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帝国

<帝国 皇帝>

 帝都は今混沌としていた。何処からともなく現われた無数の狂える死者たちが、生者を襲っているのだ。

 聖王教会に建て込もった者たちもいたが、聖職者たちの魔法や祈りなど何の意味もなかった。すぐに同じ不死者の仲間入りを果たしたのだ。


 斥候の情報では、あの巨大なドラゴンゾンビは、ハイエルフの森から現われたと聞いたが、その森は現在は生者の姿はなく、スケルトン、ゾンビ、ゴーストなどの不死者が我が物顔で闊歩する、地獄のような場所という話だ。

 唯一世界樹と呼ばれる大木の最奥だけは、ハイエルフたちが何十にも結界を張ることで、アンデッドの侵入を防いているらしいが、援軍や支援の期待出来ない状態でいつまでも保つわけがない。


 しかし、このままで帝都もすぐに、ハイエルフの森のような完全な地獄に変わるだろう。辛うじて城内に逃げ込んだ民衆や兵士たちは皆、生きることにすら疲れて絶望の淵に沈んでいる。

 皆は皇帝であるワシの采配に期待しているのだろうが、ただの人間である自分に出来ることなどたかが知れている。しかし、あの骨だけのドラゴンもハイエルフたちが生み出したものならば、ワシたち人間で何とか出来ないのだろうか? しかし呼び出した本人たちでさえあの状況だ。今すぐに実行できる作戦などありはしない。


 どちらにせよ、目の前で傷つき助けを求めている帝都の民を放っておくことは出来ない。そして何より事を成すための頭も兵士も足りない。

 そう遠くないうちに巨大なドラゴンゾンビは、かつて帝国を興すときに名も知らぬ神が築いたという城を目指して、真っ直ぐに向かってくるだろう。

 何しろ不死者の仲間に加わる新鮮な魂が、ここにはたくさん集まっているのだからな。いくら神の結界が生きているといっても、あれだけの巨大な化物が相手ではひとたまりもないだろう。


「皇帝陛下、備蓄の医薬品と食料のほうがもう…」


 参謀の男が玉座に座るワシに、申し訳なさそうに意見を言うが、そのようなことは皇帝であるワシでなくとも、皆もとっくにわかっているのだ。しかし、もはやどうにも出来ないところまで、城内の歪みが大きくなってしまっている。


 帝都を彷徨うアンデッドたちは、決して強くはなく、頭も悪く、そして動きも遅い。しかし、その圧倒的ともいえる数で、瞬く間に帝都を蹂躙し尽くしたのだ。

 幸いなことに民が城まで逃げる時間は稼ぐことが出来たが、それがここに来て響いてくるとは思わなかった。城内に逃げ込んだ帝都中の民に分け与えるには、備蓄の食料も医薬品も足りなさ過ぎたのだ。


 不死者たちが襲いかかってきたときに、聖王教会に逃げ込んだ者たちが、頼るべきなのは聖王神ではない気づいて、この城まで逃げ込めたのが幸いと言えば幸いだったが。

 しかし通常ならば一年以上の籠城にも耐えうる食料と医薬品が、このままではあと一週間もしないうちに尽きてしまう。これでも相当切り詰めているにも関わらずだ。

 隣の聖王国と魔王国に救援要請を送ってはいるものの、いまだに色よい返事が返ってこない。大国連中は様子見という感じだろう。帝国が潰れたところで、せいぜい取引相手が一つ減るだけで、奴等はそこまで困りはしないからな。


