16-6
長い長い、物語が終了の鐘を打った。
「どうだった?私とレーゲンの愛の出会いは?」
「……それのどこが愛の出会いなんだよ」
カッツェが溜息を吐くのを尻目に公爵夫人がサファイアに感想を訊ねる。
その瞳の爛々(らんらん)とした輝きに、賛同しか求められていないことが伝播した。
「……え、えっと。すごい、褒め詞ですね。……『一番嫌い』だなんて」
結局、悩みに悩んだ末、そんなお粗末な世辞しか述べられなかった。
しかし、的は異なところにあるもので。
夫人は、途端歓喜の叫びを挙げた。
「まぁ、まぁ、まぁ!さすがはサファイアの宝石眼ですこと!見る眼がおありね。それは宝石鑑定士として培われた観察眼かしら?」
「……誰だって、褒めてるところがそこしかないのわかるだろう」
どうやら夫人には、聴きたくないことを遮断できる素晴らしい耳を持っているようだ。
先ほどからの、友人の冷静な詞を華麗に無視している。
そして、そのまま弾丸のように喋り続ける。
「私もね、殿方から『君は天空を彩る満天の星空だ』とか『本物の小鳥のように、私に愛を囀っておくれ』とか、聞き飽きた愛の台詞はたくさん頂いてきたのよ……」
「……」
(そんな詞、頂いてたんだ……)
サファイアは、無言で引き気味になった。
カッツェに至っては、頭を抱えている。
「それがね!彼は私のことをはっきり『一番嫌いだった』って面と向かって言ったのよ。あれほど、男に興奮させられたのは恥めてでしたわ。それに、蜘蛛が蝶を食べた時や、その蜘蛛を一突きにする時の表情なんて……。あぁ、あの時、画家を隣にいさせなかったことをどれだけ悔やんだことか!」
「……この変態」
うっとりとその時の情景を想起する夫人の横で、そっぽを向きながら、友人は平然と悪口を言い放つ。
そんな、様子だったから。
気を抜いていた。
彼女が残虐非道の名に恥じない行為もしてきたのだろうと己が予想していたことを。
「――どうかしら?」
「えっ?」
唐突に夫人に問われたサファイアは、聞き返す。
「こんな素敵な恋愛物語を聴けば、サファイアの宝石眼だって、恋愛の一つでもしたくなるものでしょう?」
「!?」
今、夫人の友人が、忠告してくれた意図に気付いた。
夫人は別に、夫との馴初めを自分に話聞かせたかったわけではない。
いや、もちろん、話たかったのも事実だろうが。
本当の目的――。
それは、サファイアの恋愛。
ひいては、結婚相手について探りを入れてきたのだ。
(シュタオエン侯爵を、わざわざ舞踏会で私と踊らせたんだもの……当然、私と侯爵の結婚を狙っているのよね)
サファイアは、珍しく感が働き、そう推理していた。
それも、そのはず。
自分がサファイアの宝石眼だったからこそ。
姉は、急になんの障害もなく結婚できたのだから。
結婚相手が当人でなくとも、その妹がサファイアの宝石眼。
男爵夫婦にとって、それだけで手のひらを返すのに十分な材料となった。
身内になるだけでも、多大な恩恵に与れる。
当人なら、それは倍以上。
(私にそんな価値があるとは思えないけど……)
どこまでも、自己評価が低いのは、やはり変えられないが。
サファイアは慎重に回答する。
「……私は、まだまだ子供で夫人たちのような華やかな体験をするのは、まだ夢物語のなかだけで十分ですわ」
「まぁ、そんな謙遜しないで。これだけお可愛らしいんですもの。殿方からの誘いは後を絶たないでしょうに」
夫人が笑顔で追及する。
獲物を逃がさないのは、クヴェレ公爵夫婦、両名とも性質は同じのようだ。
「そんな……。私にはもったいない方ばかりですから……」
サファイアは、あくまでやんわり否定する。
「――じゃあ、私の息子なんてどうかしら。昨日踊ったでしょう?シュタオエン侯爵と」
「!」
夫人はついに真っ向勝負を挑んできた。
(勧誘というか売り込みが激しい)
サファイアは、笑顔を引きつらせないよう努めた。
なぜ三大公爵家当主夫人が、ここまでやり手の商売人のように見えるのだろう。
「私、あなたなら息子と合うと思うのよ。ねぇ、どうかしら。あなたさえ良ければ私がすぐにでも――」
「チェルシー……」
