敵襲する側される側
目を開くと、レオンは自室のベッドに寝かされていた。すぐそばにシルクの姿もある。
「ミラ……は?」
重たい身体を持ち上げ立とうとしたレオンを、シルクが慌てた様子で制止した。
「しばらく寝てなきゃダメだよレオンくん! 出血も酷かったし……痛みだって、まだ残ってるでしょ?」
その時のことを思い出しているのか、少し顔をしかめたシルク。寝てる間にシルクが着替えさせてくれたのか、今着ている服に血の跡はない。その服の上から触ってみても、身体には傷一つ残っていないことがわかる。折れた肋骨や肺まで治してくれたのだろう。相当の手間だったはずだ。今もレオンが目覚めるまで付き添ってくれていた。疲れていない訳がない。
無言でシルクの腕を掴んで引き寄せると身体を反転、シルクに覆い被さる姿勢になる。
「え? ちょ……え!?」
赤面して狼狽えるシルクに、さらに顔を近付ける。次第に赤面していくシルクを、上からさらに押さえつける。
「にゃ……にゃにおぅ!」
もはや混乱で訳が分からなくなっているシルクの耳元に唇を近付け――囁く。
「ごめん、シルク」
「え……? ぅぐ……」
一瞬の衝撃の後、シルクが目を閉じ動かなくなる。ベッドにちゃんと寝かせてから、部屋を出ようと扉に手をかけたとき、後ろから声がかかった。
「ずいぶんと卑怯なやり方だな」
「アイン……」
いつから居たのか、アインがシルクの寝ているベッドに腰かけてこちらを見ていた。なんだか少し不機嫌そうに見える。気のせいだろうか?
「みぞおちを打って気絶させるのは分かるが……あそこまで顔を近付ける必要、あったか?」
「いえ、無いです……」
咎めるような口調に耐えきれず正直に話す。アインはその長い髪をぞんざいに振り払うと、つかつかとレオンに歩みよりその足を踏みつけた。
「――っ!?」
声無き悲鳴とともに足を抱えるレオンを、アインが冷めた目で見下ろす。
「どうせ一人で助けに行こうとか考えてるんだろう? シルクにだって、疲れているからと大義名分振りかざして自分のエゴを押し付けただけだ。一人では守り抜けなかったくせに、どうやって一人でミラを救い出す?」
鋭い棘のように刺す言葉たち。反論は――出来ない。だから……。
蹲っていたレオンが勢いよく飛び上がる。その右手がアインの首を捉えた――そう思った刹那、レオンの身体は宙を舞い、ミラのベッドに叩き付けられていた。ベッドのバネが吸収しきれなかった衝撃がレオンを襲う。
「残念だが、私はシルクほど甘くないぞ」
逆さまに映るアインを見ながらどう抜け出すか考えていると、
「そもそも、ミラがどこに連れていかれたのか見当はついてるのか?」
「う……それは……」
痛い所を突かれたレオンは、二の句が継げずに目をそらした。呆れた顔をしたアインは、いまだ仰向けに倒れたままのレオンの上に腰かけると、懐から一枚の紙を取り出した。下から盗み見るとそれは、サイラムとこの周辺の地図らしい。サイラムから北西の方角に一ヵ所黒で×印が記されていた。
「あの……俺の上に乗る意味は?」
「無いけど。文句ある?」
「……無いです」
おとなしく地図を盗み見ようとすると、アインが地図を懐にしまった。そのとき服が少しはだけて鎖骨が見えた。色白で滑らかな肌が、今更のようにアインが女の子なのだと主張してくる。
そんなレオンの葛藤(?)を知ってか知らずか(いや絶対分かってない)、アインが言葉を投げかけてくる。
「お前に課せられた選択肢は二つ」
そう言って白く細い指を二本立てて見せる。
「一つ。この地図を奪うために私と無駄な争いを繰り広げる。二つ。私に案内役を任せて従者の如く無言で付いてくる。どっちがいい?」
選択肢は二つと言っておきながら、レオンに選べるのは実質一つ。アインに逃げ隠れされてしまったら、捕まえるのは不可能に近い。闇雲にミラを探す方がまだしも簡単そうに思える。
「……わかった。よろしく頼む」
「ん、それでいい。それじゃ、とっとと出発するしようか。なんか、嫌な予感がするしな……」
硬く冷たい岩肌を、炎が弱々しく照らす。およそ直径五十メートル、高さ三十メートルほどの、自然が作り上げた鋼鉄と結晶のドーム。その中央で向かい合うのは、一人の青年と椅子に縛り付けられた金髪の少女。入り口には、見張りか護衛か、剣を腰に差した男が二人突っ立っている。