 そのようなことを参謀と話し合っていたら、突然近衛兵の隊長が慌てたように謁見の間に駆け込んで来た。


「こっ…皇帝陛下! 大変です!」


 今度は何だというのか。本当に頭が痛い。もはや帝国は死に体なのだ。巨大ドラゴンゾンビ以上に大変なことなど起きるわけがない。


「実は…いっいえ、ここでは説明出来ません! とにかく城壁に! お早く!」


 相当焦っているようなので、余程の大事なのだろう。ワシは信頼できる部下を連れて、参謀と近衛隊長と共に帝都を見下ろす城壁にまで早足で移動する。

 既にワシが到着する前に兵士や民たちが、同じように城壁で帝都を闊歩する不死者たちの様子を窺っていた。

 今は巨大なドラゴンゾンビは帝都から離れているため、ここからは見えないが、またいつ戻ってきたらと思うと、気が気ではない。

 しかし城壁の皆が見ているのは正確には不死者ではなく、城下町の正門を目指して砂埃をあげながら一直線に突撃してくる、謎の軍隊の見ていたようだ。


「参謀、あの援軍は何処の国だ?」

「もっ申し訳ありませんが、存じ上げません!」

「わっ私もはじめて見ます」


 ワシはマジマジとその謎の軍隊の様子を伺うと、人間族ではない亜人たちが多いことがわかった。何より意味がわからなかったのは、各国に所属していることを示す軍旗である。

 今まで見たこともない奇妙な旗を、参謀に尋ねる。


「あの軍旗、赤い円が描かれているようにも見えるが?」

「はい、確かにそのように見えます。あの形は、夕日…でしょうか?」


 確かによく見ると、山の陰に沈んでいく夕日に見えるが、あのような軍旗は今まで見たことも聞いたこともない。それに亜人だけで編成された軍もだ。

 やがて亜人の先頭の部隊が城下町の入り口にたどり着き、圧倒的な数とも言えるアンデッドたちとの戦いがはじまった。


「近衛隊長、どうなると思う?」

「何処の国が援軍を出してくれたのかは不明ですが、どれだけ多く見積もっても彼らの軍はせいぜい一万。それに引き換え不死者たちの数は、今や帝都中を埋め尽くしており数え切れません」


 ワシの質問に悲痛な表情を浮かべる近衛隊長は最後まで答えられなかった。その先を言ってしまうとワシも彼らも救いはないと言っているのも同然だ。

 たとえどれだけ優勢だろうと、圧倒的な物量の前には、いずれ疲れて武器も心も折られ、全ての軍が押し潰されてしまうのだ。

 何しろ不死者たちは疲れるということはないのだ。ただ生者の命を奪うためだけに、永遠ともいえる時間を戦い続けることが出来るのだから。

 帝都や周辺の町に配備された全ての兵を用いても、城下町を埋め尽くしているアンデッドの大軍には勝てなかったのだ。助けに来てもらっておいて申し訳ないことだが、あの亜人たちの軍もすぐに、ワシたちと同じ運命を辿ることだろう。


「皇帝陛下、あの兵士たちが使用している弓には、矢筒がないように見えます」

「確かにそうだな。魔法で矢を作り出しているのか? しかし、ロッドも持っておらんし、魔法使いではないようだが」


 一体どういうことだろうか。夕日の軍旗を掲げる軍の先頭の部隊が次々と目の前のアンデッドたちを蹴散らして城下町に突撃する中、後続の部隊が援護とばかりに矢筒のない弓を引き絞っては、魔法の矢を飛ばして不死者の大群を的確に射抜いている。

 それはまさに百発百中であり、一度射るごとに敵が一体倒れていくのだ。帝国の精鋭中の精鋭ですら、そのような超絶技巧は不可能である。


「皇帝陛下、先頭の部隊も妙です。あれだけ長時間動き続けているのに、疲れもせずに武器も破損していません」


 確かに近衛隊長の言う通り、もう戦いがはじまってから、一時間は過ぎたというのに、一向に突撃の勢いが落ちる気配がない。それどころが、後続部隊との連携に慣れてきたように、アンデッドたちを殲滅する速度が上がっている。

 そんな疑問を感じていると、何処からともなく突然昔何処かで聞いた覚えがある、懐かしい少女の声が城壁の周囲に響き渡った。


「お久しぶりですわね。皇帝陛下。元気そうで何よりですわ」


 その少女はいつの間にその場所にいたのか。城壁からさらに高い位置に浮いていたのだ。しかも彼女だけではなく、千にも及ぶ亜人たちが目の前の女性に付き従うように、隊列を乱すことなく浮遊していた。

