15-2
「あぁーー!」
サファイアは、急な悲鳴を上げた。
それには、さすがのタッキーも夢心地な気分から解き放たされ意識が向けられた。
「ど、どうしたの、サフィー?」
「ど、どうしよう!私……王子の舞踏の誘いを袖にしてしまったわ!」
暢気に客室で寛いでる場合ではなかったことに、今更気づいたのだ。
サファイアは、真っ青になっていた。
『王子を置いてけぼり』
普通なら、死罪確定だ。
いくら、宝石眼といえど、無礼な行為が全て赦されるわけではない。
一国民として守らなければならない掟もある。
彼女の絶望した表情に一方は、呆れ顔を、他方は、苦笑を漏らした。
「これだから、お前は阿呆小娘なんだ」
タッキーが無慈悲に告げる横で、クルスが、笑いを隠しながらその意味を説明する。
「大丈夫だよ、サフィー。王子には、俺の方から『彼女は少し会場の雰囲気に呑まれて気分が優れないようだから、先に休ませました』って伝えておいたから。……すごく心配していらしたけど、明日の舞踏会で元気な姿を見せてくれたらそれで帳消しにするっておっしゃってたよ」
クルスの詞にサファイアはその場にへたり込んだ。
「よ、よかった」
その声を聞きながらクルスは想起する。
あの時、状況はそれほど簡単ではなかった。
彼女は、気疲れで休んだだけだと言っているのに、お見舞いだの、王宮お抱えの医者を連れてくるなど、鬼気迫る、あの訴えはある意味恐ろしかった。
もし、本当は休んでいるのではなく、行方不明になっているのだと真実を知らせていれば、今頃は国を挙げての捜索隊が出動要請をされていたかもしれない。
クルスは、少し遠い眼をしながら後輩の宝石眼の将来を思いやった。
コンコンッ。
そんな一悶着を終えたと同時に、まるで図ったかのように扉を叩く音が鳴った。
まさか――。
いくらなんでも、こんな夜更けに王子が御自ら現れるのは、礼儀に欠けている。
男たちが眉を顰める。
タッキーは、大事を取って素早く椅子から飛び降り、愛玩動物として相応しい位置へ移動した。
誰よりも、常に冷静な存在が有難かった。
「どなたでしょうか?」
フランソワーズが、訊ねる。
「――夜分遅くに失礼致します」
その声にサファイアは驚いた。
先ほど、対峙した好敵手の、その聞き覚えのある低音に。
知らず、身体が動いていた。
フランソワーズの横をすり抜けて、扉を勢いよく開け放つ。
勢いあまり過ぎて、前方へよろめくほどに。
ポスンッとその身を受け止められる。
その体制のまま視線がかち合う。
見つめ合うこと僅か数秒のこと。
しかし、サファイアの頬は朱色に染まり、慌てて彼から離れる。
「も、申し訳ありません!」
「い、いや……」
自分の不作法さに羞恥心が隠せない。
眼の前の人物も狼狽しているような表情をしている。
まさか、いきなり本人が登場してくるとは予想だにしていなかったようだ。
それを目撃したクルスは、表情を失くすよう努めていた。
しかし、どうしても抑えきれない。
彼女のあんな前のめりな行動は初めて見た。
声だけで、相手を察知し、そのまま会いに行った。
別の男の元へ――。
そんな風に、嫉妬心を抱くこと。
それこそ、お門違いだと理解できるのに。
クルスは、少し視線をずらし呪師を覗き見した。
単純な興味。
彼とて、きっと己と同じ苦悶の顔をしているはず。
そう、疑わなかったのに――。
彼女の師匠は、別段変わらなかった。
事の成り行きを、ただ見守っていた。
そこに、彼女への独占欲は掴みとれなかった。
(そんな、馬鹿な……)
あんなに大事にしている。
それなのに、そんな容易く手放せる。
彼女の進む道を一切閉ざさない。
人間には到底真似できない境地。
また、一つ己の弱体化した姿を見つめさせられた。
なんと、愚かなことか。
また、サファイアたちの方へ視線を戻すことしかできないこの身は――。
サファイアは緊張していた。
先ほど、自分はこの人に酷い態度を取った。
普通、あそこまで言われれば、その相手にすぐにまた会いに行こうなどとは思わない。
しかも、自分から。
シュタオエン侯爵は、少しサファイアの動向を窺ってから、口を開いた。
「――先ほど、例の侍女たちを捜し出せました。厳重に忠告を致しました。あなたのお蔭で、これ以上被害を大きくせずに済みました。一言お礼を申し上げさせて頂きたい、と無礼を承知で参上いたしました」
「……そうでしたか。それは、わざわざご足労頂き、ありがとうございます」
サファイアは心に温かい灯が燈るのを感じた。
この人は、私の信じた通りの人だった。
きっと、真面目すぎる。
だから、不正を赦せない。
間違いを彼は、素通りできない。
宝石眼が相手だって、それは変わらない。
(本当に、素敵な方)
サファイアは、笑顔で彼を見つめた。
どうして、彼を能面のような顔と思い違いをしてしまったのだろう。
誰よりも、こんなに素直に感情を伝えてくれていたのに。
この時、魔が差したのかもしれない。
こんな機会でもないと頼めない。
どうしても、知っておきたかった。
「――シュタオエン侯爵様。一つ、お願いを聴いて頂けないでしょうか?」
「?……なんでしょうか?」
侯爵は、突然の依頼に反応が遅れた。
宝石眼が自分に頼み?
