22.人嫌いの王子妃となりましたが、わたし、幸せです。
【あらすじ】
シャルテ・フランツェン第五王女は〝人よりも草花と話すのがお好きな姫〟と噂される姫。変わり者らしく王宮の隅で慎ましく暮らしていたのが一変。隣国ランブルクへ嫁がされる事になった。
お相手は第二王子アイナス・ルーズベルト。こちらも「人嫌いの第二王子」として有名で、さらには結婚初夜に「君を愛する事はない」とはっきり告げられてしまうのである。
しかしシャルテはにっこり微笑んだ。
「承知しました、殿下」
シャルテはなぜアイナスが人嫌いと言われているのか、数少ない逢瀬で気づいていたのだ。
彼はある一定の距離を越えると過剰反応が出てしまうことに。
知らないフリをしながら理解ある行動をするシャルテ。都合のよい結婚生活に違和感を感じていくアイナス。
夫が妻の小さな思いやりに気づく頃、シャルテはにっこり笑って告げるのだ。
「離縁してくださいませ、殿下」と。
「この際だから改めていっておこう。君を愛することはない。だから」
「承知しましたわ、殿下」
結婚初夜のベッドの前で、新妻シャルテ・ルーズベルトと新夫アイナス・ルーズベルトはテーブルひとつ分の距離を保ちながら相対していた。
「だから君と同衾することは……え?」
「承りましたわ、殿下。ここでは寝ずに、自室で寝ろということですわね」
「あ、ああ、そうだ」
「わかりましたわ。ではおやすみなさいませ、殿下」
「お、おやすみ」
ぽかんとしているアイナスににっこりと微笑み淑女の礼をしたシャルテは、すたすたと夫婦の寝室に隣接している自室に戻る。
ドアをさっと閉めたあと、くすりと笑って耳に手を当て様子をうかがう。すると、聞こえてくるのは我が夫アイナスの本当の気持ち。
「す、すんなり部屋へ戻った。いや、いいんだけど、いいんだけどさ……おれ嫌われてる?」
「政略だからって悟ってんじゃねぇの? 丁度いいじゃねぇかお飾りの王子妃が欲しかったんだ。素直に引いてくれて助かったじゃねぇか」
合いの手を入れたのは護衛騎士のガイード。おそらく私がごねて迫った時のために、反対側の主寝室で控えていたのだろう。でもそんな事にはならなくて拍子抜けした感じだ。
「それはそうだけど……はぁ、あんなに可愛く笑われて引かれるってけっこうキツい」
「はは、仕方ねぇよ、体の過剰反応は健在なんだろ」
「ああ」
かさりと布ずれの音がする。おそらく、彼の腕には寒気を及ぼしたときにできる鳥肌のようなものがはしっているだろう。
「彼女が冷静でいてくれて助かったよ、あれ以上近づかれると血の気が下がる」
「結婚式の時、卒倒しそうだったもんなぁ。よく耐えた」
「彼女に恥をかかせたくなかったからな」
「へぇ」
「なんだよ」
「いやいや、ふぅん、了解。とにかく同衾の刑に処されなくて上々。あとはこちらでフォローしておくからさ」
「ああ、頼む。せめて気持ちよく過ごしてもらえるよう配慮してくれ」
「承知した」
ああ、やはり殿下はあたたかい人だ、とシャルテは胸の前で手を合わせて頷くと、安心してベッドに潜り込んだ。
*
「シャルテさま、シャルテさまはこちらにいらっしゃいますかぁー!」
フランツェル王宮の庭園にある薬草園で土をもっていたシャルテは、常ではない呼びかけに顔をあげる。
「ロッテ! ここよ」
「ああ、姫さま!」
幅のある葉に囲まれた区画にいたので姿が見えなかったのだろう。シャルテは葉を避けながら侍女のロッテに手を上げた。
「陛下よりご伝言です。今日の午後、歓談の間にくるようにと」
「そう。あまり良いお話ではなさそうね」
