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「飽きるまで」

城門は、ベルネリ街のものとは比べ物にならない大きさだった。


高くそびえ立つ石造りの門柱が空を突き、その巨大な影の下を、数えきれないほどの旅人と馬車が絶え間なく行き来している。

槍を携えた門番が数人立ってはいるものの、あまりの人の多さに検問も追いついていない様子だった。


「……でかい」


アルは思わず足を止め、城門を見上げた。


「当たり前だろ。王都なんだから」


隣でルカンが、大きな欠伸をひとつした。

何度も来慣れているのか、感慨深そうな様子は微塵もない。


「ルカンは王都によく来るの?」


「まあな。退屈しのぎに」


それだけ短く答えると、人混みの中へ迷いなく足を踏み出す。

アルはその背中を見失わないよう、後を追いながら大きな門をくぐった。





中に入った瞬間、世界の色と音が劇的に変わった。

大勢の話し声、石畳を叩く馬の蹄の音、重たい荷車の軋み、そしてどこか遠くから聞こえてくる陽気な楽器の旋律。

ベルネリ街の賑わいとは比較にならないほどの密度で、あらゆる音が幾重にも重なり合っている。

広く整えられた石畳の道の両脇には、色とりどりの看板を掲げた店が隙間なく並んでいた。


どこを見ても、知らないものばかりだ。

視線をあちこちに飛ばし、弾むように歩いていく。


魔道具屋の軒先には淡く発光する球体がいくつも並んでいて、子供が指先で触れるたびに、赤から青へと色が変化する。

その隣の薬草屋からは、乾燥した草や根が混じり合った、独特の青い匂いが漂ってきた。


アルはその匂いに誘われるように、ふらりと足を止めた。


「ちょっと見てくる!」


「おい、迷子になるなよ」


「ならないよ」



──それから五分後。



アルは薬草屋の店先で膝をつき、棚の一番下に置かれた古い瓶を食い入るように眺めていた。


「……迷子になるなって言ったよな?」


すぐ後ろから、あからさまに呆れた声が降ってきた。


「迷子じゃないよ。ここにいるし」


「それを迷子の予備軍って言うんだよ」


視線を瓶に固定したまま、腰に手を当てて立っているルカンを、手招きで呼び寄せた。


「ねえ、これ見て。

この色、ベルネリじゃ見たことないよ」


アルが指し示した小瓶の中では、深い青紫色の液体が、差し込む光の中でゆらゆらと揺れている。


「毒草の抽出液だな。不用意に触るなよ」


「知ってるよ。匂いでわかるもん」


「……匂いで? お前、ほんと面白いこと言うんだな」


ルカンが感心したように口角を上げたが、アルはもう興味が次へ移ったのか、隣の棚へと足を動かしていた。


一通り眺め終えると、店を出て活気あふれる通りへと戻った。

鞄から図鑑を取り出し、パラパラとページをめくり、周囲を見渡す。


視界の先には、軒を連ねる薬草屋や魔道具屋、香辛料の露店、歴史を感じさせる古びた雑貨屋。

王都の市場は、どこまで歩けば端に辿り着くのか想像もつかないほど、延々と続いていた。


「ちょっと聞き込みしてみようかな」


不意に足を止めてアルが言うと、隣を歩いていたルカンが意外そうな顔をする。


「今から? さっき着いたばっかだろ。

もっとこう、名物でも食って一息つくとかないわけ?」


「時間がもったいないもん。何かわかるかもしれないし」


迷いのないその言葉に、ルカンは特に止める様子も見せない。


「とりあえず、片っ端から薬草屋を当たってみるよ」


「ん、どうぞ。ご自由に」


ルカンは近くの露店の端に背中を預け、流れる人混みを眺め始めた。

手伝う気はないらしく、手だけを振ってアルを見送る。


アルは一番近くにあった薬草屋の暖簾をくぐった。

店主の女性が、手際よく乾燥した薬草の束を袋に詰め込んでいる。


「すみません、ちょっと聞いてもいいですか。幻の薬草って、聞いたことありますか?」


店主は手を止めず、顔も上げずに答えた。


「幻の薬草ねえ。そりゃ色々あるよ。

どれのこと?」


図鑑を開き、書きかけの最後のページをカウンターに差し出す。


「これです。

すべての毒を中和するって言われてる草で」


店主は作業の合間にそれを一瞥したが、すぐにまた手を動かした。


「聞いたことないね。次のお客さん、どうぞー」


あっけないほど簡単に追い払われてしまった。それから二軒目、三軒目と回ってみたけれど、反応は似たり寄ったりだった。


鼻で笑う者もいれば、「そんな都合のいい草があったら今頃みんな大金持ちだよ」と冗談めかして言われることもある。

アルはそのたびに「ありがとう」と丁寧に礼を言い、次の店へと足を向けた。


いつの間にかルカンが数歩後ろをのんびりとついてきていた。


「空振りばっかじゃん」


「最初からうまくいくとは思ってないよ」


「へぇ、意外と冷静なんだね。もっと落ち込むかと思ってた」


「聞き込みってこういうものでしょ」


アルが振り返らずに答えると、後ろでルカンが小さく笑った。

その笑い声には呆れ半分、感心半分といった色が混じっている。

そのまま二人は、賑わう通りを抜けていく。


しばらく歩いたところで、ルカンが何かに気づいたように足を止めた。


「悪い、ちょっと用事できた」


「用事?」


「すぐ終わる。この通りを真っ直ぐ行けば古書店があるから、そこ当たってみたら?」


それだけ言い残して、ルカンは人混みの向こうへと消えていった。

アルはその背中を見送ってから、手元の図鑑に目を落とす。


「古書店か……」


小さく独り言をこぼし、教えられた方向へ足を踏み出した。





古書店は市場の喧騒を抜けた先、細い路地の奥まった場所にあった。

