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ブラックサファイア  作者: 早紀
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105/227

17-4


 辺り一面がしんっとなった。


 それは、彼女が醸し出す冷たく、なのに燃えるような業火の熱い気配によるものなのか、サファイアには、掴めなかった。


 しかし、一つ言えることは、当初の狙いは達成しつつあるということだ。


 たとえ、頬に伝う汗がじわっと肌に厭な吸い付き方をしていたとしても――。




 アンネが震える手でその豪華な金髪を掻きあげる。


 動揺を必死に抑えようとしているのが伝播する。


 たとえサファイアが同性であっても、一応は宝石眼(ユヴェールアオゲ)


 狡猾な悪呪師(ユーベルツァオベラー)なら誘いに乗ってこない恐れもある。


 ただ、サファイアには自信があった。


 彼女が悪呪師(ユーベルツァオベラー)であったとしても、あの舞踏会での射抜くような視線。

 



(彼女は、プフール伯爵様に関してだけは、我を忘れるはず――)


 


 一時の後。


 視線が、やっと合う。


 つまり、それだけの時間を要したということだ。


 すぐに視線を合わせれば、己の感情の蓋を閉めきれず、そのまま相手へ飛び掛かってしまうかもしれない。


 それは、なんとか避けたようだ。




「……まぁ、それは不思議な話ですわね。舞踏会終了後は、私とヴルム様は一緒に過ごしましたのよ」


 女特有の甲高い自慢が混じる声。


 アンネは、淑女としての慎みある発言をしなかった。


 つまり、すでに冷静さに欠けている。


 サファイアも、この反論は予想していた。


 しかし、彼らが朝まで共にすることはないことも予想できた。


 三大公爵家内で、もし不埒な噂でも立てば、お互い不利益しか被らない。


 こういった場所では、皆慎重にならざるを得ないのだ。




 サファイアも、負けずに勿体ぶって告げる。


「……でも、夜中まで一緒にはいらっしゃらなかったでしょう?」


「――!」


 アンネの頬が朱色に染まり、歯ぎしりをする。


 確定した物言い。


 恋敵にとって、これ以上ないほど屈辱的で痛恨の一撃となる。


 サファイアは、そのまま相手に間を開けずに、語り続ける。


 嘘の話を――。




「……私も本当に驚いたんです。突然のご訪問でしたし。……ですが、舞踏会での一件について話したいと申し出を受けまして、お断りできず――」


「……一体、どのようなお話をされたのでしょうか?」


 アンネは下を向いたまま、問う。




 今にも、泣き出してしまいそうな雰囲気。


 サファイアも、女性に対してこんな酷い騙し方をすることに、気が引け始めていた。


 もしかしたら、本当に事件とは無関係な人かもしれないのに。


 サファイアも視線を下へ向けて、続ける。




「……大変、申し上げにくいのですが。……アンネ様とは、その、男女の関係ではないから誤解しないでほしい、と――」


 


 その瞬間――。


 サファイアは自分の身体が押され、宙に浮いたのがわかった。


 視線を上げれば、あんなに距離が離れていたアンネが眼の前にいた。


 その憎悪の籠った顔で、両手を前へ出している。


 後ろには闇に染まった長い階段。


 そこへ、ゆっくり落ちていく感覚がある。




(油断した――)


 か弱い令嬢は、やはり演技だったようだ。


 だって、こんな力強く人間を攻撃できるのだもの。


 そんな客観的なことを思考しながら、サファイアの身体は後ろへ倒れ込む。


 その寸前――。




「サフィーーーー!!」


 大声で自分を呼ぶ存在。


 それと、同時に誰かの温かい腕のなかへ納まっていく安心感。




(――そうだ。前にも同じことがあった。また、助けられてしまった。これで二回目。いくらなんでも呆れられたかしら)


 どうして、この国で最もその身を大事に扱わなければならない人に、自分はいつも迷惑を掛けてしまうのだろうか。




「王子……」


「……」


 背後からきつく自分を抱き込むその腕の持ち主から返答はない。


 これも二回目だ。


「……ヴィレ」


「……サフィー」


 一層強く、息も出来ぬほどの抱擁(ほうよう)


 サファイアは、それをただ受け止めていた。


 


「離せーー!あの女、殺してやる!」


 その怒声に、二人は上を向く。


 ユーリとクルスが二人がかりでアンネを抑え込んでいる。




 もう、芝居の必要はない。


 彼女は、罪を犯してしまった。


 この国で最も重罪となる宝石眼(ユヴェールアオゲ)殺しを。


 だが、今回は未遂で、サファイア側から仕掛けている。


 話によっては、赦したいとも思う。


 そのためには、まず、この腕から離れなければならない。




「あ、あのヴィレ……」


「――やっぱり、こんなこと止めさせれば良かった。ユーリから話を聴いた時の俺の感情があなたにわかるか?なに一つ守らせてもらえないこの歯痒さ。それを尊重したいと思った……。それが、すぐ後にこれだ」


 ヴィレの咎めるような詞と視線にサファイアは慄く。


 彼から、こんな物言いをされたのは初めてだったからだ。


「ヴィレ……私は、どこも怪我してないですし」


「結果論じゃない!」


「!」


 怒鳴られて、身を竦ませる。


 怒りが肌を密着させている分、直接(ダイレクト)に伝わってくる。


 サファイアの怯えた表情にもヴィレは視線を緩めない。


 そのままサファイアの頬を撫ぜる。




「あなたの命は、もはやあなただけの物ではない。――覚えておけ。お前は、私の――」


 ヴィレの顔が声と共に近づいてくるのを制止できない。


 最後の台詞の際、彼のダイヤモンドの瞳が鈍く光ったように感じられた。


 なぜか、別人の瞳のように――。




 彼はダレ?


 なにかに乗っ取られている。


 それとも、これこそが、彼の真の姿なのか。


 二人の影が重なり合おうとする。


 しかし――。




 ボカッ――!!


 唇が触れ合う寸前。


 いきなり眼の前のヴィレが、その後頭部を可愛らしい肉球で(はた)かれていた。


 いや、殴られたという表現の方が正しいかもしれない。




「おい!いつまで、抱きついてるんだ。俺たちもさっさと上へ戻るぞ」


 一体どこから現れたのかわからないが、颯爽と登場したタッキーは、見下したかのようなぞんざいな言い方で二人に指示する。



 

「――っ!!す、すみません、サフィー!」

 

 ヴぃレは、一瞬痛みに頭を押さえてから、ハッとしたように、サファイアを見る。


 そして、その身体の触れ合いに顔の温度を沸騰させ、慌てて身を離す。


「い、いえ……」


 サファイアも慌てて両手で頬を押さえる。


 動悸が抑えられない。


 これは、階段から落とされるという恐怖体験からか。


 それとも――。




「ほら、立て。行くぞ」


 タッキーの促しにサファイアは、軽く頭を左右に振り、立ち上がる。


(そうだ。今は、他のことに気を取られている場合じゃなかった……)


 サファイアは、タッキーを抱き上げて、階段を上り始める。


 ヴィレもそんなサファイアに付き添う。




 階段を上り切れば、知らなければならない。


 彼女の真実を――。


 なにがそこまで、彼女を変えてしまったのかを。



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