 そしてその者たちは皆、何故か赤い十字が描かれた鞄を下げていた。


「このような無作法をお許しください。戦時下なもので。ところで皇帝陛下、わたくしの部隊で城内の負傷者の治療を行いたいのですが、よろしいでしょうか?」


 金髪の少女はまるで女神のような微笑みを浮かべて、ワシに答えを求めてくる。

 あまりの事態に愕然としながらも、何とか皇帝として恥ずかしくないように平静を装い、目の前の女性の申し出を受ける。


「あっ…ああ、構わんよ。ワシと君の仲だ」

「ありがとうございます。皇帝陛下のご配慮に感謝致しますわ」


 そう言って少女は部下に目配せすると、彼女の部下たちはそれぞれ別々の場所に降下していき、目についた負傷者に次々と回復魔法をかけていった。


「驚いたな。君の部隊は皆回復魔法が使えるのか」

「ええ、わたくしの自慢の部下たちですの」


 いつの間にか目の前に降りた彼女に、この前会ったときには、膝ぐらいまでの大きさしかなかったのに、もうここまで育ったのかと、昔を思い出して懐かしく感じた。


「それにしても、今まで一体何処に? ロレッタ…」

「皇帝陛下」


 ワシが彼女の家名を呼ぼうとしたときに、金髪の少女は強い口調で止めに入る。


「わたくしはロレッタ。ただのロレッタですわ。それに、他の四人も元の家は捨てました」

「そっ…そうか。悪いことを聞いたな。わかった。訳は聞くまい。それに家名も呼ばぬ。

 それよりも、他の四人というのを教えてもらえないか?」


 ワシの質問にロレッタは鈴を転がすように明るく笑い、その時がきたらお教えしますわ…と答える。この少女はこのような顔で笑えるものなのだな。

 親族に帝都に連れられて来たときは、常に沈んだ表情をしていたことを思い出す。

 ワシが昔を懐かしんでいると、参謀が町の外を指差して大声で呼びかけてきた。


「皇帝陛下! あっ…あれを見てください!」


 参謀の指差す方向を見ると、帝都の正門のすぐ近くに、巨大な城のような何かが建っていたのだ。先程は何もない平野だったはずだ。いや、ワシが生まれた頃から、そこには平野のみで何もなかった。それなのに何故突然現われたのだ?


「あれはサンドラの部隊の仕業ですわ」


 ワシたちの疑問に、ロレッタがすぐさま答えてくれた。その名前も聞き覚えがある。確か目の前の少女と同じように聖王国に連なる…いや、今は止めておこう。

 彼女以外の四人も元の家を捨てたのだ。もはや関係はあるまい。

 それよりも、今は城下町の外に建ってられた城のほうが気になる。近衛隊長に意見を聞く。


「近衛隊長よ。あの城をどう見る?」

「どのような手段で建てられたかは不明ですが、外堀から四方を囲む高い壁、何より白亜の城の美しさに圧倒されます。しかし、あそこまで飾り立てられると、拠点防衛には些か疑問が…」


 確かに水の張られた堀や壁だけでも拠点防衛としては十分な気がするが、白亜の城が見事過ぎるために、どうしても囲まれた分厚い壁よりも脆そうだという感想が出てしまう。

 そんなワシと近衛隊長に、ロレッタが口を挟む。


「あれはノイシュバンシュタイン城というお城を元にした、アカネさんの故郷にある宿泊施設の再現ですわ。大魔法の直撃程度なら十発や二十発は耐えられるように強化してありますので、心配いりませんわ」


 大魔法に耐えられるというだけでも驚きなのだが、それが十、二十となると、もはや想像すら出来なかった。しかもアカネさんと聞こえた。

 もしや、今全世界で噂になっている、女神アカネという女性だろうか。


「今回は時間がないとわかっているはずですのに、いつも通りのこだわりよう。見た目的に妥協出来ないのがサンドラの悪い癖ですわね。今は強度のほうが大切ですのよ」


 もう、仕方ない子ね…とばかりに、目の前のロレッタが頬に手を重ねる。

 ワシと参謀と近衛隊長は、もはや言葉もなかった。回復魔法を使える優秀な魔法使いがあれだけの数を揃えた支援部隊、長時間動き回っても疲れもしない近接部隊、百発百中の矢を連射する遠距離部隊、そして白亜の城の美しい城をたったの一時間程度で建ててしまえる構築部隊。

