14-8
そんな――。
なぜ、ここに。
それは、非現実的なこと。
彼女たちにとっては、ちょっとした気晴らし。
ただの遊びの延長線。
それだけだったのに――。
どうやら度を越えたらしい。
最も、重い罰を与えられる存在にそれが、露呈してしまった。
身の毛がよだつ。
ここまでの〝恐怖〟という感情を味わったのは、彼女たちには初めてだっただろう。
最高礼すら、遅れた。
ずっと蔑んできた、隻眼の女性が素早く立ち上がり、礼を先に取るのを見るまで――。
「サファイアの宝石眼様。大変お見苦しいところを……申し訳ございません!」
彼女の謝罪に皆倣う。
〝先輩〟の背中をお手本にして――。
(すごい……)
サファイアは、隻眼の女性に対し、感心していた。
己への中傷に対し、あんなに震えていたのに。
侍女として、任を成し遂げようとする驚異的な気概。
何物にも傷つけられない、その矜持。
だからこそ――。
赦せない。
その瞳が近づいてくる。
自分のようなちっぽけな存在なんて、本当なら視界に含まれはしないのに。
今、最悪の事態でそれは起こってしまった。
足が竦む。
なぜ、まだ正気を保っていられる。
早く、早く、早く――。
己の意識が遠のけば良いのに。
ただ、頭を一生上げないでいることしかできない。
目の前に、いる。
本物の宝石眼。
サファイアは、ちらっと隻眼の女性を見た。
「顔を上げてくれないかしら?」
それが、自分に向けられている、と一瞬わからなかった。
そろりと視線を上げる。
そこに、いたのは――。
(やっぱり、同じ人間じゃないんだわ)
そう、思わずにはいられなかった。
だって、私を見て、どうしてそんな柔らかく微笑むの?
こんな醜い私を見て――。
そう、自傷した。
別に、今更傷つくことはない。
この傷を負ったことに、ただの一度も後悔の念を抱いたことはないのだから。
醜さと引き換えに大事なモノを、自分は守れたのだから――。
そう、言い聞かせて自分を慰めてきた。
だから、不意打ちだった。
神の使者から漏れ聞こえたその音色に。
「――綺麗な青い瞳」
「……えっ?」
時が、止まった。
詞の意味を理解できなかった。
私に、言った。
そんなはずない、と思うのに。
感情が抑えられない。
激しく歓喜してしまう、この鼓動を。
それを咎めず、サファイアは燃えるような黒き蒼の瞳で、今度は彼女らをはっきり咎めるような視線で射抜く。
「顔を上げなさい」
彼女たちの肩が震える。
従おうとも、従わずとも未来は万死に値する行為だ。
覚悟を決めて、顔を上げた。
しかし、視線を交わした瞬間、息が止まりそうになった。
それほどまでに、自分たちの行いは赦されない罪だったようだ。
今まで生きてきたなかで、これほど冷然たる視線を向けられたことはない。
知らず、涙が零れ落ちる。
彼女に厭われれば、己の生きる意味などない。
なぜ、そう感じる?
これが、ユヴェール神が国の民に縛った鎖なのだろうか。
「そう、思わない?」
訊かれたのだろうか?
この見えない強制力は、きっと思い過ごしではないのに。
ただ、頭を垂れて肯定するしかなかった。
たとえ、己の意志と反しても、頷かなければならない時がある。
苦汁をなめる屈辱。
でも、仕方ないでしょう?
