17-4
辺り一面がしんっとなった。
それは、彼女が醸し出す冷たく、なのに燃えるような業火の熱い気配によるものなのか、サファイアには、掴めなかった。
しかし、一つ言えることは、当初の狙いは達成しつつあるということだ。
たとえ、頬に伝う汗がじわっと肌に厭な吸い付き方をしていたとしても――。
アンネが震える手でその豪華な金髪を掻きあげる。
動揺を必死に抑えようとしているのが伝播する。
たとえサファイアが同性であっても、一応は宝石眼。
狡猾な悪呪師なら誘いに乗ってこない恐れもある。
ただ、サファイアには自信があった。
彼女が悪呪師であったとしても、あの舞踏会での射抜くような視線。
(彼女は、プフール伯爵様に関してだけは、我を忘れるはず――)
一時の後。
視線が、やっと合う。
つまり、それだけの時間を要したということだ。
すぐに視線を合わせれば、己の感情の蓋を閉めきれず、そのまま相手へ飛び掛かってしまうかもしれない。
それは、なんとか避けたようだ。
「……まぁ、それは不思議な話ですわね。舞踏会終了後は、私とヴルム様は一緒に過ごしましたのよ」
女特有の甲高い自慢が混じる声。
アンネは、淑女としての慎みある発言をしなかった。
つまり、すでに冷静さに欠けている。
サファイアも、この反論は予想していた。
しかし、彼らが朝まで共にすることはないことも予想できた。
三大公爵家内で、もし不埒な噂でも立てば、お互い不利益しか被らない。
こういった場所では、皆慎重にならざるを得ないのだ。
サファイアも、負けずに勿体ぶって告げる。
「……でも、夜中まで一緒にはいらっしゃらなかったでしょう?」
「――!」
アンネの頬が朱色に染まり、歯ぎしりをする。
確定した物言い。
恋敵にとって、これ以上ないほど屈辱的で痛恨の一撃となる。
サファイアは、そのまま相手に間を開けずに、語り続ける。
嘘の話を――。
「……私も本当に驚いたんです。突然のご訪問でしたし。……ですが、舞踏会での一件について話したいと申し出を受けまして、お断りできず――」
「……一体、どのようなお話をされたのでしょうか?」
アンネは下を向いたまま、問う。
今にも、泣き出してしまいそうな雰囲気。
サファイアも、女性に対してこんな酷い騙し方をすることに、気が引け始めていた。
もしかしたら、本当に事件とは無関係な人かもしれないのに。
サファイアも視線を下へ向けて、続ける。
「……大変、申し上げにくいのですが。……アンネ様とは、その、男女の関係ではないから誤解しないでほしい、と――」
その瞬間――。
サファイアは自分の身体が押され、宙に浮いたのがわかった。
視線を上げれば、あんなに距離が離れていたアンネが眼の前にいた。
その憎悪の籠った顔で、両手を前へ出している。
後ろには闇に染まった長い階段。
そこへ、ゆっくり落ちていく感覚がある。
(油断した――)
か弱い令嬢は、やはり演技だったようだ。
だって、こんな力強く人間を攻撃できるのだもの。
そんな客観的なことを思考しながら、サファイアの身体は後ろへ倒れ込む。
その寸前――。
「サフィーーーー!!」
大声で自分を呼ぶ存在。
それと、同時に誰かの温かい腕のなかへ納まっていく安心感。
(――そうだ。前にも同じことがあった。また、助けられてしまった。これで二回目。いくらなんでも呆れられたかしら)
どうして、この国で最もその身を大事に扱わなければならない人に、自分はいつも迷惑を掛けてしまうのだろうか。
「王子……」
「……」
背後からきつく自分を抱き込むその腕の持ち主から返答はない。
これも二回目だ。
「……ヴィレ」
「……サフィー」
一層強く、息も出来ぬほどの抱擁。
サファイアは、それをただ受け止めていた。
「離せーー!あの女、殺してやる!」
その怒声に、二人は上を向く。
ユーリとクルスが二人がかりでアンネを抑え込んでいる。
もう、芝居の必要はない。
彼女は、罪を犯してしまった。
この国で最も重罪となる宝石眼殺しを。
だが、今回は未遂で、サファイア側から仕掛けている。
話によっては、赦したいとも思う。
そのためには、まず、この腕から離れなければならない。
「あ、あのヴィレ……」
「――やっぱり、こんなこと止めさせれば良かった。ユーリから話を聴いた時の俺の感情があなたにわかるか?なに一つ守らせてもらえないこの歯痒さ。それを尊重したいと思った……。それが、すぐ後にこれだ」
ヴィレの咎めるような詞と視線にサファイアは慄く。
彼から、こんな物言いをされたのは初めてだったからだ。
「ヴィレ……私は、どこも怪我してないですし」
「結果論じゃない!」
「!」
怒鳴られて、身を竦ませる。
怒りが肌を密着させている分、直接に伝わってくる。
サファイアの怯えた表情にもヴィレは視線を緩めない。
そのままサファイアの頬を撫ぜる。
「あなたの命は、もはやあなただけの物ではない。――覚えておけ。お前は、私の――」
ヴィレの顔が声と共に近づいてくるのを制止できない。
最後の台詞の際、彼のダイヤモンドの瞳が鈍く光ったように感じられた。
なぜか、別人の瞳のように――。
彼はダレ?
なにかに乗っ取られている。
それとも、これこそが、彼の真の姿なのか。
二人の影が重なり合おうとする。
しかし――。
ボカッ――!!
唇が触れ合う寸前。
いきなり眼の前のヴィレが、その後頭部を可愛らしい肉球で叩かれていた。
いや、殴られたという表現の方が正しいかもしれない。
「おい!いつまで、抱きついてるんだ。俺たちもさっさと上へ戻るぞ」
一体どこから現れたのかわからないが、颯爽と登場したタッキーは、見下したかのようなぞんざいな言い方で二人に指示する。
「――っ!!す、すみません、サフィー!」
ヴぃレは、一瞬痛みに頭を押さえてから、ハッとしたように、サファイアを見る。
そして、その身体の触れ合いに顔の温度を沸騰させ、慌てて身を離す。
「い、いえ……」
サファイアも慌てて両手で頬を押さえる。
動悸が抑えられない。
これは、階段から落とされるという恐怖体験からか。
それとも――。
「ほら、立て。行くぞ」
タッキーの促しにサファイアは、軽く頭を左右に振り、立ち上がる。
(そうだ。今は、他のことに気を取られている場合じゃなかった……)
サファイアは、タッキーを抱き上げて、階段を上り始める。
ヴィレもそんなサファイアに付き添う。
階段を上り切れば、知らなければならない。
彼女の真実を――。
なにがそこまで、彼女を変えてしまったのかを。




