第四話
今回は緩衝地帯から。
テオの案内で進み始めてから凡そ一時間。テオは未だに隣で匍匐前進しているアレックスに対してずっと思っていた疑問をぶつけることにした。
「そういえばお前さ……なんで未だに匍匐前進してるんだ?」
その言葉を聞いたアレックスは至極当然のように返してくる。
「…両足が動かないからだが?というか何なのだアレは?」
「アレ?」
「神殿…?だったか。あの中で打ち上げられた魚の様になっていた連中のことだ」
その言葉にああ……と合点がいった様子になったテオ。
「あれは初心者が必ず通る道なんだよ。没入型VR装置は開発から三年経ってるけど、こういう完全没入型のVRMMOは初めてだからな。脳からの命令と、OMNIS内の肉体が噛み合ってないのさ」
自分の肉体を指しながら話すテオ。
「プレイヤーが最初にログインした時、あの『太陽の神殿』に送られる。大抵のプレイヤーはそこから早く移動しようとすんだけど、当然OMNIS内の身体はインターフェイスから直で脳を繋いでるから……」
「……現実と比較して、脳から身体への情報伝達速度が高い」
「そう、言うなら今の俺たちは脳だけで動いてるようなものだからな。で、その違いが現実とのズレを出す」
そうやって説明しながら苦笑するテオ。
「まあそのズレが原因で脳からの命令が身体に上手く届かなくなっちまってるって感じだなぁ。普通は時間かけて練習するんだが……」
「ほう、練習か」
「平均して三~四時間ってところかね。因みに俺は三時間ちょいだったけど、まあ結構個人差はあるのよな」
そう言いながらテオは未だに匍匐前進を続けているアレックスの方を見るが、アレックスはそんな視線に全く気付かず、黙々と腕を動かしている。
「現に俺がアエラで弟子みたいな関係になってる奴なんて一時間かからずに立ち上がって歩けるようになってたからな」
「では俺の両足も個人差の範囲内だと?」
「そういうことさ。多分お前の場合、そうやって這い回れる位なら少し練習すれば歩けるようになるさ」
練習か…と感じるアレックスだが、ふと頭の中に浮かんだ疑問をテオに吐いた。
「しかし…右足は動くかもしれんが、左足は分からんぞ?」
元々アレックスの左足は義足である。それも一〇年もの間義足であり続けたからか、生身の左足の感覚など全く覚えていない。
「ああ、それは大丈夫さ。OMNIS内部の話になるが、長い間寝たきりだった奴がログインして歩けるようになった例もあるらしい。そりゃあ時間はかかるだろうが、動かないってことはまず在り得ないさ」
無くしたはずの左足をもう一度動かせる。そう思うと、アレックスはとても嬉しくなった。
「練習はどうすればいいのだ?」
「簡単さ。今両腕を動かしている感覚で、両足に意識を向ければいい。強く強く、動け動けってな」
「ふむ…やってみるか」
「少なくとも今の状態よりかは早く移動できるようになると思うぜ?」
テオの言葉を聞いたアレックスは、その場にピタッと止まり、小声で呟いた。
「……早く移動できる。つまりその分早く人形へと辿り着ける。そう人形だ。人形人形人形人形人形……」
「お、おう…相変わらず人形のことしか考えてねぇなコイツ……」
ブツブツと人形人形呟きながら立ち上がる練習を始めたアレックスのその執念に、若干の恐怖を感じたテオであった。
◇◇◇◇
そんなこともあり、体感にして三〇分ほどの練習の末、ついに歩けるようになったアレックスだが……
「……なんだか動きがぎこちないな」
「まあ初めの内はそんなもんだって。こっちは逆に三〇分で歩けるようになったことに驚いてるよ」
「そんなものか?……しかし、意外と広いのだな。緩衝地帯とやらは」
ぎこちないながらも立って歩くことに成功したアレックスは視点が今までよりも高くなったことに気づいていた。
見渡す限り膝辺りまでの高さの草に覆われている草原。星々に柔らかく照らされるその草原は、這っていた時には分からなかった緩衝地帯の雄大さをアレックスに感じさせていた。
「そりゃあ面積的にはかなり広いさ。初心者はここを抜けるのに先導無しじゃ何時間もかかる位だ。そういう初心者をサポートしようって連中が専用のお助けギルドを作るって話もある」
周囲を眺めると確かに広い。これを先導無しで歩くのは苦労しそうだと思うアレックスだが、その草原の先に奇妙な細長い物体が生えているのを発見する。
