電子書籍化記念 番外編3/3
電子書籍化記念・番外編2/3の続きです。
「大変申し訳なかった」
「もったいのうございます!」
「クユリの兄君とは思い至らず。本当に申し訳ない」
「私など叩切られて当然でございますればっ!」
悪かったと謝罪する皇帝に対し、泡を吹いて意識を失っていたライケイは一度意識を取り戻すも、皇帝の姿を再び目にして卒倒した。
そして現在、二度目の意識回復を果たしたところで、椅子に座る皇帝の足元で、額を床に押し当て土下座中。
どんなに言っても話を聞いてくれなかった結果がこれ。
自業自得だとライケイを見下ろすクユリも、兄の萎縮ぶりには可哀そうになってしまう。
「武人なんか俺がやっつけてやる」とか、「クユリは連れて帰るからな」と意気込んでいたライケイは、突然現れた皇帝から首に剣を突き付けられた途端に意識を失ってしまった。
そして目覚めてからは完全に白旗を上げた状態だ。
いつもの優しい皇帝に戻っているのに、委縮して怖がり、顔を上げてくれない。
こんな中でも皇帝は、義兄となるライケイと仲良くしたいらしいのだが、まったくもってこんな状態だから先に進めず眉を下げていた。
クユリはと言えば、抜身の剣を手に乱入してきた皇帝に驚いたものの、すぐに我を取り戻し、誤解を解くのに成功。今は皇帝の膝の上に乗せられて、太い腕に囲われている。
一向に土下座をやめないライケイの様に、皇帝は一つ息を吐くと、クユリを抱えたまま椅子から降りてライケイの前にクユリごと腰を下ろした。
「ライケイ、顔を上げてはくれないか?」
「もったいのうございます!」
同じ言葉を繰り返す様に、皇帝がどうしたものかとクユリに助けを求めた。
このままではらちが明かない。クユリは「ライケイ」と、兄に問いかける。
「ねぇ、顔を上げてよ。わたしの夫を紹介したいの。ライケイ……」
するとライケイはちょっとだけ顔を傾けてクユリを下から覗くように視線を向けた。そうして「お前、なんて化け物旦那にしてんだよ」と、小声で、クユリにだけ聞こえるように配慮したつもりだろうが、皇帝にもしっかりと聞こえる声で言い放ったのだ。
「ばっ……わたしの大切な旦那様をなんだと思ってるの!?」
「皇帝陛下にお仕えする武人様だろ?」
「……お父さんやお母さんはそう思ってるけど、本当は違うの」
「何!? やっぱり怪しいやつなのか!?」
「そうじゃなくて……」
ちらっと皇帝を窺うが、悪く言われても気分を害している様子はない。本当に心の広いお方だと感心する。そしてこの会話がクユリにしか聞こえていないと思っているらしいライケイに対しては、どっと疲れさせられた。
「あのねライケイ、よく聞いてね。さっきも伝えたけど、聞きたくないことは聞こえない癖、直すべきだと思うよ」
「それは母さんだろ、俺は違う」
「じゃぁちゃんと聞いて理解して。この方はわたしの旦那様で、わたしは旦那様と一緒に居られて本当に幸せなの。そして旦那様は皇帝陛下にお仕えする武人様じゃなくて、レイカン国の皇帝陛下なのよ」
「は? 何言ってんだ。お前に世迷言なんて似合わないぞ」
「なんかもうどうでもよくなってきた……」
さっきから何度も何度も言っているのだ。夫とは仲良くやっているし、洗脳されてないし虐待されてもないし、当然閉じ込められてもいないと。
とても優しくて思いやりに溢れた旦那様なのだと。
なのにライケイは信じるどころか聞いてもくれなかった。そして最後には世迷言と言い放った。
もうどうでもいいやと、面倒になって問題を放り出そうとしたところで「クユリ」と、皇帝から焦った声が届く。
そうだった。このお方は誠実な方だったのだ。両親に挨拶できていないことを悔やんでいて、思いがけず現れたクユリの兄であるライケイと親交を深めたいと思っている様子なのだ。
「ライケイ、顔を上げてくれ。……これは命令だ」
するとライケイは、「はっ」と返事をしてようやく顔を上げる。そして瞳を瞬かせた。
「え、あれ? さっきの怖い武人様はどこへ?」
「申し訳ない。あれは仮の姿で演技だ」
「え……演技?」
いえ、本気でしたよねと思うが、クユリは賢いので黙ている。
「それから、レイカン国の皇帝だというのは本当だ。クユリはレイカン国皇帝の、ただ一人の妃として宮殿で暮らしている。よければあなたを招きたい」
皇帝の言葉を受けてキツネにつままれたような顔をしたライケイは、逡巡したのちクユリににじり寄ると、「本当に皇帝陛下なのか?」と小声で確認した。
嘘をつく必要がないクユリがそうだと頷くと、「俺、殺されたりする?」と確認してくる。すべてこっそりと囁くようにだが、隣にいる皇帝には丸聞こえだ。
「一瞬で双子の片割れと入れ替わったとかないよな。さっきと雰囲気がまるで違うんだけど……」
