13-8
「じゃあ、ここからは一旦別行動だ」
一度、豪華な彼ら専用の客室に通された後、すぐにタッキーはサファイアに伝えた。
廊下の紅き絨毯も居室内の家具も、彼女にとっては、眼が眩むような一級品ばかり。
これを、普段は使用しない一客室に備え付けてあるのだから驚きだ。
(防犯とかどうしてるのかしら?)
そんな一般庶民な疑問しか湧いてこない。
気を抜いた、その一瞬にタッキーから伝えられた別れの詞に、サファイアは一気に不安が募った。
「えっ!?」
「当然だろ?舞踏会に愛玩動物を連れ立ったら、踊れやしない。……更に目立つぞ」
「うっ!……そうよね……」
〝目立つ〟
その詞に対しては、彼女は弱かった。
「大丈夫だよ。周りなんか気にしないで」
クルスが肩に手を置く。
安心感が増す。
そう、彼の手は魔法だ。
伝染する。
その瞳の効力が。
落ち着いて、前進できる。
その手を取ってしまうことは、きっと悪い予感がするのに。
簡単に人を共犯者に仕立て上げる。
まるで、麻薬でも流し込まれているかのようだ。
「はい。――タッキー、私、頑張って来るね!」
「いや、だから……。まぁ、いい。頑張ってこい」
「うん!」
タッキーは、苦笑して彼女の応援をした。
それだけで、サファイアにとっては百人力だ。
すると唐突に、タッキーは軽やかに飛び上がって後ろに控えていたフランソワーズの腕の中に納まった。
なぜ、彼女がしっかり受け止められたかは解らないほど、いきなりだったが。
「おい、小娘。ちょっと耳を貸せ」
「えっ?はい」
どうやら、理由は彼女と内緒話がしやすい位置に移動しただけだった。
「いいか。舞踏会で登場したら――」
タッキーの指示にサファイアは眼を見開いた。
「えっ、どうして?」
「それで、出席者を黙らせられる」
「……そんなことでいいの?」
「十分だ」
タッキーの鷹揚な頷きに、サファイアは首を傾げた。
しかし、従わない理由はない。
それほどまでに、彼女にとっては困難な注文ではなかったから。
皆、目の前の光景が俄かには信じ難かった。
ターコイズの宝石眼が出席する旨の返信は承っていた。
それだけでも、幸運だと思っていた。
彼も、年に数回程度しか公式の場に姿を現さない。
それでも、三大公爵家に纏わる行事には、どこも平等な程度には参加をしている。
そこに抜け目はない。
でも、しかし――。
まさか同伴者がいるとは。
いつものらりくらりと一人で現れて、また同様に消え去っていったのに。
そして、その相手こそ。
今この瞬間、話題の中心人物であったことに。
公爵夫妻ですら、虚を突かれた。
「嘘……でしょう……」
夫人が思わず呟いた。
いつものお遊びが。
常に、自分が主催者だったその愉しみが。
まさか、この私が?
相手に手の上で転がされていた――?
ゆっくり。
でも、身体の重心は絶対に反らさない。
彼女は師匠の教えを忠実に守っていた。
眼の前に広がる未知の世界。
そこに似合う、滅多にお眼に掛かれない唯一無二の価値を持つ宝石たち。
そして、場違いな自分。
総ての状況が、足を竦ませる。
引き返せるなら、そうしたい。
でも、負けられない。
私だって、この瞳と生きていく。
それならば、踏まねばならない世界。
歩んでくる美しい女性。
風を切っている。
いや、風が道を開けていく。
そのなかを、涼やかに歩んでくる。
コツッ、という靴の音すら愛おしく感じる。
一流品のその礼装、装飾品もただの飾り。
本体の素晴らしさを際立たせるだけの。
そして、極めつけはその瞳。
遠目でも確かに確信する。
その漆黒の蒼――。
実物は、想像を遥かに凌駕する。
吸い込まれてしまう。
こちらから、見えるだけでこの存在感。
我を失ってしまう。
早く。
早く、その瞳で一心に見つめられたい。
でも、見つめられてしまったら。
己はどうなるのだろうか。
危険な代物ほど、手を伸ばしたくなるは人の性。
人間を辞められぬ以上、その本能に従うしかない。
たとえ、それが底なし沼のように堕とされ続ける類のモノだとしても――。
「本日は、お招き頂き感謝します。クヴェレ公爵。そしてクヴェレ公爵夫人」
クルスの礼に、サファイアも倣う。
それに、ハッとした。
先に、我に返ったのは公爵だった。
「――こちらこそ、御出席頂き感謝致します」
その返礼に、夫人は一瞬遅れた。
それは、自分以外の人間の礼儀にうるさい彼女にあるまじき失態だった。
慌てて、夫に倣う。
ここまで、不利に陥った状況は、最近では見当たらない。
