第十三話
二週間以上遅れてしまい、誠に申し訳ございません。
では、短いですが本編です。
魔導血晶薬。
この世界のどの赤よりも赤らしいと言えるだろうその霊薬は、
瓶の中でもその輝きを留めることなく、見る者を魅了する魔性の妖気を孕んでいるようにも思えた。
「……だが師よ。この魔導血晶薬は一体どのような用途があるのだ?」
テーブルに置かれたガラス瓶を興味深げに眺めながら尋ねるアレックス。
魔導血晶薬。随分とまあ物騒な名前だ。だがそれ故にこの薬に込められた力の強さを感じさせている。
鑑賞用の綺麗なだけのただの色水であるのならそのような大層な名前をしていないだろう。
現に、新弟子に尋ねられたジョージは自慢する様に口を大きく歪めていた。
さぞ目の前の薬の出来に自信があるのだろう。
その顔はまるで自信満々に宝物を見せてくる幼い少年を思い浮かべさせる顔であった。
「…知りたいか?」
「いや、今にもこの薬のことを話したそうにしている師匠がウザかっただけだ」
「この野郎……!」
生意気な弟子の言動に怒りの表情を浮かべながら、握られた拳を軽く掲げるジョージ。
先程までのやり取りで薄々感づいていたジョージだったが、
この自己中心的で思いついたことをすぐ口に出す性格はどうにかならんのかと軽く嘆息した。
「…魔導血晶薬は元々存在すらまともに知られていない代物だった」
「ほう」
「元々極僅かの文献に載っているような、所謂おとぎ話に出てくるレベルの霊薬だった。
……儂らメディスの間でも存在しないと思われておったほどじゃ。殆ど眉唾もの扱いだったのう」
「そのおとぎ話の霊薬が発見された原因は何だ?」
「……それが見つかったのはほんの二週間前だった。
お前さん達プレイヤーがとある遺跡を調査した際に偶然発見されたのだ。
…あの時は驚いたわい。あまり見かけない薬だった所為か高く売れると思ったのであろうプレイヤーが
儂の出店まで売り込んで来たんじゃよ。思わず腰が抜けてしまうほどだったわい」
「さりげない師の失敗談はどうでもいいが……遺跡?」
「…ザックリ来るのう。ああ、南門から出てしばらく歩いた先にある遺跡群じゃよ。
確か名前は…そうそう。『イェルサレン大遺跡群』だったか?」
「また酷く大層な名前だな」
(イェルサレン…まさか、な)
遺跡の名になにか気がかりなことでもあったのか顎に手をあてて考え込むアレックス。
その様子を気にすることもなく、ジョージは説明を続ける。
「元々は古代の錬金術師達が住む、一種の研究施設だったらしいぞ。
今では倒壊と風化を繰り返して見る影も無いがの。それでも地下の施設は比較的状態もいい」
ジョージはテーブルに置かれた魔導血晶薬を手に取り、手慰みに転がしながら眺める。
「魔導血晶薬は遺跡の地下。正確には地下二階の土人形から採取されたものじゃ」
「…錬金術師の土人形からか」
「うむ。持ち込んできたプレイヤーは何故出てきたか分からんと言っていたが…」
「潤滑油、グリスのようなものか?」
「というよりかは……そうじゃのう。もっと別の物じゃ」
「別…?」
「儂らにも流れておるじゃろう?」
肉体を流れる液体。そう言われて主に思いつく物は一つだった。
「……血。土人形の血液だというのか?この薬が?」
「恐らくは、じゃがな」
「そうか……だがまあ、そうなれば魔導血晶薬の名はそのままの意味だった。ということになるな」
「血の結晶と書いて血晶。餓鬼でも分かるようなことだ」
そんな分かりきったことを今更?と言うかのように首を傾げるアレックス。
「…問題はこの薬の効果にあってのう」
「効果…?」
「簡潔に言えば、全ステータスの一時的上昇。
それだけならまだしも、肝心の上昇率が狂気染みたレベルなんじゃよ……」
「…どれほどだ?」
柄にもなく緊張しているのか、無意識に顔を強張らせるアレックス。
そんな生意気な若者の表情が面白いのか、口端を上げた老人は皮肉げに返した。
「―――割合にして二〇割弱の上昇。大体、元のステータスの三倍といった所かの?」
「……ッ!?」
老人の発言に驚きを隠せない様子のアレックス。
だがそれも当然の話だ。何処のゲームにそんな馬鹿げた性能の薬を設定する馬鹿がいる?