ライケイの言いたいことはよく分かる。クユリも知っていたが、それでも先ほどは怖かった。
声を荒らげていなくても、内から放たれる覇気が悪鬼を千人集めたように怖かったのだ。
転じて現在の皇帝は毒気が抜けて、穏やかで優しい雰囲気を醸し出している。体が大きくて武人だと一目で分かるのに、大きな声を上げるような人には見えないのだから、ライケイの困惑も当然だった。
かといってこんな状況で宮殿に招かれて「はい行きます」なんて返事ができる度胸はないが、断る度胸もないライケイは、皇帝に誘われるまま宮殿への招待を受けてしまった。最後まで「俺、殺されないよね?」とびくびくしながら。
宮殿に招かれ、気楽に話しかける皇帝と酒を交わすうちに酔いが回ったライケイは、極度の緊張もあったのだろう。酔っぱらって寝てしまい、宮殿にて一泊し、翌朝には絢爛たる部屋で目を覚まして素っ頓狂な悲鳴を上げたのだった。
皇帝が住まう宮殿に一介の商人が出入りできるものではない。めったにない特別待遇に、一晩明けたライケイはたいへん興奮していた。
建物一つ、飾り一つ、クユリが纏う衣にも興味津々で、これはどこそこで作られたものだとか、見事な造りだとか、こんなものまであるのかと、いたく感激して目に付くものすべてを鑑賞していた。
ライケイは母親譲りで人の話を聞かない欠点はあるものの、順応性が高く、皇帝に対してもすっかり慣れて、怯えることなく会話ができるようになっていた。
そして帰る間際。
「クユリの髪は世界一綺麗な色です」と、皇帝に向かって宣言した。
その目は皇帝の真意を問うような、クユリからするとライケイらしくない堂々としたもので驚きを隠せない。
クユリは隣に立つ皇帝を仰ぎ見た。
皇帝は「その通りだね」と、穏やかに笑ってクユリの髪を撫でる。
髪を撫でられながら、クユリはライケイの愛情にとても感動して涙が出そうになったのだが。黒髪の鬘をつける理由もちゃんと説明したのに聞いていなかったのだと思い至った途端に涙が引っ込んだ。
二人してライケイを見送ったクユリは、皇帝に向かって深く頭を下げた。
「色々とすみませんでした」
「私こそ。そなたの兄を怖がらせてしまった」
「ライケイにはいい薬です。でも能天気なところがあるからなぁ。ちゃんと覚えていてくれるかな?」
カウル族を巻き込み、ライケイのせいでとんでもないことになってしまうところだったが、カウル族とはウルハが話をつけてくれたらしい。
「私には二つの顔がある。今更だろう?」
「そうですけど……」
皇帝なのだから、畏怖されてもいいと思う。けれど、クユリに近しい人くらいは、皇帝の優しい人となりを知って欲しいと願ってしまうのだ。
それをクユリが口で説明しても信じてもらえないのが悔しい。それでもライケイは認めてくれたようなので、少しばかり胸に刺さった棘は減ったように思える。
「世界中が敵になったとて、そなたがいてくれたら十分だ」
そういって皇帝はひょいっとクユリを抱き上げた。
*
さて、レイカン国の皇帝がカウル族の屋敷に土足で踏み込み剣を抜いた事件は、ウルハが彼らの族長を訪問して問題になることなく納めた。
カウル族としても族長の娘が関与しているので、「陛下の溺愛が過ぎて迷惑をかけました」と謝罪すれば、「こちらも確認もせずに大変なご迷惑を」と頭を下げた。
彼らからすると、族長の娘であるメメが皇帝の寵妃を攫ったと言われてもおかしくないのだ。戦闘に長けた一族だが戦闘狂ではない。何ごとも穏便に。これ大事。
それから族長の娘メメだが、皇帝の剣幕に恐れをなして腰が抜けて床に就いているらしく、族長は「鍛えなおさねば」と漏らしていた。
また皇帝と族長が良好な関係を築いていたのもあるが、ライケイも族長からいたく気に入られているとのこともあって、ウルハは大した手を煩わせることもなく問題は解決した。
ウルハ自身も彼が持ち掛けた観劇だったために、機嫌よくカウル族の自治区に出向いている。
そして観劇の途中で挨拶もなく別れてしまったスランだが、彼女はクユリがライケイに連れ去られるのを目撃していた。その出来事を、クユリを溺愛する皇帝に無理やり連れ戻されたのだと勘違いしている。
彼女は「自由が与えられないクユリが可哀そう」だと、日を置かずに宮殿を訪ねて来た。
二人の若い役者を連れて。
「本当はね、この二人をクユリ様に紹介したかったの。二人とも十五で駆け出しの役者ですけれど将来有望なのですよ」
と、二人の体にべたべた触りながらお勧めされた。
「スラン様はこちらのお二人も応援されているのですね?」
「わたくしの最推しは先日の役者です。浮気は良くないわ」
「え……」
スランには夫がいる。それはいいのか? と思うが、ウルハが認めているなら問題ないのか?
