23.人形王の婚姻
【あらすじ】 なし
灯りが、消えた。
月の弱い光に、ほんのりと照らし出された部屋で、男は軽々と私――リスリル王国が女王、リリアナを抱き上げ、性急に、しかし優しく寝台へと押し倒す。
想定内のことではあったが、それでも私の心臓は跳ね、瞳も僅かに揺れた。
男はそんな私を見てほんの少し口角を上げ、耳元でそっと“続き”を囁く。
「――だから既成事実を作って、俺たちが確実に結婚できるようにしておこうと思う。異論はあるか?」
「……あっても止める気はないのでしょうに」
有無を言わせぬ口調でそう問われた私は、はっきり是とは答えなかった。
こちらが断れる状況でないと知りながらも、あくまで判断は私に任せるという意地の悪い言葉への意趣返しでもある。
しかしこの男は。
「そうだな」
そう、あっさりと肯定し、私を腕の中に閉じこめた。
鼓動が、うるさいほどに高鳴る。
借りてきた猫のように固まる私をいいことに、男は右手を頤にかけ、優しく持ち上げた。
その手が頬に移動すると同時に、熱を帯びた唇が私のそれに重ねられ、すぐに離れる。
――熱い。
甘いとは、感じなかった。
ただその代わり、初めて味わう他人の唇は燃えるように熱かった。
その熱につられ、自身の躰にも炎が灯るような心地に、酔う。
感じたことのない自身の変化に、ほんの少し恐怖を抱きはしたが、拒むつもりは毛頭ない。
この行為は、私にとっても好都合だから。
私は頬を撫でる男の手に頬ずりをして、キスを強請る。
そして、熱い夜の帳は降りた。
***
「――それではこれより、ナサーラ王国からの親書に関しての会議を始める」
髭を蓄えた壮年の宰相の合図に、重臣たちが口を開く。
「貿易を再開したい、とな。しかし彼の王はまだまだ若い上、武を以て己に逆らう者を押さえつけて王位を継いだ男だ。よって、これから暴動が起こる可能性も高く、とても安定した国とは言えん。そんな国と貿易を再開する益は、我が国にはないように思う」
「我が国はナサーラ王の兄君を、非公式とはいえ支持していましたねえ。それを突かれ、我が国にとって不利な条件での貿易になる可能性がある以上、彼の国と関わるのは得策ではないかと」
「お待ちください」
皆が難色を示す中、凛とした声が室内に響いた。
その声の持ち主――私は、部屋中の視線を一身に浴びながらも言葉の続きを紡ぐ。
「確かに貿易を再開するか否かの主導権は、大きな港があり、多くの国との貿易が可能な我が国にあるでしょう。ナサーラ王国は内陸であり、山に囲まれていることから、近隣国でなければ貿易を行うのは難しい。必然的に我が国を含む幾つかの国へ下手に出ることが多い……ですが」
重臣たち一人一人と目を合わせて、ふっと短く息を吐いた。
「我が国の軍事力は、彼の国よりもずっと劣っているのが現状。それに加え、ナサーラ王は切れ者と聞きます。武力で逆らう者を押さえつけるという荒技だって、それ相応の数の味方を持っているということに他なりません。関係が悪化して困るのは我が国の方でしょう。ならば貿易を再会する条件として、軍の指導者たる人物を幾人か派遣させることで我が国の軍事力を向上させることが最良では」
「お言葉ですが」
宰相が小馬鹿にしたような表情で、口を開く。
「ナサーラ王国に頼らずとも、我が国の軍事力を上げることは十分可能かと存じます。また、我が国は貿易国家として多くの国と繋がっております。ゆえに、仮に彼の国と戦が起きたとしても、我が国に協力する国は数多あるでしょう。ですから、そんな懸念はするだけ無駄というもの。貴女は玉座に堂々と座っていれば良い」
クスクスという笑い声が部屋に響き、重臣たちはその通りだと言わんばかりに、皆首を縦に振る。
それにちっとも動じないよう心を配りながらも、私はちいさくため息を吐いた。
……いつも、こうだ。
私はあくまでお飾りの女王であり、この国を支配しているのはこの宰相に他ならない。