さすがのカッツェが夫人を制止させようとする。
「カッツェは黙っていて!私は、サファイアの宝石眼に訊ねているのよ」
それを夫人は一蹴する。
こうなっては、明確な回答が得られるまで止めようがない。
カッツェは、友人の性分にまた溜息を溢し、彼女を不憫に思った。
しかし、それこそ、己の杞憂だった。
貴族ではない自分はさらに宝石眼の真の能力を目の当たりにしたことはなかった。
だから、見た目はただの少女に騙されたのかもしれない。
神に選ばれた尊き存在だと理解していたのに。
サファイアは、しばらく無言だったように思える。
しかし、再び顔を上げた時、見据えた視線に二人は息を呑んだ。
「……シュタオエン侯爵様は素晴らしい御方です。――だからこそ、もし私が、侯爵様をお慕い申し上げて、その心を射止めたいと望むなら、夫人のように、自分の力で手に入れます」
「「――!」」
「自分の欲しいものは、自らの身一つで勝負し手中にしたいのです。夫人のお心遣い深く感謝いたします。ですが、御期待には添えられません。申し訳ございません」
そう言って、頭を下げる。
宝石眼――。
その存在に、どう足掻いても自分は恩恵を受けている。
アクアマリンの宝石眼がこの家で生まれたからこそ、この家は繁栄を遂げた。
たとえ、血の繋がりはなくとも、その家に嫁いだ己も、それに従うしかない。
だから、余計に嫌いだった――。
一度、天上の甘露を味わうと、欲深き人間はまたそれを望む。
当然、公爵家の結婚相手や子供にまた国の宝が選ばれることを切望する。
しかし、自分にはそれが果たせなかった。
誰も、自分を責めない。
国にたった十二人しか授けられない存在。
皆、深く期待などしない。
しかし、わかる。
視線が、声にならない非難が。
『また、宝石眼ではなかった』と。
さらに彼女を陥れ嘲笑うように、現国王に嫁いだ娘の子が産まれる前にダイヤモンドの宝石眼は誕生した。
そして、次男として生を受けた孫は、その影に隠された。
どうして、どうして、どうして。
私の娘が産んでも問題はなかった。
別に、更なる権力を欲したわけではない。
ただ、宝石眼が欲しかった――。
キラッ。
瞬間、なにかの光が反射した。
目をやれば、そこには先ほどサファイアの宝石眼から頂戴したサファイアの涙の粒だった。
「……そうだったわね」
「……チェルシー?」
(私は、ついさっき宝石眼を手中にしたばかりだったのに。それをもう忘れてしまうなんて)
チェルシーは、嗤う。
気にしていない、と虚勢を張ってきた愚かな己自身に――。
サファイアもカッツェもその嗤いの意味が掴めず、顔を見合わせた。
やがて、静かに夫人が口を開く。
「サファイアの宝石眼……」
「……はい」
サファイアは視線を外さずに返事をした。
「……その幸運な男性が出現したら、ぜひ、私にも教えてね」
――それが、誰でも構わないから、と夫人が微笑んで依頼する。
サファイアも驚いたが、カッツェは思わず椅子から立ち上がっていた。
周りの人間も、カッツェの驚きの様子に何事か窺っているようだった。
「チェルシー……」
「……さぁ。お茶会はそろそろお開きにしましょう。私、少し疲れてしまったの。今夜の舞踏会まで休みたいわ」
いつもの高慢な公爵夫人の発言。
それなのに、サファイアは知らず深くまた頭を下げる。
「本日は、お誘い下さり、本当にありがとうございました」
それに、夫人はただ無言で笑みを浮かべて去って行った。
他の者が部屋を出ていくのとは対照的に、カッツェだけが、休みたいという彼女の意見を無視して付き従う。
(素敵な友情関係だわ……)
サファイアはその二人の後ろ姿を観察しながら、羨ましく思った。
誰だって、他の誰かになれるならなりたいと望むものだろう。
しかし、それは絶対無理だから。
だからこそ、精一杯自分だけの人生を生き抜く。
そう――。
他の何者かに変わろうなど。
最も、赦されない行為だ。
自分だって、神から唯一無二の存在として生み出してもらった大切な存在なのだから――。
サファイアは、それを噛み締めながら、フランソワーズと共に、夫人の部屋から静かに退出した。




