世界樹
<アカネ>
いつものようにアルファに女神信仰事件の愚痴を聞いてもらい、ようやくこれで一安心だとばかりに、外が寒いのでひたすら温かい布団でゴロゴロと惰眠を貪っている間に、いつの間にか冬が終わり、季節は暖かな春に変わっていた。
そして代わり映えのしない、いつものメンバーと会議室で定期報告を行っていた。問題が起こったのは、そんなある日のことだ。
「ご主人様、問題が起こりました」
「ええぇ…? またなの? でも聖王国の問題はこの前解決したよね?」
「アレを解決を言っていいのかは疑問ですが、数年はアカネ町と連合都市では何も起きないはずです。…でした」
何だかまた面倒くさい事件が起こったらしい。本当に問題の種は尽きないものだ。アタシが適当にのんびりと暮らすためには、まだまだ時間がかかりそうだ。そんなことを考えながらお茶をすすり、アルファの次の言葉を待つ。
「今回の問題となるのは、この場所となります」
アルファは中央の3Dマップを操作し何度か視点を変える。そこに大きく映し出されたのは、西の帝国であった。
「ん? そっちは帝国だよね? 別にうちとは何の関係もなさそうだけど?」
さらにアルファを操作を行い、帝国の中のある広大な森の一点に視点を合わせて、説明をはじめる。
「それでは説明させていただきます。帝国では現在、亜人奴隷が不足しているのは、ご主人様も既にご存知かと思います」
「うん、アカネ町に引っ越したんだよね。本当は召喚だけど」
世界中の亜人を一箇所に集めたと言っても過言ではない。おかげでアカネ町の労働力がとんでもないことになっているらしいけど。もはや国に近いのかもしれない。
「その中で、召喚に応じなかった種族がこの森に住んでいます。彼らは自分たちのことを、ハイエルフと呼称しています」
「ハイエルフ? エルフとは違うの?」
「そうですね。エルフよりも肌がやや白く、エルフよりも寿命が長く、エルフよりも魔力が僅かに高い以外は、それ程変わりません」
なるほど。肌の色が違う人間か、エルフとダークエルフの違いに近い感じだろうか。しかし寿命が長いということは、健康的な生活でも送っているのだろうか。平均寿命が長いのはいいね。聞きたいことは聞けたのでアルファに続きを促す。
「ハイエルフは自らの種族に誇りを持っており、信仰の対象も聖王神ではありません」
「あっ、別の神様いたの? 誰?」
「世界樹です」
別の神様は人ではなく木だったとは、これは意外。しかし、聖王教が大陸中に広がってるなかで、それでも自分たちの教えを信じるなんて、すごい立派に感じるね。
「彼らはこの世界に世界樹が芽吹き、その花や実、葉や根から、ハイエルフ、人間、魔族、その他の種族が生み出されたと信じており…」
「アルファ、その神話は長くなりそう? 今回の問題に関係あるの?」
「はい、長いです。今回の問題にはそれ程関係しません」
「んー…カットで」
アタシは無情にも説明を飛ばさせてもらう。この先も登場するか不明な、関係ない考察や設定を垂れ流されるよりも、自分にとっては定期報告を早めに終えて惰眠を貪るほうが大切なのだ。
しかしこの情報を調べてきてくれたメイドさんたちには、あとでお礼か謝罪の言葉をかけよう。トップの一存で全部なかったことにするのは、やっぱり申し訳ないしね。今後は必要な時が来たら、また聞かせてもらうことにする。
「それでは世界樹信仰を飛ばして説明を続けます。
帝国内から大多数の亜人が突然消えたため、奴隷狩りたちは互いに争って疲弊したものの、最近になって裏社会が一つにまとまり出し、ハイエルフの住む大森林に一斉に侵略を開始しました」
「うわぁ…何だかすごいことになっちゃったよ」
帝国内に唯一残っている亜人の住む森だ。奴隷狩りたちが今までどうして手を出してなかったのかは不明だけど。こうして聞いているだけで、とても面倒な事態なのはわかる。
