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ブラックサファイア  作者: 早紀
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30 父の真実


「風が気持ちいいですね?」


 サファイアは、今日初めて、他者の気配が無くなった静寂に身を置いたような気がした。


 正確には、もう一人連れがいるが、その者は己の真後ろで俯いたまま、まるでそこには存在していないかのように空気に溶け込んでいた。


 そんな彼女に、サファイア自身も申し訳ない気持ちが過っていた。




(どうしてこんな展開になったのかしら……)


 ここへ訪れた目的の糸口はすでに掴んでいる。




 シュレの支配人(マネージャー)


 彼を、再び調査すれば、あるいは謎は解けるかもしれない。


 これ以上、無関係な人様の家庭の内情に首を突っ込むことは、あまり褒められた行為ではない。


 それなのに、自分はいつも猪突猛進(ちょとつもうしん)で突き進んでしまう。




 サファイアは、己の性分に深く溜息を吐いた。


 それに、彼女は肩を震わせ怯えの様子を覗わせた。


 どうやら、サファイアの溜息を自分へ向けた感情だと勘違いしたようだ。


 サファイアは、焦りながら彼女へ声を掛けた。




「ご、ごめんなさい!決してメーアさんに向かって溜息を吐いたわけじゃないんですよ……」


 しかし、その声にも、彼女は暫く返答をして来なかった。


 呼吸をすることすら、もがきながら必死に身に取り込んでいるのに、声を出させるなんて(こく)な要求だ。


 サファイアは、猶予を与える為、再びメーアから視線を外し、周囲を見渡した。




 この広場(テラス)傍から見える森林は、領地に住む子供たちの遊び場になっていると農家の人々が語ってくれた。


 隣にいる彼女も、幼い頃は、ここで友人と(たわむ)れ、日が暮れるまで駆けまわっていたのだろうか。


 真偽は、定かではないが、そうであったような気がする。




 素直に羨ましいと思った。


 自分には、〝家〟しかなかった。


 〝友人〟も〝遊び場〟も幼いサファイアの辞書には存在しなかった。


 ない物ねだりだとわかっていても、羨んでしまう想いは止められない。




「……です」


「えっ?」


 彼女を待つつもりが、随分と己の世界に入り込んでしまったようだ。


 やっと啼いてくれた彼女の音を聴き逃がしてしまったのだ。


 サファイアは、瞬間決定的な失敗をしてしまった自分に動揺した。


 ここにタッキーがいたら、その可愛らしい足で強烈な蹴りを入れられてもおかしくない。




「あ、あの――」


「――サファイアの宝石眼(ユヴェールアオゲ)様」


「――は、はい!」


 なんとか挽回しようとしたサファイアの呼び掛けと被さるように、やけに静かな調子で名を呼ばれた。


 それに、思わずサファイアは背筋を伸ばしながら返事をした。


 まるで立場が逆な姿勢に、メーアは状況を忘れて笑った。


 こんな時に笑えるなんて、と冷静に想い返して啼きそうになるのを堪えながら――。




「……サファイアの宝石眼(ユヴェールアオゲ)様の御家族様は、きっと素晴らしい方々なんでしょうね……」


 彼女の突拍子もない質問に、サファイアは一瞬戸惑ったが、すぐに答えた。




「えっ……。そうですね……。素晴らしいかどうかの基準はわかりませんが、私は、私の家族を誇りに思っています」


 その堂々とした答に、メーアは、一歩、二歩とサファイアに近づき、隣に立って彼女と同じ風を浴びた。


 綺麗に纏められた髪の端から、二、三本の毛が首筋に流れ落ちていった。


 それに気付かず、メーアは遥か遠くを見ていた。


 この領地の外の景色を眺めるように――。






「私の父親は、よくここで、こうして外の世界を一人眺めていました」


「メーアさんのお父様が、ですか?」


 サファイアは、唐突な彼女の詞に面食らった。


 それに、彼女は悲しげに嗤いを洩らし、頷いた。




「はい。……私の父は、おそらく〝父親〟としては、最低の部類に当てはまる人でした」


「……」


「父は、婿入りなんです。元々、母方がこの領地で小麦農家を営んでおりまして、後継ぎとして、父は母と結婚いたしました」


 サファイアは、口を挟まなかった。


 なにも言えなかったから。


 ただ、聴いてから詞を紡げばいい。


 見え透いた正義感で、見ず知らずの相手の父親が最低ではないなどと、否定をしても意味はない。


 そこに、説得力の欠片もないから。




「母の方が、父を愛し結婚を望んだと聞いています。父は、生まれがそこまで良くなく、当時は反対の声も上がったそうですが、結局、二人は結ばれました。けれど――」


 傍にあった落下防止の為に設置された手摺りを強く掴みながら、メーアは苦しげな表情を見せる。




「――父は、母を愛していませんでした」


「――っ!?」


 サファイアは、思わずヒュッと喉が鳴るのを相手に悟られないように口元を強く押さえつけた。


 誰もが、望んだ相手と添い遂げられるなんて夢物語は抱いていないが、それでも、それぞれに倖せの形は異なる。


 恋愛をして結婚したから、倖せになれるものでもない。


 けれども、全く相手に愛を持たなければ、それはつまり、倖せを形作る材料すらないということだ。




「おそらく、母が相続した広大な農地が目当てだったのでしょう。結婚当初は、跡取りとして小麦の生育にも尽力していたと聴きましたが、私が生まれる頃には、そんな姿はありませんでした」


