245 媚び売る剣奈と青い空
次の練習は玉転がしである。学年全員で大玉を押しながらコースを一周する。チーム力と競争性が加味される熱い種目である。
「じゃあ、この列から順番に大玉を取ってー」
体育教師が声を張り上げた。白と赤の大玉がいくつか用意されていた。子供たちは大玉を囲むように並んだ。メンバーの顔がやる気に満ちているのが感じられた。剣奈は自分のチームの端に立っていた。空気を読んで目立たないようにしたのである。
「よし、行くぞ!」
先生の合図でみんなが大玉を前に力を込めた。剣奈も両手をいっぱいに伸ばして大玉に手を添えた。大玉がごろりと転がり始めた。その時、
「「「せーのっ!」」」
剣奈の斜め背後で大きな声がした。ぐいっと押された大玉が大きく跳ね、前方グループの端にいた剣奈めがけて勢いよくぶつかっていった。それは剣奈の肩に大きな衝撃を与え、全身を大きく揺さぶった。
「っ……!」
剣奈は身体ごと横に弾かれた。たたらを踏んだ。肩に鈍い痛みが走った。
「あ、ごめーん。力入りすぎちゃった!」
「「「うふふふ」」」
彩花がわざとらしく笑いながら言った。同じチームにいた結衣、真由、七海も続けて笑った。
「あぶないなぁ。ぼーっとしてらダメだよ」
「剣奈ちゃん、私たちのコース邪魔しないでよね」
「そうよ。ほんと空気読まないんだから」
「それコース妨害じゃない?」
「えっ?すごっ!剣奈ちゃんそんな汚い手使うんだ」
「だって剣奈だもんねー」
「「「「あははは」」」」
剣奈は返事ができなかった。剣奈はうつむいて足元のラインを見た。けれど、進路妨害などしていなかった。肩を押さえた手のひらに、じわりと熱がこもった。
(ボクが悪いの?)
剣奈の喉の奥がきゅうっと締めつけられた。空気がうまく吸えなかった。視界の端で、先生を見た。先生の顔は不自然なほど別の方向に固定されていた。
――――
運動会の練習はダンスになった。ダンスは運動会の華である。子どもたちは丸く広がった。男子たちが剣奈の周りに群がった。群がる男子たちの中に相沢蒼真の姿もあった。
「じゃあスタート!」
軽快なポップ音楽がスピーカーから流れ出した。子供たちが音楽に合わせてポーズを取りながら、ステップを刻んだ。
「もっと笑ってー」
先生からの掛け声に周りの子たちは楽しそうに笑い、ダンスのステップを踏んでいった。けれど、剣奈はどうしても笑顔が作れなかった。さっきから、背中に視線が貼りついていた。
「うわ。あざと剣奈。男子に囲まれてニヤニヤしてるよ」
「それにさあ、徒競走のとき、わざと剣奈転んでたよね」
「見た見た。それで相沢くんに「一緒に走ろうぜ」とか言わせてさ」
「さすが剣奈。井の小のあざとスターだよね」
「「「あははははは」」」
剣奈は一生懸命聞こえないふりをした。蒼真が彩花のほうを睨んだ。彩花は蒼真に見つめられて顔を赤らめた。蒼真が再び剣奈の方を向いて微笑んだ。
「気にすんな」
「うん……」
「出たー、かわいそうなボクアピ」
「男子にばっかりかばわれてるよね。なにあれ」
「男の人誘ってるんだよ。きっしょ」
「きっしょ」という言葉が、剣奈の心にねっとりじんわりと広がった。
(ボク、きしょいんだ……)
涙が出そうになった。
「うわ、見て。今も相沢くんの方見て媚び売ってる」
「気持ち悪っ。目、潤ませてるよ」
「まじきっしょ。色目ってあんな感じなんだ」
「エロすぎじゃね?」
笑い混じりのあざけりが音楽のリズムとぐちゃぐちゃに混ざって耳に入ってきた。涙ぐむと色目を使っていると言われる。剣奈は涙ぐまない様に必死で顔を正面に向けた。蒼真の方は意識してみないようにした。媚びを売ってるように思われたくなかった。蒼真は剣奈を彩花たちからかばうよう視界を遮った。彩花たちの嘲笑がますますひどくなった。
