昨日の今日とは寝耳に水
「レニ」
顔に日差しが当たって、唸る。
「レニ、朝よ」
呼ぶ声は聞こえていたが、もう少し微睡んでいたかった。だって、冬の朝なのに春のように温かい。こんな日は、もう少し眠っていても許されるはず。
「可愛い寝顔を堪能したいのは山々なのだけれど、起きて、レニ。迎えが来てしまうから、もう起きて支度をしないと」
まぶしい日差しが遮られ、まぶたに柔らかなものが触れる。
それがくすぐったくて、目を開ける。
美しい少女が、わたしを見下ろして微笑んでいた。つん、と頬をつつかれる。
「やっと綺麗な瞳が見れたわね。おはよう、お寝坊さん」
「ベラ……」
どうしてベラが?と瞬間考えて、そう言えばモルガン家はベラの寝台にお邪魔していたのだと思い出す。
んんーっと唸って、目をこすりながら身を起こした。
「おはよう、ベラ。そんなに寝坊した?」
「いいえ。実はそんなに遅くないわ。でも、しっかり身支度しておかないと、慌ただしくなると思うから」
寝過ごしたかと尋ねれば、返って来たのは否定。
「なにか、予定があった?」
改めて見れば、ベラもまだ寝衣で、髪も梳いていなかった。
モルガン家になにか予定があったなら、部外者のわたしが宿泊していては良くなかったのではないだろうか。
「今はないわ。でも、これから入ると思うから」
どう言うことかと問おうとして、目の前の少女が昨日通過儀礼を済ませた稀代の天才であることを思い出す。
昨日の今日とは早過ぎるが、ベラほどの天才であればおかしくない。
「ベラに王城から召喚がかかるかもってこと?」
「わたしにも来るかもしれないけれど」
寝台から立ち上がったベラが、わたしの手を引く。
「それよりレニよ」
「わたし?」
「そう。王室との婚約の打診でね」
王室との、婚約の打診が、わたしに。
「昨日の今日で?」
「昨日の今日で」
そんなこと、本当にあるのだろうか。
昨日のベラの言葉を疑うわけではないが、染み付いた底辺根性は、そうそう消えるものでもない。
「まあ、違ったら違ったで良いのよ。それはそれとして」
ベラが立たせたわたしを見て、嬉しそうに両手を合わせた。
「レニに着せたい服があるの!急な泊まりで着替えもないでしょう?ぜひ着て頂戴!」
「え、でも、ベラの服は」
ベラとわたしでは身長が十センチ違うし、身体の凹凸加減も違う。すらっとした長身ながら出るとこ出始めているベラと、小柄かつまだまだ幼児体型から抜けきれないわたしでは、着れる服が全く異なる。寝衣だから辛うじて貸し借りできたが、ドレスはデイドレスでも厳しいだろう。大事故が起こる。
「大丈夫よ。取って来るから、待っていてね」
返事も待たずに、ベラは軽やかな足取りで、おそらくクローゼットであろう扉へ向かう。
これは、説得は無理そうだ。
まあ、ベラが楽しいなら、わたしの服装が大事故なくらい、耐えて見せようか。見たひとにも、耐えて貰おう。
そんな、諦めの境地でいたのだが。
「なんでぴったり」
「レニ用に仕立てたもの」
着せられた服があつらえたようにぴったりで思わず呟けば、あつらえたのだと答えが返る。
……なるほど?
