするぞ」


「あ、その前にさっきの草、やっぱり——」


「飯が先だ」


「でも」


「飯」


アルはあからさまな溜息をついた。

渋々と広場の石畳を踏みながら、ルカンの待つ通りの方へと歩き出す。


夕暮れが町を橙色に染め始めている。

どこかの家から、香ばしい食事の匂いが漂ってくる。


「ねえ、エルリックも南に行くって言ってたね」


「ああ」


「また会うかな」


「どうだかな」


ルカンはそれ以上何も言わなかった。


明日には、この町を出る。

南へ。

図鑑に残された、あのかすかな手がかりを追って。


二人の旅は、続いていく。


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