235 官邸からの連絡
「……官邸から、ですか」
「はい。すでに山木先生経由で、久志本様にもお話がいっているかと存じますが、本件は官邸としても一定の整理が必要な案件と認識しております」
「そうですか…… それで、今日はどのようなご用件で?」
「大きく三点ございます。一つ目は、剣奈さんの戸籍と就学に関する件です。二つ目は、来国光の取り扱いについて。そして三つ目が、玉藻さんと白蛇さんの「身分」に関する件です」
千剣破の胸がドキンとした。その三点は確かに千剣破自身が今後の問題として頭を痛めていた問題なのである。山木から、その三点で政府への支援をお願いしていたとは聞いていた。しかし、お役所仕事である。それがどの程度の効果があるのか懐疑的だった。せいぜい、邪魔をしないでもらえればいいか、程度の認識しかなかったのである。それが…… 千剣破はごくりと生唾を呑み込みつつ、つとめて冷静に返答した。
「……三点、ですね。どうぞ」
「まず一つ目ですが、剣奈さんの性別訂正の申立てについて、家庭裁判所の決定が出たと承っております」
「ええ、つい先ほど、家から連絡がありました。」
「こちらでも、結果としては齟齬がないことを確認しました。今後、就学上の取り扱いにつきましては、法務省・文部科学省・自治体を通じて、「性別の変更を受けた児童・生徒への配慮」という一般論の形で通知や事務連絡がなされることになります。個別のお名前を出すことはいたしませんが、結果として剣奈さんが学校生活で不必要な不利益を被らないよう、環境整備を図る意向です」
「すいません。剣奈を特別扱いしたくないので、そちらは辞退したいと思います」
「承知しました。それでは、転校手続きが遅滞なくできるよう、具体的には二学期からの転向に間に合うようご支援させていただきたいと思います」
「二学期から?今まさに始まったばかりですが……」
「はい。ご希望なら明日からでも」
「そんなことが可能なのですか?」
「はい。すでに武蔵野市に打診済みです。本日書類を提出していただけましたらすぐにでも受理されます」
「そ、それは助かります……」
「ご希望の転校先はございますか?転校の届け出は久志本様で行っていただく必要はありますが、在学証明書や教科書給与証明書など、必要書類のやり取りについては、我々がお手伝いできるかと思います」
「はい。武蔵野市立吉祥寺井の頭小学校、「井の小」を考えております」
「承知しました。それでは本日中に宝塚市から武蔵野市への再転入と転校届を提出していただくことは出来ますか?そうしていただけましたら、最短で明日から井の小に通学できます」
「わかりました。この電話の後、すぐ提出してまいります」
「承知しました。二つ目は、邪斬・来国光の件です。刀剣については、文化財としての指定や登録美術品としての扱いにより、銃刀法上の問題を一定程度整理する余地がございます。文部科学省・文化庁と協議のうえで、「未発見の刀剣が発見された場合の扱い」という一般論のガイドラインを整理し、その枠組みの中で、来国光についても適切な登録ができるよう調整する予定です」
「つまり、うちの家にあること自体が、違法にならないように?」
「おおむね、そのようにご理解いただいて差し支えありません。もちろん、形式上は文化財行政の枠内での手続きとなりますので、所定の審査や登録は必要ですが、少なくとも「銃刀法違反として押収」という方向には進まないようにいたします」
「そうですか。とても…… 助かります……」
「三つ目が、玉藻さんと白蛇さんについて、です。こちらは、前例のない案件ですので、「戸籍」という言葉をそのまま用いるかどうかも含めて慎重に検討中です。ただ、官邸としては、少なくともお二方が「法的には無権利な存在」と扱われることは、治安上も好ましくないと認識しております」
「と、言いますと?」
「例えば、身分証の不備を理由に職務質問がエスカレートしたり、不法就労・不法滞在といった文脈で扱われたりすることは、望ましくありません。そのため、現時点の案としては、「形式上は外国出身者としての在留カード・住民登録に類する枠組みを用いる」「詳細な出自や国籍相当部分は、関係部署のみが把握し、外部には開示しない」などの慎重案もでていますが、出来るだけ戸籍付与の方向で調整できるよう尽力する方針です」
「それは…… こちらとしても助かります。ですが可能なのですか?」
「はい。法務省や自治体と連携を取りつつ、もし差し支えなければ、玉藻さんは久志本千鶴さんのご息女として、白蛇さんは千剣破さんのご息女として戸籍付与できないか検討中です」
「はい。可能であればそちらでお願いします。ですが、白さん、白蛇については、本人の意向を確認したいと思います。本件、あとからでも依頼可能ですか?」
「問題ありません」
「ありがとうございます」
「以上の三点について、現時点でお伝えできる範囲はこの程度ですが、今後、制度上の手当てが進む段階では、久志本様のご意見を伺ったり、ご協力をお願いする場面が出てくるかもしれません。」
「はい、承知しました」
「最後に、今後、当方へご連絡が必要な場合の「連絡窓口」がこちらになります。今後、官邸・内閣官房側の動きで、剣奈さんやご家族に直接関わることが生じる場合は、必ず私どもを通すことといたします。現場レベルでの、独断の接触が行われないよう、すでに関係機関には申し合わせ済みです」
「……承知しました」
「ほかに何かございますか?」
「可能であれば一点お願いがございます」
「どのようなことでしょう」
「うちの養女の玲奈が、今回の地震の案件に巻き込まれ、意識不明の昏睡になっています。できれば三鷹の桃林大学病院に入院させたいのですが」
「わかりました。もう一人の女性の件ですね。承知しました。優遇入院できるようお願いしてみましょう。結果は追ってご連絡します」
「ありがとうございます」
「それでは最後に一点だけお願いです。本件に関する情報は、報道機関や第三者に対して、一切お話にならないようお願い申し上げます。こちらも最大限秘匿に努めますが、双方で慎重さを共有しておくことが、最終的には剣奈さんの安全にもつながりますので」
「承知しました。それは私どもも大いに賛同いたします」
「心強いお言葉です。それでは、本日はご挨拶までとさせていただきます。今後とも、何かございましたら、いつでもこの番号にご連絡ください」
「わかりました。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
「失礼いたします」
ピッ
通話が切れた。千剣破は、スマホがじんわりと汗で湿っていることに気づいた。ドキドキとする鼓動を抑え、千剣破は脳内会議で情報を整理しようとした。
「はっ!転校手続き!それから剣奈を迎えに行かなきゃ!」
早すぎる事態の推移にやるべきことが矢継ぎ早に頭に思い浮かんだ。千剣破は情報整理を後回しにして、やるべきことをやることにした。まずは剣奈の住民票の転入と転校手続きをすること。そして剣奈を迎えに行くことである。
千剣破は事務所に早退届を出し、事務所を飛び出した。さっきまでの通話が夢だったのではないかとの感覚を振り切るように、千剣破は頬をパシンと叩き、足を速めた。移動しながら新幹線往復の予約を取り、千鶴にメールをした。そして印鑑と身分証明書をもって武蔵野市役所に飛び込んだ。




