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第一章 火花④

 此度の中央競技場は、平時をはるかに超える歓声に包まれていた。

 だが、その熱とは裏腹に、空気は重い。

 円形に広がる石造りの闘技場。その外周を幾重にも取り囲む観客席はすでに埋まり、石段の隙間まで熱が満ちている。上空に浮かぶ巨大な演算水晶は、ゆっくりと回転しながら淡い青白い光を降らせ、中央の円形強化陣を照らしていた。

 光は冷たい。だが、場内の空気は熱を帯びている。

 準決勝。その事実が、言葉にならない圧力となって競技場を包んでいた。

 床面に刻まれた強化陣が微弱に明滅する。衝撃吸収、魔力制御、致命傷判定。幾重にも重ねられた安全術式が循環し、その脈動が足裏から微かに伝わってくる。

 安全な戦いなどない。ここに立つ者にとっては、なおさらだ。



 控え通路は外の喧騒と隔絶されていた。

 石壁に埋め込まれた魔光灯が淡く揺れ、長い影を床へ落としている。遠くから聞こえる歓声は、ここまで届く頃には低い振動に変わっていた。

 フリントは冷たい壁に背を預け、視線を落とす。

 拳を数回開いては握るを繰り返すことでガントレットの金属板が、わずかに軋む。

 革紐の締まりを確かめ、指の可動域を確かめる。手首を回し、肘を伸ばす。問題はない。身体は軽い。

 ただ胸の奥に、わずかなざわつきがある。


「静かだな」


 横から声がした。

 レオンが腕を組み、壁に寄りかかっている。いつもの軽い笑みを浮かべているが、その目は真剣だ。


「フリント。お前らしくない顔してるぞ」

「いつも通りだ」


 彼は視線を上げない。

 その応対に茶髪の少年は小さく笑う。


「準決勝だぞ。そりゃ普通は多少は緊張するさ」

「してない」


 即答だった。

 だが、握った拳にほんのわずかな力みが残る。

 レオンはそれを見逃さない。


「まあいい。なあ」


 少し間を置いて、彼は続ける。


「勝てるか?」


 問いは軽い調子だったが、そこに嘘はない。

 フリントは顔を上げた。

 視線は真っ直ぐ前へ。


「勝てるかじゃない。勝つ」


 金髪の少年に迷いはない。

 そのはずだったが、言葉の奥底で何かが揺れる。

 回廊の影。黒い外套。霞んだ声。

 ——君は、彼女には勝てない。

 胸の奥が、ほんの一瞬だけ冷えるがフリントは息を吸い込み振り払う。

 今は関係ない。

 茶髪の少年は肩をすくめた。


「そう言い切れるのがお前だよな。噛み合えば、お前の爆発力は誰よりも上だ」

「爆発力ってなんだ」

「そのまんまだよ」


レオンはゆっくりと観客席の方へ歩きながらフリントに背を見せながら言う。


「理屈じゃなくて、突き抜けるやつ」


 軽口が交わされる。

 それが救いになり、気持ちに余裕が生まれる。

 遠くで鐘が鳴った。

 それが入場の合図である。



 反対側の控え通路。

 シエラクロスは静かに立っていた。

 群青の髪が背へ流れ、魔光灯の光を受けて淡く揺れる。制服の上着はきちんと留められ、袖口まで乱れはない。立ち姿は無駄なく整っている。

 手にした細身の剣を半ばまで抜き、刃を確かめる。

 刃は澄んでいた。薄い銀の線が光を返し、その奥で魔力が静かに循環している。流れに乱れはない。呼吸と同じように、安定していた。

 彼女は目を閉じる。

 深く吸い込んだ空気が肺を満たし、ゆっくりと吐き出される。その間、思考は澄んでいく。

 相手は、あの金髪の少年。

 一直線に突き進む強さ。理論では測りきれない直感。読み切ったはずの軌道を、最後の瞬間にずらしてくる拳。

 整えたはずの戦術を、衝動で壊してくる存在。

 だが——それでも。

 シエラクロスは剣を鞘へ戻した。

 迷いはない。勝敗に感情を挟む必要はない。目の前の相手を、正面から受け止めるだけだ。



 通路の奥から差し込む光が、石床に長い線を引いている。


 フリントはそれを踏み越え、ゆっくりと歩き出した。足音が石壁に反響し、わずかに遅れて返ってくる。外の歓声はまだ遠い。だが一歩進むごとに、空気が変わっていくのが分かる。

 温度が上がる。ざわめきが近づく。

 通路を抜けた瞬間、視界が一気に開けた。

 白い石の円形競技場。段々に重なる観客席。その上空でゆっくりと回転する演算水晶。青白い光が降り注ぎ、中央の強化陣を淡く照らしている。

 歓声が押し寄せた。


「フリントライズ!」


 名が空間を震わせ、胸の奥に響いた。鼓動が一拍強く打つ。

 彼は歩く。視線を逸らさず、中央へ。

 反対側の通路から、群青の髪が現れた。光を受けて揺れるそれは、まるで静かな炎のようだった。

 歓声は大きくはない。

 だが深い。息を呑む期待が、競技場の底に沈んでいる。

 二人は中央で向き合う。

 十歩の距離。

 観客のざわめきが、ゆっくりと遠のいていく。代わりに、足裏から伝わる強化陣の振動が鮮明になる。

 フリントの視界に映るのは、銀灰の瞳と剣の切っ先。シエラは静かに構えた。重心は安定し、呼吸は一定。無駄のない姿勢が、揺るぎない強さを示している。対するフリントは低く沈み、拳を構える。いつでも踏み込める位置。一直線に打ち抜くための形。

 直線。それが彼の戦い方だ。

 審判が一歩前に出る。


「準決勝。フリントライズ対シエラクロス」


 宣言は短い。ルールの確認も簡潔だ。致命打判定あり。戦闘不能、または降参で終了。

 審判が退く。空気が凍る。観客のざわめきが、まるで水の底へ沈むように遠ざかっていく。

 鐘が鳴った。

 そして乾いた音が競技場全体を震わせる。湧き上がる歓声が背を叩く。

 その余韻が消えるよりも早く、二人は動いていた。

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