 そのうちの一部隊さえあれば、世界の覇権を握ることさえ夢ではないかもしれない。ワシはゴクリと喉を鳴らす。


「ろっ…ロレッタ嬢、今ワシの孫が不死者の襲撃により負傷しており、城内の一室で治療中だ。君も昔会ったことがあるだろう?」

「あら、それはいけませんわね。すぐに部下を派遣しますわ」


 昔の彼女は、ワシの孫と仲良く遊んでいたような気がしたのだが。そしてほのかな恋心も抱いていたはずである。それなのに今のロレッタはまるで興味もないとばかりに、孫に近くの部下を派遣して事務的に治療を行おうとしている。


「ロレッタ嬢、孫も久しぶりで会いたがっていると思うのだが? 何よりお互いに積もる話もあるだろう?」

「あらそうですの? しかし、わたくしは特別会いたいとは思いませんし、お話したいこともありませんわよ?」


 ここまではっきりと物を言う女性でもなかったはずだ。子供の頃は常に周りから一歩引いて、波風を立てないようにコソコソと生きていたのだ。それにワシは皇帝陛下で、この帝国で一番地位が高いはずだ。それを遠回しな要求とはいえはっきり断り、興味すらなさそうにしている。


「一つ聞いてもいいだろうか」

「どうぞ、皇帝陛下」

「ロレッタ嬢は、皇位や権力に興味がないのだろうか?」

「わたくしは今の生活で十分満足していますの。ですので興味は全くありませんわ」


 表情を微塵も変えずに堂々と言い切るロレッタに、もはや脈なしと判断する。

 彼女がそう言うのなら、他の四人も同様だろう。ワシは目の前の金髪の少女がそこまで気に入る、アカネさんという女性に興味が出てきた。


「ロレッタ嬢よ。女神アカネ様との生活に満足していると言うが、今までの生活や地位を簡単に捨て去れる程なのか?」

「天国と地獄、花園と糞尿ですわね」


 ロレッタが鼻を鳴らして、さも当然という態度でここまで言われては、ワシはますます気になってきてしまう。


「帝国の皇位を得れば、ロレッタ嬢も天国のような生活を過ごせると思うが?」

「残念ですがわたくしが皇帝陛下の地位に立ったとしても、少しだけマシな地獄がせいぜいですわ」


 そうか。今のワシの生活は少しだけマシな地獄だったのか。普通ならば無礼者と切り捨てることも出来るのだが、目の前のロレッタは周りで見ている兵士や近衛隊長ですら軽くあしらいそうだ。

 それ以上に巨大なドラゴンゾンビに続き、女神アカネが派遣したとんでもない軍隊の孤軍奮闘ぶりに、もはや何もかもがどうでもよくなってきた。


「はははっ、そうか! 少しだけマシな地獄も、巨大なドラゴンゾンビに蹂躙されれば、本当の地獄に格下げされそうだな!」

「ご安心を、その前にアカネさんが片付けますわ」


 そのアカネさんと呼ばれる女性も、ワシが死ぬ前に一度はこの目で見てみたいものだ。そんなことを考えていると、帝都の空が突然黒く曇った。

 雨雲でも広がったかと思い何となくに天を仰ぐが、よく見るとそうではなく、黒い無数の矢が帝都を丸ごと覆う程に広がり、遙か上空にに浮かんだまま静止していたのだ。


「ロレッタ嬢、あっ…あれは何だ?」

「レオナの魔法部隊ですわね。今上空で静止させた黒の矢を、帝都のアンデッド全てに狙いを付けているのですわ。本当は更地にしたほうが楽ですが、町に被害を出すことをアカネさんは嫌がりますしね。あの魔法にはもちろん一人だけではなく、魔力供給や敵への狙い、そして黒の矢を作り出す魔法使いたち、全てを一つに繋げて行使しているのですわ」