「姫さま」
とがめるようなロッテの視線にシャルテは肩をすくめて、土をいじっていた場所へと歩き出した。
「姫さま、片付けならば私の方でやります」
「いいのよ、たぶん、しばらくここに来れなくなるから」
「姫さま……」
整えた盛り土の上に丁寧に穴をあけ種を入れ、優しく土をかけ終えると立ち上がる。
「ロッテ、この子達の世話を頼めるかしら。水やりは一日一回で、土が湿るくらいたっぷり水をあげてほしいの。朝にあげると喜ぶと思うわ」
「もちろんです、承りました」
「ありがとう」
自室に戻ってツバの広い帽子を取ると、ふわりと淡い金色の髪がたなびいた。陶器の水盤に手を入れて丁寧に手を洗っていると背後に櫛を持って待ち構えているロッテがいる。シャルテは苦笑した。
「私的なお話だから平服でいいわよ、ロッテ」
「そうはいきません、姫さま! 御前で失礼があってはなりませんから」
「そんな気を使わなければならない人でもないのだけど」
「姫さまっ」
「はいはい、ロッテの好きなように」
大きな姿見の前に立たされてドレスを当てられる。瞳の色と近いライムグリーンのシンプルなドレスを勧められて頷くと髪をくしげかれ、サイドを編み込まれた。
簡単な昼食を済ませたあと、午後一番の謁見の時間に間に合うよう歓談の間に入る。
「おそかったな、シャルテ」
シャルテを待ち受けていたのはフランツェル国国王グルダ・フランツェル。一人がけのソファに脚を組んで鷹揚に座っている。
シャルテは入り口でこそ淑女の礼をしたが、その後は勧められる前にすたすたと父の横にある二人がけのソファに座った。
「お父さまが早すぎるのです。女性の装いには時間がかかるものでしょう?」
「また土いじりをしていたんだろう。それも今日で終わりだぞ。お前の婚姻が決まった」
「……婚約ではなくて?」
「婚姻だ」
予想とは一歩も二歩も先の展開にシャルテは眉をひそめた。
婚約が決まったのなら薬草園の収穫期に間に合い、日干しまで指示ができると思っていたのに。
「結婚を急ぐ理由を教えてください」
「小麦だ」
「はい?」
「向こうの小麦が不作なのでお前と共に送る事になった」
「なぜ、小麦が不作に」
今年のフランツェル国はむしろ豊作だった。天候に恵まれ、近隣の国々も同様に収穫が出来た筈だ。
「ランブルクは種まきの時期に防衛の戦いに出ていた。結果として隣接していた我が国の防衛も彼の国が担ってくれたのだ。褒賞と友好のためにお前が嫁ぐことになった」
「わたしが友好とは……荷が重いのでは?」
「大事ない。相手はランブルク国第二王子のアイナス王子は人嫌いと噂の御仁だ。社交が苦手なお前にはうってつけではないか」
「人嫌い……」
あごにかけて伸びている髭をさわりながら父は大きく頷く。
「おそらく白い婚姻となるだろう。一年ぐらい向こうにいて、頃合いをみて離縁してくればいい」
「そんな幼子のお見合いみたいにいわないでください」
「土いじりはがまんしろよ? なぁに、一年だ一年」
「お父さま」
じとりと半眼でねめつける娘に父は肩をすくめていたが、厚みのある手を膝の前で組んだ。シャルテはため息をついて目を伏せる。
「土地が変われば見たことのない草花もあるだろう。見聞を広めてこい、シャルテ」
「承りました、陛下」
立ち上がり、深く淑女の礼をすると、入ってきたのと同じようにすたすたと歓談の間を出ていった。
歳十八になるフランツェル国、第五王女シャルテ・フランツェルはあまり社交の場に出ない深窓の姫君として国内で周知されていた。王宮主催の舞踏会でも姿は見せず、年に数回ある公式行事にのみ現れ誰の手を取るでもなく微笑みをたたえてすぐに退席していく姫君であった。
