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子不語堂志怪録 星なき夜に影は踊る  作者: 悠井すみれ
第四章 悪しき凶星は後宮に輝く
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6.凶星、輝く

 ほどなくして、ふたつの足音が入室してきた。軽い女のものと、比較的重い男のものと。梓媚しびが、鏈瑣れんさを従えて参上したのだろう。


「ご機嫌麗しゅう存じます、皇后陛下。兄が、何か失礼をいたしましたでしょうか」


 果たして、皇后の前に跪いたと思しき衣擦れの後、口上を述べたのは梓媚の声だった。やや硬く張り詰めた響きの声に潜んだ感情は、兄である辰蘭しんらんにはありありと聞き取れる。


(怒っているな……)


 呪詛と、縛られているせいで身体の自由が効かない辰蘭には、妹の表情を見ることはできない。ただ、いつもは知性を湛えて煌めく目が、今は激しい怒りに燃えているのは想像に難くない。

 なのに、梓媚を迎えた皇后の声はどこまでも穏やかでにこやかで、親しげだった。


「いいえ。少しお話をしていただけよ。そなたとはこれから大事な話をするのだから、邪魔しないでもらえるようにしたの。ああ、でも、このままでは話しづらいかしら」


 皇后の視線だか指先だかでの命令によって、控えていたらしい宦官が辰蘭に駆け寄ってきた。荷物を転がすようにして、身体の向きを変えられ、角度を調整されて――辛うじて自由になる眼球の動きで捉えた梓媚の横顔は、恐ろしいほど冷ややかで、なのに明らかに戦意に満ち満ちていた。


「大事な話と、仰いますと?」


 睨むような一瞥で兄を震え上がらせておいて、梓媚は皇后に対峙した。辰蘭を足もとに見下ろして、貴い女人ふたりが卓を囲む格好だ。鏈瑣は、梓媚の後ろに、従者のように控えているようだ。


 内密の話ゆえにだろう、茶菓が供された後、皇后は宦官や宮女を退出させた。


 四人だけが残されたところで、束の間、茶の芳香を味わうかのように黙した後――皇后がほう、とわざとらしい溜息を吐いた。それが、「開戦」の合図だった。


「わたくしね、そなたのことを妹のように思っていたのよ。色々助けてあげたし、そなたもよく仕えてくれたでしょう。でも、隠し事があったのを知ってしまったの」


 色々、とは、すなわち桂磊けいらいを殺したこと、それによって梓媚を入宮させたことだ。梓媚が皇后に与したとして、本意だったはずもないだろうに。


 梓媚の心をにこやかに踏み躙りながら、皇后は穏やかな声と笑顔に鋭い刃を忍ばせた。


貪虚たんきょ星君せいくんを従えておきながら、わたくしに黙っていたのはなあぜ?」


 やんわりと背信を責められても、梓媚が怯むことはなかった。


「最初は、良からぬ狐狸こり精の類と思いましたので。兄に預けて、管理と調査を依頼しておりました」

「気付いた後でも報告しなかったのは? ぎょくの太祖が降した凶星なのよ? 一介の妃がわたくしして良いものではないでしょう?」


 皇后の指摘に、辰蘭はそういえばそうだな、と思った。


 世に災いをもたらした凶星、などというたいそうな存在なのだ。史官か祀儀しぎの官か――いったいどこの衙門がもんが扱えるのかはさておき、公にすべきではあったのだろう。

 だが、裏を返せば、決して皇后だけに報告すべきものでもない。どうして自分に言わなかったのか、と責めた皇后こそ、私欲に塗れている。


 それを看破したからだろうか、梓媚の答えは落ち着き払ったものだった。


蟲毒こどくの毒虫を噛み砕く化物でございます。皇后様にはお聞き及びのことかと存じますが」


 桂磊を殺したことも、呪殺の痕跡をあえて残して脅そうとしていたことも承知しているぞ、と。剣呑に匂わせた上で、梓媚は艶やかに微笑んだ。


「かようにおぞましい化物が、墜ちたとはいえ、かつて天に輝いた存在であったなどと、どうして信じられましょう? いっそうの調査が必要であると――不確かなことはお耳には入れられぬと存じておりました」


 口を挟めぬ身がもどかしくなるほど、梓媚のもの言いも表情も挑発的で好戦的だった。お前に従う気はもはやない、と。言外の言葉をはっきりと聞き取ったのだろう、皇后はさすがに頬を強張らせた。


「なるほどね。そういうこと……」


 歯軋りのような呟きの後、数秒の沈黙が降りた。それは、皇后が平静を取り戻し、笑顔を取り繕うに要した時間だった。飼い犬に手を噛まれてなどいない、場の主導権はまだ自身が握っている、と。そういうことに、したかったのだろうが――


「そなたにしては、気の利かぬことだったわね。まあ、良いでしょう。許してあげる。でも、何もなしで、とはいかないのは分かるわね?」

「愚かな身には分かりかねます。詳しくご教示を賜りますようお願い申し上げます」


 お前の意図を汲んでやる気はない、言いたいことははっきり言え、と返されて、皇后の頬に朱が上った。


「あのねえ」


 皇后は、うんざりとした声を上げた。この女が感情を露にしたのは初めてだが、喜んで良いのかどうか、辰蘭には分からない。


(何を考えている? 勝算があるのか……!?)


