一輪の薔薇
私は韓国人の小説家です。
2年前に出版した自分の小説を日本語に翻訳し、こちらで連載することにしました。
不自然なところがあったりするかもしれませんが、楽しんで読んでいただけたら嬉しいです。
ありがとうございます。
「頭が痛い……」
これほどまでに強烈な匂いを放つ存在は、母親以来だ。全身がどくどくと脈打っている。濃く立ち込める白い匂いが鼻の奥へ執拗に入り込み、頭の中をかき回していく。あの凄まじい悪臭は、足の先まで降りていって、ようやくゆっくりと身体から抜けていく。けれど、最後まで気を抜くなとでも言うように、僕の周囲を漂い続ける。僕のように、ふらつきながら。
その中で、僕は呟く。
「僕を殺すには、うってつけの作戦じゃないか」
一瞬、全身が引き裂かれるような激痛に襲われ、僕は手すりにしがみついたまま、その場にへたり込んだ。戦場の真ん中に立っていたら、こんな匂いがするんじゃないだろうか。
白。
空っぽの世界を描くために必要な色は、人によって違う。
もちろん、僕の世界にも色はたくさんあった。誰よりも色鮮やかで、生き生きとしていた。けれど、今はこの白だけだ。
生命の終止符を宿した、白。
小説を紡ぐ黒い文字のように小さな白で埋め尽くされた物語、それが僕の世界だ。退屈極まりない白い小説は、いつまで経っても終わらないように思えた。
けれど、違った。
あの日に出会った。
彼女に触れた。
一冊の本が一瞬で閉じられるように、僕の世界もすっかり変わってしまった、初冬のある日のことだった。
階段を上るほどに痛みは増していき、苦しい咳が何度も頭を揺さぶった。
ブックカフェは三階にある。
咳が落ち着いた隙に、目を細めて上を見上げた。濃くふんわりとした雲が漂っていた。山の稜線を包み込む雲海が、僕を見下ろしている。
僕はごくりと唾を飲み込んだ。
その音さえ、薄暗い階段に響き渡る。
僕は深く息を吸い込み、一歩、また一歩と階段を上っていく。
考えてみれば、ブックカフェに置いてきたカードはそれほど大事なものではなかった。金がなくても、家に帰る方法はいくらでもあった。タクシーの運転手に事情を話して家までに着いたあとで支払ってもいいし、少し遠いが、そのまま歩いて帰っても構わなかった。歩くのが好きな僕にとって、それは大した問題じゃない。それに、もう遅い時間だから、白い匂いもそれほど強くは漂っていないはずだった。まして、月曜日に取りに戻ってきたって、何の問題もない。
それでも、僕は止まれなかった。反時計回りに、休むことなく脚を動かし続けた。
やがて、綿あめのような雲の中へ吸い込まれていった。
先ほど僕を押しのけるようにして通り過ぎていった白い匂い――死が、僕を鷲掴みにした。
ゆっくりと目を閉じた。もう、無理に歩かなくてもいい気がしたから。
すると、体がふわりと浮き上がるような感覚がした。
いくら脚をばたつかせても、硬い床の感触は戻ってこない。もこもことした悪臭が僕をその懐へと引き寄せていく。
ふいに、身体が傾いたような気がした。
そっと目を開けると、いつの間にか扉の前まで来ていた。
悲鳴を上げながら、半歩後ずさる。
大きな栗色の扉が僕を見下ろしている。ブックカフェは、秘密を守る番人のように固く閉ざされていた。
僕がここまで上ってきた理由が、この中にある。
その理由が何であれ。
白い匂いが扉の隙間からじわじわと這い出してくる。廊下を、建物全体を、白く染め上げていく。
「世界中を真っ白にするつもりなのか? 一体、誰が……」
右手でカチャカチャと鳴る鍵のひんやりとした感触と、どくどくと急かす心臓の音を覚えている。
そっとドアノブを回した。狭い空間は息苦しかったのか、白い匂いを狂ったように吐き出した。意識が遠のくほど体の奥へと入り込んでくる匂いにもかかわらず、僕は慎重にブックカフェの中へ一歩、足を踏み入れた。
ぼんやりとした明かりの下、白い匂いをもくもくと吐き出している何かが、ぼんやりと見えた。そして、かすかに開いて、閉じた唇を、僕は確かに見た。
「こんばんは?」
白くて巨大な、一輪の花。
その瞬間、鼻の奥深くと、両目の間――いや、頭の中だろうか……?
遥か遠くのどこかから、ほんの少しだけ、薔薇の香りが漂ってきた。
あえて言うなら、一輪分くらい。
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