「……なにが、あったんですか?」


 サファイアは、先を促した。


 本当なら、彼女の時機(タイミング)を優先しなければならないのに。


 しかし、隻眼の女性は、それに怒りを示さず話を続けてくれた。


 辛い過去であろうとも、語り手となってくれた。




「……いつの間にか、所有していた土地の広さが狭くなっていました」


「――っ!」


 サファイアは、合点が付き、声を出してしまった。


 それに、メーアは瞳をゆっくりと閉じた。


 尊き方の顔を見ながら話せる自慢話ではない。


 本来なら、こんな薄汚い詞は、かの方の耳にすら入れたくはないというのに。




「……父は、密かに土地を売り払っていたんです。確かに、元々小麦農家を継ぐ気もなかった人に、身に余る広さの土地を管理させるのは、遅かれ早かれ無理だったでしょうから、仕方ありませんけど……」

 

「メーアさん……」


 己の父親を厭う詞を吐き出す彼女の痛々しさに、サファイアも痛かった。


 それなのに、話を中断するよう言えない自分を、サファイアは殴りつけたかった。




「――しかし、それで得たはずの金銭を家族が見ることはありませんでした」


 そうしている間にも、話は残酷さを増すのに――。




「……お父様は、そのお金をなにに?」


「……わかりません。少なくとも、家族の生活が困らない程度に土地は残してましたし、僅かですが、小麦の生育も続けていました」


「……」


「でも、一度だけ母親が、父親に必死になにかを訊ねている姿を見たことがありました」




 あれは、誰も活動しない夜中のことだった。


 どうして目が覚めたか、その理由は、今となってはもう覚えていない。


 喉が渇いたのか。


 室内が暑かったのか。


 とにかく、寝苦しさを覚えたような感覚は残っていた。




 彼女の部屋がある二階から、なぜか自分は、一階へ下りて行った。


 すると、暗闇のはずの居間から灯りが漏れているのに気付いた。


 恐る恐る、そこを覗いた。


 もし、こんな夜更けに起きてきたことが両親に見つかれば、叱咤されるかもしれないと危惧したからだ。


 案の定、両親はそこにいた。


 しかし、彼女は引き返せなかった。


 母親の大粒の涙を見てしまったから――。





『ねぇ、答えて!』


『……』


『どうして、あんな少量の小麦に、あれだけの値が付いてるの!?』


『……妥当な価格と相手側が思っているからだろう……』


 父親は、啼いている母親に背を向けたまま、低い声でそう返していた。


 それに、メーアは、生まれて初めて母親が大声で怒鳴る姿を目にした。




『ふざけないで下さい!私は、農家の娘です!小麦の適正価格くらい知ってます!あんな高値で小麦を売りつけて、取引が成立するはずがないこともわかります!』


『……興奮するな。お腹の子に触る』


 それに、母は、重たい身体で立ち上がり父に向かって叫んだ。




『――じゃあ、この子の為にも答えて下さい!』




 父は、それにとうとうなにも答えなかった。


 メーアは、音を立てないようにその場を去った。


 心の臓は大きな音を立てていたが、メーアは驚くほど静かに己の部屋へ戻った。


 話の内容は、子供には難しいようで、難しくなかった。


 深く理解しなくてもわかった。




 父親は、悪いことをしているのだと――。






「……」


 サファイアは、なんの詞も彼女に掛けられなかった。


 そして、彼女もそんなことは望んでいないことがわかった。


 助けて欲しい、と叫ぶには、今は、もう遅すぎた。


 


「……父は、その後、あっけなく死にました。取引があると言って家を発った日に、不慮の事故に遭いました」


「……」


「私は、啼けませんでした。母は、また啼いていたのに。私は、啼けませんでした」


 メーアは、今度はしっかりとその片側の瞳でサファイアを真正面から見つめた。




「サファイアの宝石眼(ユヴェールアオゲ)様は、きっと私を軽蔑されるでしょう。父が死んだと聞いた日、私は心の底から安堵したのです」

 ――罪が闇に葬られたと思って。


 メーアは、悪女のように嗤いながら、サファイアに告げた。


 総ての者に嫌われようとでも思っているその態度に――。




 サファイアは、なにも変わらなかった。




 それに、メーアは、たじろいだ。


 真正面から見つめてくる国の宝の瞳に、一切見えてこない嫌悪の感情に。




「――メーアさん」


 その詞に、心が震えた。


 こうして、何度も名を呼んでもらう資格もないと知っていたから。


 母を押しのけてでも、父を断罪しなければならなかった。


 それが、どうしても出来なかった。


 だって――。




「どうして、なにも言わないのですか?」


「……」


「理由がおわかりでしょう!?私は、父の罪を知っていた。それでも、なにもしなかった!なぜなら、自分の身が大切だったからです!今、父が罪に問われれば、自分の生活が壊れてしまう!それが厭だったから――」


「……メーアさん」


 メーアは、首を何度も振って、片手で顔を覆った。


 視界から完全に去るのに、彼女にはそれで事足りるから。



 

 その姿に、サファイアは静かに、でも、強く声を掛けた。




「……それは、お母様とエルフィの倖せも失われてしまうからでしょう?」

 ――そして、愛したお父様も。


 サファイアは、感じていた。


 目の前の女性が、どれほど強く美しく生きてきた人間かを。




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