「飽きるまで」
城門は、ベルネリ街のものとは比べ物にならない大きさだった。
高くそびえ立つ石造りの門柱が空を突き、その巨大な影の下を、数えきれないほどの旅人と馬車が絶え間なく行き来している。
槍を携えた門番が数人立ってはいるものの、あまりの人の多さに検問も追いついていない様子だった。
「……でかい」
アルは思わず足を止め、城門を見上げた。
「当たり前だろ。王都なんだから」
隣でルカンが、大きな欠伸をひとつした。
何度も来慣れているのか、感慨深そうな様子は微塵もない。
「ルカンは王都によく来るの?」
「まあな。退屈しのぎに」
それだけ短く答えると、人混みの中へ迷いなく足を踏み出す。
アルはその背中を見失わないよう、後を追いながら大きな門をくぐった。
◇
中に入った瞬間、世界の色と音が劇的に変わった。
大勢の話し声、石畳を叩く馬の蹄の音、重たい荷車の軋み、そしてどこか遠くから聞こえてくる陽気な楽器の旋律。
ベルネリ街の賑わいとは比較にならないほどの密度で、あらゆる音が幾重にも重なり合っている。
広く整えられた石畳の道の両脇には、色とりどりの看板を掲げた店が隙間なく並んでいた。
どこを見ても、知らないものばかりだ。
視線をあちこちに飛ばし、弾むように歩いていく。
魔道具屋の軒先には淡く発光する球体がいくつも並んでいて、子供が指先で触れるたびに、赤から青へと色が変化する。
その隣の薬草屋からは、乾燥した草や根が混じり合った、独特の青い匂いが漂ってきた。
アルはその匂いに誘われるように、ふらりと足を止めた。
「ちょっと見てくる!」
「おい、迷子になるなよ」
「ならないよ」
──それから五分後。
アルは薬草屋の店先で膝をつき、棚の一番下に置かれた古い瓶を食い入るように眺めていた。
「……迷子になるなって言ったよな?」
すぐ後ろから、あからさまに呆れた声が降ってきた。
「迷子じゃないよ。ここにいるし」
「それを迷子の予備軍って言うんだよ」
視線を瓶に固定したまま、腰に手を当てて立っているルカンを、手招きで呼び寄せた。
「ねえ、これ見て。
この色、ベルネリじゃ見たことないよ」
アルが指し示した小瓶の中では、深い青紫色の液体が、差し込む光の中でゆらゆらと揺れている。
「毒草の抽出液だな。不用意に触るなよ」
「知ってるよ。匂いでわかるもん」
「……匂いで? お前、ほんと面白いこと言うんだな」
ルカンが感心したように口角を上げたが、アルはもう興味が次へ移ったのか、隣の棚へと足を動かしていた。
一通り眺め終えると、店を出て活気あふれる通りへと戻った。
鞄から図鑑を取り出し、パラパラとページをめくり、周囲を見渡す。
視界の先には、軒を連ねる薬草屋や魔道具屋、香辛料の露店、歴史を感じさせる古びた雑貨屋。
王都の市場は、どこまで歩けば端に辿り着くのか想像もつかないほど、延々と続いていた。
「ちょっと聞き込みしてみようかな」
不意に足を止めてアルが言うと、隣を歩いていたルカンが意外そうな顔をする。
「今から? さっき着いたばっかだろ。
もっとこう、名物でも食って一息つくとかないわけ?」
「時間がもったいないもん。何かわかるかもしれないし」
迷いのないその言葉に、ルカンは特に止める様子も見せない。
「とりあえず、片っ端から薬草屋を当たってみるよ」
「ん、どうぞ。ご自由に」
ルカンは近くの露店の端に背中を預け、流れる人混みを眺め始めた。
手伝う気はないらしく、手だけを振ってアルを見送る。
アルは一番近くにあった薬草屋の暖簾をくぐった。
店主の女性が、手際よく乾燥した薬草の束を袋に詰め込んでいる。