しかし社交界というものはまことしやかに噂が飛んでいくもので〝草花好きが高じて土いじりをするようになった姫〟など浮世離れした姫だと広まっていったのだった。
「姫さまの人となりも見ずに土いじりの姫などと、ロッテは何度ハンカチをかみしめたかっ! でもようございました、姫さま。ランブルク国の王子さまであれば相手にとって不足なし! ですわ!」
「土いじりが好きなのは本当ですもの。噂も的を得ているわ。でも我が夫となる方は人がお嫌いなんですって。私とお話してくれるかしら」
「もちろんでございます! ご夫婦になるのですからっ」
上品なドレスをとき、お風呂に入ってナイトドレスに着替えたシャルテはこっそりため息をついた。
歓談の間から部屋へ戻ってくる間に侍女のロッテだけでなく、廊下であう護衛騎士たちからも言祝ぎをもらったのだ。王宮での周知の早さに父の強い意志を感じる。
「ロッテ、あちらに向かうのは半月後だそうよ。いろいろな道具が間に合わないから足りないものは後ほど送ってくれる?」
「は、半月?! そんなにも早いのですか?! ドレスが間に合いませんっ!」
ロッテが悲鳴を上げるのも無理はない。普通であれば婚約式を結び、その半年から一年後に婚姻式を行うものだ。
「ドレスはおそらく向こうでも用意してくれていると思うわ。花嫁衣装は……お母さまのを手直しするしかないわね」
「そ、そんなっ、い、いえ、リィンテさまのお衣装もそれは素敵なものですが」
「ふふっ、お母さまならきっと喜んでくださると思うわ。明日、嫁ぐことになったと報告しに行きましょう? お母さまの好きなダリアをもって」
「承知しました」
第二側妃であったシャルテの母、リィンテはシャルテが十歳を過ぎた頃流行り病にかかり、すでに儚くなっていた。
小さい頃は政争に巻き込まれるのをきらった母と共に離宮で慎ましく暮らしていが、母が亡くなってからは幼いからという理由で離宮から王宮へと戻された。そんなときにシャルテを慰めてくれたのが草花であり、王宮にある薬草園や温室だった。
「ランブルクの土はどんな土なのかしら。小麦が不作になってしまうなら、ジャガイモを作るといいのだけど。王子さまはご存知かしら」
「姫さまっ、土よりも殿下がどんな人となりかとか、せめて姿絵でも見せてもらうのが先ですっ!」
「あら、ごめんなさい。手元にあるの?」
「こちらです!」
「よこ顔?」
シャルテにもたされたのは、騎士服の上にローブをまとい、剣を掲げている細身の騎士の姿絵だった。
「正面からの絵を描かせてもらえなかったようですよ。遠征中に絵師が同行して描いたものを整えたという噂です」
「まあ。お人嫌いは本当なのね」
(でもこの髪の色は綺麗だわ、草花にない素敵な銀色)
瞳の色は濃い青に見えるが、いかんせん横顔なのではっきりとはわからない。
「濃い青はすみれ、ネモフィラ、ムスカリぐらいかしら。こちらから持っていけそうな種を選ばなくては。花壇を使わせてもらえるかは交渉次第ね」
「姫さま、種よりもお衣装などの選定を」
「ええ、ロッテ。もちろん貴女に任せるわ。できれば一人で着たり脱いだりできる簡単なもので」
「姫さまっ」
こくりと頷いてシャルテは寒さに強い草花の種や苗を思い浮かべはじめた。こうなるとシャルテになにをいっても耳から耳へと通りすぎていってしまう。
その事をよく知っているロッテは額に手を当てながらなんとか主人をベッドに寝かすと「明日必ず選定しますからねっ」と告げて部屋を下がっていった。