看板すら出ていない古びた店構えだったが、不思議と迷うことなくその扉の前に辿り着く。


扉を押し開けると、閉じ込められていた古い紙と埃の匂いが一気に漂ってきた。

天井まで届きそうな本の山が幾重にもそびえ立ち、窓から差し込む細い光の筋の中で、白い埃が静かに舞っている。


その奥、積み上げられた本の城壁に囲まれるようにして、一人の老人が座っていた。

無造作に束ねた白髪を垂らし、分厚い本を顔に近づけて読み耽っている。

アルが足を踏み入れても、老人は視線を動かそうとはしない。


「すみません」


「……見るだけなら勝手にしろ」


「聞きたいことがあって」


ようやく老人が本から目を上げた。

深く刻まれた皺の奥にある細い目が、値踏みするようにアルをじろりと眺める。


「買わないなら帰れ。

ここは冷やかしの場所じゃないんだ」


「見てほしい物があるんです」


アルは迷わず図鑑を取り出すと、カウンターの使い込まれた木の上にそっと乗せた。

老人は最初、面倒そうに一瞬だけ目を細めたけれど——次の瞬間、その表情がこわばった。


「……どこでこれを手に入れた」


「祖母の形見です。私のご先祖様が旅をして集めた記録を、祖母が受け継いだもので」


老人はしばらく黙ったまま、食い入るように図鑑を見つめていた。

ページをめくる指先がかすかに、けれど確かに震えている。


「幻の薬草を探しているのか」


「はい。最後のページの草について、手がかりが欲しくて」


老人は再びアルを鋭く一瞥した。

その奥にある意志を確かめるような視線だ。


「知らんな」


「でも今、震えてましたよね。手」


アルが真っ直ぐに指摘すると、老人の目がさらに細くなった。


「気のせいだ」


「気のせいじゃないと思いますけど……動揺、してましたよね」


沈黙が足元に落ちる。

老人は視線を外し、手元の図鑑を閉じてしまった。


「帰れ。買わないなら用はないと言ったはずだ」


アルはしばらく老人の様子をじっと見ていたけれど、やがて静かに図鑑を鞄にしまうと、出口の扉へと向かった。


扉の取っ手に手をかけた、そのとき。


「……東だ」


背後から、低い呟きが聞こえた。

振り返ったときには、老人はもう元の姿勢で本を読んでいた。


「それだけだ。さっさと行け」


アルは一度だけ深く頷き、古びた扉を押し開けた。





外に出ると、路地の入口にルカンが立っていた。

気配に気づいたのか、わずかに間を置いて、こちらへ顔を向ける。


「あれ、早かったな。追い出されたか?」


「まあね。『東』って言葉だけもらったよ」


「……東」


「うん。店主のおじいさんが教えてくれた。

かなり癖が強かったけど」


「ふーん。まあ、収穫じゃん」


「ルカンの用事は?」


アルが何気なく尋ねると、ルカンの目がわずかに動いた。

瞬きほどの間のわずかな変化——だがすぐに何事もなかったかのような顔に戻る。


「終わった」


「何の用事だったの?」


「別に。大したことじゃないし、気にするなよ」


それだけ言ってルカンはさっさと歩き出した。

アルはその背中を見ながら「まあいいか」と小さく呟く。

今のは、聞いても絶対に教えてくれない顔だ。


路地を抜けると、賑やかな声と匂いが一度に押し寄せてきて、さっきまでの薄暗い静寂が遠くなる。

アルは独り言のように呟いた。


「東か。とりあえず、明日から東に向かってみようかな」


「一人で?」


「うん。もともと一人旅だから」


ルカンは少し黙って、それから大きく伸びをした。


「……ま、俺も暇だし。飽きるまでついてってやるよ」


「え、いいの?」


「お前一人じゃ、王都を出る前に迷子になって終わりだろ」


「ならないってば」


アルは可笑しくなって、少しだけ笑った。

ルカンはもう前を向いていて、その表情は見えない。


二人は並んで再び市場の通りへと戻る。

いつの間にか陽が大きく傾き、賑やかな石畳を濃いオレンジ色が染め始めていた。

露店の売り子たちが最後の追い込みとばかりに声を張り上げ、人の流れは途切れるどころか、さらに密度を増しているようだった。


「ところで、東って具体的にどの辺り?

当てはあるのか?」


ルカンの問いかけに、アルは図鑑を抱え直して前を向いたまま答える。


「さあ。とりあえず地図でも広げて見てみないと、わかんないかな」


「随分と大雑把な旅だな、おい。

行き当たりばったりにも程があるだろ」


「初めての旅だからね。そんなもんでしょ」


ルカンが横目でアルを見て、呆れたように、でもどこか面白そうに小さく笑った。


「とりあえず、先に宿取れば? もう夜になるぜ」


アルは言われて空を見上げた。

広がるオレンジ色の空には、少しずつ夜の気配が混じり始めている。


「そっか、宿か。どこがいいかな」


「知らん。自分で探せよ」


「冷たいな。王都に詳しいんでしょ?

どこか良い宿、心当たりないの?」


スタスタと歩き出したその背中を追いながら、アルは図鑑を鞄にしまう。

ルカンはしばらく無言で歩いていたけれど、やがて面倒くさそうに首だけを振り返る。


「……ついてこい。

ボッタクリじゃない宿に案内してやるから」


「なんだ、知ってるんじゃん」


「うるさい」


かぶせるように一言残して、ルカンは足早に人混みの先へと消えていく。


手がかりは、ひとまず手に入った。

あとは一晩ゆっくり休んで、明日からまた考えればいい。


アルは軽い足取りでルカンの背中を追った。


旅は、まだ始まったばかりだ。

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