でも助けたりはしないよ。何しろハイエルフたちは自分で召喚をお断りしたんだからね。
しかしそれだけなら、別にアタシとは何の関係もない気がする。ただの帝国内での別種族の抗争だろう。
「あのさ、アルファ。それ本当にアタシに関係あるの?」
「はい、問題はここからです。帝国闇組織の同時侵略をハイエルフは辛うじて退けましたが、少なくない犠牲が出ました。
このままでは次に攻められたとき我々は窮地に立つだろうと危機感を覚え、彼らはある手段を使うことに決定しました」
種族が滅びるかどうかの瀬戸際なんだ。やってみる価値ありますぜ。その彼らの手段がどのようなものかは知らないけど、どうやら問題はそこにあるようだ。
「その手段って?」
「神の召喚です」
「…えっ?」
神様って呼び出されるものなの? 勝手に生まれたり、最初からこの世界にいるものじゃないのだろうか。というかそんな簡単に呼び出せるものなのだろうか。疑問は尽きない。
しかし本当に神様なら、今度こそ偽女神の信者を丸ごと押しつけるチャンスだ。アタシは内心ワクワクしながら、アルファの説明の続きを待つ。
「正確には世界樹に姿を変えた偉大な神を、再びこの世に召喚する儀式、…とハイエルフたちは皆疑うこともなく信じています」
「本当は違うの?」
「はい、世界樹の神はこの世界を見限り何処かに去っていますので、今回は世界樹の根本に眠る空っぽの抜け殻に、別の魂を入れる儀式になります」
あっ…これアカンやつだ。昔から死者蘇生が行われても大抵ろくな結果にならないのだ。故郷でもそのようなものを扱った本や映画を見てきた。アタシはオズオズと手をあげて、アルファに質問する。
「もしハイエルフたちが儀式を行ったらどうなるの?」
「世界樹の神が蘇ります」
よかった。一応復活は成功するようだ。アタシはホッと胸を撫で下ろした。しかしアルファは無情にも説明を続ける。
「そして暴走します。神の体に収まり制御を行える魂は、神に近しい存在だけです。それ以外が器に入ったところで、本当の神にはなれません。程なく精神が発狂してやがて自壊します」
これは想像以上にヤバイことになっているようだ。もしハイエルフが儀式を行えば、帝国はお通夜状態になることは間違いないだろう。
そんなアタシの考えを放置して、アルファは言葉を重ねていく。
「世界樹の神が不完全で復活してしまった場合に予想される被害についてですが。
…正直予想が難しいですが、ハイエルフの森を中心した近隣諸国の完全崩壊は、まず間違いありません」
「おーう…世はまさに世紀末だね」
しかし、そこまで危ない儀式なら、不完全な神が蘇る前に止めてしまえばいいのではと、アタシはアルファに提案しようとするが、彼女はそれを手で制す。
「申し訳ありませんが、今から儀式を止めることはもはや不可能です」
「えっ? 何で?」
「既に器に魂が満たされてしまい、あとは世界樹の神の目覚めを待つばかりです」
「うええぇ…何でそんな酷いことに?」
アタシは思わず天を仰いだ。家の優秀なメイドさんたちなら、ババーンと登場して今すぐハイエルフの儀式を止めることぐらい簡単だったはずだ。そう思っていた。
「私たちも、まさかこのような事態になるとは思ってもいませんでした。手遅れの原因はハイエルフの森の侵攻にあります」
「えっ? それはきっかけじゃないの?」
確かそれがきっかけになって、ハイエルフたちは神の召喚だと思い込んでいる儀式を行おうとしたはずだ。しかしそれが、手遅れの原因になるとは考えられなかった。
「苦しんで死んだ人間とハイエルフの千を越える魂は、さぞ美味だったはずです」
「……あっ」
察してしまった。神の器に込める魂は、召喚して呼び出す必要はないのだ。すぐ近くの戦場の彷徨える魂が、世界樹の神のナカ温かいなりー…と大量に入り込んでも、別におかしくなかったのだ。
このままでは不味いことになるのは確実だ。帝国が壊滅するのはもちろん、アタシの悠々自適の引き篭もり生活が崩壊してしまう。急いでアルファに質問する。