 梓媚は、娘を呪詛され兄を人質に取られた状況だ。彼自身の安全はこの際どうでも良いが、怒りのあまりに我を忘れてはいないだろうか。妹は、嫋やかな見た目とは裏腹に、たいそう苛烈な性格の持ち主なのだ。


 梓媚の本性を、皇后はまだ知らないはずだが――それでも不審に思い始めては、いる。


「時間稼ぎをしているの? 主上に言いつけようというなら無駄よ? 怪しげな呪術で貪虚星君を従えているのはそなたのほうだもの」

「承知しております」

「……わたくしを害させようとするのも、無駄よ。わたくしや暁燕ぎょうえんに何かあれば、そなたはもちろん、いん辰蘭も麗玉れいぎょく公主もひどく苦しむことになる」

「それも、承知しております」


 直截に脅されても梓媚はいっさい怯まず、笑顔で応えて皇后を絶句させた。そうして、優美に首を傾げる。


「わたくしの不始末の埋め合わせに、何をすれば良いか――教えてくださいませんの?」


 人質を取られて脅され、隠し事を責められている者が、どう償えば良いのかと問うているのだ。あまりにも堂々とした、悪びれない開き直りだった。


「不始末というのは、分かっているのね。……本当かしら」


 苛立たしげな眼差しで、皇后は梓媚を睨めつけた。だが、感情の乱れを覗かせたのはそこまで、すぐに慈母の微笑みを纏い直す。


「まあ、良いわ。わたくしを安心させてちょうだい。そなたは優しくて賢い子のはず。少し調子に乗ってしまったのだとしても、貪虚星君の力をみだりに使わなかったものね」


 本題に入る気配を察して、梓媚は背筋を正し、辰蘭も自由にならない身体を強張らせた。


貴妃とその子――俊瑜しゅんゆ皇子を片付けてちょうだい? そうしてくれれば、これからも仲良くできるはずよ」


 子供同士の仲直りのように、無邪気な調子で下された命令は、それ自体が残酷かつ大罪に当たるものだった。だが、それだけでないのを辰蘭は知ってしまっている。


 梓媚の反抗に、皇后がまだしも余裕を持って接しているのは、彼女が知らない情報を握っているからだ。


 貪虚星君――鏈瑣に人を襲うよう命じれば、封印の鎖が砕ける。解き放たれた凶星は、かつての主に牙を剥く。


 娘と兄の命と引き換えに、梓媚は不承不承でも従うだろう。あるいは、皇后を襲うように鏈瑣に命じるのでも良い。いずれにしても同じ結果が得られる――梓媚を始末できると、皇后は信じ切っているのだ。


 だが、辰蘭はまた別の事態を恐れていた。


(梓媚、堪えろ。ほかに方法があるはずだ……!)


 皇后をじっと見つめ返している梓媚が、兄の必死の形相に気付いてくれることを祈って、念じる。


 皇后は、彼女にとっては婚約者の仇で娘の敵。辰蘭のことは――どこまで案じてくれるか分からないが。とにかく、梓媚が大人しく言いなりになるはずがないのだ。


 辰蘭は、皇后の命こそを切実に案じていた。というか、このような邪悪な女のために、凶星が解き放たれ、妹がその餌食になることを。


皇后ばけものと同列に落ちてはならぬ。相応の裁きを、それによる屈辱こそが報復になる。そうだろう……!?)


 このような場合でなければ、梓媚もそのために策を巡らせるはずだった。だが、追い詰められた状況で、仇を目の前にして、冷静な判断ができるとは限らない。


 梓媚は、貪虚星君の封印の仕組みを知らないのだから。人を喰わせるか否かは、単に倫理感や善性の問題ではない。鎖の主の命にも関わるのだと――伝えなければならないのに、辰蘭の舌は動いてくれない。


 やがて、梓媚は軽く目を伏せた。まるで、皇后に服従の意を示すかのように。


「……承知いたしました」

「そう。良かった……!」


 手を叩いて喜んだ皇后は、その言葉を信じたようだった。妹の気性の激しさこそを信じている辰蘭は、梓媚が何を決意したかを知るのが恐ろしいというのに。


 貴妃たちか、皇后か――いずれにしても、人の死を願えば妹の死に繋がる。かといって、皇后に従わずに状況を打破する手も見えない。


(梓媚。何をするつもりだ……!?)


 兄の想いが、ようやく届いたのだろうか。梓媚が、辰蘭のほうへ顔を向けた。視線でも表情でも、瞬きでも――どうにかして危険を伝えねば、と思うのだが。

 何も言わなくても良い、とでもいうかのように、梓媚は艶やかに微笑んだ。弧を描いた唇が、滑らかに動く。


「貪虚星君。お兄様を『あげる』。煮るなり焼くなり食らうなり、お前の好きになさい」


 辰蘭と確かに目を合わせた上で、梓媚は兄の真心からの警告を、きっぱりとばっさりと切り捨てた。


「……え?」

「心得た!」


 皇后の間の抜けた喘ぎは、軋んだ、そして弾んだ応えによって掻き消された。

 じゃらり、と鎖の音が聞こえたかと思うと、目を輝かせて満面の笑みを浮かべた化物の美貌が、辰蘭の眼前に迫っている。


 一呼吸の間に距離を詰められ、首根っこを捕らえられて持ち上げられた、と認識した時には、辰蘭の視界は眩い閃光に染め上げられていた。


(天に輝く、貪婪どんらんを極めた凶星……!)


 失われて久しい不吉な輝きを、間近に見ている。その事実に気付いて慄く辰蘭の耳に、高らかな哄笑が刺さった。


「我が名は貪虚星君! 二百年の時を経て解き放たれた! 我に屈辱を強いた極め、国ごとすべて喰らい尽くしてくれる……!」


 耳慣れたと思っていた、罅割れた悪声――だが、それが告げる内容は、三年の間ひとつ屋根の下で過ごしたはずの、無作法で無遠慮で無神経な、それでいて気安い化物とはほど遠い。悪しき凶星の名に相応しい、威厳と傲慢さに満ちていた。

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