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ブラックサファイア  作者: 早紀
55/227

11-5


 これは、とある貴族の物語――。


 さあ、集まって。


 紙芝居の時間だよ。

 

 はじまり、はじまり。




 ある侯爵家に、それはそれは、美しい娘がおりました。


 齢十にも満たぬその幼子は、まるで花の妖精のように可憐だったため、周りから蝶よ花よ、と育てられました。


 しかし、その娘が素晴らしかったところは、そんな育てられ方をしても決して高慢になどならず、謙虚で慈悲深い心の持ち主に成長したことでした。




 そんなある日のこと、娘は初めて我儘を両親にしたそうです。


 それは、娘が両親と、とある水車小屋を馬車で横切った際に見かけた、泥だらけの孤児の男子を一人引き取りたい、と強く願ったことでした。




 娘は直感したそうです。


 彼が必要だと。


 それは、己にとってか。


 それとも――。




 当然娘の両親は、そんな(いや)しい身分もわからぬ子に、侯爵家の敷居を跨がせることを嫌がりました。


 しかし、良くも悪くも、この両親はその娘を深く愛しておりました。


 結局は、娘が思い描く望み通りの結果となりました。


 屋敷へ連れ帰って皆驚きました。


 その孤児に水浴びをさせ、身なりを整えてやると、彼は驚くほど、美しかったのです。


 その美しさは成長を続けるなかで増し、まるで男神を思わせるほどの優美さを醸し出す大人の男へと成長致しました。


 そして同時に驚かされたのは、彼の賢さでした。


 娘と勉学を共にすると、教師が唸るほどの知識の吸収と探究を繰り返したそうです。


 しかし、その彼の良いところは、決して娘への敬意を忘れないことでした。




 彼らが愛し合うのに、そう時間は掛かりませんでした。


 むしろ、引き取られたその日から、彼の女神は生涯一人きりでした。


 いつでも、娘のためにその命すら犠牲にできるほどに。


 己は、あの泥のなかで道端に投げ捨てられた石ころほどの存在。


 そこで、朽ち果てていく運命(さだめ)にあると思っていた。


 それが、こんな奇跡が起きた。


 だからこそ、娘は彼の全てだった。


 二人は、隠れながら愛を育て続けました。





 しかし、娘には血の繋がった兄がおりました。


 その男は娘とは正反対の粗野で高慢と見栄の塊に満ちたような人間でした。


 男は、いつも両親から一心に愛情を注がれる妹が妬ましくて仕方がありませんでした。




 大嫌いだった。


 だから、好機だと感じた――。


 二人の仲を両親に暴露したのです。




 娘の両親は、それは、それは、恐ろしいほどに激怒したそうです。


 大切な娘。


 目に入れても痛くないほどの愛娘。


 こんな孤児に渡してなるものか――。


 両親は、ついに殺し屋を雇い、彼を亡き者にしようと企てました。


 ですが、聡明な娘と彼はそのことにすぐに気付きました。


 そして、娘は選択をしました。




 彼のために家を捨てることを――。




 身分は確かに己を守ってくれる。


 両親は確かに己を守ってくれる。


 でも、彼を守れるのは己だけ――。


 娘は、なにより己を信じました。


 彼を必要だとあの日、(いかずち)にでも打たれたかのように息が止まってしまった己自身の奥深くにあったなにかに。




 娘は家を去り、両親は、嘆き悲しみました。


 しかし、男だけは喜びました。


 狂喜乱舞していたとも言えるでしょう。


 邪魔な存在は生きていようがもうここにはいない。


 それだけで、安心してしまったのです。




 しかし、両親は諦めませんでした。


 幾日も馬車を駆け、娘を探し回りました。


 なにを失っても、取り戻したい宝物。


 その間、男は着々と己が侯爵家次期当主に収まる算段を取っておりました。


 〝どうせ、見つかりはしない〟


 そう、高を括っていたからです。





 しかし、両親の執念はついに実を結びました。


 貧しい小屋でついに彼を見つけたのです。


 両親は大声で叫びました。


 〝大事な娘を返せ〟


 彼は、言いました。


 〝二階にいます。でも、今しがた産気づきました〟




 両親の悲鳴は、それは凄まじいものでした。


 この世の終焉を迎えた。


 母親は発狂し、父親は彼を殴り倒しました。




 オギャ――!