「なんでベラの家に、わたし用に仕立てた服があるの?」
まだ、同じ身長の頃の服を出したと言われた方が納得が行くのだが。
「レニに絶対似合うのに、レニは絶対着ない色だろうなと思って」
「だからって仕立てるかなあ?」
服は基本的に、姉のお下がりだ。もちろん世間体もあるので、社交の場で着る服は仕立てて貰えることもあるが、姉の服の染め替えや仕立て直しで誤魔化されることもある。服はそれなりに値段がするのだ。
それなのに、日の目を見るかもわからない他人の服を仕立てるなんて、酔狂にも程があるだろう。
「今日着て貰えて良かったわ。ね、似合うでしょう?」
ベラがわたしに着せたのは、たっぷりと布を使った燕脂色のデイドレスだった。重ねられた布地が織り成す凹凸が、メリハリのない幼児体型を巧く誤魔化している。
「普段の淡い色もよく似合っているけれど、濃い色も絶対に似合うと思っていたのよね。思った通りだったわ」
ベラが満足そうに頷いたところで、扉が叩かれる。
「ベラ?入って大丈夫?」
ベラの姉、マリアアンの声だった。
「良いわよ」
ベラが答えて、扉が開く。
「あー、もう着替えてる。わたしのお勧めも持って来たのに」
「姉さまのは、また今度ね」
こちらはすっかり身支度の整ったマリアアンが、手に持ったドレスを掲げて文句を言う。ベラは気にした様子もなく流して、わたしを鏡台の前へ座らせた。
「着替えて来るから、姉さまはレニの髪をお願い」
「はぁい。ちぇー。レニにわたしのお勧めを着せる良い機会だと思ったのに」
文句を垂れながらも、マリアアンはわたしの髪を丁寧に梳って、綺麗に結い上げてくれた。
「はい、可愛くなった」
そのまま少し、化粧も施してくれる。
「ありがとう、アンちゃん」
「どういたしまして。今度来た時は、わたしの用意した服も着てね」
「もしかしてそれも、わたし用に仕立てた服?」
「そう。レニに似合うと思って」
どうしてこの姉妹はそう、他人の服をホイホイ仕立てるのか。そもそも、どこからわたしの仕立て寸法を知ったのか。
「母さまも仕立てているわよ」
「どうして」
「三人目の娘とでも思っているのではないかしら?」
マリアアンが肩をすくめる。
「でも着ない服なんて」
「今着たのだから良いじゃない?」
ふふっと笑って言って、それに、と続ける。
「お出掛け着なんてわたしたちだって、仕立てても着ないことが多いのよ。お誘いなんてないし、あったとしても滅多なものは受けられないもの」
「ちょっと姉さま」
着替えたベラがこちらへ歩み寄りながら言う。わたしとよく似た燕脂の生地を使った、けれど自前の凹凸とすらりとした長身を活かした意匠のデイドレスだ。
「レニが反応に困ることをさらっと言わないで頂戴」
「あらごめんなさい?でも、正直なところありがたいくらいよ。有象無象とお茶会なんてやっていられないもの」
ふふ、と愛らしく微笑んでいるが、言っている内容は毒々しい。
「家は兄さまが継いでくれるし、婚姻出来る相手は限られているし、家格の近い相手との社交は難しいし。家のために出来ることなんて、そんなにないのよね。精々魔力の高過ぎるご令息相手に、玉の輿を狙うくらいかしら?」
王城で働くことも出来るでしょうけれどと、マリアアンは頬に手を当てる。
「ベラほど魔力耐性があるわけではないから、王室の側仕えになれるかどうか。それなら深窓の令嬢として嫁ぎ先を探した方がまだ良いわ」
ふふふ、とマリアアンが指先で、わたしの額をなでる。
「これから、王妃殿下の幼なじみと言う、付加価値も増えることだものね。さ、レニはベラと交代して。ベラの髪を結うから」
従って椅子を立ちながら、言われた言葉を吟味する。
「王妃殿下」
とは、もしかしてわたしのことだろうか。ベラだけでなくマリアアンも、わたしが王妃になると考えているのか。
「今頃みなさま慌てている頃ではないかしら?メレジェイ家って、あまり高位の家とは関わっていないから」
確かに、社交には連れ出されたが、相手は男爵子爵の令嬢令息が多かった。魔力底辺の嫁ぎ先に玉の輿は狙えない、と言う理由もあっただろうが、それ以上に、両親も魔力が低く、魔力の高い相手と関わるのは難しいと言うことが大きかったのではないだろうか。
先祖を遡っても、メレジェイ家に突出した魔力の持ち主はいない。それは、婚姻を結んで来た家だって同じで。それでも伯家なので男爵子爵よりは魔力が高いが、伯家のなかでは下の中程度だ。
「マグナガン侯爵が一応は寄親だけれど、本当に一応その派閥を名乗っているくらいで、さしたる交流もないでしょう?レニ、顔も知らないのではない?」
「そんなこと…………あるね」
頑張って思い出そうとしたけれど、思い出せなかった。たぶん会ったこともない。
「ウィッテルド公のご子息の顔は覚えている?何度か、うちで会っているのよ」
「え、どのひと?」
「飴のひとよ、レニ。ほら、いつも棒付きキャンディをくれるおじさんがいるでしょう」
モルガン家で会ったひとの記憶を掘り起こすわたしに、ベラが助言をくれる。
棒付きキャンディ……?
