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第三章 始まりの火花⑤

 翌朝、フリントはいつもより早く目を覚ました。

 窓の外にはまだ薄い朝靄が残っており、施設内の鐘も鳴っていない時間だった。寝台の上で数秒だけ天井を見つめ、それからゆっくり身体を起こす。昨夜の出来事が頭の中で静かに整理されていた。

 アルベルト・グレイン。上級生の選抜戦優勝候補。やり直しの中、毎回シエラクロスとの決勝戦が決まる対戦相手と言う変わらない未来に因果関係を感じはしたが、あの様子を見る限り実直に正々堂々と戦う人種に見えた。少なくとも現時点の見立てでは彼女に及ばない実力と考える以上はシエラクロスの死の現場の惨状を作り出せないと判断し、容疑者から外す。

 次にセリウス・ハルバート。装置開発の技術者。研究者。少なくとも戦闘の匂いはない男だった。あの反応は作れない。剣士でも、戦場を知る人間でもない。それに話してみた感じの人柄を見ても優しくて誰かを手にかけるようには思えない。つまり——今のところ彼も外す。

 そう判断した瞬間、頭の中に残った名前がある。クロウ・ヴァーディン。中央都市で噂になっている便利屋だ。

 フリントは顔を洗い、制服を整えるとそのまま部屋を出た。学院の廊下はまだ人が少なく、早朝の空気は冷たい。階段を下りて門を抜ける頃には、街の音が少しずつ聞こえ始めていた。中央都市ヴァルディアは研究都市でありながら交易都市でもある。朝は早く、学院の外に出ればすでに屋台の準備が始まり、通りには荷車が行き交っていた。商人、研究員、職人、様々な人間が入り混じりながら街はゆっくり目を覚ましていく。

 その賑やかな喧騒の中、中央市場へ向かった。こういう噂は、人が多い場所ほど広がる。市場の通りへ入ると、すでに店の呼び声が飛び交っていた。果物を並べる店主、肉を切り分ける商人、朝食を買う研究員。まだ早い時間だというのに、人の流れは絶えない。フリントはその中で一つの屋台の前に立ち止まった。果物を並べていた店主が手を止め、制服を見て眉を上げる。


「アイシードの院生か?」


 フリントは短く頷いた。


「便利屋を探してる」


 店主の手が止まる。リンゴを磨いていた指先がわずかに止まり、視線だけが金髪の少年を測るように動いた。


「……便利屋?」

「クロウって名前らしい」


 数秒の沈黙が落ちた。市場の喧騒だけが耳に入る。やがて店主は肩をすくめ、小さく笑った。


「朝から面白いこと聞くな」

「いるのか」

「まあな。この街にゃそういう奴もいる」


 店主はリンゴを並べ直しながら続ける。


「だが決まった店は持ってねえ。仕事の匂いがする場所に出るって話だ」


 フリントはわずかに眉を寄せる。


「具体的には?」

「酒場とか、裏通りの方だな」


 それ以上の情報は出てこないと判断した彼は短く礼を言い、市場を離れた。中央通りを歩きながら街の様子を観察する。研究所や工房、魔術装置店が並ぶ通りはこの都市らしい景色だ。だが裏通りへ近づくにつれて建物は古び、道幅も狭くなっていく。酒場や宿屋が並ぶ区域だった。昼間は静かだが、夜になると人が集まる場所だ。

 便利屋。依頼屋。つまり仕事の匂いがある場所に現れる人間。そんな人間が昼間から堂々と歩いているとは思えない。

 裏通りへ入る道を探しながら歩いていると、不意に後ろから声がかかった。


「……何してるの?」


 振り向くと赤い短髪の少女、オルタディナが立っていた。腕を組み、少し呆れたような顔でこちらを見ている。院内の制服姿のまま、裏通りの入口に立つその姿は周囲の雰囲気と少しだけ浮いていた。


「サボってるの?」


 短く否定する。


「違う」


 その返事にオルタディナは周囲を見渡した。市場から少し外れたこの区域は、学院の生徒が用もなく歩くような場所ではない。視線が戻り、フリントの顔をじっと観察する。


「便利屋でしょ」


 フリントの目がわずかに細くなる。


「……何で分かった」


 オルタディナは首を振る。


「この辺でその名前出して歩いてたら分かるわよ」


 少し間を置いてから、軽く付け足す。


「この地区、私の地元だもの」


 フリントは一瞬だけ黙った。院生の中でも、街の裏側まで知っている人間はそう多くない。だがオルタディナは違う。街で育った人間だ。


「クロウを探してるなら案内してあげる」


彼女の言葉に視線を向ける。


「知ってるのか」


「顔くらいはね。この街で便利屋なんてやってる人間、そう多くない」


 そう言うと、オルタディナは先に歩き出した。慣れた足取りで裏通りへ入り、角を曲がっていく。数歩進んで振り返った。


「で、来るの?」


 金髪の少年は数秒だけ考えた。自分一人で探し回るより、この街を知っている人間に案内させた方が早いのは確かだ。あまり気乗りはしない少年だが、ここは彼女の気紛れに頼るしかない。