「世界樹の神が目覚めるまでの時間は?」
「何も起きなければ十日、または次の戦いが起こった場合と、何らかの刺激があればすぐにでも目覚めます」
「世界樹の神の強さは?」
「現在は抜け殻となっており神の力の殆どを失っています。
さらに目覚めたとしても暴走状態のため制御が出来ません。詳しいことは不明ですが、決して勝てない相手ではないかと」
アルファの説明を受けて、アタシは少しだけホッとする。これならなんちゃって女神のアタシでも、立ち回り次第では何とかなるかもしれない。まともに戦ったら平凡な女の子のアタシが、ガチの神様に勝てるわけないからね。
そこまで考えたときに、筆頭メイドが絶望的な言葉を告げる。
「しかしハイエルフたちの世界樹信仰で、神によって数多の種族が生み出されたと語られる通り、自らの手駒を無限に生み出す特性を持っています」
「えっ? それって囲んで棒で叩かれれば反撃出来ずに沈むパターンだよ!」
これは不味い。アタシ一人で何とかなる相手ではない。元々一人で戦うつもりはなかったけど、聞けば聞くほどこちらが不利に思えてしまう。
思考の袋小路に嵌ってもがいていると、アルファと五人の子供たちがアタシを安心させるように、語りかけてくる。
「ご主人様、心配することはありません。私たちが付いています」
「その通りだ。今こそ受けた恩を返す時だ」
「僕も一緒に戦います」
「もちろん、わたくしもですわ」
「大魔法を気兼ねなく撃ち込めるチャンス」
「世界樹の神ですか? ボコボコにしてあげますよ」
そして周りのメイドさんたちも、微笑みながら頷いてくれた。皆の友情に感謝だね。
アタシは先程までの不安はすっかり消えて、今なら世界樹の神にも勝てる気がしてきた。
「皆ありがとう。頼りにしてるよ。それじゃ、全世界の命運はこの一戦にかかってるからね。全員でハイエルフの森に攻め込むよ。目指すは世界樹の神の打倒だよ!」
戦力はこの部屋のメイドさんたちと五人の子供たち、あとはアタシだ。これだけいれば何とかなりそうである。このまま今すぐ転移で飛ぼうと思ったら、何故かアルファから止められた。
「ご主人様、相手は不完全でも神の名を持つ存在です。ここは万全を期して挑むべきです」
「なるほど、確かに一理あるね」
「来るべき戦いに備え、私たちで準備を進めておきますので、ご主人様はそれまでいつも通りに過ごしてください」
「うん、わかったよ。アルファ、それに皆も、こんな絶望的な戦いに付き合わせてごめんね。でも、ありがとう。すごく感謝してるよ。それじゃまた、十日後に会おうよ」
それから私は椅子から立ち上がり、すぐさま無詠唱の転移で自室に飛び、運動着を適当に脱ぎ散らかして愛用のお布団の中へとイソイソと潜り込む。
アルファは十日後に備えて変わらずに過ごすようにと言ってたけど、たとえ不完全でも相手は本物の神様なので少し緊張する。会議室にいたメンバー全員ならば多分勝てるとは思うけど、実際に戦ってみないことには何とも言い辛い。
しかしアルファは会ったこともない世界樹の神の特徴を、やけに詳しく知っていたたような気がする。きっとそれも独自に調べたのだろう。
何にせよ決戦は十日後である。今から寝溜めして英気を養うのがアタシの仕事である。それにしても、やはり高級羽毛布団は気持ちよく眠れる。
<アルファ>
ご主人様が自室に飛んだことを確認して、私は会議室に残ったメンバーに号令をかける。
「今回の相手は神です。不完全な復活とはいえ、油断はしないように」
皆真剣な表情で私の言葉に耳を傾ける。きちんと教育が行き届いているようで何よりだ。そんななかで赤毛の少年が屈強な体を椅子に預けながら、ヤレヤレという感じで口を開いた。
「それにしてもまさかこの俺が、アカネさんと一緒に神殺しを行うことになるとはな」