見目麗しい若い二人と腕を組んでいるスランはとても楽しそうだ。
「スラン様は本当に大衆演劇がお好きなのですね」
「初めは庶民の娯楽に興味はなかったのですよ。ですが夫が、こんなものがありますよと、彼らの姿絵を贈ってくれましたの。それを一目見た途端、彼らの美しさに嵌まってしまいました。ねぇ本当に素敵でしょう? 売れる前から応援する喜びはひとしおらしいです。ぜひ、クユリ様に知っていただいて、太客になっていただきたいのです!」
クユリは大衆演劇がどういうものか知ったがさほど興味はない。まぁ演劇は楽しいのだろうが、演者に対する女性客の熱狂ぶりにはついていけないのだ。スランを見るのは面白かったが、他はもういいかなと思ってしまった。
スランが庶民の娯楽に陶酔するきっかけを作ったのはウルハだ。彼のことだからスランが熱狂することも想定内と思われる。
「わたしは立場的に特定の男性に肩入れするのはちょっと……」
「あら、役者に興味はございませんか? 貢ぐのって楽しいですよ?」
「国庫に養われている身ですので」
「まぁっ。クユリ様は謙虚なお方なのですね。はっ、まさか!? 尊きお方に抑圧されて……」
「いいえ、違いますから!」
いかに皇帝が優しい夫であるかを解こうとしたところで。
「陛下がおなりになります」
と、突然の連絡が入る。
するとスランは途端に慌てだし、「わたくし失礼いたします!」と、男二人と共に逃げるように帰ってしまった。
「身重なのに大丈夫かな?」
見送ったクユリがスランの体調を心配してると、「何が大丈夫なのかい?」と、皇帝が隣に並んで不思議そうにしている。
「たった今、スラン様がお帰りに」
「ウルハから来訪があると聞いて来たのだが……」
クユリは聞かされていなかったが……まぁいいやと溜息を吐いた。
「やはり怖がって帰ってしまったか」
そう呟いた皇帝にクユリは首を傾げた。
先日は怖がらせるから遠慮すると言っていたのに、今回はどうしたのだろうか?
クユリの考えていることが分かったようで、皇帝はどことなく気まずそうに眉を下げた。
「スランがクユリに、若い男を紹介すると聞いてしまったのだよ」
それで慌てて駆けつけたというわけか。
「クユリを信じていないわけではないのだが……」
クユリを抱き寄せた皇帝は、悩まし気に溜息を落とした。
「スランのように大衆演劇のというのは珍しいが、若い芸術家の後ろ盾になるのはよくあることだ。だけど私は……単なる遊びだとしても嫌なんだ」
たいていのことは許してくれる皇帝だが、クユリがどうしたいかを口にする前にはっきり嫌だと告げられる。
まぁそうだよなと、クユリはすんなりと納得した。
クユリだって、皇帝が大衆演劇の愛らしい女の子の後ろ盾になるのは嫌だ。体にべたべた触ったり、触られたりしているのを想像するだけで目は半眼に、口はへの字になる。
「わたしは陛下以外の男性にときめいたりしません」
「そうかな?」
「わたしは線の細い男性が演じるお芝居よりも、大興奮のスラン様の熱狂ぶりに目が行ってしまって。正直、スラン様を見ている方が楽しかったです」
彼女は高貴な女性らしい物の考え方をするが、下々を見下すような女性ではなさそうだ。それに今を満喫して眩しいほどに輝いている。彼女の興味が大衆演劇という点においても好感が持てた。男性を紹介されたりパトロンを推奨されるのは困るが、彼女に対しては嫌いよりも好きの感情が強い。
「それに武に関しては演劇ではなく、陛下とコウヨウ様が対戦されるほうに興味がありますし。何よりも迫力が違うと思います。絶対に本物のほうが素敵ですよ」
と、仰ぎ見れば、それはそれはとても嬉しそうな皇帝がいた。
「人に見せるために強くなったのではないのだが。しかし、そうか。近々コウヨウを誘って手合わせするかな」
妻を溺愛する単純な夫は、自分の得意分野で妻を喜ばせるきっかけを得てご機嫌になった。
番外編終了です。
読んでいただき、ありがとうございました!