7-2
まさか、と思った――。
声をした方向を振り向くとそこには汽車で別れたはずの少女が走ってきた。
「ミリー、ダメよ。走っては!」
後方では、あの時出逢った母親が隣の見知らぬ男性に肩を抱かれながら、娘を諌めていた。
そのままミリーは思いっきりサファイアに突進してきた。
その小さな体を受け止めながらサファイアは混乱していた。
「どうしたの。なんでミリーがここに?」
「お爺ちゃまに連れて来ていただいたの!」
「お爺さま……?」
ゴホンッ、と後ろで咳払いが聞こえハッとした。
「ま、まさか。フレウンド公爵の孫娘……」
衝撃の新事実に、サファイアは卒倒していた。
「サフィーさん」
「あっ……」
「改めまして、自己紹介をさせてください。私は、ニートリヒ侯爵夫人でございます。こちらは夫のニートリヒ侯爵にございます。本日はサファイアの宝石眼にお目通り叶いましたこと、誠に嬉しく思います」
――名を、ユリーネと申します。どうぞお好きにお呼びください、と深々と礼をされた。
「そ、そんな顔をお上げください。こちらこそ。……本当に驚きました」
それから一時の後――。
サファイアとニートリヒ侯爵夫人は、建国祭の盛り上がる歓声と人混みを避け、雑談をしながら薔薇庭園を並んで歩いていた。
「無事、侯爵とご結婚できたんですね。お喜び申し上げます」
サファイアはまず、祝いの詞を述べた。
「ありがとうございます……すべてサフィーさんのおかげです」
「私の?」
「実は……」
侯爵夫人は、その時の奇跡を回想する――。
サファイアと別れを告げた後、親子はすぐさま結婚相手の父親が滞在している別宅へ向かった。
(彼女からいただいた希望を勇気にできる今なら、きっと大丈夫!)
母親はもう迷いはなかった。
この子を産んだことを、ただの一瞬も後悔したことはないのだから。
僅か数年で先立たれた前夫との愛の結晶。
だからこそ、恥じることなどなにもない。
親子は、駅からすぐさま馬車へ乗り込み別宅へ向かった。
トレラント海の潮風が漂い、ほんのりと塩の香りが鼻に届いてくる一等地にフレウンド公爵の別宅は建てられていた。
すでに三年前に正妻を亡くしている彼が、雑踏を離れた隠れ家として用いられているのだろう。
呼鈴を鳴らすと、少数の侍女と執事しか現れなかった。
身分を告げると、すぐに説得のために滞在していた侯爵が驚きを隠せずに出迎えてくれた。
「ユリーネ!どうして、ここへ」
侯爵は、突然訪れた愛しき人の名を呼びながら玄関へ駆けてきた。
「無礼をお許しください。あなた様が公爵様を説得してくださっているのをただ待っているのが忍びなくなってしまい……」
ユリーネは、申し訳なさそうに眉を曇らせた。
「本当に不躾な女だ」
その時、低い声が玄関に響き渡る。
「あっ……」
「父上!」
ユリーネと侯爵が同時に声を上げた。
視線の先には母娘を睨みつけるフレウンド公爵と大きな鞄を抱えた身なりのいい巨体の男が並んでいた。
「私は、そんな女たちをこの別宅へ呼んだ覚えはない。さっさと追い返せ」
「父上!彼女に失礼な口を利かないで下さい。それにミリーはまだこんな幼いんですよ」
ミリーは、瞬きをせずに公爵を見つめていた。
しかし、それはすぐに違うことが分かった。
彼女が見つめているのは公爵ではなかったのだ。
「ねぇ。それなんですか?」
まったく蚊帳の外だった男は突然罵倒の嵐だった親子の会話に混ざらされ、不快感を隠さなかった。
「これは……。お嬢さんには関わりないことですよ」
「君!宝石商らしいが、この子に無礼な詞を使用するのは控えてもらおう!」
途端、侯爵の怒りに宝石商はその巨体を縮込ませた。
「私は忙しい。早くその母娘を帰らせろ」
公爵は母娘を一瞥し、奥へ宝石商を伴って去って行った。
侯爵は、父親を必死に引き留めようとしたが、ユリーネはそれを制した。
「いいえ。私どもが勝手にお邪魔したのですから、公爵のお怒りを買うのは尤もです」
「ユリーネ。とりあえず上がってください。ミリーも……あれっ、ミリーはどこへ?」
「えっ、嘘。ミリー、ミリー!」
大人たちが会話をしている最中に背が低く視界に入らなかった幼い天使は羽が生えたように消えていた。
天使は自由気まま。
そして、下界の者に幸福を運ぶ存在。
次に、彼女が放つ矢に射られる幸運を手にする者は一体だあれ?