 その産声は突然上がりました。


 彼は、両親に構わず走り出しました。


 両親も後を必死に追いました。




 薄暗い部屋の中、産婆と娘と――。


 輝く大海の瞳を持つ子がそこにはおりました。




 両親は詞を失いました。


 彼もまた、詞を失いました。


 産婆は、ただ茫然としていました。


 娘は我が子を見つめ続けました。




 子が啼いた――。


 その瞬間。


 そこには雫という名の海が広がった。


 誰もを一斉に飲み込む、その深き蒼。


 娘と彼の子。


 両親の孫。




 その子はアクアマリンの宝石眼(ユヴェールアオゲ)としてこの世に生を受けたのでした。




 両親は、そこから一歩も動けませんでした。


 しかし、彼は動いたのです。


 そして、愛しい妻にこう言いました。




 〝元気な子を産んでくれて、ありがとう〟




 その瞬間、両親は自分たちの過ちにようやく気付いたのです。




 家柄じゃない。


 美しさじゃない。


 瞳じゃない。




 娘だから――。


 愛し抜いてくれたのだ。




 両親は泣き崩れました。


 そして床に這いつくばったまま、二人に許しを乞いました。


 二人は言いました。


 〝孫を、抱いてあげて〟


 両親の手に収まった孫は、変わらず雫を流し続けました。


 そこで、その雫はアクアマリンの(トレーネ)となったのです。


 冷たいはずの、その雫がやけに温かく感じられたのです。




 それこそ、家族の温もりだったのかもしれません。


 両親は、彼と和解しました。


 そして、同時に男と絶縁しました。


 男が卑怯な手で、娘と彼の居場所を隠し、当主の座に就こうとしていたことが発覚したからです。




 彼は、侯爵家の次期当主となりました。


 彼らの孫であるアクアマリンの宝石眼(ユヴェールアオゲ)は、その生涯、自分を愛し守ってくれた両親と侯爵家のために、心血を注ぎ続けました。


 国中で、最も清らかなる水を侯爵家に齎し続け、その潤いによりその土地はなんとも豊かになりました。


 それは、彼らを侯爵家から公爵家へと登り詰めさせるほどに。


 その時代を生きた、かのアクアマリンの宝石眼(ユヴェールアオゲ)は、死後現在に至るまで絶えずこう呼ばれます。




 〝愛から生まれた水の聖女〟


 美しき『聖水』と美しき『女性』。


 二つを兼ね備えた彼女は、歴代の宝石眼(ユヴェールアオゲ)のなかでは狭い世界のみでその生涯を終えたといえるでしょう。


 しかし、彼女の死後もその恩恵がかの公爵家に振り続いたことは、とても稀な現象でした。


 それほどまでに、彼女のアクアマリンの宝石眼(ユヴェールアオゲ)としての全てを懸けた功績が現代まで脈々と、まるで水源のように絶えず受け継がれているのです。


 なんと素晴らしいことでしょう。





 娘は、宝石眼(ユヴェールアオゲ)ではありませんでした。


 しかし、宝石眼(ユヴェールアオゲ)の母となりました。


 侯爵家が公爵家となった、栄華を誇る初代当主の妻となりました。


 その生のなかで、貴族の華やかな暮らしも庶民の慎ましい暮らしも経験しました。


 それは、なんと至高の幸福に包まれた生涯であったのでしょうか。




 それ以後、その公爵家には今でも絶えず国一番の水が流れ続ける。


 その水に勝るものはない。


 そう人々に知らしめ続ける。


 故に、彼らはこう呼ばれる。




『水の公爵家』と――。



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