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ブラックサファイア  作者: 早紀
97/227

16-4

 それは、本当に現実世界なのだろうか。


 どこかのお伽噺にでも出てくる光景ではないだろうか。


 数名の紳士淑女が微笑み合い、紅茶を嗜む。


 そして、彼らが囲むその中央の椅子に腰かける華の女王。




 クヴェレ公爵夫人――。


 サファイアは、知らず後ずさっていた。


 しかし、それより一瞬早く夫人と視線がかち合う。




 その瞬間の夫人の微笑みを、サファイアは知っている。


 近所の子供が欲しがっていた玩具を購入してもらった時の顔だ。


 欲しい物が手に入った時の――。




「まぁ、サファイアの宝石眼(ユヴェールアオゲ)!待ってたのよ!」


 可憐な少女、いや、女性が人だかりを分けて駆けてくる。


 サファイアは、慌てて訪問の礼をする。


「この度は、お茶会にご招待頂き誠にありがとうございます」


 そこまで述べて、自分が土産の一つも持参していないことに気付く。


 急な申し出だったのだ。


 仕方ないと言えば、そうなのだが、夫人の後ろに見える、包装からして豪華な貢物を捉え、居た堪れなくなる。


 


(そうだ!)


 そこで、ふと思い出す。


 高価な商品は購入できないが、自分だけにできる贈物はある。




「フランソワーズ、アレ今持ってる?」


 そうサファイアに言われたフランソワーズは、一瞬その意味を噛み砕き、思い当たった。


 そして、懐から小さな巾着袋を取り出し、それをサファイアに手渡す。


 粗末な巾着袋。


 周りも動揺する。


 それをあろうことか、サファイアの宝石眼(ユヴェールアオゲ)は夫人に差し出す。




「この度は、お招き頂いたのに、夫人へなんの贈物もご用意できず申し訳ありません。――私のできる精一杯の誠意をお渡しします」




 サファイアはそう告げて、その巾着袋を彼女にそのまま手渡す。


 夫人はそれを無言で受け取る。


 その水仕事を知らぬ手と、駄賃でも入っていそうな巾着袋のなんとも不釣合(アンバランス)さ。


 夫人は、サファイアを一瞥し、その巾着を開き中身を手に乗せる。


 後ろから見ていた者たちは気づかない。


 それほどまでに、それは小さく確認できなかったのだ。


 それは、サファイアとて同じこと。




 あの時――。


 扉の外で、タッキーたちの狙いを聴き涙した間に。


 己の流す涙がまた、その欠片になっていることを。


 夜中は、その衣裳部屋で本来の小さな動物の姿で入眠していた侍女に発見されるまで。




 それは、床に落ちたままだったから――。




 床と同位置に視線を持てる彼女だからこその気づき。


 今朝、身支度を整えてもらう時に渡されるまで自分でも全然気づかなかった。


 しかし、それほどあの時の己は、感情が高ぶっていた。




 とてもとても小さな一粒。


 しかし、それはこの国で、どれほどの価値があることか。


 おそらく、ここに揃えられた貢物全てを足しても足りない。


 その自覚がないのは、それを生み出した本人とその侍女だけだろう。




 夫人が震える。


 その瞳が大きく見開かれる。


 それが、一体なんであるか。


 すぐに理解できるから。


 それこそ、この国ほ民である逃れられない証。




「……これを私に?」


 声の震えは、当人のみならず周りの人間にも動揺を誘う。


 一体なにを贈ったのか。


 夫人の声に怒りは感じられない。


 それより、感じるのは恐縮。


 それは、あまりに夫人に似つかわしくない響きの単語だった。




「はい。夫人の麗しさに負けないと良いのですが」


 こういった時、贈物を悲観した物言いをしてはいけない。


 間違っても、粗末な物などと言ってはいけない。


 タッキーから口を酸っぱくして教えられた礼儀(マナー)の一つ。


 たとえ、それが自分にとってどれほどの価値がある物か理解できなくとも。




 その時、後ろから一人の女性が歩み出て、夫人の手のなかを覗きこむ。


 夫人と同世代の派手な身なりの女性。


 恰幅の良い、豪快な女性は同じように瞳を見開かせた後――。




「アハハハ!これは、すごいな。チェルシー、また、得意のお遊びに失敗したな!」




 豪快に笑い出した女性は、まるで男性のような話し方で、夫人に対して親しげに話しかける。


 それに対して夫人は、年相応の悔しさを滲ませて、その女性を睨む。


「カッツェ!余計なことを言わないでよ!」


 夫人が声を荒げる。


 よく見ると頬を赤くして膨らまし、女性をその美しいおみ足で踏もうとしている。


 それすら、女性は笑ったままやり過ごす。




 心を開いている――。




 サファイアは静かに驚愕していた。


 あの残虐非道と呼ばれた女性が、普通の女性に見える。


 彼女は一体何者?


