15-3
「さぁ、それではお嬢様。着替えましょう」
その声に、サファイアは未だ己が豪華な重々しい礼装に彩られていたことに気付いた。
このままでは、いくら人気がない時間に会場へ出向いたとしても、目立ってしまう。
サファイアは、頷いてからフランソワーズと共に奥の衣裳部屋へ移動した。
静かな客室。
男たちに、特に衣装替えの必要はない。
ただ、女性を待つのみ。
そんな沈黙だからこそ、訊いておきたい真実もある。
「……俺の依頼をなぜ受けてくれたんだい?」
「……」
タッキーは、その唐突な問いに、それでもその意図を理解した上で口を開かなかった。
クルスは、構わず続けた。
「ずっと訊こうと思ってた。俺が欲したのが〝ムーンストーン〟だと言った時、サフィーの影に隠れていたけど、君も相当驚いていたね」
「……」
「君も俺の欲しい宝石がムーンストーンだとは思わなかった。つまり、不可思議な依頼だった。それなのに、なんで受けてくれたのかな?」
クルスは、下を向いたまま問い掛け続けた。
タッキーは、それに対し、また瓶からトクトクと葡萄酒を酒器に注いでから仕方なしに口を開いた。
「……確かに、お前が欲しい宝石があると言ってきたとき、俺はそれがムーンストーンだとは思わなかった」
そして、また一口それを呑む。
自分とは異なる生物だからなのか。
その表情が読み取れない。
酔っているのかさえ。
「俺は、お前が……『ガーネット』を欲しがっているんだろうと思った」
あぁ、やっぱり。
彼は、相当長生だ。
その時代すらも己と同じように生きていたんだ。
前ガーネットの宝石眼――。
彼女は、生涯その時代を生きた者たちの間で、最も有名な宝石眼だった。
双子としてこの世に生を受けた。
それぞれ異なる美しい瞳を携えて。
〝ターコイズの宝石眼〟である兄と共に。
そして――。
彼女が最も人の記憶に焼き付いて離れない。
その真の理由は。
神に寵愛され、他者よりも長き生を賜り続ける数多の宝石眼のなかで、ただ一人、若干二十歳という年齢で『死亡』したことだろう。
それは、不運な事故と云われている――。
けれど。
クルスは、頭を何度も左右に揺らした。
呪師という存在には、己が想定していた以上に、近づいてはいけなかった。
通常、依頼相手は有能であることを望むが、彼に至っては、その度合を越えていた。
ほどほどに鈍感な方が有難いこともある。
でも、そこまでわかっていたなら、あの事故の詳しい状況も知られているのだろう。
彼女の、いや、彼らの死様を。
それでも、なお、己の怪しい依頼を受けた。
一見、代償に目が眩んだようにも見えるが。
ここまで、時を共に過ごした結果、そうではないとわかった。
彼が依頼を受けたのは――。
「君が依頼を受けた理由は、サフィーのために俺が丁度良かったからかな?」
クルスの苦笑気味なそのささめきに、タッキーは無言で窓の外を見やった。
もう、わかる。
彼は、間違っていることを躊躇なく否定する。
残酷なまでに。
しかし、正しいこと。
それを彼は、肯定することも少ない。
ただ、無言を貫くことが多い。
無言がそのまま肯定を表現している。
彼の代わりに代弁する。
「今回のサファイアの宝石眼は特殊だった。自覚した瞬間、ダイヤモンドの宝石眼と一緒だった。しかもその彼から寵愛を受けていると聞く。さらに、その場にはシリンフォード侯爵もおり、彼の父親であるウンシュルト公爵とも就任式で親しげに会話を交わしていた」
タッキーが静かに唇を噛んだ。
「それだけでも、注目の的だったのに。さらに最近フレウンド公爵が目に入れても痛くない、と公言して憚らない愛孫にも姉として慕われる姿が目撃されている」
クルスは、まるで見てきたかのように過去の彼女を説明する。
ターコイズの宝石眼ならではの力の一つだろうが、ここまで自分のことを事細かに知られていれば、さすがのサファイアも気味悪がるだろう。
この場で、話を持ち出した小童の狡賢さにタッキーは苦い顔をする。
しかも、総て正しい。
この意味が指し示す先は――。
「サファイアの宝石眼は、三大公爵家のうちの二大公爵家と、すでに懇意にしている」
それは、すごく彼女の強味に聞こえる。
しかし、実際は別の意味に捉えられる。
「彼女は、クヴェレ公爵家のみを蔑ろにしている」
その通りだ。
ダイヤモンドの宝石眼であるヴィレが、幼い日から共に生きてきたユーリを傍に置くのは、仕方ない。
彼の複雑な生い立ちや義兄弟の影響もあって、誰もそこは不振がらない。