「あ、キャンディのお花の?」
「そう、そのひと」
次期公爵から飴を貰っていたのかわたし。いや、飴を貰うどころか、たしか頭をなでられたり、抱き上げられたりもしたような。
「いつも、奥様と、仲良さそうにしてる?」
「そう、その奥方が、母さまのお姉さまよ」
ああ、そんな話を、確かに昨日聞いた。そして奥様には旦那様よりさらに可愛いがられた記憶がある。幼い頃、膝に乗って読み聞かせをして貰った。
「伯母さま夫婦は夫婦仲が良くて、子供も4人いるのだけれど、男の子ばかりでね。娘が欲しかったって、よくうちに遊びに来るのよ」
マリアアンに髪を結われながら、ベラが言う。
それでわたしとも顔を合わせたし、ついでに可愛がったのか。
「その、ウィッテルド公のご子息夫婦が、フォルクナー侯夫妻よ。いずれは公爵を継ぐことになるけれど、今は侯爵を名乗っているの」
功績の多い家は余らせた爵位も多い。息子に余らせた爵位を名乗らせるのは、よくあることだ。中には、継嗣が名乗るのはこの爵位と、決まっている家もあると聞く。
「たぶん、いくつか名前を聞かされて、知っているかと問われると思うけれど、そのなかにフォルクナー侯爵も入っているから、侯爵とも奥方とも顔見知りで親しいって、答えると良いわ。許可は貰ってあるから」
いつの間に許可を取ったのだろう。
「あとの方々についても、素直に答えると良いわ。名前は知っているけれど会った記憶はないってね」
つまり、わたしでも名前は知っているけれど、顔を合わせる機会はないような、高貴な相手の名前を聞かされると言うことだ。誰に?
「はい出来た。朝食に行きましょ。なにかお腹に入れておかないと、きっともたないわ」
なにに?
頭に疑問符を浮かべながらも、美人姉妹に手を引かれて、昨日も食事をした食堂へと向かう。客人を呼んでの晩餐会用ではなく、家族の団欒用の食堂だ。
食卓にはベラの父母と兄が待っていて、わたしたちが座るとすぐ、温かい朝食が出て来る。
「3人とも新しいドレスね。よく似合っているわ」
ベラの母がにこにこと、わたしたちを眺めて褒めた。ベラの父がそんな妻を見て微笑む。
「そうだな。燕脂のドレスはマリアベラが決めたものだったか。さすが、きみの娘だけあって審美眼が優れている」
「父さまったら、わたしたちを褒めるのにかこつけて、母さまを褒めるんだから」
マリアアンがむくれて見せて、和やかな雰囲気の朝食が始まった。
妻や娘がよその家の子の服を買っていることを、ベラの父は知っていて、許しているのか。
自分の娘の服ですら渋る我が家との違いに、思わず笑いそうになる。こう言った面での寛容さはやはり、裕福さが生むのだろう。
「あの、素敵なドレスを、ありがとうございます」
食後のお茶が並べられるあいだに言えば、ベラの父は笑って首を振った。
「確かに注文したのは私だが、レニ嬢のドレスの代金はほとんど、フォルクナー侯とイルギニス侯が出しているから、私に礼はいらないよ」
フォルクナー侯はさっき聞いたばかりの名前。イルギニス侯は、ベラの母方の祖父だ。この家で何度か顔を合わせている。魔力暴走のすぐあとに会ったときは、孫の恩人だと膝を突いて礼を言われた。
確かにふたりとも知ってはいるが、服を贈られるような仲では、
「わかりました。ドレスについて訊かれたら、フォルクナー侯とイルギニス侯のお取り計らいで、モルガン伯に仕立てて頂いたと答えます」