青年は、椅子に縛り付けられた少女の顔を覗き込むと、満足げに笑んだ。
「いい加減、協力する気になりましたか?」
青年はミラに問いかける。拷問したり、催眠術をかけたりといった小細工はしない。ただ、椅子に縛り付けて身動きを完全に取れなくしているだけだ。
人間は、自分の身体を長時間動かせないだけで不安に陥る。ほんの指先、筋肉の震えすら許さない完全なる拘束は、しだいにその人間の心を侵す……。
「あなたはよく耐えている方だと思いますよ? 普通なら、一〜二時間でイライラが限度を超え、五〜六時間で不安が精神を覆い、一日も経たずに発狂しますからね」
人の良さそうな笑みを浮かべながら、愉しそうに説明する青年。その瞳を正面から見つめながら、ミラはため息を吐いた。
「……それで?」
「……はい?」
ミラの反応が意外だったのか、青年は目を丸くする。説明するのも億劫だといった声色で、短く返す。
「……だからなに? こういうのなら……前にもやった」
青年が驚いたのは一瞬、次の瞬間には元の表情に戻っていた。訳知り顔の青年をミラは完全に無視した。
「なるほどなるほど……それで? 協力する気になりませんか?」
始めと同じ質問をする青年に、ミラは取り合わない。視線すら動かさない。
「やれやれ、仕方ないですねぇ」
ミラに歩み寄った青年は、ポケットから何かを取り出しミラの膝の上に乗せた。それは、どこにでもありそうなシルバー製のリング。
「試しに、治癒魔法を……」
作って下さいと、にこやかに言う青年。
「…………」
青年を睨み付けるミラを気にすることもなく、ただミラの傍らで待っている。
仕方ないとばかりに、ミラはシルバーリングに意識を集中する。途端、ミラから黄金色の光が流れ出て、リングに吸い込まれていく。
「凄いな、これは……」
圧倒されたのか、一歩後ろに下がる青年。その光が収まると、リングを手に取りドームの中央へ移動し、入り口に居た二人を呼ぶ。訝しげな表情のまま素直に従う二人。
「何かご用ですか、ネロ様?」
黒服の男が話しかける。隣にいる白服の男はただ突っ立っているだけだ。
「いやね? ちょっと検証するために怪我人が欲しくてさ」
「はぁ……と、言われましても」
二人が顔を見合わせているのをニコニコとした表情で見つめながら、青年――ネロは愉しそうに言い放つ。
「怪我人は――ここに居るじゃないか」
ネロのとった行動は素早かった。白服の男が下げている剣を引き抜くと、躊躇うことなくその腹に柄まで押し込んだ。
「……え?」
「ゴ、ホッ……?」
スローモーションのような世界。黒服は驚愕の表情を顔面に貼り付けたまま硬直し。白服は刺し貫かれた腹を押さえることなく、呆然とした顔のまま仰向けに倒れ。ネロは血に濡れた剣を掲げながら可笑しそうに笑っていた。
「なっ、な……何をなさるんですかネロ様!」
「ん? 言っただろう、怪我人が欲しいって」
血濡れた剣をうっとりと見つめるネロは、先程ミラに魔法を込めさせたリングを黒服に渡す。動揺しながら詰め寄る黒服も、血を吐きながら呻く白服も、彼にとっては等しく同じ。ただの実験材料でしかなかった。
「早くした方がいいよ? 生きている間なら彼女の治癒魔法でなんとかなるだろうが、死んで『消滅』したらどんな魔法でも手の施しようが無くなるからね」
それだけ言うと、ネロは一人で移動してしまう。ドームの中央を挟んだミラの真向かい、その位置に用意してあった椅子に腰かける。
「魔法は願うだけで発動されるんだから……早く試してごらん?」
「ぐ……くっ!」
ネロから渡されたリングを握り締めると、白服のそばに跪き、黒服は祈るように頭を垂れる。ほどなくして、リングから光が迸った。
遠くから響く鐘の音でシルクは目を覚ます。
「レオンくん! ……っつつ」
部屋を確認してもレオンの姿は無い。おそらくもうミラを追ってどこかに行ってしまったのだろう。ベッドに寝かされていた体を起こしてみても、倦怠感以上の不調は感じられない。
レオンに打たれた箇所を見ても痣は無い。一応手加減はしてくれたのだろうけど……。