 ロレッタの言葉は専門的だったため、詳しくはわからなかったものの、おそらくは多くの魔法使いで一つの大魔法を協力して唱えているのだろう。

 やがて空中に静止していた無数の黒の矢が、まるで大雨のように帝都に降り注いだ。その全てがアンデッドたちの体を容赦なく貫き、黒い炎を燃え盛らせて、灰も残さずに消滅させていく。


「どうやら終わったようですわね」

「おっ…終わった? あれだけのアンデッドの大軍が? こんなあっさりと?」


 ロレッタの言葉を疑うワシだが、やがてしばらく待っても城下町は静かなままで、何も動き出すものがいないことを確認し、これで帝都は救われたと思ったとき、異変が起こった。


「やっ…奴が来たか!」


 平原の遥か遠くから巨体を震わせながら、白亜の城に向かってドラゴンゾンビが突進してきたのだ。おそらく自分の生み出した同胞を全滅させられたことを、何らかの方法で感じ取ったのだろう。

 巨体に似合わぬ速さでサンドラが築いたと言われる拠点に向かい、一直線に突っ込んでくるのがわかる。距離がみるみる縮まり、やがてあと少しで衝突するとき、白く美しい城に、頭を下げて頭突きを食らわせようとする。


「ぶっ…ぶつかるぞ!」


 全速力で白亜の城に突撃を敢行するドラゴンゾンビに、城壁で様子を見守る皆もあまりの恐怖に顔を歪ませる。しかしロレッタは一人、冷静な表情でポツリと呟いた。


「思った以上の小物ですわね。肩透かしもいいところですわ」


 そう彼女が呟いたのと、ドラゴンゾンビが白亜の城にぶつかるのは同時だった。しかし、驚くべきことに、壁に当たる直前に目に見えない結界に弾き飛ばされ、巨竜は骨の体でドスンドスンと平原の地面をえぐりながら、かなり離れた位置まで跳ねるように転がっていったのだ。


「なっ…何が起こったのだ?」


 ワシ以外の皆も、あまりの光景に理解が追いつかなかった。そのまま吹き飛ばされたドラゴンゾンビは、何度か信じられないとばかりに首を振ると、ゆっくりと立ち上がり、再度白亜の城に突撃する構えを見せる。

 すると、サンドラが構築したと言われる防衛拠点より、二人の若者が飛び出し、巨竜に向かって猛然と走っていく。まるで自殺だと思える行動に、成り行きを見守る城壁の上の民たちも、絶望のあまりに思わず顔を覆う。


「皇帝陛下、心配はいりませんわ。アレクとフィーなら、必ずややってくれますわ」


 猛然と走り続ける二人の人間を、ドラゴンゾンビはまるでうるさい羽虫だとでも思ったのか、巨大な尻尾を振るって平原の地面ごと押し潰そうとする。

 恐るべき質量と速度で、アレクとフィーと呼ばれる若者に襲いかかるが、当たると思った次の瞬間には、巨竜の尻尾のほうが真っ二つに切断されて空を舞っていた。


「アカネさんが言うには、竜狩りで尻尾を切るのは役目だよ…とのことですの。つまり、アレクは立派に役目を果たしたということですわ」


 やがてしばらくの間空を飛んでいた尻尾が重い音を立てて落下し、周囲に砂埃を巻き上げる。ドラゴンゾンビのほうは痛みは感じないものの、自分の体が傷つけられたことに怒り、手足を何度か地面に叩きつけると、白亜の城ではなく、二人の若者を敵と判断したようだ。

 そのまま近くで巨大な口をガチガチと噛み合わせて、今度は食い殺そういう姿勢を見せる。

 すると先程尻尾を切断した若者とは別の銀髪の男性が弓を構えて、一瞬のうちに何十発という魔法の矢を巨竜の口の中に正確に叩き込んだ。そしてその全てが口内で大爆発を起こし、アゴ付近の骨のいくつかが欠けて地面に刺さる。


「あちらがフィーですわ。しかし、想像以上に知能も戦闘能力も低いようですわね。ブレスすら吐けないとは、本当に神なのかしら? それ以前にドラゴンですの? アンデッドの生産能力以外は、普通の魔物ですわね」