これも布石かと気付いて、頷く。
わたしの持つどんな服より上等な服だ。デイドレスで行ける場所ならば、これを着て行くことになるだろう。
ベラの父は出来の良い我が子を褒めるような顔で、頷きを返してくれた。実の両親からは、とんと向けられたことのない表情だ。
「それが良い。下手な家の庇護を受ければ、出世の道具にされかねないからね。その点、フォルクナー侯であれば心配いらない」
つまり、服を仕立てられるほど前から、モルガン家はわたしが王家に取り立てられる可能性があると、考えていたわけだ。
……それで、もし箸にも棒にも引っ掛からなかったら、わたしはどうやって償えば良いのだろうか。
指先が冷える心地がして、温かい紅茶に手を伸ばした、そのときだった。
「……?」
にわかにざわめいた空気に、手を止める。
「来たか」
ベラの父が、息を吐いて立ち上がる。
「レニ嬢、マリアベラ、紅茶を飲んで、手を洗っておいで。慌ただしくなるだろうから、今のうちに。そのくらいの時間は、私が稼ぐ」
「はい、父さま」
ベラの返事に頷いて、ベラの父は出て行った。
「レニ、飲んで」
ベラが紅茶のカップを指差す。
「あ、うん」
頷いてカップを口に運びながらも、なにごとだろうと内心首を傾げる。
そんなのお見通しなベラが、紅茶を飲み干してから口を開く。
「起きたときに言ったでしょう?使者が来たのよ。おそらくレニに」
使者。起きたときに、話したのは。
王城から、王室との婚約の打診で、召喚があると。
「昨日の今日で?」
「昨日の今日で」
それはまた。
「どうしてベラの家に?」
「先にレニの家に行ったと思うわよ?そこで、こちらにいると聞いたから回って来たのでしょうね」
ベラの予測通りだとしたら、両親も寝耳に水だったろうなと、他人事のように思う。
「帰るのを、待てばよかったのに」
「その程度の寸暇も惜しかったのでしょうね。昨日のことでレニの特異性を知ったのは、王家だけではないもの。魔力のせいで相手が限られて悩んでいる家は、王家以外にもあるの。むしろ、寿命の面で王家より逼迫しているかもしれないわ。王家に睨まれる覚悟でレニを掻っ攫おうとする家が、ないとは言い切れないの」
王家から話を通してしまえば、そんな横槍もそうそう入れられないでしょうから、もし掻っ攫いたい家があれば、機会は今朝までだったのよ。
ベラの説明を聞きながら紅茶を飲み干し、もしかして、と問い掛ける。
「だから、家に誘ってくれたの?」
「理由のひとつではあるわ。と言ってもいちばんは、隠していたことをわたしから説明したかったからと、王家の婚約者になれば、さすがに同じ寝台で眠るわけにも行かなくなるからだけれど」
肩をすくめてから、お手洗いに行きましょうと、ベラがわたしに手を差し出す。
ベラはわたしに隠し事をしていたけれど、同時に守ってもいてくれたのだ。ずっと、黙ったままで。
「婚約者のうちなら、大丈夫じゃないかな」
「そう?それなら、また一緒に寝ましょうね」
わたしの隣は安全だからと、ベラは笑う。
お手洗いを済ませ、軽く化粧も直したところで、声が掛かった。
「レニちゃんに、お客さまよ。ベラちゃんも一緒にいらっしゃい」
稀代の天才少女の予測は、どうやら間違っていなかったらしい。
拙いお話をお読み頂きありがとうございます
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