彼は私の父が王であった頃から長年かけて、政治への影響力を強めていった人間だ。
これだけ聞けば、彼は優秀なようだし、逆に上手く国を治めることができるのでは、と考えることもできるかもしれない。
しかし宰相の動機は、国を手中に収めることによって自身の欲を満たす、という単純かつ不純なものだった。
それは彼の不遜な態度や、自分に都合が悪い者を徹底的に排除しようとする姿勢から窺える。
健康に問題もなく、働き盛りの年であった父王を、ありもしない病気を理由に退位させ、私を王位に就けたことだって、若くて女である私の方が傀儡として動かしやすいという目論見があってこそ。
多くの人々からは、病弱な元王を気遣い、積極的に民への慈善活動を行っている王女ならば、父を超えるよき王となれると確信した宰相が、彼女の導き手となるべく進めた行為だと信じられているけれど。
しかしその実態は、会議での私の発言はないものとするか、適当な理由を付けてあしらい、マナーやダンス、夜会や会談などでの立ち回りの授業を多過ぎるほどに詰め込むくせをして、肝心の帝王学をできるだけ彼女から遠ざけるような、悪徳宰相の模範のような人だ。
そんな宰相を、私は心から敵対視し、傀儡として扱われることに強い不満を抱いている。
帝王学の授業がないことに抗議し、それを適当にかわされてからは、空き時間に書庫へこもり、独学で学ぶようになった。
王宮の物は私の物なので、私がいくら書庫へ入り浸ろうと、宰相はそれを止めることはできないからだ。
他の授業時間を増やされたりといった妨害は受けたが。
慈善活動も行ったし、貴族たちとの人脈作りにも力を入れた。
これに関しては、私の印象が良い方が宰相も動きやすいために、むしろ推奨されていたが。
しかし、長年にわたって張り巡らされた宰相の力は強く、政務において私の味方になる者はいなかった。
――当たり前と言えば、当たり前だ。
まともな者ほど、前王の時代から国を支えていた宰相が、若く経験も浅い女王よりも大きな力を持つことに異を唱えようとはしなかったし、数少ない事情を知る者は、宰相に付いていれば甘い蜜を吸えるのだから、彼に逆らうはずもない。
そして、重臣の多くが、この事情を知る者で構成されているため、私が政において軽んじられているということは、国民のほとんどが知らない。
悔しいけれど、どうしようもない。
そんな自身の境遇を呪っている間にも、会議は私を置き去りにして進んでいた。
結局、心配はしなくとも平気だが、関係の悪化は避けるべきだという宰相の主張により、一度ナサーラ王をリスリル王国へ招待し、懐柔して貿易についてはうやむやにしてしまおうという旨に落ち着いたらしい。
(ナサーラ王を侮りすぎです。それで懐柔されてくれるような生半可な人であれば、王位争いに勝利できるはずもないでしょうに)
だが、これを発言したとしても、また軽くあしらわれるとしか思えなかったため、私は黙っていた。
(そもそも、リスリル王国の貿易相手は同じように海に面している貿易国がほとんどなのだから、軍の精度も我が国と大して変わらないのです。そんな烏合の衆でナサーラ王国を圧倒できるとも到底思えません。なんなら、我が国と貿易ができなくなってとしてもそこまで痛手にならない国も多いのだから、味方についてくれる可能性はむしろ低いでしょうに……)
会議が終わり、執務室へ移動する最中にも、私は先ほどの会議について悶々と考えを巡らせていた。
しかし、どれだけ真剣に考えようとも、自身が実権を持つことができなければ、なんの意味もないのだ。
その元凶たる、宰相の憎たらしい表情と言葉が脳裏に浮かび、慌ててそれを打ち消そうとした……が。
(ナサーラ王国に頼らずとも、我が国の軍事力を上げることは十分可能です、ねえ……――頼る?ナサーラ王に、私が、)
私はハッと目を見開き、執務室へと駆け出した。