「すみません、ちょっと聞いてもいいですか。幻の薬草って、聞いたことありますか?」
店主は手を止めず、顔も上げずに答えた。
「幻の薬草ねえ。そりゃ色々あるよ。
どれのこと?」
図鑑を開き、書きかけの最後のページをカウンターに差し出す。
「これです。
すべての毒を中和するって言われてる草で」
店主は作業の合間にそれを一瞥したが、すぐにまた手を動かした。
「聞いたことないね。次のお客さん、どうぞー」
あっけないほど簡単に追い払われてしまった。それから二軒目、三軒目と回ってみたけれど、反応は似たり寄ったりだった。
鼻で笑う者もいれば、「そんな都合のいい草があったら今頃みんな大金持ちだよ」と冗談めかして言われることもある。
アルはそのたびに「ありがとう」と丁寧に礼を言い、次の店へと足を向けた。
いつの間にかルカンが数歩後ろをのんびりとついてきていた。
「空振りばっかじゃん」
「最初からうまくいくとは思ってないよ」
「へぇ、意外と冷静なんだね。もっと落ち込むかと思ってた」
「聞き込みってこういうものでしょ」
アルが振り返らずに答えると、後ろでルカンが小さく笑った。
その笑い声には呆れ半分、感心半分といった色が混じっている。
そのまま二人は、賑わう通りを抜けていく。
しばらく歩いたところで、ルカンが何かに気づいたように足を止めた。
「悪い、ちょっと用事できた」
「用事?」
「すぐ終わる。この通りを真っ直ぐ行けば古書店があるから、そこ当たってみたら?」
それだけ言い残して、ルカンは人混みの向こうへと消えていった。
アルはその背中を見送ってから、手元の図鑑に目を落とす。
「古書店か……」
小さく独り言をこぼし、教えられた方向へ足を踏み出した。
◇
古書店は市場の喧騒を抜けた先、細い路地の奥まった場所にあった。
看板すら出ていない古びた店構えだったが、不思議と迷うことなくその扉の前に辿り着く。
扉を押し開けると、閉じ込められていた古い紙と埃の匂いが一気に漂ってきた。
天井まで届きそうな本の山が幾重にもそびえ立ち、窓から差し込む細い光の筋の中で、白い埃が静かに舞っている。
その奥、積み上げられた本の城壁に囲まれるようにして、一人の老人が座っていた。
無造作に束ねた白髪を垂らし、分厚い本を顔に近づけて読み耽っている。
アルが足を踏み入れても、老人は視線を動かそうとはしない。
「すみません」
「……見るだけなら勝手にしろ」
「聞きたいことがあって」
ようやく老人が本から目を上げた。
深く刻まれた皺の奥にある細い目が、値踏みするようにアルをじろりと眺める。
「買わないなら帰れ。
ここは冷やかしの場所じゃないんだ」
「見てほしい物があるんです」
アルは迷わず図鑑を取り出すと、カウンターの使い込まれた木の上にそっと乗せた。
老人は最初、面倒そうに一瞬だけ目を細めたけれど——次の瞬間、その表情がこわばった。
「……どこでこれを手に入れた」
「祖母の形見です。私のご先祖様が旅をして集めた記録を、祖母が受け継いだもので」
老人はしばらく黙ったまま、食い入るように図鑑を見つめていた。
ページをめくる指先がかすかに、けれど確かに震えている。
「幻の薬草を探しているのか」
「はい。最後のページの草について、手がかりが欲しくて」
老人は再びアルを鋭く一瞥した。
その奥にある意志を確かめるような視線だ。
「知らんな」
「でも今、震えてましたよね。手」
アルが真っ直ぐに指摘すると、老人の目がさらに細くなった。
「気のせいだ」
「気のせいじゃないと思いますけど……動揺、してましたよね」