心の中で、誰かが告げる。
今回は自業自得なんだから。
もしかしたら、それは、己のなかに僅かに残っていた『良心』だったのかもしれない。
彼女らの意志表示にサファイアは満足して微笑む。
「わかってくれれば、嬉しいわ。――彼女に謝罪したら……持ち場に戻りなさい」
「「「えっ!?」」」
一斉に声が上がる。
自分たちは、都合の良い空耳を聴いたのだろうか。
しかし、目の前の宝石眼にその様子は見られない。
「もちろん、彼女があなたたちを赦せばですけど」
サファイアは、そう釘を刺した。
その詞に怯んだ。
ずっと、蔑ろにしてきた相手。
自分だったら、赦せない。
同じだけ痛めつけたいと望むかもしれない。
それでも、一本道しかないなら。
それを進むしかない。
止まっていれば、沈んでいく。
なら、たとえこの先に険しい世界しかなくとも。
進まなければ、何も終われない。
そして、始められない――。
「――申し訳ありませんでした」
宝石眼との対面と同様の、深い謝罪の姿勢を取った。
サファイアは、無言で彼女を見つめた。
どうするかは、彼女次第。
どんなことを言おうが、行おうが黙認しようと、先に決めていた。
沈黙は、長かったように思えた。
その長さに、彼女自身の葛藤の重さを感じた。
きっと、今まで何度歯痒く、悔しい想いをしてきたのだろう。
聖女のように、簡単に赦しましょう、なんて言えない。
でも――。
「――二度と、私の瞳を貶さないで」
そう苦しげに呟いてから、一呼吸置いた。
こんなこと、言いたくない。
でも、目の前の宝石眼は何も言わない。
信じられている。
私なら、彼女たちを――。
「――そうしてくれたら、赦します」
宣言した後、きっと後悔に襲われると思った。
なのに。
どうして、こんなに晴れやかな気持ちに包まれるのだろう。
人が、見えない神に祈りを捧ぐ意味を知った気がした。
赦すことは、赦されること――。
心が凪いでいく。
僅かに、潮風のような瑞々しい香りが漂った。
そんな気がした。
彼女らは、声を失っていた。
そして、同時に気付く。
赦されることの方が、羞恥に駆られる。
自分なら赦せない、そう思った己の狭量さが、より鮮明に浮き彫りになるから。
サファイアは、安堵した。
誰だって、自分を貶す人間を好きにはなれない。
でも、仕返しほど悲しい行為もない。
サファイアは、彼女らに向き直った。
「彼女の寛大さに感謝しなさい。――でも、よく覚えておきなさい。三度まで赦す尊い心を、私は持ち合わせてないから」
――行きなさい、とサファイアは最後に宣告してから指示した。
彼女らは、息を呑みまた深く礼をしてから、逃げるように去っていった。
これは、現実のことなのかしら。
皆が望む。
神からの助け。
決して、そんな機会を自分が得ることはないだろうと思ってきたのに。
神は、私すらもお見捨てにならなかった。
それが、こんな尊い存在に直接救い上げてもらおうとは。
どう、感謝の意を述べれば。
彼女に無礼とならないだろう。
それを前に彼女は緊張していた。
その瞬間、宝石眼が振り向いた。
その顔には、焦りの表情がはっきりと現れていた。
「大丈夫ですか!?」
「……えっ?」
「どうしよう。どこか怪我してませんか?医務室とかありますか?一緒に行きましょう!」
彼女の慌てた、至って普通の通りすがりの親切な少女の姿に、我が目を疑った。
そこには、先ほどいた気位高い宝石眼とは打って変わって異なる存在がいた。
それをお構いなしに、自分の身体で傷ついたところがないか探る、その姿に意味も解らず啼いた。
張りつめてきた、糸が切れてしまったように。
それに、やはり彼女は心配してくれた。
『やっぱり、すごく痛いんですね?』、と真剣に言ってくれた。
違うのに。
今日なんか、まだ良い方。
むしろ、この瞳が隻眼となった日以来、それ以上の痛みを感じた瞬間はない。
そう、あの日以降――。
「――メーア!」
あぁ、いつだって彼は一歩遅れる。
本人も、それを自覚している。
だから、余計申し訳ない。
あの日から、彼を縛り続ける己を――。
遠目に捉えた彼女は、頬を濡らし啼いていた。
それは、彼が久方ぶりに見た彼女の泣き顔だった。
おそらく、自分がいないところで何度も彼女は涙を流してきたはずなのに。
その場にいつも、自分はいない。
間に合わない。
だから、焦っていた。
彼女の隣に、絶対いるはずのない人間がいたから。
「――これは、どういうことですか?サファイアの宝石眼」
走り続けた男の汗が顔の端を垂れていく。
それを構わず、熱情が入り混じる声で彼はサファイアに畳み掛ける。
それは、とても彼に似合わない姿だった。
いや、これが彼の本来の姿だったのかもしれない。
先ほどの会場とは全く別人の。
シュタオエン侯爵、その人だった――。
メーアと呼ばれた彼女が、慌てて一歩前へ出るのを半ば強引に制止させた。
それに、また彼は眉を顰める。
(それ、趣味なのかしら?)
おそらく、無意識の癖なのだろうが、人を不快にするのは確かだ。
どうして、この人にはこんなに強気に出られるかわからないけれど、なぜか、負けてなるものか、と闘志を抱いてしまう。
(こういう存在ってなんて言うんだったっけ?)
サファイアが思案する。
そして、すぐに思い当たる。
(これが、『犬猿の仲』ってこと?)
サファイアは、男の前へ悠然と立ちふさがり、そんな妄想をしていた。
騎士は、お姫さまを守る役目を自分のみに与えて欲しいと志願するものだから。
同族嫌悪は、仕方ないのかな。
守りたい者の前では、ね。