「かっ…神? あのドラゴンゾンビは神だというのか!?」

「ええ、元々はハイエルフたちが崇拝していた世界樹の神、エンシェントドラゴンですわ。もっとも、実際は見ての通りで、知能のない巨大な竜のアンデッドですわ。やはりアカネさんが言っていたように、呼称は骨で十分ですわね」


 冷静に言葉を続けるロレッタに愕然としながら、次にワシはその神を容易くあしらう二人の若者に目を奪われてしまう。まるで子供の頃に夢見た英雄譚を見ている気分だ。

 フィーという少年にこれ以上魔法の矢を叩き込み続けられるのは嫌なのか、ドラゴンゾンビはあからさまに痛そうに骨の顔を歪ませながら、すぐに口を閉じる。

 そのまま若者二人を油断なく観察して、次は巨竜と彼らが何をするのかと城壁の皆は戦々恐々と見守っていると、突然空に変化が起きた。


「とうとう来ましたわね。ということはハイエルフの森が片付いて、残るはあの骨だけということでしょうか?」


 突然空中に現われた黒い球体がひび割れると、漆黒のドレスを身にまとった、まるで神話の女神のような美しい黒髪の少女が、ワシたちの前に姿を現した。


「皇帝陛下、あの方がアカネさんですわ」

「ああ、ワシも一目見て確信した。あの方が女神アカネ様だとな」


 思わず膝をついて祈りを捧げたくなる衝動を何とか堪えて、世界樹の神と空中で向かい合っている女神アカネ様を見守る。


「ロレッタ嬢、女神様は何をするつもりなんだ?」

「わたくしにもわかりませんわ。特に、アカネさんの行動は毎度のことながら、皆を驚かせますので」


 どうやら使徒であるロレッタにもわからないようだ。ワシを含めた城内の皆と、アカネ様の率いる軍の全てが、じっと成り行きを見守る。

 やがて世界樹の神が女神様を食べようと大口を開けて空に飛びかかろうとしたとき、彼女はそっと右手を伸ばした。


 するとドラゴンゾンビの全身が黒く鈍い光に包まれ、直後に巨竜の漆黒に染まった体から水滴が零れ落ちる落ちるように次々と空へ、地面へと小さな黒い粒がキラキラと散りはじめ、あれよあれよという間に黒く輝く巨竜が小さくなっていき、やがて一分もしないうちに帝都の人々が見守る前で、跡形もなく消えてしまったのだ。


 後には空や地面に落ちたはずの漆黒の粒子も完全に消え去り、まるで夢でも見ていたかのように、最初からそこには何も存在しなかったかのように感じる。

 しかし大きく地面のえぐれた跡や、不死者の大軍により崩れ落ちた帝都という現実を思い出し、世界樹の神は先程まで確かに存在していたのだと考え直す。


 皇帝の威厳も型なしに呆然とするワシだったが、ふいに女神アカネ様にこちらを見られたように感じた次の瞬間、景色が黒く歪み彼女が突然目の前に現われたのだった。


「ロレッタちゃん、お疲れ様。怪我はなかった?」

「はい、アカネさん。おかげさまでこちらの負傷者はありませんわ。それにしても、さっきの魔法は一体?」


 ロレッタは慣れているのか、突然現われた女神様と普通に話しているが、ワシは心臓がバクバク鳴りっぱなしで、驚きすぎて心臓が止まり思わず天に召されるかと思ったのだ。

 しかし、近くで見るアカネ様は、本当にお美しい。ワシがまだ現役だったら、この場で即プロポーズしたものを。しかしいざ告白しようとすると彼女の神性な雰囲気に邪魔され、物怖じしてしまいそうだ。