沈黙が足元に落ちる。
老人は視線を外し、手元の図鑑を閉じてしまった。
「帰れ。買わないなら用はないと言ったはずだ」
アルはしばらく老人の様子をじっと見ていたけれど、やがて静かに図鑑を鞄にしまうと、出口の扉へと向かった。
扉の取っ手に手をかけた、そのとき。
「……東だ」
背後から、低い呟きが聞こえた。
振り返ったときには、老人はもう元の姿勢で本を読んでいた。
「それだけだ。さっさと行け」
アルは一度だけ深く頷き、古びた扉を押し開けた。
◇
外に出ると、路地の入口にルカンが立っていた。
気配に気づいたのか、わずかに間を置いて、こちらへ顔を向ける。
「あれ、早かったな。追い出されたか?」
「まあね。『東』って言葉だけもらったよ」
「……東」
「うん。店主のおじいさんが教えてくれた。
かなり癖が強かったけど」
「ふーん。まあ、収穫じゃん」
「ルカンの用事は?」
アルが何気なく尋ねると、ルカンの目がわずかに動いた。
瞬きほどの間のわずかな変化——だがすぐに何事もなかったかのような顔に戻る。
「終わった」
「何の用事だったの?」
「別に。大したことじゃないし、気にするなよ」
それだけ言ってルカンはさっさと歩き出した。
アルはその背中を見ながら「まあいいか」と小さく呟く。
今のは、聞いても絶対に教えてくれない顔だ。
路地を抜けると、賑やかな声と匂いが一度に押し寄せてきて、さっきまでの薄暗い静寂が遠くなる。
アルは独り言のように呟いた。
「東か。とりあえず、明日から東に向かってみようかな」
「一人で?」
「うん。もともと一人旅だから」
ルカンは少し黙って、それから大きく伸びをした。
「……ま、俺も暇だし。飽きるまでついてってやるよ」
「え、いいの?」
「お前一人じゃ、王都を出る前に迷子になって終わりだろ」
「ならないってば」
アルは可笑しくなって、少しだけ笑った。
ルカンはもう前を向いていて、その表情は見えない。
二人は並んで再び市場の通りへと戻る。
いつの間にか陽が大きく傾き、賑やかな石畳を濃いオレンジ色が染め始めていた。
露店の売り子たちが最後の追い込みとばかりに声を張り上げ、人の流れは途切れるどころか、さらに密度を増しているようだった。
「ところで、東って具体的にどの辺り?
当てはあるのか?」
ルカンの問いかけに、アルは図鑑を抱え直して前を向いたまま答える。
「さあ。とりあえず地図でも広げて見てみないと、わかんないかな」
「随分と大雑把な旅だな、おい。
行き当たりばったりにも程があるだろ」
「初めての旅だからね。そんなもんでしょ」
ルカンが横目でアルを見て、呆れたように、でもどこか面白そうに小さく笑った。
「とりあえず、先に宿取れば? もう夜になるぜ」
アルは言われて空を見上げた。
広がるオレンジ色の空には、少しずつ夜の気配が混じり始めている。
「そっか、宿か。どこがいいかな」
「知らん。自分で探せよ」
「冷たいな。王都に詳しいんでしょ?
どこか良い宿、心当たりないの?」
スタスタと歩き出したその背中を追いながら、アルは図鑑を鞄にしまう。
ルカンはしばらく無言で歩いていたけれど、やがて面倒くさそうに首だけを振り返る。
「……ついてこい。
ボッタクリじゃない宿に案内してやるから」
「なんだ、知ってるんじゃん」
「うるさい」
かぶせるように一言残して、ルカンは足早に人混みの先へと消えていく。
手がかりは、ひとまず手に入った。
あとは一晩ゆっくり休んで、明日からまた考えればいい。
アルは軽い足取りでルカンの背中を追った。
旅は、まだ始まったばかりだ。