「……行く」


 オルタディナは小さく笑った。


「最初からそう言えばいいのに」


 そうして二人は並んで裏通りを歩き始めた。石壁に挟まれた細い道が続き、昼間でも人通りは少ない。街の喧騒は遠く、足音だけが静かに響く。オルタディナは迷う様子もなく道を選びながら進んでいく。


「便利屋っていうのはね」


 彼女がぽつりと言った。


「表の仕事と裏の仕事の境目にいる人種よ。護衛とか調査とか、依頼次第で何でもやる」


 講義を聞くような感覚でフリントは黙って歩く。


「ただし、本当に腕の立つ人間は、そう簡単に姿を見せない」


 裏通りの奥へ進むほど、街の音は遠くなっていく。やがてオルタディナが足を止めた。古い倉庫が並ぶ区画だった。扉が閉まった建物と半開きの建物が混ざり、昼間だというのに人の気配は少ない。

 赤短髪の少女は軽く顎で奥を示す。


「あの辺にいることが多いわ」


 その方向を見た。古びた倉庫が並ぶ影の中に、まだ見えない何かが潜んでいるように感じる。

 クロウ・ヴァーディン。噂の便利屋。

 ようやく、その影に近づきつつあった。

 倉庫街の入口でオルタディナは一度足を止めた。先ほどまで迷いなく歩いていた足取りが、ここに来て少しだけ緩む。周囲を見回し、通りの様子を確かめるように視線を巡らせてから、小さく息を吐いた。

 昼間でもこの辺りは静かで倉庫の壁は古く、石材は黒ずみ、長い年月の跡が残っている。中央都市の中心部の整然とした街並みとは違い、ここはどこか生活の裏側のような空気が漂っていた。