この世界で神と呼ばれる者たちは、人知を超えた力で世界そのものを作り変える存在だった。ある者は数多の種族を生み出し、ある者は大地や海や空を創造した。またある者は国を興し人に知恵と力を与えた。
全世界に散らばる無数の国々は、大なり小なり様々な神が自らの力を行使した名残でもある。
私も今まで色々な上司に仕えてきたけれど、ここまで力を使いたがらず、進んで国を興そうともしない神ははじめてだった。代わりに私たち天使に全幅の信頼を置き、事あるごとに重宝してくれるのだが。
そんなことを考えている途中、先程のアレクではなくフィーが手をあげて私に質問をしてきた。
「ところで質問があるのですが。今回の世界樹の神に対する勝算はあるのですか?」
「何故そのような質問を? 勝算は先程言った通りですが?」
「いえいえ別に? 何故か世界樹の神に詳しいようなので、どうせ戦うならもう少し情報が欲しいなと思いまして」
やはりフィーという子供は、ご主人様が思っている通り頭が切れる。そして腹黒い。世界樹の神と私の関係に気づいて、少し揺さぶりをかけてきたようだ。
別に隠すようなことでもないので、話して聞かせることにする。彼らとはご主人様を守る同士であることは、疑いようない事実ですしね。
「ご主人様に呼ばれるよりもずっと昔に、少しだけ仕えていただけです。今はどうとも思いません」
「そうですか。教えてくれてありがとうございます」
私が世界樹の神のためにご主人様を裏切ると思っていたのだろうか。見くびらないで欲しい。過去の上司など道端の石ころ以下の価値しかないのだ。私も他のメイドたちも、愛しいご主人様を裏切る気持ちなど最初から持っていないのだから。
「いいえ、それよりも世界樹の神の情報でしたね? ここから先は予想となりますが、構いませんか?」
「はい、お願いします」
真剣な表情なのはフィーだけでなく、他の四人も、そしてメイドたちもだ。すっかり聞く姿勢に入っている。それだけご主人様の役に立ちたいと思ってくれていることに、他人事ながら嬉しく感じてしまう。それでも私は冷静な表情は崩さないのだが。
「世界樹の神は元々ドラゴンの姿をしていましたが、今回は亡者の魂により復活することから、不死属性の神になると思われます。
そうですね。肉がなくなった骨だけのドラゴンに近いです」
ドラゴンゾンビというものだが、元神だけあって行使する力も体の大きさも桁違いだ。
私たちメイドが本気で戦えば完全体の神が相手でも瞬殺だが、それでは環境破壊反対!…と叫ぶご主人様に嫌われてしまう。メイドたちが世界樹の神を囲んで一方的にボコボコにした場合、下手をしたらこの世界の修復が困難になる程破壊してしまうだろう。
別に人間や多種族がどれだけ犠牲になろうと気にしないが、愛しいご主人様の反感を買うことだけは何としても避けたいのだ。
「アンデッドなら、新たな種族は生み出せないのではないのですか?」
「神の力は世界の法則を捻じ曲げます。今回の場合は、不死属性持ちの魔物を際限なく生み出し続けることになります」
なるほどと、フィーが納得したように頷く。現在予想がつく情報はこの程度なので、あとは戦いながら収集していくしかない。私は皆に改めて指示を出す。
「私たちの役目はご主人様の露払いです。生み出されるアンデッドを排除し、ご主人様が世界樹の神と一対一で戦える状況を作ることこそが、各々の役目となります。たとえ掠り傷でも怪我を負った者は、完全に回復するまで前線に戻ることは許しません」
私の話を聞いた皆が一斉に深々と頷く。いい連携である。これなら戦場でも問題なく立ち回れそうだ。私たちメイドが巨大なクレーターを作っては反感を買うが、ご主人様が勢い余って世界樹の神だけでなく周囲の土地を消し飛ばしてしまっても、私たちが嫌われることはない。この戦いの勝利は最初から決まっているのだ。問題はどう勝つか。