 そんなことを考えていると、女神様はとんでもないことを言い放った。


「ん? あの魔法? アタシがいざこの世界から消えようと思った時の、自己消滅魔法だよ。今回は不完全な神様だから効いてよかったよ。抵抗されたらどうしよ…」

「消えてはいけませんわ!」


 何というとんでもない魔法を使う女神様だ。ワシもロレッタと同意見だ。もし失敗して彼女のほうがこの世界から消えてしまったら、冗談では済まされない。


「いやいや、別に特殊な完全貫通の魔法だから跳ね返されたりしないし、アタシも別にまだ消えるつもりは…」

「まだということは、アカネさんはいつかは消えてしまうということですの!?」


 ボロボロと大粒の涙を流しながら、ロレッタは悲痛な表情をしたまま女神様の胸に飛び込み、必死にすがりつく。


「ええと、ロレッタちゃん? 別に今すぐは消える予定はないよ。

 今は色々と荷物を背負っちゃってるしね。昔はメイドさんたちを信頼できる誰かに預けたら、消えてもいいかなー? …とかちょっと考えてたけど」

「嫌ですわ! アカネさんがいなくなるなんて! 絶対に嫌ですわ!」


 ロレッタの訴えに困った顔をする女神様は、やがてすがりついたままワンワンと泣き喚く金髪の少女の髪を、優しく撫でてあげた。


「少なくともロレッタちゃんたち、五人の子供たちが天寿を全うするまでは、絶対に消えたりしないよ。

 今はそれ以外にも、アカネ町や連合都市の人たちの面倒も見ないといけなくなっちゃったしね」

「グスン…本当ですの? 嘘ではありませんの?」


 少しずつ落ち着いてきたロレッタの金色の髪をゆっくりと撫でながら、女神様は優しく語りかける。


「本当だよ? 神に誓ってね。まあアタシは偽女神で普通の女の子だから。そうだね。聖王神様にでも誓っておこうかな?」

「そこは女神アカネ様に誓ってください。聖王神ではいくら誓っても平気で破りそうですわ」


 目の前の女神様を知ってしまったためか、ワシも聖王神を物凄く胡散臭く感じるようになった。もっとも、今ままで神を信じたことなどなかったのだが。

 それと本人は必死に否定しているが、アカネ様こそが本物の女神様だということは、この場にいる者なら誰もが確信しているはずだ。


「いやいや、アタシがアタシに誓っても誓いの意味ないんじゃない? せめて騎士の誇りに賭けてとか、じっちゃんの名に賭けてぐらいの誓いの強さは欲しいね。それに何より偽女神だよ?」

「いいですわ。わたくしにとっては、アカネさんこそが唯一本物の女神様ですもの!」

「うーん…まあ、ロレッタちゃんがそれで納得してくれるならいいんだけど。その誓いは本当に強制力あるのかな?」


 女神様に嬉しそうに甘えるロレッタは、ワシから見てもまるで本物の家族のように見える。しかし困ったものだ。これ程まで皆に慕われ、そして皆を愛しているアカネ様が、心残りがなくなれば消えてしまうとは。


 ここは一つ、可愛いロレッタのために一肌脱いでやるとしよう。決してワシも女神様の信徒になりたいからではない。ないったらないのだ。

 アカネ様がまだまだこの世界から消えるわけにはいかないと思えるように、未練を増やしてやるのだ。


「女神アカネ様」

「だから女神じゃないんだけど! …それで、何?」

「ワシたちの住む帝国を、助けてくれませんか?」

「えっ? 何で? 嫌だよ!」


 目の前の女神様が顔の前で断固拒否とばかり両手でバツ印を作り、頭の中では疑問を浮かべているようなので、ワシは噛み砕いて説得することにする。


「世界樹の神により、帝国は壊滅的な被害を受けました」

「うん、大変そうだね。復興頑張ってね」

「しかし、女神アカネ様の采配により最悪の事態は避けられました」

「アタシじゃなくて、アカネ町や連合都市の皆が頑張ってくれたおかげだね。後でお礼を言っておいてよ」


 本当にこの女神様は何処まで人がいいのだろうか。神が果たしたことなど、大したことないとまで言い放ち、人間や亜人たちが頑張ったおかげだと褒めてくれる。まったく、このような神様ならば、皆喜んで信仰するのだが。