「帰ったら覚えてなさいよ……こってり絞ってやるんだから」
女の子を殴った罰。その重さを身を持って知らせてやろうと決意している最中、再び遠くから鐘の音が響いた。
「鐘の……? まさか!」
ベッドから飛び降り部屋を飛び出す。脇目も振らずに玄関から外に出る。町が騒がしい。
中央広場まで走ると、炊き出しをしてくれていた人たちが右往左往していた。
「何があったの!?」
一番近くに居た宿屋のおばさんを捕まえて問い詰める。
「いやね、なんでも南門に敵襲だっていうからラインさんに伝えに行こうかと思ってたのに、今居ないのよ」
「敵襲? やっぱり……」
例のやつらだ。上手く餌に引っ掛かったのは嬉しいけど……。
「よりによっておばあさまが居ない時に……!」
今すぐ南門に行きたい気持ちをこらえ、みんなに向けて声を張り上げる。その場には、未だ十人以上の人が集まっている。
「みんなはこの中央広場で待機! 事情を知らない人もできるだけここに集めて! 一緒に戦ってくれる人だけ私についてきて!」
それだけ言うと南門へ駆け出す。逸る気持ちを抑えきれず、ただただ前を向いて駆けた。
「なぁ、そろそろ目的地教えてくれないか?」
「うるさい。あとちょっとだから静かにしてろ」
「…………」
おとなしくなったレオンを一瞥してから、懐の地図を彼に放る。二人は今、サイラムを出て北西の方角に向かって歩いていた。体力の温存と隠密行動のため、アインがそう言い聞かせたのである。
「勝手に見ろ」
「お、おう……今どこ?」
「はぁ……」
大まかな現在地を教えてやってから再び前を向く。そもそもなぜ自分はこんなことをしているのだろう? これではまるでお人好しだ。
「……どうでもいいか」
「ん? なんか言ったか?」
「別に何も」
スタスタと早足で歩く自分の後ろを、事も無げについてくるレオン。現在地がわかって安心したのか、地図をこちらに返してきた。その顔には、やはり焦りの色がでている。
「本当にあと少しだな。走るか?」
「必要ない。目的地はもう見えてる」
指差す先にあるのは、古い採掘場。昔事故があって使われなくなったとか。確かに隠れるにはもってこいの場所だ。
「あそこに……ミラが……」
思い詰めたような顔をするレオンを見て、カチンときた。ぼんやりと洞窟の入口を見つめるレオンの後頭部を、おもいっきりぶん殴る。あれだ。後悔もしないし反省もしない。うん。実にスカッとした。
「ってーな! いきなりなんだ!?」
「ボーッとするな。いつ敵が来るとも知れない場所で気を抜くなんて――」
「――危ねぇ!」
説教を始めようとしたアインを、レオンが押し倒す。必然的に、二人の顔は近くなる訳で。
「なっ、おまっ……! こんなところでっ」
そこまで言って気付いた。レオンが自分とは違う方向を凝視――いや、睨み付けている。
「チッ、ハ〜ズレた」
「狙い甘過ぎ。もうちょい頑張れよ」
そこにいたのは、甲冑を纏った二人の騎士。少なくともサイラムの騎士ではない。よく見れば、片方の騎士がこちらに腕をかざしていた。おそらく魔法で狙われたのだろう。アインは気付けなかったことに歯嚙みした。
「お前ら……あいつの手下か」
「アハッ、なんか怒っとる〜」
「『お前ら……あいつの手下か』、だってさ?」
レオンがアインの腕を引っ張って立ち上がらせると、胸元のペンダントを指で弾こうとする。
「――待て」
「……なんで止めるんだ」
レオンの腕を掴みながら、自分が無意識に止めたことを、少なからずアイン自身も驚いていた。それでも、建前はスラスラと口から飛び出す。
「見張りが居るってことは、ミラが中に居るってことだ。さっさと行って連れ戻してこい」
レオンとアインの視線が交差する。レオンは腕から力を抜くと、アインに背を向けて洞窟を見据えた。この先にミラが居るのはまず間違いない。
「ちゃっちゃと行って、ちゃっちゃと帰ってくるわ」
「そうしろ。私はあまり気が長くない」
走り去っていくレオンの背を見つめていると、騎士の下卑た声が聞こえた。
「あいつ、ウルゴ様にミンチにされるかもよ〜?」
「ミンチで済めばいいけどな」
二人揃って剣を抜く。アインは一つ舌打ちすると、男二人を睨み付けて言った。
「殺す気で来い。私は、刻む気で殺る」