「おいテオ。あの珍妙な物体は何だ?」
「んー?……ああ、アレか。あれは『アーティファクト』さ」
アーティファクト?と首を傾げるアレックスに、テオが説明する。
「アーティファクトっていうのはな?この緩衝地帯で偶発的に出現するアイテムの総称なんだよ」
「アイテム?なら何かに使えるのではないのか?」
「いーや。それが殆どのアーティファクトはゴミ同然の代物なんだよ。そもそもこの世界のアイテムには効果ってのが付いててな?それで様々な恩恵を受けられるんだが……」
「…殆どのアーティファクトにはその効果が無い。或いは付与されている効果が無価値か?」
「極僅か、それこそ一万分の一の確率とかで凄まじい効果のアーティファクトが見つかる。なんていう例もあるんだがな」
アーティファクト。また現れた未知の存在に興味深げにしながら歩いているアレックス。
「現に『イーオン』に所属しているプレイヤーの一人が飛行効果を持ったアーティファクトを拾ったっていう実績もある。そう考えると宝の山かもな」
「『イーオン』……説明の時に言っていた二つの世界の片割れか。確か技術力に富んだ世界だと言っていたな」
「おうよ。まあそんなこともあってか、両世界でトレジャーハンター紛いのことをやる連中が―――
―――噂をすれば、だ」
テオがそう言うと、先程アーティファクトが刺さっていた場所に一人の人間らしき姿を見つけた。
暗闇の中薄く星の光を浴びているその人間は持っている棒状の物体……形を見るにツルハシらしき物を一心不乱に地面に振り下ろしている。
あれは何かとアレックスが尋ねる前に、テオが小声で話しかけてきた。
「……あれは『ディガ―』。ああやって地面を掘ってアーティファクトを探すことを生業にしてる連中さ」
「…アーティファクトで一攫千金でも目指している連中なのか?」
「そんなもんさ。当たれば望外な額と引き換えにできるからな。……でもまあ、そんな確率なんて一割にも満たないから……大抵あんな感じになる」
「あんな感じ?……ああ、あんな感じか」
二人の視線の先には先程まで熱心に掘り進めていたプレイヤーが、手に入れたアーティファクトを抱えながら地面に突っ伏している姿だった。
どうやら案の定ゴミみたいな効果のアーティファクトだったようで、かなり落ち込んでいる様が姿を見ているだけのこちらにも伝わってくるほどだ。
「哀れな……」
「ああいうのが日常茶飯事なんだよ。その証拠に、ほれ」
テオが言うと同時か少し遅く、落ち込んでいたプレイヤーは立ち上がり、ゴミ同然のアーティファクトを何処かにしまい込んでとぼとぼと歩き去っていった。
「今の動作は“収納”ってやつだ。OMNIS内ではああやって手に入れたアイテムを仮想空間に収納できるんだよ。まあ限度はあるが」
「こうして改めて見ると、ゲームらしい部分もあるのだな」
「実際便利な機能だからな。両手剣なんかの重い武器なんかも入れておけるし」
「大量にドールの素材やパーツを持ち歩けるのは有難い。良い機能だ」
そうして歩いていた二人だが、草原の先が丁度上り坂の頂点になっている部分で、テオがアレックスに話しかけた。
「あの上り坂の先がアエラだ」
「…神殿から大体二時間か。結構早いのではないか?」
「まあな。―――おっと、見えてきたか」
二人が上り坂を上り終えると、そこには巨大な城壁らしき物が左右に大きく広がっていた。
城壁の内側には立派な石造りの城塞都市が存在し、中央には大きな建築物。民家も多く立ち並び、その家々を鮮やかに彩る赤やオレンジの屋根が見える。
その光景に思わず息をのむアレックスと自慢げに眺めるテオ。
「どうだ?凄いだろう」
「……これは凄いな。見たところネルトリンゲンに近いが…」
「俺もそう思ったよ。まあ中身は別物なんだけどな。取り敢えずあの門…東門から入るぞ。今日は遅いから、横の通用門からな」
テオが指さす先、二人から正面に見える場所にこれまた巨大な門が見えた一〇〇〇人、いや一〇〇〇〇人単位で出入りできるとも思えるその門。
大きな東門の右側にある小さな門を見たアレックスは、あれが通用門だと理解したのか、今の自分が出来得る限りの早歩きで歩き出した。
「そうか、では先に行くぞテオ」
テオにそう言い残して颯爽と歩き出すアレックス。一瞬呆然としたテオだが、早歩きで歩き去るアレックスの姿に声を上げる。
「……え?