「ここまで手を貸してくれたのですし、もう少し手伝ってもらえませんか? 何でしたら、女神様が帝国を直接統治してくれても構いません」

「いやいや、アタシそういうの絶対にいらないからね! 帝国は帝国の人たちが治めてよ!」


 アカネ様は圧倒的な力を行使しながら相当に腰が低い神様のようだ。おとぎ話や伝承に出てくる神は皆、人の命や捧げ物を受け取り、面白半分で願いの本質を捻じ曲げて叶えてくるのだが。

 まさかその前段階である従順な信者や国そのものすら欲しがらないとは。そしてワシはあまりにもグイグイ押し過ぎたかと、作戦の失敗を心の中で嘆いた。


「でもまあそうだね。大規模災害に見舞われた国に災害支援を行うこともあるし、帝国の復興が終わるまでなら手伝うよ。それに、中途半端で見捨てるのは何となくモヤモヤするしね」

「感謝します! 女神アカネ様!」

「だからアタシは女神じゃな…まあいいや。どうせまたすぐ丸投げするし」


 しめしめ、女神様は復興が終わったら適当なところで手を引くつもりだろうが、そうはいかない。

 帝国を支配してもらえないのなら、何としてでもアカネ町の友好国に持っていくのだ。ワシの引退までに叶わなかったとしても、息子や孫たちがいつか必ず果たしてくれるだろう。今ならば目の前の女神様のおかげで、そのような素晴らしい未来の訪れも希望を持って信じられる。


 それに帝国の民が女神アカネ様を崇めるのは、もはや時間の問題だ。もちろん、帝国全土の民がという意味だ。既に帝都の民はワシも含めて全員陥落しているのだからな。

 皇帝を引退したら、噂に聞くアカネ町にもぜひ住まわせてもらいたいものだ。その前にワシの最後の役目を果たさなくてはな。

 しかし女神様が作ったというアカネ町に行くのが、今から楽しみで仕方ない。

 さっさと復興を完了させ、友好国に舵を取った後には息子に皇帝を押しつけ、愛しい女神様のお膝元で気楽な隠居生活を満喫したいものだ。


 女神アカネ様と五人の使徒、そしてアカネ町と連合都市の連合軍の活躍により、邪悪な神であるエンシェントドラゴンゾンビは倒された。

 しかし邪悪な神が生み出した大量のアンデッドにより、壊滅的な被害を受けた帝国を憐れみ。女神アカネ様は救いの手を差し伸べ、帝国の復興に協力することを宣言した。

 アカネ聖国記より抜粋。




 アカネ聖国の軍隊は、当時としては常軌を逸した強さをもっていた。長時間の戦闘にも耐えうる近接部隊、百発百中の魔法の矢を連射する遠距離部隊、全ての者が無詠唱の回復魔法を修得済みの支援部隊、部隊全てで一つの極大魔法を発動出来る魔法部隊、一時間もしないうちに巨大な城を築く構築部隊。

 これらの部隊の領域に到達するには、現代になった今でも困難なのである。


 また、今までも魔法使いたちの力を合わせて一つの魔法を使用することはあった。しかし、それが皆が全く同じ魔法を唱えるという行動で、邪神との戦いで使徒レオナが用いたように、魔力も技能も違う各々の魔法使いたちをまるでパズルのように組み合わせ、神にも届きうる今まで誰も見たことも効いたこともない、一枚の全く新しい極大魔法を完成させるというということは、過去はもちろん現代でも彼女以外に成功させた魔法使いは現われていない。

 しかし、この魔法式の発見により、数人の魔法使いがそれぞれ別の詠唱を行い、一つの強力な大魔法を発動させることが可能になり、今後の魔法技術が飛躍的に進歩するきっかけとなったのだった。


 女神アカネと帝国の復興に手を貸したと記されているが、こちらはエンシェントドラゴンゾンビと大量のアンデッドを討伐した際に出た被害と、連合都市の援軍に対する費用にあてるため、帝国にアカネ聖国の楔を打ち込み、今後の資金の捻出を容易に行うための、事実上の支配勧告だというのが、歴史学者たちは考えている。

 また、エンシェントドラゴンゾンビを塵も残さずに消滅させた魔法については、現代になった今でも、どのような大魔法なのか手がかりさえ掴めない状態で、魔法学者たちは毎日のように頭を悩ませている。


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