始まりは炎と瓦礫から
これは、とある青年がこの世界を訪れる、十年前の出来事。
少年は一人、歩き続ける。
何日間も風呂に入っていなさそうなぼさぼさの赤髪に、飢えたようにつり上がる両の赤い瞳。着ているのは襤褸切れのようなみすぼらしい服で、胸元の赤いペンダントがより一層不自然さを増長させる。荒野をさ迷い歩く姿は、まるでゾンビのように見える。
彼の名はレオン。歳は十五。身長は高めで身体は痩せ細っている。いわゆる、戦争孤児だった。
『第三次領土戦争』と銘打たれた人間同士の戦争は、やがて人間以外の種族にも影響を及ぼしていた。
三年前から続くこの戦争で、人間の国は大小関係無く巻き込まれ、『精霊族』も否応なく戦火に呑み込まれていく。
『炎の精霊族』であるレオンも、その被害を受けた一人。元々住んでいたイフリーガの集落が、人間の戦争に巻き込まれたのだ。
集落には次々と火を放たれ、魔法による攻撃でほとんどの家が半壊、もしくは全壊していた。
夜中の奇襲であったこと、さらにはイフリーガが魔法を不得手とするが故に、集落はあっという間に蹂躙され尽くした。
所々で上がる悲鳴と怒声。パチパチと燃える炎の臭いと、崩れる民家から立ち上る火の粉が、レオンとその両親を追い立てていく。
「生き残りがいないか探せ! 全員皆殺しにしろ! 一人も逃すな!」
すぐ近くから複数の足音が聞こえた。
「親父! このままじゃ見つかる!」
父と母の後を付いて走っていたレオンが叫んだ。父がレオンを振り返り叫ぶ。
「それでも逃げるんだ! ここから西に森がある! そこまで逃げ切ればっ……!」
後ろを見ていた父の顔がひきつるのがわかった。咄嗟にレオンも後ろを振り返る。
「――っ!」
幸いこちらにはまだ気が付いていないが、十人近くの兵士がいた。黒髪、つまり人間だ。ここは一直線に集落の外へ伸びる道。身を隠す場所は、ない。
そこで、両親の足が止まる。レオンは、勢い余って二人を追い越していた。
「ここまで……だな」
「ちょっ……!? 何やってんだよ親父! お袋も止めろよ!」
二人はレオンに背を向けた状態で、早口に呪文を唱える。
「「炎の民イフリーガから炎の大精霊イフリートに乞う。我が身に流れる炎の血を、我の力を解放せよ!」」
それは精霊族のみ扱うことのできる解放術。二人の髪が、炎とは違う光で赤く照らされている。
「止めろって! 早く逃げよう!」
必死に懇願するレオンに、諭すような声で母が言う。
「多分もう無理よ。あなたにも分かるでしょう?」
兵士がこちらに気付いた。荒い足音をたてながらこちらに向かってくる。
「後は、任せたぞ」
「親父!」
父が、先頭の兵士に向かって飛び掛かった。勢いのまま、後ろの兵士たちも巻き込み吹き飛ばす。
「あなたは強い子だわ。なにせ、あの人の息子ですもの」
母が微笑んで言う。
「あなたは優しい子だわ。なにせ、私の愛しい我が子ですもの」
「お袋……」
今にも泣きそうなレオンの頭を、ゆっくりと慈しむように、自分の中に刻み込むように撫でる。
「私たちは犠牲じゃないわ。あなたという存在をつなぐ橋になるの」
レオンの額に唇を寄せ、二度、音高くキスをした。
「お父さんの分も、ね?」
そう言ってウィンクをすると、くるりと方向転換する。
「あなたはこれから一人になる。けど、あなたが私たちを忘れない限り、心は独りにはならないわ。いつか、あなたにとって大切な人を見付けなさい」
そう言って母は走り出した。最後に一言、愛してるとだけ残して。
その日からレオンは、人間に復讐することだけを考え続けていた。母に言われた事を忘れた訳ではない。ただ、そうでもしなければ彼の心は折れてしまいそうだった。
朦朧とした意識の中で、一つの町を見付けた。既に戦火に呑み込まれた後なのか、町の中に原形を留めている物は何一つとして無い。
「食い物……」
食糧を探して歩くと、嫌なものばかりが目につく。死んだ者の亡骸が無いのは当たり前として、抉られた地面や焼け焦げた民家は見ていて気持ちのいいものではない。でこぼことした地面を歩き、いくつかの食糧を確保した。その時は食べるのに必死で気付けなかった。後ろから人が近付いてきていることに。
背中に鋭い痛みが走る。しばらくすると、それが焼けつくような痛みに変わった。
「く……ぅっ!」
どさりと倒れ込む。視界に人の足が映り、目の前に血に濡れたガラス片とおぼしきものが落ちた。
「わ、悪く思わないでくれよっ!」
上擦った男の声。男は、レオンが集めた食糧を抱えてどこかへ逃げていった。
(死ぬのか……俺は……)
ぼんやりとした視界で、誰もいない醜い世界を見ていた。だから最初は、空耳だと思った。
「あなたは、まだ生きたい?」
「…………?」
「あなたは、まだ生きていたい?」
すぐ近くで少女の声がする。自分よりも幼そうな、感情の乏しい声。だが、首を声の方向に向ける力も無い。こうなれば、空耳でも何でもいい。レオンは力を振り絞って縦に首を振った。
その手に、何かを握らされた。上から覆うように、誰かの手が被せられる。
「なら、祈って。強く強く、生きたいと願って」
「祈る……生きたいと……願う」
喉から枯れかけの声が漏れる。
「俺は……生きたい。まだ、生きていたい……!」
強く強い祈りに反応して、彼の身体が光に包まれた。