これが課金アイテムや終盤で手に入るレアアイテムなら一応の納得もできるだろう。
限定かつ希少な消費アイテムであるならば、この効果も当然と言っても良いかもしれない。
だが師の言っていたことが正しいなら、現時点でこのアイテムの数はまだ少ないだろうが、
大遺跡と呼ばれる存在の地下二階という比較的浅いエリアで見つかったこの霊薬は、
これから先の探索でも見つかり続けるだろう。それこそ多くは無いだろうが、数十人が使用しても問題ないほどには。
「ゲームバランスを崩しかねんぞ、その霊薬は……!
いや、崩さないにしてもその価値は莫大なものになるはずだ。
市場に出回れば、等量どころか倍量の金を出しても買い求める者で溢れる程に、だ」
戦慄の表情を浮かべるアレックス。
この霊薬は間違いなくプレイヤー達の間で噂になり、そして求める者は山の様に現れるだろう。
―――だが、真剣に問いただすアレックスとは対照的にジョージは何処か冷めた様な表情を浮かべている。
彼は、まるで完璧に建てられた屋敷がハリポテの模型だったような、
期待外れな物を見る様な目で瓶の中の霊薬を見ていた。
「…まあ当然それだけのモノじゃから、副作用も凄まじいものでのう……」
「へ?」
「なんじゃ。副作用無しの万能薬とでも思っておったのか?
先程言ったばかりじゃろうが、ただの回復薬も濃度を間違えれば副作用が出ると」
…そういえばそうだった。
師の言葉に冷静さを取り戻したアレックスは、あまりの衝撃に、つい熱くなってしまったことを恥じる。
安価で作成できる回復薬にも副作用があるのだ。その価値をはるかに超える霊薬に副作用が無いわけがなかった。
「……申し訳ない。で、その副作用とは?」
「この魔導血晶薬は圧縮された魔力の塊みたいな物でな。
体内に取り込むと、先程言ったように膨大な魔力の影響で使用者の全ステータスを飛躍的に上昇させる。
―――そして副作用として肉体に凄まじい疲労を与え、おまけに体力をごっそり持っていかれる。
薬の効力が切れたら立っていられなくなるほどにな。そして更に運の悪い者は……」
ごくり。アレックスの息を呑む音が聞こえる中、ジョージは静かに呟いた。
「―――そのまま死に至る。確率はまあ……全体の一割といったところだがの」
「一〇%か、結構な確率じゃないか」
「元々の魔力の絶対量が少ない者が死にやすいとは聞いたことがあるのう。
因みに回復薬とは異なり、この霊薬は適性な濃度というものが存在しない。
正確には適性値になる前に薄くなりすぎて薬自体の効力を失ってしまうんじゃ」
「それはまた厄介な……」
「今のお前には到底扱えない霊薬じゃ。それより……ホレッ」
「ん?……むっ!」
どう飲んでも副作用が付きまとうとは、なんという劇薬。そう思いながら赤い液体を見るアレックス。
だがしかし、これほどの効力を秘めた霊薬。なにか利用法はないものか……?と考えていると、
ジョージは魔導血晶薬を元の薬棚にしまい、再びアレックスに先程見た回復薬を二本手渡した。
突然渡された手元の瓶を見る弟子に、ジョージは改めて説明を行う。
「…片方は出来損ないの回復薬。もう片方は市販できるレベルの回復薬じゃ。
その二本を見本としてくれてやる。よく観察し、明日以降の作業に備えておけ」
「ん?今から作業するのではないのか?」
「今日はもう遅い。それに、無理な作業は作業効率を著しく低下させるもんじゃ。
おとなしく観察だけに留めておけ」
「む……了解した。我が師よ」
慣れない説明に疲れたのか、首と肩をぐるぐる回して息をつくジョージ。
そのまま隣の部屋――おそらく寝室らしき部屋に移動しつつ、億劫そうに話しかける。
「儂はもう休む。お前はどうする?」