想像がつかない。
「誰もいなくなった時間に、会場に展示されている宝石でどうしても見ておきたい一品があるんです」
「――!?」
虚を突かれた。
まさか、そんなことを頼まれるとは。
いくらでも、見る機会はあったはずなのに。
「……どうして、わざわざ人気のない時間に?」
それを訊くは当然。
宝石は、競売終了までは我が公爵家の持ち物。
自分には、それらを保護する義務がある。
サファイアは、静かに詞を紡ぐ。
「――誰だって、人にはおいそれと知られてはいけない想うモノがいるものでしょう?それは、宝石眼であろうと変わらないのです」
その詞に、二人の男が震えた。
双方、己を例に出されたと思ったからだ。
好意を寄せた存在に、そうとは言えない。
こんな気持ちだけは、身分も時代も男女も、きっとなにもかもが関係なく、持ってしまうものだから。
誰にでもいえること。
なのに、この場では己を引き合いに出されている、と邪推した。
彼女が、どういった意図でそう告げたかは、終にわからなかった。
しかし、そう言われて否定できないのも確かだった。
「――承知いたしました。サファイアの宝石眼」
彼の了承が得られた瞬間、己の足元をなにか柔らかいものに押された感覚があった。
クルスが下を向くと呪師が、己の身体を愛くるしく摺り寄せて、しかし、その目は尊大に〝行け!〟と指示しているのがわかった。
そのまま、一歩前へ出る。
「――いいかな、シュタオエン侯爵」
侯爵は、すぐに彼にも礼を取った。
「はい」
「彼女を君と二人きりで、行かせるわけにはいかない。――俺も同行させてもらえるだろうか?」
おそらく、これで合っているはずだ。
辻褄は合う。
これなら、彼女に付き従ってあの宝石をもう一度見つめても、不自然にならない。
サファイアは、あっと口元を抑えた。
自分の行動が淑女として、はしたない行為だと受け取られてしまう可能性に気付いたからだ。
「仰せのままに」
――それでは、会場が引いた一刻の後にお迎えに上がります、と伝え残し侯爵は退出した。
途端、安堵の空気が広がる。
急な展開に皆、呼吸を整えた。
呪師以外は――。
クルスがサファイアを先に座らせてから、二人で腰かけるには広すぎる豪華な長椅子に沈む。
フランソワーズが、水を給仕する。
無論、公爵家に伝わる聖水。
こんな風に喉を潤すのには、もったいなさすぎる気もするが、今はそこまで思考が回らない。
二人とも、一気にそれを飲み干した。
息を吐く。
やっと、ゆっくりできたその行為に、今日という日の一日がどれだけ長き濃い時だったかが覗えた。
サファイアは、一旦口を噤んでから呟いた。
「タッキー、ごめんなさい」
「なにがだ?」
「また、勝手なことして……」
自分自身でも己の次の行動が読めなくなってきている。
改めようと思わなくはないのだが、なぜか深くまでそう思わない自分もいて。
こんなに自分は、己に甘い人間だったのかと密かに落ち込んでいた。
しかし、彼はそれを気にした素振りは見せない。
「お前が自分で正しいと思ったことを、俺に否定させる筋合いはない」
「……」
「俺は、お前の師匠だがお前自身ではない。お前の生き方にまで口出しするつもりはない。……ただ、急に消えるな。捜すのが面倒だ。俺に手間をかけさせないよう、努力はしろ」
そう言い放って、彼はまた葡萄酒を呑みだした。
どうやら、今日だけで一本まるまる飲み干すつもりらしい。
「は、はい!」
サファイアは嬉しさを抑えられず、幾分大声で返事をした。
それを、煩そうに耳を閉じる彼もまた、変わらない。
だから、仕方なかった。
気づけなかったのは。
隣のターコイズの宝石眼が苦悩の表情をしていたことを。
もう一度、あの宝石を見れる。
しかし、彼女と一緒の姿でお前を見る。
それは、お前を裏切ることにならないだろうか。
『どうして、三人で一緒にいちゃいけないの?』
ふっと、脳裏に過ぎる。
美しい瞳の妹に言われた詞が蘇る。
俯き、体温を求めるように両手を擦り合わせる。
その姿を、呪師だけが目を細めて観察していた。