 フリントは黙ってその様子を見ていた。

 彼女は少しだけ肩を回してから言った。


「この辺、久しぶりだわ」


 懐かしむような声だった。

 フリントは視線を前に向けたまま聞く。


「地元って言ってたな」


 赤短髪の少女は小さく頷く。


「正確には、この辺りで育ったってだけだけどね」


 少し歩きながら続けた。


「中央都市って言っても広いでしょ。研究区画とか上の街は綺麗だけど、下の街は昔からこんな感じ」


 石畳を靴が踏む音が静かに響く。


「院生の人はあまり来ないわね」

「来る理由がない」

「そうね」


 オルタディナは苦笑した。


「まあ普通はそう」


 倉庫の壁を指で軽く叩きながら歩く。その仕草が妙に自然だった。まるで昔からこの道を歩いてきたかのように。

 フリントは少しだけ視線を向ける。


「お前の家はこの辺か」


 彼女は首を横に振ってさらりと言った。


「家っていうのは、なかったわ。私は捨て子だったから」


 その言葉を聞きながらも足を止めなかった。ただ、わずかに視線を動かす。

 オルタディナの声は軽い。深刻さを隠すような言い方でもない。ただ事実を話しているだけの口調だった。


「この街ってさ、研究者とか商人とかいっぱい来るでしょ」


 少し先の倉庫を見ながら言う。


「でもその分、捨てられる子供も多いのよ」

「私はこの辺の倉庫街で拾われた」


 風が通り抜けるのを感じながらフリントは聞いているだけだった。

 彼女は少し間を置いてから目を細めて言った。


「正確には、見つけられたって言った方がいいかな

。クロウに」


 倉庫の壁に背中を軽く預け、少しだけ空を見上げる。


「まあ、その時から便利屋だったかは知らないけどね。子供の頃、よく世話になったのよ」

「家族じゃないのか?」

「違うわ。そんな綺麗な関係じゃない」


 オルタディナは笑い、靴の先で小石を蹴る。


「ただ、死なない程度には面倒見てくれたって感じ」


 言葉は軽いが、その内容は軽くない。


「飯をくれたり、危ない場所に近づくなって言われたり」


 少しだけ遠くを見る。


「たまに仕事の手伝いさせられたり」

「便利屋のか」

「荷物運びとかね」


 彼女は頷いた。


「子供でもできること」


 そして少しだけ笑う。


「まあ、あの人は面倒見いい方よ」

「それでアイシードか」

「うん」


 オルタディナは歩き出し、倉庫街の奥へ進みながら言う。


「ある日、アイシードの人間がこの地区に来たの」


フリントは黙って聞く。


「孤児の調査。魔力適性がある子供を探してた」


 オルタディナは指で前を示す。そして少し肩をすくめた。


「私は運良く引っかかった」

「嫌じゃなかったのか?」

「どうだろうね」


赤短髪の少女は少しだけ考え、笑った。


「でもこの街に残るよりは、ずっと面白そうだった」


 学院の制服の袖を軽く引く。


「ご飯も出るし、寝る場所もあるし」


 少し間を置き、視線が前を向く。


「何より、強くなれる」


 その言葉には、ほんの少しだけ本音が混ざっていた。強くなれる。そう口にした彼女。しかし現実は違う。

 思わずフリントは尋ねた。


「持病がある今もその考えは変わらないのか?」

「……あれ? あたし持病の話したっけ?」

「あ、……いや」


 しまった。このやり取りはこの時のものではなかったと金髪の少年は失態を被る。

 しかし、赤短髪の少女はあまり気にした素振りは見せずに「まあ、いいけど」と受け流してくれて彼はホッとする。


「確かに強くなる未来はかなり絶望的にはなったわね。それでもある程度の成績を残せる自信はあるから問題はないわ」


 その発言にフリントは眉を寄せてあの時の彼女の台詞を思い出した。


 ——壊れてまで勝つ趣味はない。


 確かにオルタディナは持病があるから勝てないとは言っていなかった。が、弱点が存在するのに何故そこまで言い切れるのか分からない。


「随分と自己評価高いな。確かに最初見た時は凄かったけどよ」


 尋ねる彼を見て珍しく彼女は不敵な笑みを浮かべ、その雰囲気に金髪の少年は息を呑む。


「あれがあたしの本気だと思った?」

「……それはどういう——」

「持病ってハンデがあってもあたしが弱くなっただけで負ける理由じゃないの」


 彼の少し前を歩き出す赤短髪の少女。

 少し間を空けてから振り返って見せる姿はこれまででフリントライズが見たことのなかった強者としてのものだった。


「その気になればシエラクロスだってあたしの敵じゃない」

「——ッ!?」


 きっとその言葉に嘘偽りはない。それは普段の彼女を見ているから自信家な発言でも強がりな言葉でもない。事実だけを述べるそれだ。

 一体オルタディナは何者なのだ?

 そう疑問する少年の姿が小気味良さそうにする彼女は前に向き直り最後にぼそっと——。


「……あなたには負けそうな気がするけどね」

「え、何か言ったか——」

「なんでもない」


 そこで話は打ち切られ、フリントはそれ以上聞かなかった。

 しばらく二人は無言で歩く。

倉庫街の奥はさらに静かだった。古い建物の影が道を覆い、昼間でも光は弱い。遠くで鉄の軋む音が聞こえる。

 やがてオルタディナが歩く速度を少し落とした。

 そして、ふと横目でフリントを見る。


「で」


 短く言った。


「そんなあなたは?」


 少年は視線を前に向けたままだ。構わず彼女は続ける。


「クロウを探してる理由。大会とは関係ないでしょ?」


 少し首を傾け、覗き込むように。

 答えない金髪の少年にオルタディナは立ち止まり、追及する。


「最近のあなた明らかにおかしい」


 静かな声だった。

 フリントはわずかに視線を動かす。動揺を隠すにはあまりにも下手くそである。

 浅く息を吐き、彼女は腕を組む。


「人を観察して、資料室に籠って、夜の施設を歩いて」


 少し間を置いて責めるように。


「今度は便利屋探し? 全然シエラクロスに勝つ道筋とは違う。本当にあなたは何してるの?」


 金髪の少年は黙っている。

 いや、答えに困っていた。

 もしかしたら彼女なら自分の話を理解してくれるのではないか? 少なくとも黙っていてもどこかで追い詰められて自白する未来が目に見えるような鋭い追及だ。

 そして群青の少女が殺されてしまう程の相手からも彼女の実力ならば——。

 と、そこへ思わぬ肩透かしな声が聞こえる。


「ま、別に言わなくてもいいけど」

「結局なんなんだよ」

「ただ少なくとも」


 調子の狂う言い草にフリントも頭を抱えたくなところへオルタディナは静かに、視線を真っ直ぐ向けて言う。


「いつものフリントライズらしくない」

「レオンも似たようなこと言っていたがいつもの俺ってそんなに違うかよ?」

「違ってるから言ってるのよ」


 沈黙が落ち、ややあって倉庫街の奥で、どこかの扉が風に揺れる音がした。


「フリント」


 短く。呼ぶ。

 今度はなんだよ? と金髪の少年はジト目で赤短髪の少女を見ると彼女は一言。


「よく考えて、決めることね」


そう締めながら一つの倉庫前に到着するのだった。

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