再び目を開くと、目の前に少女の顔があった。
「な……っ!」
驚いて首を後ろに仰け反らせると、後ろにあった椅子の脚に、後頭部をしたたか打ち付けた。
「……大丈夫? 痛いの好きなの?」
「ちげぇよ!」
間延びした声で間抜けな事を言う少女の顔を見る。
「…………」
絶句した。
歳は恐らく彼の一つ、二つ下。目もとは眠たそうにとろんとしている。鼻や口の形も綺麗で、一言で表すなら、眠りから覚めたばかりのお姫様といった風情だ。だが、彼が絶句したのは、彼女の可憐さ故ではない。その髪の色。
少女の髪は、眩い程の金色だった。
金髪といえば、昔話や童話にも出てくる程に有名だ。産まれた時から金の髪を持つ彼らは、『神の種族』とも呼ばれる。神に等しい力を持った大精霊の加護を受けた、希少な種族。普通に暮らしていればまずお目にかかれない、稀な存在。
「その髪……」
無意識に言葉が出ていたらしい。少女は、肩ほどの長さのふわふわとした髪をくるくるっと一つにまとめると、フードで頭ごとすっぽり隠してしまった。
「あ……ああ、そうだ。君が助けてくれたの?」
気まずさを払拭するために少女に訪ねると、こくりと首が縦に振られた。ずいと、右手が差し出される。
「……何?」
首をかしげるレオンの右手を指差した。そういえばと思い、さっき握らされた物を見る。
「石ころ……?」
その手に握られていたのはただの石ころだった。その辺に散らばっているのと同じように見える。
いまだに催促を続ける少女の手に、とりあえずその石ころを渡す。
少女はその石ころを受け取ると、両手で握って祈るようなポーズを取った。すると、その石ころから光が滲み出て、空中に溶けて消えていく。
「……これでもう大丈夫」
何が大丈夫なのかは分からないが、少女は立ち上がりその石ころをポイと投げ捨てた。今さらのように少女の格好を確かめると、白いロングワンピース。その上から栗色の上着を羽織っている。服が綺麗だから、この町の人ではないのだろうとレオンは思った。
レオンも立ち上がり身体を払うと、再び空腹が襲ってきた。
(もう一度、食えるもんがないか探そう……)
そう考えて歩き出そうとした彼を、少女が呼び止めた。
「……この近くに町がある。防衛もしっかりしてるし食べ物もある。寝床も、確保できる」
「……?」
つまり、付いてこいという事なのだろうか?
一瞬迷いはしたが、このまま宛もなくさ迷うよりよっぽどましだ。そう考えて、レオンは彼女に付いていく事にした。
「俺の名はレオン。歳は十五。君は?」
「……ミラ。十四歳」
そう言ってミラは歩き出した。そのあとも、目的の町に着くまでぽつぽつと、二人の会話は続いた。
「……ここが私が暮らしてる町。サイラムって言うの」
「ふーん。確かに、防衛はしっかりしてそうだな」
周囲をぐるりと白い塀が廻っている。高さは十五メートルほどだろうか? 塀の上には弓矢を携えた騎士や、魔力で動く砲台もあった。
その塀には大きな扉があるが、今は固く閉ざされていて、開く気配は無い。どこから入るのか考える暇も無く、ミラが扉とは別の方向へ歩いていった。
急いでその後を追うと、ミラが塀をコンコンと、まるでノックするように叩く。ゴトリと、ミラの前の塀がくりぬかれたように見えた。
「やぁ、おかえりミラ。一人で行ったって聞いて心配したよ」
中から出てきたのは、レオンと同じくらいの年の、黒髪の青年だった。甲冑を纏って腰に剣を差している。おそらく衛兵だろう。その彼がレオンに気付いた。
「ん? そっちの彼は?」
「……近くの町で倒れてた。行く宛が無さそうだったから」
「近くのってことは、サミの町か? そこの出身……って感じじゃなさそうだな」
「ああ、俺はもっと東の、イフリーガの集落から来た」
それを聞くと、その青年は済まなさそうな顔をした。おそらく集落が襲われた事を知っているのだろう。陰鬱な雰囲気になるのが嫌で、レオンは口を開いた。
「俺はレオンっていうんだ。これからここでお世話になると思うから、よろしく頼む。それと、俺は至上主義じゃないからその辺は心配いらない」
冗談混じりにそう言うと、青年もニヤリと笑って自己紹介をしてくれた。
「俺の名前はレン。見ての通り衛兵をやってる。なんか困った事があったら言ってくれ。大抵の事ならなんとかできると思う」
名前が似ているもの同士、がっちりと握手を交わした。その様子を、ミラは不思議そうに眺めていた。
塀を抜けて町の通りに出たとき、レンがミラを呼び止めた。
「忘れるとこだった。ラインおばさんから伝言。用事が済んだら寄ってくれってさ。ついでに、レオンもあいさつしてこいよ!」
「……わかった。ありがと」
それだけ交わすと、レンは再び仕事に戻っていった。
サイラムという町は、レオンの生まれ育った町の倍以上の大きさがあった。とりあえずミラの後を付いて歩くと、町の大きさ以上の驚きが目に飛び込んできた。
まず、町に活気があった。人々が、一日一日に怯えること無く生きていた。
そして、さまざまな種族の人がいた。さすがに前を歩く少女と同じ種族の人は居ないが、黒や赤、青に緑に茶に黄に……さらには彼の知らない種族のひとまでが、同じように暮らしていた。
彼は、いつの間にか人間への復讐という心の拠り所を捨てていた。もちろん、この時の彼はそんなこと、自覚していなかったけれど。