それほどまでに、己の上には何人も歩かせないようにしてきたというのに。
所詮、天からの授かりものには敵わない。
それを、今知らしめさせられた。
「お話するのは、初めてですな。――サファイアの宝石眼様」
公爵が控えめにサファイアへ声を掛けた。
「――はい。クヴェレ公爵様。そして、クヴェレ公爵夫人様。お初に御眼にかかります。サファイアの宝石眼、サファイア・ローにございます。本日は、このような素晴らしい舞踏会に出席が叶いましたこと、誠に嬉しく思います」
耳に優しい音色。
声に温度など存在しないはずなのに。
温かみを感じた。
「……ターコイズの宝石眼とはお知り合いでして?」
夫人がやっと口を開いた。
己たちの情報網がまさか間違っていたというのか。
彼らに接点はなかったはずだ。
就任式ですら、彼らは遂に顔を合わせることはなかったのに。
「えぇ。彼女は今日をとても楽しみにしていましてね」
――ねぇ、サフィー。とクルスがサファイアに親しげに接する。
誰だって、二人の関係を邪推する。
紳士淑女の噂話ほど、早馬よりも素早く国中に伝達される。
それを、見越しての態度か。
(おい、おい。不味いだろ)
ユーリはこの状況も然ることながら、隣に立つ主への声を掛けられなかった。
その人物の周りのみ、吹雪のような冷気が漂っているからだ。
触れれば、凍らされる。
いや、それとは裏腹に、熱い感情が埋めいているのも感じる。
それは、とてもどす黒く。
総てを反射させ輝きを放つダイヤモンドの配色ではなかった。
ただの、嫉妬の炎に身を焦がす男がいるだけだった。
怒りが込み上げる。
どうして?
なぜ?
人の苦労を台無しにする。
そう、思わずにはいられない。
それを知らない、三人目の宝石眼は穏やかに微笑む。
「――えぇ。私は、宝石を見物するのがとても好きですの。……でも、本当の目的は理想の公爵夫妻として名高いクヴェレ公爵様方にお逢いしたいと、無理を言ってクルス様にくっついて参りましたの」
――ご迷惑でなければ良いのですが、とサファイアは所持していた扇子で顔を少し伏せながら上目使いで彼らを見通す。
それを撥ね退ける気力はない。
同性ですら、心の臓を持って行かれそうになる。
すでに、周りの紳士は打ち抜かれている者も複数いるようだが。
彼女は、決してそれには気づかない。
違う。
彼女は、こんな完璧な淑女の世辞が、仕草ができる女性ではなかったはずだ。
ヴィレとユーリは茫然と立ち尽くしながら動揺していた。
彼女は、初めて舞踏会に出席したとは思えないほど、洗練されていた。
偽物、には見えない。
でも、本物にも見えない。
彼女は、一体誰だ。
離れている時は、そんなに長かったというのか。
ただ、見守りたいと望むことは、間違っていたのだろうか。
女は、眼を離すとすぐに華を咲かせてしまう――。
男女の色恋に手練れた者は、そう持論するだろう。
見守るなんて、甘すぎる。
手折る気がないのなら、初めから指を咥えて見ているがいい。
ヴィレは、サファイアの咲き誇った薔薇の礼装を苦々しく見つめた。
「そうでしたな。確か、サファイアの宝石眼となる以前は、宝石鑑定士を生業とされていたとか。宝石を愛する職に就く者ほど、この国には重宝されるべき存在です」
やはり、情報は多く握られているようだ。
それでいて、相手に不快感を与えない。
ユーリの父が、最も苦手な人物として挙げた者であるだけのことはある。
ユーリは眉を顰めた。
「そうでしたわね!――ねぇ、サファイアの宝石眼。私たちが今回選定した宝石はどうかしら?ぜひ、あなたの意見が聴きたいわ」
夫人がその陽気な笑みを取り戻していた。
出し抜かれたからと言って、負けたわけではない。
そこは、百戦錬磨の強者の彼女であるからこその意地。
クルスは、サファイアをちらっと見た。
会場には、いくつもの宝石が価値を全面に押し出し、展示されている。
いずれかを褒める。
おそらく、その宝石こそが競売で最も値が張る代物となる権利を得るだろう。
しかし、どれかを選んでしまうのはサファイアの宝石眼として、あまり良くない判断だ。
他の宝石を蔑ろにしていると勘繰られる可能性もある。
一番無難なのは、自らの宝石であるサファイアを選択することだろう。
クルスは、そうするだろうと予想した。
サファイアが宝石眼として覚醒して以降、かの宝石の価値は倍増している。
さらに、国の産出場では良質のサファイアが採掘されることが話題となっている。
なにもしていなくとも、恩恵は国に降り注いでいるのだ。
しかし、彼女の取った行動は――。