環境破壊を出来るだけ押さえつつ、ご主人様がやり過ぎたり、皆が大怪我をして気落ちさせずに勝利することこそが、私たちメイドの真の役割なのだ。
そのためには現在使える手駒は全て使うべきだろう。幸いなことに、彼らもご主人様の頼みだと言えば絶対に断りはしない。さらに愛しい女神アカネ様が本物の邪神と戦い、共に世界を救う機会を与えられるのだ。果たしてどれだけの数が集まることになるのか、まるで読めないことだけが、不安といえば不安だが。
ここはご主人様が言われた通り、囲んで棒で叩かれれば反撃出来ずに沈むパターンを使わせてもらう。怪我人は最小限に押さえたいですしね。それに死亡者を出すなんてもってのほかです。ご主人様を悲しませるわけにはいきません。
「さて、ご主人様は全員で攻め込むと言いましたが、この意味はわかりますね?」
私は心の底から嬉しそうに微笑みかけると、他の皆も大なり小なり笑顔を浮かべる。ただしご主人様が浮かべるような愛らしい表情ではなく、黒い笑顔というものだ。
しかし喜びに溢れているのは皆同じで、これからの戦いに想像して早くも興奮状態だ。
「アカネ町だけでなく、連合都市にも援軍要請を出しておきます。十日後にはアカネ町とソルトの町の二箇所に集合し、転移でハイエルフの森に直接移動します。状況によって多少は早まり、戦地も変更される場合もあります。なお集合に遅れた者は遠慮なく置いていきますので、いつでも出撃出来るように体調と装備を万全にし、準備を整えておいてください。では、解散!」
そう私が解散と言い放ったとき、会議室の子供たち先を争うように椅子から立ち上がり、慌ただしく外に走り出す。彼らも本気ということだ。
いよいよ自分たちの力を全力でぶつけられて、ご主人様の役にも立てる絶好の機会が来たのだから、張り切るのも当然だろう。
あとは現地の状況と人数の集まり次第で随時調整が必要になりますね。
私がそう考えていた時、壁際のメイドの何人かが子供たちに続いてコソコソと外に出ていこうとしていた。
何処に行くのですか? 逃しませんよ。ご主人様に戦場で各々の勇姿を見せようと、今から十日後まで戦闘訓練に当てようと考えているようですが、貴女たちには戦場の視察と連合都市の援軍編成に行ってもらいます。
地味だから嫌ですって? 何を言っているのですか。ご主人様のお役に立てるのですよ。何よりも最前線で命を賭してお守りする役目は、私一人で事足りますからね。えっ? 職権乱用ですか? 私はご主人様から筆頭メイドの職を与えられているのですよ? わかったら、文句を言わずに現地に飛んでください。貴女たちの頑張りは、私が直接伝えておきますから。
はぁ…全く、メイドの皆がご主人様のお役に立ちたい気持ちはわかるものの、忠誠心が高すぎて暴走に歯止めをかけるのも一苦労ですね。今回の世界樹の神を瞬殺したら、少しは落ち着くといいのですが。どちらにせよ十日後まで、ご主人様には心穏やかに過ごしていただきたいものです。
<アカネ町 犬族の少年>
十日後に女神アカネ様自らが戦場に出ると聞いて、アカネ町も連合都市も上から下まで大騒ぎだ。しかし肝心の何処の誰と戦うのかは、上層部のみの極秘とされていたが、アカネ町の皆はいよいよ聖王国と聖戦と呼ばれる戦いを行うのではないかと、勇み足になっていた。
当然俺もその一人だ。今までは魔の森の魔物や仲間たちを相手に厳しい訓練を続けてきたが、いよいよ実際に自分の力が試せるんだと思うと嬉しくて仕方がない。
しかし女神アカネ様は、たとえ相手が憎い敵であろうと血が流れるのを好まれない優しい女神様なのだ。
なのでもしかしたら、相手は神聖国ではないのかもしれない、となると帝国か魔王国になるが、どちらも多くの血が流れることになるのは間違いない。では一体何処の誰なのかと、疑問に思いながらも俺を含めた皆は、それでもようやく女神様の役に立てると喜び勇んで訓練に励み、やがて約束の十日後となった。