クルスは、逆にどの公爵家にも属さない。
皆に良い顔をし、逆に悪い顔もしない。
平等に接すること。
これほど、位の高い者に必要不可欠なことはない。
でも、そんな政治の思惑をサファイアは知らない。
自分がサファイアの宝石眼となった瞬間から、その思惑の中心に勝手に立たされているという事実に。
「はっきりどれかの公爵家を支援する、と宣言する宝石眼も確かにいる。それは、それで結構。でも、彼女にそんな気はないだろう?」
「……そうだな」
珍しく、タッキーは肯定を詞にした。
あの小娘に、大事なものを狭めて作れなどとは言えない。
そこは、甘かろうとしょうがない。
大事な人間を少なくすればするほど、その誰かへ依存する比重は重くなる。
その者のためならば、またなんでもやろうとする。
前までのただの小娘なら、それもいいかもしれない。
他の誰かが止めてやれるから。
しかし、今は違う。
宝石眼という、圧倒的な力を持つ。
もし、本気であいつが相手になれば俺にも勝ち目はない。
そのまま、誰かに利用されれば、あいつは自分の命すらまた簡単に危うくするだろう。
(そんなことは赦さない)
知らず、険しい顔つきになっていたのだろう。
クルスが更に、眼を細めてこの動物の不可解さを探ろうとした。
やはり、とても愛でている。
それでも、手放すことを厭わない。
その正反対の性質を。
それでも、読み取れないから話を先に続けるしかない。
「だから、俺の依頼を聴いた時、君はすぐに了承したんだね。彼女が、真っ先に出席する公の行事にクヴェレ公爵家の舞踏会を選択する。それは、彼女を訝しんでいたクヴェレ公爵家やその家を支持する者たちにとって、まさに青天の霹靂となるから」
――サフィーは、就任後サファイアの宝石眼としてなにもしていないように見えていたから、尚更だね。
彼のひそひそ話のような最後の台詞に、タッキーはついに喉を潤すことを止めた。
人は自白したくないことを飲み込むために水分を欲する。
しかし、それではあまりに卑怯。
そんなことのために、この過去の宝を使用することをタッキーは嫌った。
小娘が館に住み着いてから、幾日経とうとも、国からなんの通達も言い渡されなかった。
舞踏会やら観劇の誘い、教会への参列を依頼する者たちは後を絶たないはずなのに。
彼女の居場所を王宮は知っているというのに。
誰かが故意にそれを引き留めている。
それが誰かも、大体予想は付く。
だから、そろそろ潮時だった。
手は打つつもりが、最高の時機で、それは向こうから訪れた。
やはり、彼女を好いている者が天上にいる。
彼女の好きにもさせたい。
しかし、彼女の立場を悪くもしたくない。
そのギリギリの線でそいつに先手を打たれた。
タッキーは歯ぎしりしたくなった。
結局、彼女を正しい道へ進ませているのは己だと言い腐っている、その宝石を捩った神へ。
宝石眼だから、好きに生きていけるわけじゃない。
『誰もが得られる〝普通〟の生活を二度と送れない』
以前、ダイヤモンドの宝石眼は自分でそう言った。
なのに、彼女にそれを達成させようとした。
彼女がそれを望んでいると思い違いをしたから。
宝石眼だからこそ、縛られる世界もある。
そこから、逃げてしまえば、結局彼女の生きる道を険しくしてしまう。
それは、明白だったのに。
「ふん。たまたまだ」
結局、自分はなにも手を下してはいない。
ただ少し、神の思惑に乗ってやっただけ。
それきり、また彼は無言となった。
素直ではない師匠を、彼は後ろから見つめた。
自分にもこんな存在がいたなら、なにも間違わなかったのだろうか。
そんな甘いことを考える。
自分はいつだって一人ではなかったのに。
自分から一人を選択してしまったのに。
彼もまた、会話を停止した。
多くを訊いても答えてくれないことは、よくわかっていたから――。
涙が流れ落ちる。
雫の玉がいくつも床へ。
「お嬢様」
フランソワーズが、手巾を渡す。
それすら、受け取らず彼女は扉に耳を当てたまま、詞にならない嗚咽を漏らし啼く。
いつも、自分だけが知らない。
そして、守られた後になって気づく。
なんて滑稽な主人公。
舞台の袖で誰かが呟くだろう。
優しくない思い遣りは余計に困る。
親身な扱いより心に届くから。
だから、手で乱暴にそれを拭う。
きっと、知らない振りをするのが正解。
ただ、行動に現せればいい。
この感謝の気持ちを――。
コトンッ。
微かなその音に、サファイアはついに気づかなかった。