 そんな疑問はすぐに解決される。




「お嬢様。こちらは、クラウディア・カッツェンバーグ様でいらっしゃいます」


 グラオが丁寧に仲介し、紹介してくれた。


「初めましてですな、サファイアの宝石眼(ユヴェールアオゲ)。御逢い出来て光栄の極みです」


「こ、こちらこそ、初めまして」


 サファイアは、女性の豪快さに驚き、名を聴きまた驚いた。




 カッツェンバーグ――。




 その名前はよく知っている。


 だって一般庶民であったサファイアにとって、その名前は馴染み深かったから。




 食料を手に入れたいなら、カッツェンバーグの名が入った商品を購入することを薦められる。


 特に、砂糖は素晴らしい。


 一度試せば、他のところのなんて二度と買えない。


 事実、サファイアも、砂糖だけは値が張ってもカッツェンバーグの商品を購入し続けている。


 つまり、彼女はその家の出身者。


 それが意味すること。


 それは――。




(この人、貴族じゃない……)




 あれだけ、豪華な舞踏会を開催するのに。


 貴族のなかでも華やかさの中央の席を譲らないのに。




 夫人は、身分で口づけを施したりはしない――。


 それに感嘆していた。




「ふん!『クラウディア』なんて女性らしい名前、あなたには似合わなくてよ。『カッツェ』で十分ですわ」


 夫人が憎まれ口を叩く。


 それにも、カッツェは動じない。


 日常茶飯事の会話なのだろう。




 しかし、サファイアが本当にすごいと思ったのは、彼女が貴族ではなかったという事実ではなかった。


 もっと大きな事実を、彼女は、いや、国中が知っている。




(どうして、この二人が仲良くできるの?)




 サファイアには、理解できなかった。


 だって、彼女たちの娘は――。






 現国王の妃は、三人在籍している。




 一人目は、ヴィレの母親である正妃。


 子供は、ヴィレ一人きり。


 


 二人目は、クヴェレ公爵家長女である側妃。


 子供は、ツヴァイトという男子が一人のみ。




 そして、三人目は――。




 豪商カッツェンバーグ家長女である側妃。


 子供は、女ばかり三人。




 つまり、彼女たちは側妃同士の母親である。




 当然、こんな風に気ままなお茶会を共にする間柄にはならない。


 もっと、いがみ合う関係のはず。




 疑問は、口にできないといつまで経ってもモヤモヤとする。


 しかし、聴けないこのもどかしさ。


 サファイアはただ、微笑み続けた。


 出過ぎた行為は破滅を呼ぶから。




 夫人が気を取り直してサファイアに向き直る。


「……サファイアの宝石眼(ユヴェールアオゲ)。大変貴重な物を頂きました。こんなものを頂けるなんて、予想していませんでしたわ。――なかなかの策士ですのね」


「えっ!?」


「ますます、気に入りましてよ!このカッツェみたいに、自分の家の商品を箱詰めで毎回贈ってくる無精者とは大違いですこと」


 サファイアに感謝を述べてから、友人への不満を一緒に口にする。


 それにカッツェは非難を挙げる。




「なんだよ、いつも旨そうにすぐ使い切るだろう。催促されるこっちの身にもなってくれよ」


「ち、違うわ!私くらいは、あなたの家の商品を買って差し上げないと、同じ王の妃を輩出した家としての名が廃りますもの!」


「そうだな、チェルシーには本当に感謝してるよ」


 カッツェが鷹揚に対応する。


「と、当然ですわ!」


 それに、夫人は満足気に呟く。


 その姿を見て、サファイアは思う。


 


 どうして、彼女が残虐非道な女性として名が通っているかわかった気がした。




 本当の姿を見せられる相手。


 その相手が貴族の集まる舞踏会に出席しないから。


 皆、公の場での彼女しか知らないから。


 だから、勝手な言動や行動を大きく騒ぎ立てるのだろう。




 もちろんその名に恥じない行為もしてきたことだろう。


 しかし、身分にも礼儀にも彼女に遠く及ばない女性を大切な友に選択する。


 その精神は、素晴らしい。




(シュタオエン侯爵は外見はお父様似だけど、性格はお母様似だったのね)




 大事な人を作るのに基準は設けない。



 

 上位の貴族にとって、これほど備わりづらい精神はないかもしれない。


 さらに後ろで、二人のやり取りを見ている人間たちも苦笑しながら見物している。


 やはり、そんな夫人の価値観に賛同できる素晴らしい人材に違いない。




「クヴェレ公爵夫人様……」


「?」


「――本当に、こんなに素敵なお茶会に参加させて頂き、ありがとうございます」




 そう言って、先程より深く礼をする彼女に、チェルシーは面食らう。


 そして、優雅に上から物を言い放つ。




「当然ですわ。さぁ、いらっしゃいな、サファイアの宝石眼(ユヴェールアオゲ)。一緒に話しましょう」


 そして、中央に導かれる。


 高貴な会話などなに一つできないが、素直な気持ちでお茶会を愉しみたい。


 今、心底そう思った。


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