アカネ町の軍事基地と呼ばれる広大な敷地を照らすように上空に太陽が輝き、今日は全軍一万が各部隊ごとに乱れることなく整列している。
さらに基地の外にも十日後という情報が開示されているため多くの民衆が詰めかけ、物凄い熱気を放っていた。
最初は千の軍隊でも多く感じたが、今はその十倍だ。しかも訓練でへばっていた俺も、今では最古参の分隊長だから世の中わからないものだ。その誇りを汚さないよう、そして女神アカネ様に胸を張って報告出来るよう、俺は自分の職務をまっとうするのだ。
正面には全身をまんべんなく鍛えて整えられた、五人の少年少女が堂々とした身なりと姿勢で俺たちを見つめて、何かが起こるのをじっと待っていた。
やがて使徒の五人が空中に視線を向けたのを察して俺もあとを追ったら、黒い球体が突如としてそこに現われた。次の瞬間黒い玉は霧散し、漆黒のドレスを身にまとった女神アカネ様が降臨した。
彼女はしばらく空中に留まっていたが、やがてすぐ下に青い半透明の硝子板を出現させ、その六角形の板に乗り、女神様は自らの声を俺たち全員に届かせる拡声の魔法と、半透明なアカネ様の巨人を出現させる魔法を使い、そのまま堂々と言葉を発する。
「ええと、これでいいのかな? ソルトの町にも立体映像と声は届いてる? では、コホン! 今さら言うまでもないだろうけど、新しい人も増えたから一応教えておくね。アタシがアカネだよ」
確かに今は新しい亜人も増えて、八千人どころの騒ぎではない。俺たちは毎日厳しい訓練を受けているため黙って整列を維持していられたが、基地の外の民衆は女神アカネ様の降臨に大喝采である。
「今回アタシが、ううん…アカネ町と連合都市の連合軍がこれから戦う相手は、…神様だよ!」
女神アカネのお言葉聞いた皆は騒然としていた。神? 冗談だろう? もしかして聖王国のことを神とぼかしているだけでは? 聖王国は確定か。やはり聖王神だったのか…との声があちこちで聞こえる。
「んー…何か色々誤解してるようだからはっきり言うね。戦うのは本物の神様だけど聖王神じゃないよ。でもこのまま放っておいたら、世界が滅びるレベルのヤバイ奴だよ」
普通ならば冗談、もしくは頭がおかしくなったのでは? と一蹴されるのだが、相手は女神アカネ様だ。つまり全て本当だということだ。俺たち軍人と周りの民衆は一言も喋らずに、背中に嫌な冷や汗を垂らしながらも、彼女の次のお言葉をじっと待つ。
「その神の名前はエンシェントドラゴン。まあ復活失敗で骨だけのアンデッドになるらしいから、正確にはエンシェントドラゴンゾンビかな? 放置しておくと無尽蔵にアンデッドを生み出し続ける危険な神様だよ」
今、女神様はドラゴンと言った。生態系の頂点に君臨するといわれる、あのドラゴンである。しかし目の前のアカネ様を知ってしまった以上、彼女が堂々と一位に座り、哀れなドラゴンは二位に落ちるのは確実だろう。
「転移先はハイエルフの森付近。そろそろ復活して移動を開始してるかもしれないし、詳しい場所は絞れないんだよね。うん、まあそういうことで、皆にはアタシがエンシェントドラゴンゾンビと一対一で戦えるように、その間のアンデッドの相手を頼みたいんだよ」
どうやら俺たちが直接神と戦うことはないようだ。それがホッとしたのか残念だったのかはわからないが、複雑な感情が胸によぎる。皆は命を賭して女神様を守りたいだろうが、それではアカネ様を悲しませるだけなのだ。
「どうでもいいけど神の名前長いね。面倒だしエンドラ? ドラゾン? …もう面倒だし骨でいいや。相手がアンデッドだからって油断はしないでよ。最悪一瞬の油断が命取り、時既に時間切れになるからね」
言っていることは何となくだが理解した。どうやら俺たちのことを心配してくれているようだ。そのことで俺も含めた皆はますます女神様のお役に立ちたいと思い、尽きることのない勇気が湧いてくる。