―――ちょっと待てお前。今の不安定な状態で下り坂を早歩きなんかしたら……ああ、言わんこっちゃない」
テオがそう言った瞬間。急な下り坂を歩き出していたアレックスはバランスを崩して転倒。
そのままゴロゴロと結構な速度で転がり続け、先に生えていた比較的大きなアーティファクトに背中を叩きつけた。
「ゴフッ!」
その姿を見たテオはズルズルとゆっくり下り坂をすべるように降りていく。
「だから言わんこっちゃない。ちょっと待ってろ、今そっちに―――」
「―――いらん。それに、今は時間が惜しい。すぐにあの人形の元へと行かねばならんのだッ!」
「……いや、安全に行けよ」
テオの至極真っ当なツッコミを無視して、アレックスは再び立ち上がろうとする。
しかし不慣れな歩行ではかえって遅くなると感じたのかどうか分からないが、何故か元の体制、匍匐前進の体制になろうとしていた。
「またそれかよ……」
呆れるようなその言葉、だがその言葉をアレックスは訂正する。
「……違うさ。先程までの私は本当の匍匐前進をしていなかった」
「本当の、匍匐前進……?」
「ああ、今まで私がしていたのは両腕で身体を引きずるだけのこと……。
―――しかし、真の匍匐前進は更に足を使う!」
アレックスは今までの匍匐前進から一変。足を用いて地面を蹴り、凄まじい速度で通用門まで進み始めた。
その姿はまさしく韋駄天。だが恐ろしいことに、進むたび速度が際限なく上がっていく……。
……見る者が目を疑う光景。そんな中で、テオは無意識に呟いていた。
「す、凄ぇ…でも―――
―――めっちゃゴキブリっぽい……!」
手足を高速で動かすその動きに、連想したとある生物の名を呼んでしまう。
そんなことを呟いている間に、アレックスは東門まで辿り着いていた。ハッとなって急いで後を追うテオ。
「おい!だから待てって、そもそもその通用門は……」
だがテオの忠告も空しく、アレックスはゴキブリスタイルのまま通用門に突撃した。
通用門には関所があり、当然そこにいるNPCから通行する許可を貰わなくてはならないのだが……そうとは知らないアレックスは関所をスルーして進もうとする。
「ふぁ~。大分眠くなってきt―――
―――な、なんだアンタは!?」
眠そうに待機していたNPCが、今まで体験したことが無い衝撃に襲われ、思わず叫び声を上げる。
まあ、ゴキブリのような動きで高速で突っ込んでくる人影を見れば当然であるが……。
しかし先程の叫び声でNPCの存在に気づいたアレックスは、日本語が分からないこともあり、どうでも良さそうに吐き散らす。
「ん?何だお前は。いいから早く通せ!数多のドールたちが私を待っているのだ!」
「何を訳の分からないことを!いいですか?此処は首都『テラ』への関所です。したがって、きちんと通行許可証を持っていなければ入ることは出来ません!」
根が真面目なのだろう。言葉の通じない変態に対しジェスチャーを駆使して対抗するNPC。
そのジェスチャーが通じたのか、NPCが手に持つ許可証の存在に気づいたのか知らないが、アレックスはNPCの肩を揺さぶりながら叫び続ける。
「ア゛ア゛?だったら早くその許可証とやらを発行しろこの塵芥がァ!Bald!(早く!) Bald!」
「なにこの理不尽」
NPCを罵倒しながら許可証の発行を急がせるアレックス。
その姿はまさに理不尽、唯我独尊の極みであると急いで来たテオに、否応なしに感じさせていた……。
ついでに補足。匍匐前進についてですが、アレックスが今までしていたのは腕のみで行う「第五ほふく」。
ゴキブリみたいになっていたのは足も使う「第四ほふく」です。まあ、イメージするならですが(笑)
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