サビの振り付けでペアになった子と向かい合うところがあった。剣奈の前に立ったのは、彩花だった。剣奈の顔が引きつった。
「……よろしく」
彩花は小さな声で挨拶をした。そして口の端だけを上げて囁いた。
「男子んときみたいに、にこにこしないの?」
「え?」
「相沢くんには笑うのに、わたしには笑ってくれないんだー。ひどーい」
「えー、うそ、きっしょ」
「そういうの、やめない?」
「え?」
彩花はわざとらしく目を丸くしてみせた。
「剣奈、恥ずかしくないの?男子誘って、色目使って媚び売って。まじきしょなんですけど」
その言葉に同調するように、周囲からちらちらと笑い声があがった。剣奈の胸が、ぎゅっと握りつぶされたように痛くなった。音楽が再びサビに入った。振り付けどおりに身体は動かしているはずなのに、指先が冷えて感覚が遠くなってきた。
(ボク、そんなつもりじゃないのに)
否定したい言葉が喉までせり上がってきた。けれどもその言葉をぐっと飲みこんだ。口を開いたら、涙まで一緒に出てきてしまいそうだった。そしたらまた潤んだ目で媚びを売るといわれるのが怖かった。
「はい、じゃあ今日のダンス練習はここまでー!」
先生の声と同時に、音楽が止んだ。子どもたちが好き勝手に列を崩し始めた。
「おーい、剣奈!」
名前を呼ばれて振り向くと、蒼真がタオルを肩にかけたまま、片手を挙げていた。
「ダンス、ちゃんと覚えてんじゃん。さっきの回転するとこ、よかったぞ」
「……ほんと?」
「ほんとほんと。お前、身体やわらかいのにキレもあるからさ、見栄えするんだよ」
その言葉に、さっきまで氷みたいだった指先が少しだけあたたかくなった。
「徒競走もさ、スタートのとき、オレが「行くぞ」って小声で合図してやるから。タイミング合わせるんだぞ」
「うん!」
その時だった。剣奈はきつい視線を感じた。反射的に視線の方向に振り向いた。彩花がにらみつけていた。目つきは鋭く、唇はぎゅっと結ばれていた。怖かった。鬼のようだった。その恐ろしい表情に、剣奈の胸はまたぎゅっとつままれた。
(彩花ちゃん…… ボク、そんなに空気読んでない?ボク、いない方がいいの?)
幼い剣奈に「嫉妬」の感情はわからなかった。ただ、空気を読まない自分が悪いんだと思い込んだ。
ズキッ
「痛っ」
膝の痛みと肩の痛みに思わず声をあげた。蒼真が心配そうに肩を抱いた。憎しみの視線はますます強くなった。
放課後、運動場の片付けが終わると、クラスはそのまま教室に戻った。窓の外で太陽が傾いていた。剣奈が机に座って帰る荷物をまとめていると、長谷川律がぼそりとつぶやいてきた。
「徒競走、久志本さんが足引っかけられてたの、オレ見たから」
「……え?」
顔を上げると、彼は気まずそうに頭をかいた。
「わざとだと思う。久志本さんがドンくさいとかじゃない。……ああいうの、マジでうざい。久志本さんは気にすんな。オレらが守ってやるよ」
それだけ言って、律はさっさとランドセルを背負って教室を出て行った。剣奈は胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。
(ちゃんと見ててくれた人、いたんだ)
今日一日、砂の上を引きずり回されたみたいに、心も身体もボロボロだった。それでも、蒼真の「一緒に走ろうぜ」という声と、女子らの「うざいから」という言葉が、心の中でぐるぐるしていた。
剣奈はランドセルの肩ひもを握りしめながら窓の外を見た。太陽がまぶしく輝いていた。どんより見えていた空が、さっきより少しだけ明るく見えた。