「大体こんなところだよ。あとは目標地点に転移するだけ。出発の前に一応確認の点呼だけ取っておこうかな? …アレク君」
「おうっ! 慈愛の女神の前に立ち塞がる敵を、切り裂く刃! アレクはここに!」
瞬間、俺も含めた近接部隊の全員から、まるで怒号のような叫び声が軍事基地全体に響き渡った。
「えっ? なっ何…それは…まあいいか。フィー君?」
「はっ! あらゆる目標を即座に射抜く、神速の矢! フィーはここに!」
遠距離部隊も負けじと声を張り上げ、女神アカネ様の期待に答える。
「えっ…ええと、ロレッタちゃん?」
「はいっ! あらゆる傷を癒やし闇を退ける、浄化の水! ロレッタはここに!」
支援部隊は今回の戦闘にはあまり貢献出来そうにないが、号令の声は負けていはいない。
「うぅ…レオナちゃん?」
「んっ! 広範囲の魔法で敵を跡形もなく焼却する、闇の炎! レオナはここに!」
他の部隊と比べれば力も弱く華奢だが、その殲滅力は群を抜いている魔法部隊が大声をあげる。
「さっ…サンドラちゃん?」
「はいっ! 敵の侵攻を防ぐ防衛拠点を築く、聖なる城壁! サンドラはここに!」
敵の侵攻から部隊を守ったり安心して休める拠点を作る構築部隊が、凄まじい怒号を返す。
全ての点呼が終わったあと、女神アカネ様はオロオロと取り乱していた。そこに彼女の従順な筆頭メイドが、五人の使徒よりも一歩前に出ているのを見つけて、助けを求めるように声をかけた。
「あっ…アルファ!」
「はいっ! 女神アカネ様の忠実なる目と耳を持つ、千里眼の従者! アルファはここに!」
筆頭メイドがそう答えた瞬間、今まで何処にいたのか他のメイドたちが何処からともなく現われ、大歓声があがった。
やりきった感が溢れる今この場にいる全員とは違い、アカネ様だけはショックのあまり硝子板の上で呆然としていた。
やがて誰もが沈黙を守ったまま数分が経過すると、女神様がハッと思い出したかのように顔をあげて、皆に声をかけた。
「おっとっとっ! こんなことしてる場合じゃなかったよ。とにかく、今だけは皆の命、このアカネが預からせてもらうよ。
あと、絶対に死なないでよ! 死ぬ前にアタシに恨み言ぶつけられるのは絶対嫌だよ! それじゃ、…全軍出陣!」
今この瞬間だけは俺の命もアカネ様の物になったのだ。もはや何も恐れるものはない。しかし、絶対に死ぬなとは無茶を言う女神様だ。万一戦いで死んだとしても、誰一人として目の前の彼女には恨みは言わないだろう。
むしろ、女神様を守るために死ねてよかったと、皆そのように嬉しそうな顔で喜んで死んでいくのだと。今の俺は、そう確信していた。
世界樹の神であるエンシェントドラゴンゾンビの討伐、その日女神アカネ様はアカネ町に集まった一万もの大軍の前で、そう宣告された。
切り裂く刃のアレク、神速の矢のフィー、浄化の水のロレッタ、闇の炎のレオナ、聖なる城壁のサンドラ、そして大天使である千里眼の従者のアルファが力を合わせ、さらには連合都市からの心強い援軍を受け、女神アカネ様は世界を滅ぼそうとする邪悪なる神に戦いを挑んだ。
アカネ聖国記より抜粋。
エンシェントドラゴンゾンビと呼ばれる神は、帝国の様々な書物にも記載されている通り、世界樹と呼ばれるハイエルフが守っている大森林から現われた、邪悪な魔物である。
まるで神と見間違う程の強大な力を持った魔物であり、放置しておけば帝国だけでなく他の国々も深刻な被害をうけることが予想されたため、エンシェントドラゴンゾンビの討伐は、アカネ聖国にとって急務であったことは間違いなかっただろう。
なお、このアルファと呼ばれる天使はこの後も何度か登場するものの、表立って動くことは少なく、女神アカネの参謀、または右腕的な立場だったのではないかと、議論されている。
そして女神アカネが何故、エンシェントドラゴンゾンビの発生を十日後と正確に予知出来たのかだが、現在の歴史学者たちもはっきりとした説は出ていない。