「どうする……とは?」
「寝場所が無いんじゃったら居間くらいなら貸してやらんでもないぞ。あいにく毛布も枕も付かんがな」
「…それはありがたい。お言葉に甘えよう」
「うむ。ではのう」
「ああ、Gute Nacht」
二人は互いに挨拶を交わした後、ジョージはそのまま寝室へ、そしてアレックスは居間へと向かった。
寝室と同じく一枚の扉を隔てただけなので、移動も容易だ。
居間は板張りの床に所々にシミの付いた薄いカーペットが敷いてあり、
その上に安楽椅子や木のテーブル、タンスなどが置かれている。
奥には薪ストーブも置かれているが、季節が季節なので火も灯っていない。
…居間としてはまあ及第点と言える部屋だが、
これからここで眠ることが確定しているアレックスは少し残念そうに独り言を呟く。
「割と殺風景だが…まあ文句も言ってられんか。宿代が浮くと思えば、むしろ贅沢かもしれん」
うんうんと自分を誤魔k……納得させるアレックスは、丁度目の前に置かれている安楽椅子に腰かける。
既にOMNIS内の時刻は十時を超えて十一時になりつつある。現実ではもう昼の十二時だ。
流石にこの時間では例のドールを置いている店も閉まっているだろう。
ここで一度ログアウトしておこうと、アレックスはウインドウを開いた。
「確かシステムウインドウを開いて、〈ログアウト〉を選択…だったか?」
リリィから教えてもらったことを口に出しつつ、ウインドウを操作する。
そしてログアウトの項目をタッチして開いたウインドウには、
《セーブポイント以外でログアウトしようとしています。
現在位置を記録して、次回のログインをこの位置に設定しますか?》
と表示されていた。
「ん……?」
説明を読んでいくと、どうやら宿屋を使用しない場合はこの注意が必ず表示されるらしい。
師であるジョージの家はテラ市内ではあるものの宿屋として登録はされていないらしく、
一度この場所の座標を記録しなければ、次回のログインが自動的にリスポーン地点―――
―――つまり例の神殿に移動してしまうようだ。
「流石にあの距離をいちいち移動するのは勘弁願いたいな……」
うんざりしたような顔でアレックスは現在位置を記録する為、〈Yes〉の項目を指す。
少し待った後、注意書きのウインドウは消え、正常に記録した旨を伝える文章に切り替わった。
《ログアウトを開始。またのご利用をお待ちしております》
文章の表示と共に、アレックスの意識がOMNISから離れ、眠りに落ちる様な感触と共に意識を奪っていく。
―――そしてアレックスの意識は完全にOMNISを抜け出し、現実へ帰還していくのだった……
◇◇◇◇
OMNISではない、現実の世界。
意識の浮上と共にアレックスは視界を取り戻す。
インターフェイスに遮られて暗い網膜の裏しか見えないが、疑似的ではない確かな視覚からの情報。
VR技術が発達していても、この感覚は何時になっても忘れられないな…と思うアレックスは、
ひとまず頭に被ったインターフェイス一式をむしり取り、サーバーの電源を切る。
回復した視界には、閉ざされたカーテンの奥から漏れる光が見えていた。
「ふう……」
長時間座っていた所為ですっかり固まった首をほぐすように首を回すと、疲れを示すように小さくため息をつく。
「ひとまず、眠気覚ましにシャワーを浴びておくか」
フラァ…っと覚束ない足取りで部屋の扉を開けて出ていくアレックス。
後に残った部屋では持ち主の頭から外されて、
椅子に置かれたまま放置されているインターフェイス一式だけが鈍い輝きを放っていた……。
―――こうして若干の暴走もありつつ、彼の冒険初日は終わりを告げる。
読了ありがとうございました。