14-5
(今になって、思い出すなんて……)
サファイアは、瞳をしっかりと開眼した。
今、私は一人きり。
自分の状況くらい、自分で打開する。
「はい」
決心して振り返ったサファイアは、詞を失った。
眼の前に金髪青目の、ヴィレに負けず劣らずの完璧な王子様が立っていたからだ。
世の中、あんなに美しい者にはもう逢うことはないだろう、とヴィレに相対したときに感じていたのに。
(び、美男子!……でも、なんでそんなに華やかな女の子をたくさん伴ったまま、私に舞踏を申し込んだの?)
資料で、覚えた記憶がある。
淑女の人気が非常に高く、物腰柔らかな女権拡張論者。
恋の華やかな噂の中心に名を残す常連らしい、と書かれていた。
否定のしようがない。
これだけ、女性を独り占めしているのに周りの男の嫉妬の視線もなんのその。
(でも、舞踏の誘いをするなら、もう少し相手からの誠意を見せてほしいって思うのは私だけなのかしら?)
サファイアは、眼の前の男の思惑を掴めず訝しんだ。
「あ、あの……」
舞踏の誘いに肯定はしたが、この後どうするのだろう。
王子様の周りに囀る、その小鳥たちは――。
しかし当人は、嬉しそうに顔を綻ませ、礼を取った。
「本当ですか?嬉しいです。――私は、ヴルム・ヴュースト・プフール伯爵を名乗っております」
「……サファイア・ローにございます。プフール伯爵様におかれましては、ご機嫌麗しく」
彼女の丁寧な挨拶に伯爵は、無邪気に微笑する。
「そんなに畏まらなくないで下さい。私に、そこまでの身分はないですから。特に、総ての女性の前では、私は僕も当然ですから」
周りの女性が、黄色い悲鳴を上げる。
「……」
(嘘……。本当にこんな砂を噛むような台詞を日常会話で使用する男性がいたなんて……)
サファイアは一人、鳥肌が立っていた。
そして、そんな症状が現れていたのが己だけだったことに、また寒気がした。
(やっぱり、貴族社会は別世界だわ)
改めて、こんなことで再認識していた。
そんな、心の距離を舞踏の相手に密かに取られているとは露程にも感じていない伯爵は、周囲の淑女たちに声を掛けていた。
「すまないね。君たちをあんまり独占すると、私は地獄の業火に焼かれそうなんだ。少しの間、君たちの傍を離れることを赦しておくれ」
「……」
(なんか、良い風に告げてるけど、要は厄介払いしたいだけじゃないの?――って、私そのために利用された!?)
衝撃の可能性に今更ながら気が付いたサファイアは動揺した。
しかし、淑女たちだってそう簡単には引き下がらないだろう。
プフール伯爵家といえば、彼が若くして当主を世襲した頃より、その美貌のみならず、非凡な商才があり、瞬く間に傾きかけていた伯爵家を建て直した強者らしい、と云われている。
結婚相手として、これほどの優良物件は、そうはいない。
(もしかして、これが世に聞く一種の修羅場というものかしら?)
サファイアは、己の人生に全く無関係だった状況に陥っていることに、不安を募らせながらも、少しの興奮も抱いていた。
この後、どの令嬢が先に声を開く。
サファイアは、固唾を呑んで事の成り行きをを窺った。
しかし――。
「はい、わかりましたわ。ヴルム様、絶対に後でもう一度私たちと踊ってくださいましよ」
「お約束でしてよ」
「ずっと、お待ちしておりますわ」
「あぁ、もちろんさ、私のお姫さまたち」
交渉成立に、令嬢たちは満足して各々が嬉々として散らばっていった。
それをきっちり紳士として見送った伯爵は、次の自分の舞踏の相手を振り返った。
「さぁ、ではサファイアの姫。一緒に……あれ、どうかされましたか?」
「……」
(えっ……、なんで?修羅場は?なに、あの円満な風景……。まさか、これが人徳というもの!?)
サファイアは、不埒な想像をしていた己自身に羞恥心が湧いてしまい、黙って俯いた。
眼の前の男性を正面から見られなくなっていた。
「サファイアの姫?」
「あっ、は、はい!」
(うぅっ。恥ずかしい……)
改めて呼ばれたサファイアは、急いで彼の手を取った。
今度は陽気な音楽が聞こえてくる。
軽やかな歩調が要求される。
周りも、女の礼装が華やかに回り、会場を彩る。
勝手に、一人あたふたしている場合じゃない。
何度も高速で回転する。
視点に気を付けなければ、眼を回してしまう。
そうしながら、相手の表情は細かく配慮して観察する。
本当に、華々しい世界ほど裏側では血の滲むような努力と執念で、優雅さを演出している。
それに、感心させられる。
(だって、王子やシリンフォード侯爵はこんな壮麗な世界で生きてきたんですものね)
出逢った頃、自分と彼らは依頼人と呪師という関係だった。
そこに世界の差を感じることはなかったから。
眼の前にいる男もそう。
自分の身分は決してこの場では高くない。
そういう意味で、言ったのだろう。
しかし、私は?
ほんの少し前は、彼とだって一緒に舞踏をできるような高貴な存在ではなかった。
こんな公爵家の屋敷に足を踏み入れることだって、叶わなかっただろう。
でも、今だって、私は変わった?
今の私なら、ここにいてもおかしくない人間になったとでも?
靴の音が会場に響く。
確かに響いているのに。
まるで、そこに己の足跡は残っていない気がした。
シュタオエン侯爵の口述が耳に残る。
私がここに来た意味。
なにか、別の意味でなければならなかったの?
それを期待された。
そして、裏切ってしまった。
だから、失望された。
わからないのに、自分の方に責がある。
そんな気がする。
なぜだろう?
やはり、わからない。
無限に同じ思考の繰り返し。
(タッキーが聴いていれば、一発で答が出るんだろうな……)
サファイアは、別行動しているはずの師匠を思い浮かべた。
(あれ?もしかして、タッキー。だから、依頼を受けた……?)
私を、サファイアの宝石眼をこの舞台に連れ出す絶好の機会だから。
突然、そう思い立った。
でも、どうして?
サファイアは、そこまで推理した。
しかし、その瞬間。
ビクッ――。
鋭い視線と悪寒が走った。
はっきりわかるほど、それは一心に己へ向けられている。
舞踏を途中停止させ、その視線の先を捜索した。
それほどの威力があった。
伯爵も、突然の彼女の無碍な行為に目線を動かした。
見つけた――。
そこだけ温度が低く、まるで時が停止しているかのようだった。
サファイアは、そこに一人の令嬢が立っているのを確認した。
真っ直ぐにこちらを射抜くその熱狂する視線。
美しいその顔に、毒を回らせている。
その感情をサファイアはよく知っている。
だって、幼い頃、よく知りもしない他人から向けられたもの。
〝憎悪〟という、その慣れ親しんでしまった感情を――。
優雅に歩み寄る令嬢。
やっぱり、前言撤回。
貴族社会であろうと、変わらぬものはある。
人間である限り。
人生で一度くらいは、誰にだって修羅場は訪れる。
(今度は、興奮する余裕もないくらい大物だけど……)
サファイアは、己の前途多難な人生を嘲笑った。




